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花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

『葡萄と郷愁』 宮 本  輝 著 《 角川文庫ー解説について 》  

 

宮本  輝さま

お元気のことと思います。今週は次の作品についてお手紙しようと思っておりましたが、先週の『葡萄と郷愁』の「解説」に少し疑問があります。角川文庫の『葡萄と郷愁』の最後に、連城三紀彦さんが書かれていた「解説」なのですが、今日はそのことについてお便り致します。

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 この写真は日本海ではありませんが、波のうねりと光に、いつか見た『幻の光』の舞台『曽々木の海』に通じるものを感じましたのでお借りしました。

何故『幻の光』かと申しますと『葡萄と郷愁』の「解説」の冒頭で、その事に触れられていたからです。

この「解説文」は、とても研ぎ澄まされた文章だと感じました。その中で少し思ったことについて書いてみます。

連城さんは、佐渡の日没後の海で『幻の光』に遭遇されたかもしれないそうです。それは《残照ではない、空自体がもっている不思議な明るい光》とあります。ですが、作品の中の『幻の光』は、空や、雲間や、海と空の間の光のことではなく、海上に見える強い《光の塊》のような輝きであったという記憶があります。私の勘違いだったでしょうか。いつか、海の上に、そこだけキラキラした強い光線に、まるで射抜かれたような海の輝きを見た覚えがあります。読み手は実に様々な自分の体験から、物語の内容を解釈するものだと、改めて思います。

また、読み進めますと、宮本輝さんの作中の実際の場所を訪れてみたくなったり、夢中で読んでいる途中で、出てくる食べ物を無性に食べたくもなることについて書かれています。けれど、このような実体験を喜ぶのは「宮本輝観光客」だとの指摘がありました。感動した物語の地を、この目で見てみたいと思うのは自然の欲求だろうと思います。せめて作品を辿る旅人、位の言葉にして頂ければよかったように感じます。

最後に、もう少し解説を読み進めますと、こんな文章に出会います。

《人を風景のように見ると言う、僕が最近になってやっと得た目を、実は宮本さんは子供の頃から既にもっていた…》というものです。

本当にそうなのでしょうか。人が『風景』を見るとき、対象物から少なくとも一定の距離を取らなければなりません。そうしなければ見えないからです。しかもある意味、無機物のように周りの人間を見つめる必要があります。宮本輝さんはそんな子供だったのでしょうか。  私にはどうしても、子供の頃に、そんな見方をされていたとは思えません。心にとまった朧げな映像や、何故かそこだけ鮮明な記憶の断片が、大人になってから、それらを蘇らせ、血が吹き込まれたのではないかと思っております。  確かに宮本輝さんの作品には、多くの登場人物が出てくるものがありますが、その中の誰一人にも、作り物の無機物な要素を露ほども感じないのは、人を「風景」として見るどころか、その人間の内部に深く潜り込み、息を吹きこみ、血を通わせておられるからだと思うのです。ほんの端役みたいに登場する人物にまで、その人独特の性格を読み手に感じさせて、実際に目の前にその像が現れるほどです。それをエッセイの中で「憑依」と仰っています。ですから、人間を『風景』などと思われているとの記述に疑問を感じました。   プロの人にしかわからない表現なのかもしれませんね。  宮本輝さんの小説は、書き出す時に一度その人物を「風景」のように客観視したり、性的な普遍性に静かな目を保ちながら、胸の中の登場人物への愛情を包んでいた薄皮を、少しづつ剥がしながら、とても自然に書く行為へと繋がってゆくのだろう想像致します。勝手なファンの願いかもしれません。

それにしてもこの解説文は、見事にこの物語を「ひと房の葡萄」と結び付け、作品に構築されたもの…地球上の時間の距離と、地理的距離と、男と女の愛情に賭ける距離を見事に解き明かし、私の前に見せてくださいました。まるでデパートの贈答品の箱に入ったキズ一つ無いマスカットを連想する程に正確で、納得のゆくものでした。

世界はめまぐるしい程に、激しく変化しているように感じます。言葉の品格に欠ける発言が、日本の政治を司る方々から毎日のように飛び出すのは、とても恥ずかしく悲しい気が致します。暑さに向かう時期に入りました。ご自愛くださいますように。またお便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                         清 月  蓮

