花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【78】『焚火の終わり』宮本 輝著   《上・下卷》

 

宮 本  輝 さま

 

お元気のことと思います。初めてお便りを差し上げてから、間もなく二年が経ちます。一方的で申し訳ありませんでしたが、だからこそ、気楽に書かせて頂けました。『流転の海』シリーズを残し、多分これが最後の作品です。『焚火の終わり』は、踏み込めない性の領域に戸惑い、書きづらくもありましたので、今日まで残してしまいました。でもとても好きな作品です。 

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『美花』の過去はこの写真のようです。絡み合い姿が見えない枝の先は、どこへ繋がっているのでしょう。短編『深海魚を釣る』はこの作品の『スケッチ』だろうと思います。この木が冬を乗り越え、必ず来る春に向かって、枝の先まで沢山の蕾を付けていることを祈りつつお借りしました。

 

『いのち』が一番大切です。それを生み出せる唯一の方法が《性》であるなら、思索するのは大切なことです。思春期に自我意識が芽生えてくると、自分の『いのち』がどこからやって来たのかに気づき、ある時期、両親を疎ましく感じることもあります。やがては受け入れざるを得ず、自身の中にも厳然とあるその欲求に気付かされます。 

母が、私が嫁に行く前に「お金と子宮の使い方さえ間違えへんかったら、大抵のことはあんじょういくさかいに…」という意味のことを言いました。その頃は何気なく聞いていましたが、今になって、よくわかる気が致します。この物語はまさにその二つの事が描かれている事に驚きました。 

人間にとって、自分は誰と誰の子であるのかは、基本的な心の安定を保つ重要な事項なのです。祝福されて結ばれたのか、周りの反対を押し切ってまで求めあったのかも含めて、全てを受け入れるには、若くて未熟な時期には、相当難儀な経過があります。それなのに、物語はもっと厄介な状況を炙り出してゆくのです。 

自分の親を含めた人数のはっきりしない『男女』が、相手を慈しみあい、賢く慎ましく生きている人々であったとしても、実際には《淫らな行為》であると言うしかない乱れた性行為を繰り返し、その結果生まれたのが『美花』なのです。父どころか、生んでくれた母まで、本当の意味の母親かどうか分からないのです。『美花』は、本能的に自分を育ててくれたのは『あの母』ではないことを感じたり『父』として送金したり、大金を残してくれていた人が、一人ではなかった事に、たとえようもない憤りを、どうすることもできません。そんな状況を乗り切れるでしょうか。 

この事は《親の因果が 子に報う》との仏教的捉え方のように、長い間『美花』を苦しめま す。無論のこと、関わった『茂樹』の母も、自らを赦せない『刑罰』を受けているようです。 

物語の主題は、ツルゲーネフの『初恋』の「ウラジーミル」のように、また『愉楽の園』の『チュラナン』のように、命がけで相手を愛し、時を経ても、ただ愛しく感じられる恋へと浄化させたように『茂樹』と『美花』は、鞭打たれようと、自分たちの心を、高い場所に《転換》してゆく心の様を、描かれておられるように思います。 

たとえどんな生まれ方をしても、血が繋がっていたとしても、二人の燃え上がった恋の炎は『焚火』のように身体を温め、香ばしい匂いを放ってゆきました。 

そして、生き抜くために、これまでの仕事を辞めて、真に自分たちの求める生活へと大きくハンドルを切ることになります。どこよりも居心地が良く、心と身体をやすめる為の『宿』を作ろうと動き出しました。二人の前向きさや行動力には、親たちを含めた人々への『怒りや屈辱感』などを乗り越える力があったのです。 

『いのち』の底には、誰もが隠し持っている途轍もないエネルギーが潜在しています。どんな極限状態であろうと、そこから這い上がろうとする力が内在していて、それを信じて生きた人間は、苦しみの末に必ず《歓喜》に行き着ける姿が、ここに描かれているように思いました。貫いて二人が幸せになることが《報いを翻す》ことなのですから。

 

今週は、関東以北に大雪が降りました。申し訳なく思いながら、寒さに便乗して家に籠り、愉しく本を読んでおりました。宮本輝さんの《創作作品》はこれで全部でしょうか。粗忽者の私は、もしかしたら、大切な作品を書き漏らしているかもしれません。現在は『流転の海』第4話『天の夜曲』を読み直しております。やがて出版されます次巻を待ちまして、最後まで読み通した後に、また『一巻』からお便りさせて頂きたいと思っております。その日を愉しみにして、お待ち致しております。最後に雪の中でも強く美しく咲く山茶花に『美花』の姿を感じましたので、この写真をお借りしてお届け致します。お元気でお暮らしくださいませ。どうかごきげんよう。   

