花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【73-2】『水のかたち』宮本  輝 著 《下巻》

宮 本  輝 さま

雪を冠した富士の美しい姿が、この時期だけは、懐かしく思い出されます。それでも、街中の何処にいても、なだらかな六甲山脈が見える関西が好きです。海や山が見えるのはとても落ち着きます。今日は『水のかたち』《下 卷 》を読みましたので、お便り致します。

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 人生には、時にこの写真の流れのように烈しい時期があります。ほんの数ヶ月の間に、生活が一変してしまうようなことが次々起こり、理由がわからないまま勢いに乗るように進んでゆくのです。まるでこの物語の『志乃子』のようだと感じてお借り致しました。

ある日『かささぎ堂』に置かれていた『古い文机』を買おうと、思い切って店に入った瞬間から『志乃子』の人生は、自分の意思が追いつかないくらいの速さで流れ出しました。わが身に起こったことのように、あとを追いながら読むのは、とても愉しい時間でした。

『志乃子』が『早苗』の『祖母の家』に泊まった日『他者への畏敬』に気づきます。『なんの肩書きも高い学歴もない、有名でも金持ちでもない庶民』…そんな人達が「自分が知らないことを知っていて、分別や知恵があり、他者の凄さを知っているのだ」という事に気づいたのです。

私も、多勢の人も、心のどこかで自分が一番正しいと思っているものです。こうしか生きられないし、絶えず適切で、何も悪いことなどしていない。そんな心は些細な事にも現れます。心に浮かんだことを言い放ち、人が理解できるかどうかなどには無関心です。でも、あるきっかけで『他者への畏敬』に気づけたら、それは「幸運」と言うしかありません。何故なら、そこから、人の言葉に耳を傾けようとし、もう一度自分を見つめ直し、無限の宇宙に近づいてゆく唯一の入り口になり得るからです。慢心を沈め、謙虚に物事に対する時、そこには必ず明るい展望が待ってくれています。それが、もう一つの『水のかたち』についての私の恣意です。他者に逆らわず、攻撃せず、相手の『かたち』に沿って流れてゆく。けれど、ずっとどこまでも『水』であり続ける姿を『志乃子』を取り巻く人々を通して描いて下さったものと思っております。

『志乃子』のゆったりとした微笑みや、好きな陶器に注ぐ一途で直感的な生まれもった才に、惹き寄せられるように人々は集まり、知らずして力になりたくなってゆきます。一見平凡に見えた『志乃子』を、コーヒーショップの共同経営者にまで誘なうのです。お金に潔く、欲は出さず、目の前のことに懸命で、でも、いざとなったら肝が座ります。戦うべき相手に怯みません。『白ナマズ』のように何も持たず生まれて、特別なことは何もしてなくて、いつも迷ったり人に頼ったりして、周りの人々には自然に心を寄せられて、冬のあたたかな陽だまりを思わせる微笑みをもつ『志乃子』には、なろうとしてもなれるものではありません。ですが、読み終わった後のふんわりあったかな幸せな気持ちに、そっと息を吹きかけながら「桜梅桃李」の言葉に励まされ、ずっと『水のかたち』のように生きてゆきたいと思わせて頂けました。それに『きゅうりだけ』のサンドイッチと、スプーン一杯の『水』に、馴染ませてから作るロイヤルミルクティは、私の大好きなメニューになりました。我が家の食卓に度々登場致します。

冬はとても苦手ですが、温かいコートを着て、顔だけ冷たい風に吹かれているのは、とて気持ちが引き締まります。耳がちぎれるような風に毎日耐えておられる地方の人の事を思います。12月は慌ただしいので、お手紙は新年を迎えましたらまた書かせて頂きたいと思っております。この冬を無事に乗り切らねばなりません。ご自愛下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                     清  月    蓮

 

 

 

水のかたち 下 (集英社文庫)

水のかたち 下 (集英社文庫)

 

 

【73-1】『 水のかたち』宮本  輝 著 《上巻》

宮 本  輝 さま

朝の冷え込みがとてもこたえるようになりました。起きたらすぐに靴下を探してしまいます。いかがお過ごしでしょうか。今日は『水のかたち』《上巻》についてお便り致します。