『葡萄 と 郷愁』 宮 本 輝 著

 

宮本 輝 さま

暑くもなく寒くもないありがたい季節がやってまいりました。入梅までのこの時期は、清々しくて生き返るように感じます。毎日の散歩が楽しくなりました。今日は『葡萄と郷愁』を読み終わりましたのでお便り致します。

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 この写真は物語の中の『アンドレア』に捧げたいと思います。闇に咲く紫の花は、彼女の短い人生に浮かび上がった深い悲しみを映し撮っているように感じてお借りしました。この方の写真は、生前の父の写真に似ています。初めてそれに気づいたのは、ぼんやりの私ではなく姉でした。

物語は『東京』と『ブダペスト』の時間の推移と共に進みます。『ブダペストのアギー』と『東京の純子』の二人が重大な決断をするまでの物語です。時間と場所が、国の事情の違いが、交互に現れ、捻れ合って、もう一つ別の味わいをもたらしてくれます。主旋律ではないのかもしれませんが、読み終わり、心に浮かびましたことを書いてみます。これはとても文学性の濃い作品です。

幼い時期に母を亡くし、悲嘆にくれてお酒に潰れた『父』を守り、逞しく生き抜く『アギー』は、孤独と苦難の生活に耐え、今『おとぎ話』のような『アメリカでの豊かな生活』を目の前にして迷っています。決断の時が迫ります。『郷愁』に包まれて暮らすことを選ぶか、夢を叶える為に現在を捨てるかの選択のようにみえますが『アギー』は、現在の自分の生活の中に『希望』があるか、ないかの答えを探しあぐね、迷っていたように思います。けれども、その選択すら与えられなかった『アンドレア』がすぐそばにいました。   『アンドレア』は早朝の『地下鉄』に飛びこんで命を終えたのです。その直前まで、周りのクラスメートにお金を貸してあげたり、電話をかけて『さびしい』と訴えています。全ては、仲間と一緒にパーティに誘われたり、ワインを飲んで喋ったりしたかったのです。ですが級友たちは彼女を『石の女』と呼び合い、挨拶以上の距離には近づきませんでした。身体が貧弱で学歴もない『ゾルターン』なら、自分を愛してくれるかもしれないと『アンドレア』は恋人のふりをしますが、それも見破られ、唯一、書き続けていた小説も、才能などかけらもないと言われます。『父』は共産党幹部で祖国からも逃げたくとも逃げれず、行き場をなくしてしまったのでしょう。

『寂しさ』は、大勢の人が自分の目の前にいるのに、一人ぼっちだと感じた時に、絶望に変わるのかもしれません。希望を断たれた『アンドレア』の自殺は、彼女の生まれた時より、もっともっと以前の『何千年の過去』から、彼女の中に『地下鉄の音』をもたらしたように思います。人は生まれて物心ついた頃、心の中にある孤独に既に気づいていて、幼い頃、幸せであったとしても、避けることは出来ず、忍び寄って来るものです。『アンドレア』に比して、『純子』の幼馴染の『いつ子』は、両腕を失くし、もっともっと孤独であったでしょう。でも明るく笑顔で懸命に努力して、自分の未来を現在に引き寄せたのです。そこには『いつ子』を愛する「両親と幼馴染」の存在がありました。そう思いますと、対照的な『アンドレア』に、いたたまれなさを感じて、たまらなくなりました。

近頃山火事が多発しています。乾燥と強風がもたらす惨事に心が痛みますが、出火の直接の原因は殆ど人の不注意だとのことです。山に木がなければ水も蓄えられず、川にも水は流れません。大切にしなければと思います。またお便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                    清 月   蓮

 

 

葡萄と郷愁

葡萄と郷愁

 

 

『私たちが好きだったこと』  宮本  輝 著

宮本 輝 さま

ゴールデンウィークも終わり、休みを楽しんだ人も仕事に追われた人も、日常を取り戻しました。日本がこうして平和である事が本当に大切に思います。今日は『私たちが好きだったこと』を読み終わりましたのでお便り致します。