  

                                                                      清   月    蓮   

 

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焚火の終わり〈上〉 (集英社文庫)

焚火の終わり〈上〉 (集英社文庫)

 

 

 

焚火の終わり 下 (集英社文庫)

焚火の終わり 下 (集英社文庫)

 

 

  

【77】『手紙 』宮本 輝著 1995年小学5年国語(上)に掲載

 

宮 本  輝 さま

 芥川賞の選考も終えられ、落ち着いた日常が戻られましたでしょうか。この時期になりますと、阪神淡路大震災の記憶が甦って参ります。あの年に生まれた子達が もう23歳になるのですね。同じように世界大戦を経験された方々もとてもご高齢になられています。今日は小学校の『教科書』に書かれました『手紙』を読みましたので、お便り致します。 

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 とても美しい写真です。青い空にピンクの鮮やかな薔薇がお喋りをしながら、笑いあっているように見えます。何処かにありそうな薔薇のアーチですが、よく考えますと『平和の中』にしか存在しない事に気づきます。短編『手紙』に書かれた戦争の悲劇を読み、平和の大切さに気づかせていただいたのでお借りしました。 

このお話は小学生の教科書に載ったものです。やさしい言葉遣いでわかり易く、だからこそ胸に迫るものがありました。 

戦場で『タケオ』の祖父が『戦友』から託されて『広島』に住む両親に渡してくれないかと頼まれた『手紙』が、その題名になっています。戦場には、将来、学校の先生になりたかったり、医者を目指していた若者が、否応なく戦地に引きずり出され、敵を鉄砲で撃ち、命を奪い合うのです。それは同時に『相手』の夢を破壊し、自分と同じように両親や友人もいるだろう人間を、敵国だという理由で、 無差別に撃ち殺す行為なのです。 

小学生の幼い時期に、戦争はどのような大義名分があろうとも、残酷で無益で、今まで築いてきた全てを破壊し、身体を傷つけたり命を奪うものだとしっかり胸に刻み込まなけれなりません。その為の『宮本輝』さんのはっきりした姿勢がここにありました。 

私も幼い頃、祖父と暮らしていました。いつも寡黙で悲しそうでも嬉しそうでも無い顔で、淡々と朝から暗くなるまで庭にいた祖父を覚えています。庭には実をつける木々がありました。無花果、柿、グミ、葡萄棚にはデラウェア、そして鶏小屋もヤギ小屋も作り、卵とヤギの乳を得る為に一人で世話をしていました。庭の横手には、お正月のお餅つきの為の、屋根のある「へっついさん」までありました。隣の広い空き地には、祖父が耕した畑があり、ネギや馬鈴薯、大根、茄子、トマト、胡瓜が太陽の光を浴びていました。 

今、思いますと、祖父は、少しでも家族の役に立とうと思っていたのです。軍服色の堅そうな上着をいつも着て、戦争当時の教練用の帽子を被っていました。祖父がその古い上着を長く大切に着ていたのは、四人の孫と、息子である父の通勤着に、お金がかかると考え、自分は我慢して大切にしていたのかもしれません。 

祖父から戦争の話を聞いた覚えはありません。どの大戦に行かされたのかも知りません。ですが、祖父のその頃の姿を、今になって思い出すと、悲しみを抱えこんで、戦後を懸命に生きていたのだろうと納得がゆく気がします。『手紙』に触れ、たとえどんなことがあろうと戦争を起こしてはならない。それが私の胸に祖父の姿と共に強く甦って参りました。この『手紙』の宛てられた家族は原爆で死んでいました。『手紙』は届けられなかったのです。戦争は人間の犯す最も下劣な行為です。その事を胸に留めて日々を生きたいと思います。

 

年が明けますと、急に春に近づいたような気がしてまいります。たしかに暖かい日もありますが、冬はこれから厳しくなりますので、油断をされませんように、ご自愛くださいませ。どうかごきげんよう

  

                                                                    清  月     蓮

 

 

 

宮本輝~人間のあたたかさと、生きる勇気と。~

宮本輝~人間のあたたかさと、生きる勇気と。~

 