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この写真は、森の中に分け入る「けもの道」のように見えます。物語の《上巻》の最後に『志乃子』たち四人が『お糸さん』を目指して、『キク婆さん』の『りんご牛』があった滝壺まで歩いた道。そして、織り込まれていた「お話」にあるのは、昭和21年に、朝鮮半島38度線を超えて、日本に引き揚げる際の『ムッシュ・イチヨーの母』が、死に物狂いで這いながら進んだ道。その二つの道が重なり、あまりの美しさに惹かれて、この写真をお借り致しました。

このお話は、主人公『志乃子』という平凡に見える五十歳の主婦に起った出来事が軸になっています。『音楽や落語また陶器』に造詣の深い方にも愉しいお話です。ですが、ここでは先に書きました『朝鮮北部の城津』から、日本人151人と共に引き揚げを決行した人物について思いを馳せずにはいられません。ですから、その事について書いてみます。

それには、先ずエッセイ集『いのちの姿』の中の『人々のつながり』にふれなければなりません。     宮本文学について、私が驚嘆致します第一義は、水の流れのように繊細で滑らかで、時に峻烈な展開の妙ですが、もう一つ『彗星物語』他にも見られる「事実の核」が存在する所以です。ここに書かれている物語は、私を深く震えさせるほどです。『いのちの姿』の中に書いておられる『絶対的確信』というお言葉は、そのような「事実の核」が長い歳月を経て、静かにご自身の胸に落ち積もり、そこから昇るように発せられたお言葉なのだろうと思います。

ご自身の若き日、25歳で会社勤めを辞され、小説を書き始められても、中々結果が出ないでおられた頃、生活維持の為に、ご近所の『和泉商会』に職を得られました。その頃のことは『バケツの底』の短編を生み『水のかたち』にまで結実してゆきました。

そればかりか『和泉商会』を離れられて、30数年経った後に、『和泉商会の奥様』から、実際に、突然の連絡があったのです。そして、『和泉商会』のご自宅に残された『手記と手縫いのリュック』の存在を、お知りになるに至ります。その時のご自身の強い衝撃を想像致しますと、この物語が、歴史上も貴重で、現代と戦後が微妙に綯われた作品として、後世に伝えなければならない事がよく理解できます。

お話は、戦前、朝鮮に住んでいた日本人の、命がけの日本への帰還を描かれています。敗戦により、その途端、現地の日本人は、朝鮮人による残虐な殺戮や暴力に合います。そのような状況下で、自分だけでも日本に帰れるかどうか、全く分からない崖っぷちに立ちながら、それでも、151名の同胞を見捨てず、いつ沈むか判らない「泥舟」のような小舟 ( 幅3メートル、長さ25.6メートル )を、決死の覚悟で出航させたひとりの日本人がいたのです。その方こそ『和泉商会』の『奥様の父上』であったのでした。

何故、宮本輝という作家の元へその『手記』が、辿り着いたかを思うと、何かにひれ伏したい思いに包まれました。阪神大震災の後、自らが運転され『和泉商会』の安否を確かめに行かれたやさしさにも、気持ちが波立ちました。『和泉商会』とは、たったの二ヶ月の繋がりでしかなかったのですから…

この小説は1988年8月から1989年9月まで毎日新聞に連載されました。それは、猥雑なことの多い世の中に、静粛で深淵な大河の一筋を確かに滴らせ、今も尚、流れ続けていると信じさせて頂ける読後感でした。

冬の鉛色の空を見ておりますと、不思議に歴史的な時間の膨大な流れを感じてしまいます。『劫』とはどのような長さなのでしょう。皆目解らずとも、それでも不思議なことに体の奥底に、そんな何かを溜め込んでいるかのような錯覚にとらわれることがあります。お風邪など召されませんように。どうかごきげんよう

 

                                                                    清 月   蓮

 

 

水のかたち 上 (集英社文庫)

水のかたち 上 (集英社文庫)

 

 

『海岸列車』宮 本  輝 著  《 上・下 卷  》

宮  本  輝 さま

一雨一度の言葉通り、雨の後は気温が少しづつ低くなっております。いかがお過ごしでおられますか。初冬の雨はとても寂しいですが、その分、晴れ渡りますと突き抜けるような青空が、とても清々しいように感じます。今日は『海岸列車』を読みましたのでお便り致します。