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 チューリップたちは太陽に向かって精いっぱい花弁を開き、全てを自分の中に受け入れようとしています。昼間を明るく過ごし、夜には花弁を閉じて、更に明日への力を溜めているかに見えるこの時期の花たちに、逞しさを感じましたのでお借り致しました。

この物語は映画化されているそうですが、未だ観ておりません。新鮮な現代風の配役もいいなァ、今なら…と夢想しておりました。『ロバ君』はあの人『愛子』はあの女優さん『曜子』は…と決めていきましたが、肝心の『与志くん』が決まりません。個性が強過ぎても、ワイルド過ぎても、美し過ぎても、甘過ぎてもピッタリきません。こうして、勝手な夢想と共に読んでいましたら、とうとう十四章がきてしまいました。ここを『凌いで』静かに読み進めるには結構な精神力が要りました。この物語は、恋人だと信じていた相手と、うまく結ばれなかった物語として読みました。結ばれる以上に意義を見出した賢い人、もしくは尊い使命を貫いた二人のお話かも知れません。

『与志くん』は、懸命に『愛子』の為に学費を工面したり、『不安神経症』の発作に備えて、通学の送り迎えまでして、恋人としても良好に見えたのに、ある時期に『愛子』は『与志くん』より経済力のある医者のもとへ去ってしまうのです。その事が決定的になった時の『与志くん』の落胆や、疎外感や、孤独や、寂しさは、どれ程だったかと思うと、やり切れなさでいっぱいになります。

一度も人の期待や思いを裏切らず生きてきた人はいないでしょう。知らずに人を切り捨てていたりする事もあります。しかし身近な人が実際に容赦のない裏切りにあったらどうでしょう。数年前、息子から、一番の信頼をおいていた友に、裏切られたと言うしかないと打ち明け話を聞かされました。その時は、どう頑張って考えてみても、悔しさと情けなさに襲われ、可哀想で仕方ありませんでした。はっきり相手を憎んだと思います。『ひでぇことしやがる』…けれど、時間が経ってみると、相手にも相当な理由があった筈ですし、息子にも至らないところがあったのだろうと思えるようになりました。それより何より、この裏切りがもたらした力が、少しは息子を強く育ててくれたように思います。何故なら「母ちゃん、俺はサ、全てを受け入れてやり直してみるよ」そう言ったからです。

『与志くん』も、今では微笑みながら、自分の心根が綺麗で、人の為に何かをしたかった純粋な頃の自分を、とても愛おしく感じているようです。『愛子』も無事に医師免許を取得して『アフリカ難民医師団』に参加します。二人の間の『エレベーターの行き違い』は、偶然ではなく、何らかの結ばれ得ない理由の、必然の結果だったのかも知れません。何かを懸命にしている人や、人の為にお金を遣う事など、暑苦しいだけで、めんどくさい。関わると損害を被るか、自分のための時間も邪魔されます。そんな人も大勢いる中で、この物語は、確かな清涼感をもたらしてくれました。胸の内に涼しい風が吹き抜け、溜まった血栓を見事に洗い流してくれたように感じたのです。そして、最後まで読み終わった途端『与志くん』にピッタリだと思う男優さんが、急に目の前に浮かんできました。

近頃、出かけようとしますと、黄砂が車のフロントガラスを覆っていて、水で洗わなければ危険な程です。洗濯物も外には干せません。海の向こうからの黄砂は、ゴビ砂漠タクラマカン砂漠からもやって来ているのでしょうか。地球の砂漠化がこれ以上進まなければ良いのにと願っております。春の雨はありがたいですね。またお便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                      清 月  蓮

 

 

私たちが好きだったこと (新潮文庫)

私たちが好きだったこと (新潮文庫)

 

 

『蝶』宮本  輝 著  『星々の悲しみ』に収録

宮本  輝 さま

季節は流れる雲のように過ぎてゆきます。気温が上がるにつれ体調が上向いていくのを感じております。もう初夏になりました。今年の春は沢山の筍を頂けました。瑞々しい大地の恵みに雨が欠かせないようです。今日は短編『蝶』を読みましたのでお便り致します。