 

【76】『愉楽の 園』    宮 本  輝 著

宮 本  輝さま

 いかがお過ごしでおられますでしょうか。今日は『愉楽の園』を読みました。どれほどこの物語を愛しているかを、お伝えできる言葉を持たない自分が本当に無念でなりません。元旦にお便り致しました『青が散る』の中にある『自由と潔癖』が、少しの時を経て、登場人物の意識の中で闘いを始めた『物語』のように思います。 

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 この物語は、熱帯の国『タイ』が舞台です。私が、熱帯地方に住んでいた頃、いつも写真のような冬の風景が心の隅に沈んでいました。物語の中にも《木枯らしの街を襟を立てて歩きたい…》《冬の日本海…》との記述がありましたが、生まれた国の皮膚感覚の烙印は、地球上のどこにいようと消えるものではありませんでした。熱い鍋をかき回して、香辛料の香りが立ち昇るような国が『タイ』であるなら、日本は、この写真のような雪道に、一人立ちたいと感じさせる国だと思いお借りしました。

 

『タイ』の熱さは、重い空気が、透明感など決して見せない頑迷さで、異国の人間を、寺院の屋根に照り返す西日となって拒んでいるかのようです。ギラつく光線と灼熱が作り出す、退廃へ誘う思考力の浮遊、スコールの狂ったような雨音、茶色い『蜘蛛の巣』みたいな運河の至る所に繋がれた小舟、微風に揺れるブーゲンビリア、濡れた床の小さな店の沢山の惣菜類…それらは混ざり合い、溶け合って、異国の人間を見下しているかのような平然さを崩さずゆっくりと微笑むのです。

 

運河べりの大きな家に、お手伝いさんや運転手もいる生活を続けると、便利さや快適さに慣れ、そこから抜け出すのは並大抵ではありません。しかも『政治家で王家の血』を引く相手に強く請われたら、尚更です。『 サンスーン』の愛を受け入れ、平穏で裕福な一生は『恵子』にとって、魅力的でない筈はありません。それでも、迷いと躊躇の末に、日本への帰国を決めた『恵子』の胸には、自分はただ生活できれば良いと言う人間ではないとの、内奥の声に気づいたのです。ここに到達するには『サンスーン』が、才能ある作家『チュラナン』の小説を我がものとして、自分の人格や才能に化粧を施したこと、また、世界を放浪した末に、何の社会的な武器も持たず、日本に帰国した『野口』の存在がありました。言葉にされているのは《虚無の海では生きられない 生死の世界で生きている人間である》と書かれているように思います。『自由と潔癖』が青春の象徴であるとするなら、二人は、恋も体験も積んだ後、より広い世界に目を向けて、自分の生き方に決断をつける模索の時期にさしかかっていたのです。

 

『野口』が、世界中を旅した中で見たものはただ『生と死』であると書かれていますが、例えば、アフリカの奥地の住民や、貧しい難民キャンプの映像を観る度に感じるのですが、そこには赤児を抱えた母親の姿と、しゃがみこみ、苦痛に耐えているような老人の姿が、必ず見えるのです。世界には『生と死』が、至る所に横溢していて、その海を泳ぐ人々の姿だけがあったと『野口』は感じたのです。

 

『愉楽の園』は、『宮本文学』の中で、今も一番の宝物です。文学の素晴らしさは、文字が描く世界にどれだけ浸りきり、その場にいるような錯覚さえもてる吸引力の強さに尽きると感じるのは、読み出した途端、天井の大きな送風機の羽根がゆっくりと回り出し、部屋の重い空気をかき回す微かな音が甦り、直ぐに心が溶けてゆくのが感じられる事が、その確信を強めてくれます。読むほどに、心が静まるように感じる作品も好きですが、熱を帯びてくる体を意識できる作品は負けず魅力的なのです。

 

日々はどんどん過ぎ去ります。寒さはますます日本を覆ってゆく様です。風邪が流行っていて、友人達の中には寝込んでいる人もいます。くれぐれも、うがいを欠かされませんよう、ご自愛されてお暮らしくださいますように。今月はまた、芥川賞の選考でお忙しいと思いますので、暫くお手紙をおやすみさせて頂きます。どうかごきげんよう 

 

                                                                    清  月    蓮

 

 

 

愉楽の園 (文春文庫)

愉楽の園 (文春文庫)

 

 