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 お正月まであと数日の『山陰地方』には、この写真のように雪が舞っていたかもしれません。『城崎』から『浜坂』までの各駅に停車する列車は『陸離』と『かおり』の出会いの場所です。この写真は以前から記憶に残る大好きな写真でしたのでここにお借りすることに致しました。

『戸倉陸離』について。彼は幼い頃、両親を喪い、文字通り苦学の末に『国際弁護士』への道を歩みました。彼の人間性の素晴らしさは、この物語の中に溢れています。彼が学生時代にアメリカに留学した時『ボウ・ザワナ』や『デナニ』に出会えたのは、彼の人間性が引き寄せた「必然」のように思います。そこから『周 長徳』へと繋がり、『アフリカ』への挑戦へと向かわせたのです。

この物語は『戸倉陸離』の生い立ちから『かおり』への気持ちの整理の仕方を通じて、ひとりの「理想的な人間」の姿が描かれています。『光彩陸離』が表すように、彼は眩いばかりに光り輝き、心正しい、美しい人として生きているのです。      世の中には、不道徳で非条理な出来事が蔓延して、何が人の道なのか、何が一番大切なのかなど、どこ吹く風の現実です。でも、この物語を通して、こんな男がいて、こんな風に自分を律して、もがきながら不可能に挑む姿を描かれ、人の生き方に、喝とエールを同時に送られたように感じています。 

  日本には、親の全面支援で大学に通い、運良く入れた企業で、なるべく苦労せず、結果だけは期待する人たちもいます。何が自分にとって得で、どうすれば人より豊かに暮らせて、なるべくなら美人の妻を娶り、人より多い収入を目指して、他人をかき分け、時に足を引っ張る人もいます。それらの心の隙間に忍び寄るのは、自分さえ良ければいいという我欲です。そんな人たちの胸ぐらを掴むような言葉が出ています。

『私利私欲を憎め。私利私欲のための権力と、それを為さんとする者たちと闘え』

『ボウ・ザワナ』が死力を尽くして彫った『ペーパーナイフ』の柄にあった言葉は『陸離』を動かし、たった二度しか会ったことのない『かおり』の兄『夏彦』を引寄せていきます。

『夏彦』は、母親に捨てられたキズをどうすることも出来ず、育ての親も信じられず、年上の裕福な女『澄子』のヒモとして生きていました。現実を真っ向から見ることを拒み『享楽的で無思想』の波に漂っていたのです。それはトンネルばかりの『海岸列車』に揺られ、トンネルの暗さに目を閉じて、気づかぬふりをしていた私たち日本人そのものの姿なのです。そこからどう闘い、現実へ挑むかは、読む人ひとりひとりの覚悟以外にない事を、ここに突きつけられるのです。

文学に向かおうとする時、読み手は自分の経験した事象から、感じたり思考を深めてゆくしかありません。受け身では読めないのです。『海岸列車』は

その顕著な物語のように思いました。

世界は目まぐるしく変動してゆき、悲しいニュースばかりが目についてしまいます。心を平常に保つのは大変ですが、懸命に目の前にあることを積み重ねる他はないと思っております。またお便り致します。お元気でお暮らしくださいませ。どうかごきげんよう

 

                                                                 清  月    蓮

 

 

海岸列車 (上) (集英社文庫)

海岸列車 (上) (集英社文庫)

 

 

 

海岸列車 (下) (集英社文庫)

海岸列車 (下) (集英社文庫)

 

 

【71】『スワートの男 』宮本  輝 著    《 特別 書き下ろし小説 》

宮 本  輝 さま

この秋、日本列島は台風に見舞われ、凄まじい風と、烈しい雨を見つめておりますと、何故か『スワートの男』を読み直したくなりました。これは『宮本輝の本』を購入した折に綴じ込まれていたこともあり、とても特殊な感覚をもって読み終えた気が致します。到底私などが理解できるものではありませんが、今日は思い切ってお便り致します。