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 『蝶』を読んでいて、好きだったこの写真が浮かんで来ましたのでお借り致しました。命の源から離れ、既に地面に落ちているのに、なお美しくまるで生きているようです。この花たちは、風に転がったり、吹き上げられたりして美しい舞を見せてくれるかもしれません。理髪店『パピヨン』の壁一面の『蝶の標本』も、電車の振動で生きているように翅を震わせます。

『蝶』の読後感を書くのをグズグズしておりました。何故ならこの作品は、短くとも私にとって、とても大切な問題を孕んでいたからです。極 普通に読むと、悲しい結末が暗示されています。孤独な理髪店『パピヨン』の『主人』は、自分の嗜好に従い、欲望を止められず、次々『蝶』を捕獲して自らの満足の為に、標本にしていたと読めるからです。そして、その罰として、彼は採集の旅の何処かで命を落とし、二度と帰ることはない…しかも、電車が高架の真上を通る深夜に、標本にされた蝶たちが一斉に震え出し、恨みの声なき声を上げている結末を読みとる事も出来るからです。

人が幸せに生きる為には、決してしてはならないことがある…というのは、宮本輝さんの他の作品にもたくさん見受けられます。幸せになる為の警告と受け止められる人の「死」も描かれています。ですが、私はずっと考え続けたにもかかわらず、どうしても『パピヨン』の主人が、そんな罪に当たると思うことが出来ませんでした。既に持っているのに、同じ『蝶』を何匹も集めたことには、とても憤慨しましたが、毎日、夜遅くまで『蝶』の標本の埃を払い、手入れをして愛しんでいた様子が描かれています。理髪店の仕事も丁寧で、人柄も良さそうで、とても親切です。『パピヨン』の主人は、罰を受けたのでしょうか。それは彼の行為が「因」となった故の過ちの「果」なのでしょうか。    そんな事を考えながら、またこんな言葉も浮かびます。  《現在の因が未来の果を生む》…他の作品の中で、教えてくださったこの哲理がとても好きで、心にいつもあります。書くことをグズグズしておりましたのは、この作品から『主人』の決定的な肯定を表す言葉を見つけられなかったからです。そこで…私なりにお話の続きを想像を致しました。こんなお話です…

パピヨン』の主人は『蝶』の採集旅行の途中である山奥に向かいます。その時、朝陽の降り注ぐ葉陰に、頼りなげに揺れる幻の蝶を見つけました。美しいその色は、いつか夢にまでみたものです。けれど、蝶に見えたのは、ひとりの娘の着ていた上衣の短めの袂でした。驚いて近づき、彼は娘を見たのです。その瞬間、娘の横顔は蝶の翅より透明な輝きで彼を捉えました。娘の話す声は、物言わぬ蝶の標本からは、けっして得られない沢山の発見を、彼の心にもたらしました。自分の仕事も忘れ、自分の家に帰る事も忘れ、彼はその娘が一人で、懸命に額に汗していた仕事…その地方に伝わる染色の仕事…に心を奪われ、手伝わずにはいられなくなります。それは草木から糸を染めるとても大変な力仕事です。今まで、この世で最高に美しいと思い込んでいた『蝶』の標本の上にあった鮮やかな色や形が、その織物に現れていたことに息をのみます。その時、やっと気づいたのです。蝶を捕獲するよりも、自然の美しさを源にして、何か役に立つ物を創造することにこそ価値があるのだと言うことに。   蝶の生死と同じく、人間の生死も、危うい闇から明るい場所へと、絶えず彷徨っています。いつどこで闇が明けるかは、その人の命に必ず刻まれています。人を愛することや 友人を大切に思うこと、仕事に忠実な努力をして暮らしている人には、それに気づくチャンスが、必ず宇宙から降りてくる。この短編を読み『パピヨン』の主人も、きっとそうであったのだと信じていたいと思いました。

連休中は如何お過ごしでおられましたでしょうか。夏の暑さや寒いくらいの日が交互にやって来て、安定致しませんし、世界も騒がしく、不安に襲われることがありますが、努めて冷静にいたいと思っております。お元気でお暮らしくださいませ。どうかごきげんよう

 

                                                                       清 月   蓮

 

 

星々の悲しみ (文春文庫)

星々の悲しみ (文春文庫)

 

 