【75】『草花たちの 静かな誓い』  宮本 輝 著 

宮 本   輝 さま

 静かに新年が始まっています。先日テレビの時事公論で、世界に埋められている地雷について報じられました。地雷は、相手を殺さず、残虐に怪我をさせる事により、周りの人間をも恐怖に陥れ、怪我への対処に多勢の他の人の力までも抑え込む、悪魔の兵器だと知りました。一日も早く地雷撲滅が地球を救うことを願っております。今日は『草花たちの静かな誓い』についてお便り致します。 

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『菊枝』は、娘『レイラ』と幸せに暮らしていた頃の庭を、もう一度『ランチョ・パロス・ヴァーデス』の自宅に作ろうとして、庭師『ダニー』に設計図を作らせていました。この写真は、その庭の一部を連想させてくれます。お借りできて感謝しております。

 

2016年12月にこの本が出版されました。私は偶然にも、その前年にカリフォルニア州におりました。気候やアメリカのお金持ちの屋敷の広さを、直に感じられたのは幸運としか言えません。当時、カリフォルニアには、海と乾燥した大地しかないとの印象をもちました。季節がら棘に覆われた枯れ枝が、風に煽られくるくる回って足元に飛んできます。人々はラフな服装でワインの瓶を下げ、夕陽を見る為に、あちこちから海辺に集まります。人生を愉しむ裕福な人々を囲むカモメの群れを、飽きず眺めた記憶が甦りました。 

『草原の椅子』に《人情のかけらもないものは正義とは言えない》との記述がありました。常識という縛り、それどころか、法律という鎖を切ってでも『菊枝』と『キョウコ・マクリード夫妻』が為そうとした事について思いを巡らせます。 

大抵の人は、世間の風潮に対して、なるべく逆らわずに生きていきます。自分の中の常識を重んじ、法を犯すことの恐怖から、この物語のような行動はとれるものではありません。カリフォルニアのスーパーに行くと、本当に牛乳パックに、『子供の捜索』を願う写真やメッセージがあるのを見ました。いたたまれず目を背けた私も、やはり世間の人と同じなのだと思いました。 

この物語に描かれたのは、大切ないのちを護るための、知悉な計画から実行までが、サスペンスのように描かれていました。 

『菊枝』と『キョウコ・マクリード夫妻』には、自分の人生を賭す程の強い信念と、正義とは何かの判断に、本気の覚悟があったのです。他者の為に自分の意思を貫いて行動したた探偵『ニコ』がいたことは、『弦矢』が、財産を独り占めするどころか、逆の方向へと行動した時には、必ず味方が現れるとの必然を感じました。辛いことに耐える長い時間、願いを祈りに託す時間、草花を育てることが、安らぎと辛抱を、草花たちから与えられるのです。 

最後に大好きな花、ノウゼンカズラが出てきて、体中に血が駆け巡り、周りがぱっと光輝いたような感覚をもちました。何故なら、花言葉が、この物語のように「勝利」であり「平安」だった事。また、幼い頃、私の父が、この花のように明るく、力強く、幸せな言葉をラッパのように鳴らし続けることを、私に願ったからです。その頃の自宅の玄関から庭への通路には、ノウゼンカズラのトンネルがありました。蟻や蜂たちに蜜を与え、自分の目指す場所へと力強く昇る姿に見習うようにとの、父から私への大きな課題だったのかも知れません。 

今年は去年までのあまりに物騒な世界の流れが『ドンデン返し』の年になりますよう、私も気合いを入れて参りたいと思っております。お元気で、どうかごきげんよう 

 

                                                                 清  月     蓮

 

 

 

草花たちの静かな誓い

草花たちの静かな誓い

 

 

【74】『青が 散る』宮本 輝 著   《上・下巻》

宮 本  輝 さま 

明けましておめでとうございます。いかがお過ごしでおられますか。ご家族で穏やかなお正月を迎えられたことと思います。今年もどうかよろしくお願い致します。今日は、私にとって運命の作品『青が 散る』を読みました。『青が散る』は私が初めて『宮本輝』さんの文学に触れた作品で、その頃、学生時代の友人が、テニスに夢中になっていた私に「読んでみて」と薦めてくれたのです。 f:id:m385030:20180101075855j:plain

 この題名通り、写真は青の世界です。木々は、寒風の中で枝を広げ、高い空を見つめています。夜空を包み込む青い光に、思わず射すくめられました。この写真をお借りできて感謝しています。 