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 お話の舞台に登場した『インダス川』は、下流は、まるで大海のような川幅でも、始まりは、無数の山々からの湧き水や雨水、雪解け水が無数の流れとなり、徐々に大河の姿を判然とさせてゆきます。この写真には、細く清らかな流れの筋が、下の川へと落ちているのが見えます。これを目にした時、生命の辿る道も川の流れと同じようだと感じました。誰かに出会い、同じ道を流れたり、時に別々に流れることになったり『インダス川』が、やがて最後にアラビア海に注ぐように、いのちの最後の一滴も川の流れのように大海に落ちてゆく…そんな事をどこかにお書きになっておられたのを思い出しました。この写真に「命と川の流れ」の相似性を見た思いが致しましたのでお借りしました。

お話は、時空を超えた二重性を保ちながら語られています。『父親の違う弟』を、両手で抱きしめられぬまま、それでも、彼の幸せを願っていた兄『洋之助』は、愛した女の本性を見抜けぬ弟『賢介』の純真さへのもどかしさから、弟がその女の元へ行こうとした時、思わず大声で罵倒してしまいます。その言葉の衝撃から弟『賢介』は、交通事故に遭い、肢体不自由になってしまうのです。兄『洋之助』は、弟への懺悔の気持ちを抱えたまま旅に出たのでした。

そこは、僧『鳩摩羅什』が歩いた『シルクロード』への道でした。その僧とは、サンスクリット語の膨大な仏典を漢訳した人であり、その中の『法華経』にある言葉を、二人の異父兄弟は、大切に書き写して持ち歩いていました。

《 難問答に巧みにして    その心に畏るる所無く  忍辱の心は決定し  端正にして威徳有り 》

『威徳』とは威厳があり徳が高いことを言いますが、難しい内容が並びます。恥を耐え忍ぶことも、揺るがず信じることも、さらに成し難いことです。でも、二人の兄弟は、それを胸において行動することを目指したのです。ここまでの高みをみることができたのは、二人が人生を左右するような「不幸」に見舞われたからなのでしょうか。

シルクロード』には、阪神大震災の後、ご自身が実際に旅をされたことが、他の多くの著作にも著されています。その場所は、一体どんな場所で、何を感じられたのかなど、到底知り得るものではありませんが、きっと途轍もない「地球」を身体中でお感じになられたのだろうと思います。其処は、昼間の酷暑と陽が沈んだ後の冷気、竜巻が巻き起こす『太鼓のような大きな音』の中で、人々が暮らしていたのです。多種多様の民族が出会い、混じり合い、様々な容姿の人が自然の中に溶け込んでいるのを目にされた時、人の心に去来する僻みや嫉妬や恨みの、なんと情けないことかと感じられただろうと想像致します。

人々は砂漠と闘い、しかも砂漠と共に生きています。『蜃気楼』に撹乱され、どこまでも『オアシス』を目指しているつもりで、砂漠の奥へ奥へと歩き続ける者も日常的にいたのでしょう。それは、「生と死」が、ただ川の流れのように途切れる事なく、人の暮らしの直ぐそばで、休みなく続いていることを表しています。『洋之助』もここで、自然や人々の営みを見て、自分のわだかまりや躊躇の小さなことに気づき、突き動かされたように『賢介』に心から謝る他にないと決意しました。

この物語は、ご自身の「覚悟」を見定める為の旅への決意から発せられたのだろうと感じております。そこには絶望と希望がないまぜになっていて、それでも「新たな光」を求めて、砂漠の国々を、高い山脈を見上げるように『鳩摩羅什』の足跡を辿られのかもしれないと感じております。この中に登場する『クルド民族』は、世界最大の国土をもたない人々です。独自の言語さえ奪われ、民族の音楽や民芸の全てを抑えつけられたままに、長い過酷な状況下で、川がその流れを止めないように、人々は今日も地球上で生きているのです。          私も多民族国家に数年間住むことがあり、その頃、街で見た緑の瞳、見上げるような大男達、秀でた額と力強い鼻梁をもつ人達を見ました。その頃、自分の生きている世界の壁が崩れたような感覚をもちました。日本人の穏やかさの陰に隠れた曖昧さや、賢さを盾に意思表示をしない民族性に気づいたのです。          最後の場面に描かれている『スワートの男』とは、約束を守るためには、命をも厭わぬ意思の強い人のことなのかもしれません。そんなことを思い出させて頂いた貴重な作品でした。