『星宿海への道』 宮本  輝 著

宮本 輝さま

お元気でおられますか。いつも寝るまでの時間はニ階で長編を読み、昼間は隙間を見つけて、短編や別の長編を読んでいます。暖かい風が吹き、不穏なニュースさえ無ければ、気持ちの良い毎日です。今日は『星宿海への道』を読み終わりましたのでお便り致します。

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この写真は、私の心の『星宿海』です。 物語に登場する『しまなみ海道』からの写真ではありませんし『黄河の源流』からこぼれ落ちる湖でもありません。けれど、ここに浮かぶ島々を見た時の記憶とこの写真にとても神々しいものを感じました。この風景には、陽光を浴びたり翳ったりしながら、島の木々が『星』になり、海の波光が『星』になるような感動を確かに感じましたのでお借り致しました。

この物語を読んでゆくにつれ、胸の中に、涙ではない水が溜まってゆくのを感じました。その水は引く事がなく、キッチンに立っても、胸の中に満ちています。この水の正体を表せる言葉が、今は未だ見つかりません。宮本輝さんの『長篇』を読む時、広大な舞台、迫る問いかけ、謎の行方、会話の愉しみ…それらが物語いっぱいに溢れています。感動した気持ちについて、何か書こうと考えますと、焦点を絞って自分なりに掘り下げるしかありません。知識に基づく掘削機は持ちあわせず、スコップで少しずつ掘るしかありません。この物語には「命を賭して息子を愛した母と、母の愛を感じ続けて生きた息子」に照準を当ててみました。

『母』は空襲で大怪我をして、息子『雅人』の命を守るために物乞いになりました。橋の下の小屋に住み、莫大な借金を背負い、自分で両目を刺してさえ、免れようとしたにも拘らず、身体を売ることを余儀なくされてしまいます。こんな劣悪な環境の中で、何故 『母と子』が誰の目にも、この上なく『幸せ』に見えたのでしょう。母と子の姿は、すべてを剥ぎ取られても尚、愛情に溢れていました。地上の男女の恋や、清らかな初恋 …そのような「愛情」とは違った次元で存在し、月日の中で色褪せることなく『息子』の心の真ん中にずっとあり続けました。

成人した後に『雅人』が考案したゼンマイ仕掛けの『亀の親子のおもちゃ』は『母亀』にはゼンマイが無く『子亀』が懸命に『母』の背に這い上がる間、首を振り続ける『歩けない母』と、その首に喰らい付いていた息子『雅人』の姿です。母の死後も、時も場所も越えて生き続ける『母と子』の愛情。探しても探しても、この世では、もう見つけられない『母』の姿は『ポプラの並木』の向こう側から『雅人』を惹き寄せていました。彼は迷う事なくそこへ漕ぎ出し、安心して『星の筏』に乗り、幼い頃の『母』の元へ消えたのです。それは自殺を意味するのでもなく、事件を暗示する状況も残さず、ただ母の元へ向かったのでしょう。愛した筈の『女』とやがて生まれて来る自分の『子供』を捨てたのでもなく、胸の中の水が喉元までせり上がり、どうする事もできなかったように感じました。

途中で、鋭い『異族』と言う言葉が出てきます。これは『母』を喪くし、ひとりぼっちになり、他家の子供として生きた『雅人』が、常に感じ続けていた言葉だったのでしょう。誰にも過去を打ち明けられず、知られることを常に怯えて暮らす闇をもった自分には、誰一人「同族」と思える人間はいなかった。『母』と死に別れてからの『雅人』は、現実を生きることは出来ず、死ぬ事も許されず、ただ時をやり過ごしていたのでしょうか。    誰でも心の隅に、人とは同化出来ない孤独を抱えて生きています。幼少期から青年期に、孤独な世界で生きるしかなかった『雅人』にとって「母なる海」への舟出は、光り輝く美しい処への出発だったのかもしれません。読み終わった時、エッセイ集『いのちの姿』に書かれた『小説の中の登場人物たち』の最後の一文が蘇りました。