風邪が流行り始めました。人混みに出かけられます折には、充分にご注意くださいませ。寒い中にもあたたかな陽だまりを見つけられますようお祈り致しております。どうかごきげんよう

 

                                                                  清  月    蓮

 

 

『宮本輝の本~記憶の森~』

『宮本輝の本~記憶の森~』

 

 

 

 

【70】『 三千枚の金貨』宮 本 輝 著 《上・下卷》

宮 本 輝さま
お元気でおられることと思います。富士山もすっかり雪化粧を見せているそうです。神奈川に住んでおりました頃は、ベランダから冬の富士山を眺めながら洗濯物を干しておりました。富士山の冠雪は日本の冬がとうとうやってきたことを知らせています。今日は『三千枚の金貨』を読みましたのでお便り致します。

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写真は、この物語の最後の場面に現れた『桜の古木』のイメージです。和歌山県の山里に育った桜は、その枝に歴史を刻みつけ、見る人の心を鎮めてくれるような気が致しましたのでお借りしました。
読み始めからずっと「ああ、このお話は大人の男の人達の繰り出すおとぎ話なんだなぁ」と思いながら読みました。何故なら、『光生』の仕事先の仲間達は、みんな気の合う賢くて道理をわきまえた人ばかりです。そして『三千枚の金貨』が埋められているとのお話の展開も、男の人達が少年期に大好きだった宝島への冒険のようです。おまけに宝探しに参加した紅一点の『沙都』は、極め付けの美人です。しかも元看護師で白衣の天使のイメージを醸しつつ、今は居心地の良いバーのオーナーです。『テキパキ』仕事をこなし、気が利いていて、賢く明るいのです。
また、多くの男の人が一度位は、はまり込む「ゴルフへの熱病」も、こと細かく書かれています。女の私でさえ、ゴルフに夢中の時期には、練習から帰ると直ぐに仲間に電話して「今日、開眼したんよ!」とその日の発見を、いち早く誰かに話したくなったものです。それは自分で名付けた「アンブレラの原理」でした。傘の留め金を外して、クルッと回して広げるように身体の芯を動かさず背骨だけを回す…という動きを思い浮かべて「これこそ極意」と思っりしました。このように、ゴルフには、どういう訳か人に自分の秘密の発見を話してみたくなるものです。ですからご執筆中のこの時期に、ゴルフに夢中であられたのがよく伝わってきました。また、一度くらい多くの人が興味をもって『蕎麦』を自分で打とうと思い立ち、麺棒や木鉢を買ったりもします。私も持っております。つまり、この物語には、大人がやってみたくなるような楽しくて、なのに真剣に取り組みたくなるような事が、まるでおもちゃ箱の中からのように、次々と出てくるのです。
でもそこだけで終わるはずはありません。この中には『待つ』という事の大切な意味が出てきます。せっかく確信と歓喜に包まれ、苦労の末に『三千枚の金貨』が埋められている場所を見つけたにもかかわらず、彼らは『二十年間』そこを掘らずにおこうと意見が一致するのです。山里に民家を買い、軽自動車を備え、布団も準備して、みんなの「安らぎの場所」にしようと決めるのです。途中でどんな事が起ころうと、死ぬほどお金に困ろうと、この取り決めを破るようなら、きっと自分たちは「本当の大人の男」にはなれないだろうと考えるのです。何故なら、それは欲望を抑え込み、辛抱の年月を重ねることになるからです。
考えてみますと、お金で手に入れることのできない「安らぎ」と仲間への揺るがぬ「信頼」と、楽しみに輝く未来への「希望」とは、物質的に豊かな事になど比べようもなく、大きな幸福に包まれるだろうという実感は、歳を重ねるごとに深まってゆきます。本当の幸福を知る為に『待つ』事の大切な意味を教えて頂けた一冊でした。
長雨の後は、続けて台風に襲われた日本列島ですが、家や家族を災害で失った人々もおられます。政府のお金の遣い方、自治体の素早い対応が望まれます。誰もが安心して国を信頼し、未来に希望の持てる国にしてゆかねばなりません。お身体、ご自愛くださいませ。どうかごきげんよう