《…灼熱と強風など意に介さず、こんなものがどうしたといったふうに小さな竜巻と竜巻のあいだを歩きつづけて消えていったあの青年に、私は憑依する術を知らない》

近頃、悲しく感じますのは、被災地から他の地域ヘ避難した子供達を虐める学校内のニュースが流れる事です。本人にはなんの罪も無いのに、どうして周りにそんな心が湧くのでしょう。いじめを受けた彼らが、自分は周りに溶け込めない『異族』なのかもしれないと感じる事を思うと、とても悲しい思いが致します。一人でもその子たちに近づいて、優しく接してくれる人がいてくれることを願うばかりです。どうかお元気でお暮らし下さいませ。またお便りさせて頂きます。どうかごきげんよう

 

                                                                  清  月     蓮

 

 

星宿海への道 (幻冬舎文庫)

星宿海への道 (幻冬舎文庫)

 

 

『小旗』宮本 輝 著  『星々の悲しみ』に収録

宮本 輝 さま

物憂い春の光が射しますと、他の季節より遠い昔が蘇る気が致します。吹き出したばかりの新芽に命の息吹を感じます。いかがお過ごしでおられますか。春はお父様を亡くされた季節。私も同じ時期に父を見送りました。その日、火葬場への道には細いせせらぎの横に蓮華草や芝桜がどこまでも続き、父を見送ってくれました。今日は途中だった短編集『星々の悲しみ』の中の『小旗』を読みましたのでお便り致します。

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 この写真は『父』を亡くした『息子』と『母』が、病院近くの土手で話している時、そばに咲いていた蓮華草です。私にとっても、蓮華草は幼い頃を思い出させてくれる懐かしい花です。昔は、探さなくてもすぐ近くに、桃色の田んぼが広がっていました。そんな頃を思い出させて頂いたこの写真をお借り致しました。

テレビで野生動物の番組を観ていたことがありました。強くて逞しい百獣の王ライオンは、一頭の雄が、数頭の牝とその子供達の群れを引き連れていました。実際に狩りをするのは牝でしたが、その雄々しい姿で敵の攻撃を見張り、たてがみを揺らして周りを威嚇しています。でも、やがて年とったライオンは、体の艶も無くなり、たてがみも所々抜け落ちてゆきます。そして、新しい若い雄にその座を奪われ、だだ静かに何処へともなく寂しく去ってゆきます。その姿は、何故かこの中の『父』と重なりました。

若い頃、勢いがあり、生気に満ちて世間でも実力を誇っていた男。その男が年をとり、経済力も無くなり、運にも見放されてゆく姿は、とても憐れです。自分の『父』のそんな姿は、そばでみているのも辛く、出来れば現実から離れてしまいたくなります。短編『小旗』はご自身のお父上の事を小説にされているのでしょう。読む方も辛いですが、書かれているご本人もどんなにかお辛かっただろうと思います。

『父』が亡くなった日にそばの蓮華草を見ながら『母』と『息子』は『父』の不思議な死を思っています。この時、現実を見つめながら、どこか遠くで起こったことのように感じていたのでしょうか。『父』はこの世からいなくなったのに、二人が座っている場所には、蓮華草がいつもの年と変わらず咲いている。そのことが悲しく不思議に嬉しくもあります。残された者は、それでも懸命に前を向いて生きてゆくしかありません。

『二人』が座っている側で、精神病院の患者達が、朗らかに話しながら歩いています。愛する人を亡くしても、たとえどんなことが起ころうと、彼らはきっと目の前にある仕事、人の嫌がる仕事であっても、懸命にそれに徹していることでしょう。道端で『小旗』を振り続ける彼のように。蓮華草の変わらぬ美しさとその『小旗』を懸命に振る姿。それを目にした時、安らぎに似た思いが、空の青さと溶け合って『父』の死を見送れたのだろうと感じました。

この作品を読んで、自身の父を思い出しました。カメラが好きで、オシャレで、絵を描いたり木彫りをしたりしていた人でしたが、晩年はただ「おおきになぁ、悪いなぁ」が口癖の老人になってしまいました。火葬が終わるまでの時間、父の人生はどんなだったのかと考えておりました。青春を戦争に奪われ、帰ってからは一家を支え、でもサラリーマンが嫌いで、よく会社をズル休みしていた事を思い出しました。この作品を読めば、どなたでもこんな風 に自分の「父」を思い出させて頂けるだろうと思う作品でした。

二階のベランダの上にまで、何処からか風に乗って沢山の桜の花びらが広がっています。車庫には、花びらに包まれた愛車が待っていてくれ、とても幸せに感じます。こうして散り落ちて後も、人を幸福にできる桜はやはり格別の花です。貴方さまにとっても『お父様』は、きっとそういう存在であられたと思います。この季節をお楽しみくださいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                       清 月    蓮

 

 

星々の悲しみ (文春文庫)

星々の悲しみ (文春文庫)

 

 

『月光の東 』 宮本 輝著 《その二・『美須寿』の未来 》

宮本 輝 さま

桜の木々を見る度、日本の土壌は豊かで、枝の先まで花をつける力があることに驚きを感じております。自宅の横を走る六甲山グリーンベルトには、山桜と山つつじが同時に咲き始めました。横から眺めると、薄桃色のラインがとても綺麗です。今日は『月光の東』の二通目のお便りを致します。

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 『夫』を喪った報を受けた時、妻『美須寿』の心は、きっとこの写真のようだったと感じます。満開の時を迎えているのに、一人うなだれたまま、月明かりに照らされています。心に描いていた写真が急に目の前に現れ、不思議な気持ちでお借り致しました。

『よねか』と『カラチ』のホテルに同宿して、別れた五日後に『加古』は、死を選んでしまいます。でも『加古』の自殺は、原因がひとつだけではないと感じます。周りの期待に沿う自分を保ち続けることへの、積もり積もった疲れや、内在していた孤独感がそうさせたのかも知れません。いずれにしても『夫の自殺』に「女の影」があった事は、妻『美須寿』を『錯乱』の底に突き落としました。このままでは『蛇の生殺し』のようだと感じています。答えの出ない謎は、心から力を奪ってゆき、新たな出発を阻みます。何故なら、疑心や憎悪の淀む心は、他人の言葉を受け入れられないからです。『美須寿』が、日記に嘘は書かず、自分をさらけ出す事で「淀みの抜けた状態」になろうとしたのは苦しい作業だったでしょう。      「決着」を付ける為に、夫のそばにいた「謎の女」の後姿を追い続ける『美須寿』の心は、優しい『叔父・唐津』と『主治医・安部先生』の言葉で救われてゆきます。その処方箋は…《 疲れたら休む、いつも楽天的である。愚痴を言える相手を持つ。大きな声で「そんな自分が大好き」と叫ぶ 》

その結果、『自分も辛いけれど、息子や娘は、思春期を迎え、どんなに心を痛めているだろう、しっかり守らなければならない』この思いに至ります。とても長い時を要しました。

幼少期から『妹』に両親の愛情を譲って生きてきた『よねか』は、男たちの愛を繋ぎ止めることに命がけで、女の魅力を本能的に弄してしまったのでしょう。蠱惑的な悪女と思われても仕方ありません。比して『美須寿』は、環境にも恵まれ、お金持ちの叔父『唐津』に労られ、求めずとも先に愛されていた。これまで、夫の『不倫や泣き上戸』にも気づけなかったのは、愛情への枯渇感がなかった故なのかも知れません。被害者意識の中、日記を『書き続けることは、それ自体が考えること』であったのです。そして、自分がこんな苦しみを受けるのは、独身の頃『妻子ある男』と関係していたことの『因果応報』だろうか…そう思えるほど被害者意識は薄らいでゆきました。

『よねか』の後ろ姿を追い続けて『美須寿』が、やっと辿り着いた境地には、明るい月が浮かび上がってゆくだろうと思います。未来への出発点を見出した『美須寿』にとって『月光の東』とは「月の沈む処」ではなく「太陽の昇る処」になったのです。記憶から消せない月はあっても、春の夜風に気持ちよく揺れている桜が、今の『美須寿』には、とても似合うように感じましたので、写真をもう一枚お借りしてお届け致します。

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 随分前に、貴方様の親友で主治医の「G先生」の御自宅が、我が家のすぐご近所という事がわかりました。G先生のご家族も、きっとグリーンベルトの山桜や、近所の桜のトンネルをご覧になっていますね。少し嬉しく思いました。花冷えが続いております。ご自愛くださいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                           清 月  蓮

 

 

月光の東 (新潮文庫)

月光の東 (新潮文庫)