                             清月蓮


三千枚の金貨〈上〉 (光文社文庫)

三千枚の金貨〈上〉 (光文社文庫)

三千枚の金貨〈下〉 (光文社文庫)

三千枚の金貨〈下〉 (光文社文庫)

【69】『寝台車』宮本 輝著 『幻の光』に収録  

 宮 本  輝 さま

すっかり秋が深まりました。お変わりございませんでしょうか。やっと青空が続いて気持ちの良い毎日です。早めに家事を済ませて、本を読めるのは本当に幸せな時間です。この平和がずっと続きますように。今日は短篇『寝台車』を読みましたのでお便り致します。

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 『寝台車』の窓からは、この写真のような「夜」が見えたように思いました。月明かりは、黒い空を群青色に染め、雲の間に月の輝きがほの見えています。『老人』の心の風景のように感じましたのでお借り致しました。

『寝台車』は寂しい列車です。窓の外には闇が広がり、人々は既に眠りに就き、電車の規則正しい音だけが車内に響いています。カーテンは閉じられ、誰もが気配を消したかに思う瞬間もあり、突然足音でまどろみを破られたりもします。私が15歳からの数年間、京都の学生寮から福岡へ『寝台車』に一人で乗り帰省しておりました。家族を思いながら、嬉しさで高揚して、眠くとも眠りきれない長い夜が続きます。この物語を読む事で、カーテンの手触りまでもが甦りました。今でも、この独特の雰囲気は残っているのでしょうか。『寝台車』の数も減り、早くて快適な交通機関は、便利さの代わりに私達からここでしか感じることのできなかったある時間を奪ったような気も致します。

ここに登場する『私』も、長い交渉の末にやっと掴んだ『契約』の為に『寝台車』に乗りました。暫くすると、向かいのカーテンの中から、本当に悲しそうな嗚咽が聞こえるのに気づきます。70歳を過ぎたような『老人』の嘆きは、自分の身の上に起こったことに対してではない気がします。自分より若い、親しい者の死を思いながら、どうにも止められず、涙がしたたってしまったのでしょう。宿命と戦いながら、やはり死に至らなければならなかった自分の孫なのかもしれません。人を喪った事実に対して、どんな哲理を理解したとしても、その喪失感からは逃れられないのです。例えば、深海の音もない深い底に沈んでゆくように、亡くした人への憐憫は募り、どんな音も聴こえず、声すら出せない、呼吸も止まったように、身体の動きさえ緩慢になる感覚が続きます。海の底から、息をつける海面へと浮上するには、悲しみの塊を捨てる場所が必要なのです。『老人』は、胸の中の嘆きを夜の闇の中に吐き出さずにはいられなかったのでしょう。子供や女や若い男ではなく『老人』の泣き声は、悲痛な響きで『寝台車』の音に吸いとられてゆきました。

『老人』の泣き声に気づいた『私』も、社内で起こる様々な理不尽を乗り越え、前に向かって生きてゆかねばならないと思い始めています。その為には、日々のやるべき事をコツコツ誠実にやり通し、やっと辿り着いた『朝』をこの手で掴むのです。しっかり『弁当』を食べ、力を取り戻し、前に進むしかありません。今日までの苦労して辿り着いた『契約』に、朝日の眩しさが応えてくれているかのようです。

こんな風に沢山の苦しみや悲しみを積んで『寝台車』は夜の中を朝陽に向かって、力強く走り続けています。他の人にはわかりようのない、孤独な闇の時期があるとしても、それを『寝台車』だと思えば、いつかトンネルは抜けられ、夜はやがて希望の朝の光に包まれます。振り返ると私もそのような体験がありました。そんなことを思い出させて頂いた、忘れ難い作品でした。

今年の秋は雨の日々が長く続きました。山々は靄にけむって、しばらく外を歩けませんでした。気分が落ち込まぬよう、カーテンを洗ったり、家具にワックスをすり込んだりして年末の準備をしております。本格的な寒さに向かいますので、お風邪など召されませんように。どうかごきげんよう

 

                                                               清  月    蓮

 

 

幻の光 (新潮文庫)

幻の光 (新潮文庫)

 

 

【68】『海辺の扉』 宮 本  輝 著  《上・下巻 》

 

宮 本  輝 さま

お元気でおられますか。秋の富山は如何でしたでしょうか。さぞかし充実された日々であっただろうと想像をしておりました。美味しい海の幸も堪能され、空気の澄み切った美しい街並みを歩かれたことでしょう。今日は『海辺の扉』を読みましたので、お便り致します。

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ギリシャには行った事はありません。『満典』が『エフィ』にギリシャ語を習い始めて、二人がチグハグな『会話』を交わした場面を読んだ時、この写真とピタリと結び付きました。夕闇が迫る静かな風景があまりに美しく、国を超えた映像を感じましたのでお借り致しました。

世の中には幸せが溢れているのと同時に、不幸も数知れず起こります。自然災害や戦争や苦しい病気、あろうことか自分の子を虐待したり、事故や生まれながらの障害、盗まれたり失ったり騙されたりフラれたり、嫉妬を抱かれ意地悪にあったり…そんな中で、立ち直れないくらいの不幸とは、自分の愛する子供を、思いも依らない過失から死に至らしめてしまった親の生涯です。その後の人生をどうやって生きられるというのでしょう。このお話はそんなどん底からの再生の物語です。

日本で『満典』に起きた悲劇。自分の子を思いもよらない一瞬の自らの過失によって、喪ってしまいます。『妻』やその両親にも罵倒の限りをぶつけられ、離婚を望まれて、ひとり日本を出ます。

『野良犬』のように生きるしかないではないか。『満典』は、夢か幻のような生活をギリシャでおくり続けています。愛も仕事も全てが偽りの、生きる術だけの生活の中にいた時、『ギリシャ国立博物館』で、死んだ『息子』にそっくりな『アルタミスの馬と乗り手』の像に出逢います。それは、過去を忘れようとして忘れられなかった『満典』の心を強く揺さぶり、やがて『エフィ』の言葉から、もう一度、死んだ『息子』に会いたいと本気で望むようになります。

亡くなった人に、あの世ではなく、「現在の生」の中でまた「会える」という思索は、もう一度生き直せると信じられるほどの勇気を『満典』にもたらしたのです。それを信じるのも否定するのも自由なのですが、苦しみの果てに、確かにそうだと信じた時、心は今まで味わったことの無い解放感に溢れ、自分の未来に希望を抱くことができたのでしょう。そこには落ち着いた深い『エフィ』の愛がありました。『満典』の離婚した妻への嫉妬や疑惑にも負けず、自分を律し『お腹の子』を愛の代替え品とせず、潔くひたすら『満典』の心を待ち続けたのです。『エフィ』にとって、待ち続けた海辺には確かに未来への『扉』が見えたのです。

人は不幸のまま生きてゆくのは間違いです。たとえどんな罪を侵したとしても、どんな不幸が襲ったとしても、どんな失敗を為しても、誰もがどうにかして幸せにならなければならないのです。生きる『使命』は少しでも人に幸せを送れることに違いないのですが、自分の不幸を解決できなければ、自分を幸せにできないなら、人を幸せにできよう筈がないと思っています。

別れた『妻』も、『満典』を奈落から救い出してくれた『エフィ』も、やはり幸せにならなければなりません。『満典』はそのことに気づき、新たな出発をしました。    

この物語の展開は見事という他なく、スリルの波に乗りながら、自分の子や、女の人に対する愛と肉欲に苦しむ『満典』の心の揺れに胸が疼きます。頭の中では、次々現れるパズルのような小さな出来事が繋がってゆき、読む愉しみを頂点まで引き上げてくれました。小説とは、どこまでも読む面白さを与えてくれること、その上に生きる為の大切な道標を示されているものが『良い小説』であると深く感じることができました。

秋の長雨が続いています。少しでも家の中を明るくしようと、小さなことですが、飾り物や椅子のカバーを変えて、なんとか気分を保っております。愉しいお話を読ませて頂き、元気を頂く思いです。またお便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                   清  月    蓮

 

 

海辺の扉 上 (文春文庫)

海辺の扉 上 (文春文庫)

 

 

 

海辺の扉 下 (文春文庫)

海辺の扉 下 (文春文庫)