未来が見えない故の不安と葛藤を、みなぎる力強さを感じながら読ませて頂きました。初めて出会ったこの物語に、これほど陶酔する事がなければ『宮本輝』という作家を、半世紀近く追い続けることはなかったでしょう。 

見えないものに対峙する時、到達できるかどうか、わからない道をがむしゃらに走っている時、若者は不安と同時に、得体の知れないエネルギーを発しています。川の流れの飛沫に似て、それは周りに飛び散ります。この時代にしか出せない汗の粒を煌めかせながら、青春は否応なく流れます。 

この作品の時代、大学は学生運動の荒波に揉まれ、シュプレヒコールが聞こえない日はない位でした。『あとがき』を読んでおりますと、受験の日さえ、大学の構内で受験生に向かって、ヘルメット姿の若者が、大声で喚き散らしていましたし、通学の最寄り駅では、夏でも『学ラン姿』で大声で叫んでいた『応援団』を見た事を思い出したり致しました。 

この中に登場するのは、そんな時代でも、周りに翻弄されず、自分の未来と現実を見つめていた若者達です。そして若者は恋をします。 

この時代の恋が狂おしいのは、相手をどれほど愛していても、確かな未来が見えない自信の無さに、告白さえ出来ず、悶々と恋心だけが熟してゆくところです。沸騰してしまった恋の熱は、方向が捻れたまま、肉体の開放へと向かうこともありました。心と肉体の微妙な揺れが、切なく、残酷なのに美しく描かれていたことが、私の心を捉えて離しませんでした。 

『夏子』も『裕子』も若さ故の性の魔力に勝てません。『裕子』が、結婚後、学生時代からずっともち続けていた自分の気持ちを『燎平』に打ち明け、身体を投げ出した『ラブホテル』の床の『絨毯』に、何故『椿の模様』の描写があったのでしょう。それは20歳の若さで自分の恋を潔く諦めたつもりの『裕子』は、まだ紅く綺麗なままで、結婚に踏み切り、恋心を散らせたのです。それは綺麗なままで地面に落ちる『椿の花』の悲しみだと気づきます。   また『夏子』は、理性では自分の恋が理不尽だと解っていても、恋と信じた相手への、肉体の誘いに勝てなかったのでしょう。『夏子』の美しすぎる故の悲しみを感じます。どちらの恋も青春を駆け抜け、それぞれに散ってゆきました。 

二人の息子達の大学が決まり、家を出て行く時『春の夢』とこの物語を荷物にそっと入れました。二人の青春はこんな風に一途に何かを目指したり、烈しい恋もして欲しかったのです。 

今年こそ世界が平和に近づいてくれることを強く願っております。魔法のような方法など無く、毎日書き続けておられる一文字一文字のように、絶えず語りかけ、対話を重ねる以外方法はありません。人の心にやさしさが降り積もりますよう願うばかりです。お身体ご自愛くださいますように。どうかごきげんよう                                                                     

                   清  月     蓮

【73-2】『水のかたち』宮本  輝 著 《下巻》

宮 本  輝 さま

雪を冠した富士の美しい姿が、この時期だけは、懐かしく思い出されます。それでも、街中の何処にいても、なだらかな六甲山脈が見える関西が好きです。海や山が見えるのはとても落ち着きます。今日は『水のかたち』《下 卷 》を読みましたので、お便り致します。

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 人生には、時にこの写真の流れのように烈しい時期があります。ほんの数ヶ月の間に、生活が一変してしまうようなことが次々起こり、理由がわからないまま勢いに乗るように進んでゆくのです。まるでこの物語の『志乃子』のようだと感じてお借り致しました。

ある日『かささぎ堂』に置かれていた『古い文机』を買おうと、思い切って店に入った瞬間から『志乃子』の人生は、自分の意思が追いつかないくらいの速さで流れ出しました。わが身に起こったことのように、あとを追いながら読むのは、とても愉しい時間でした。

『志乃子』が『早苗』の『祖母の家』に泊まった日『他者への畏敬』に気づきます。『なんの肩書きも高い学歴もない、有名でも金持ちでもない庶民』…そんな人達が「自分が知らないことを知っていて、分別や知恵があり、他者の凄さを知っているのだ」という事に気づいたのです。

私も、多勢の人も、心のどこかで自分が一番正しいと思っているものです。こうしか生きられないし、絶えず適切で、何も悪いことなどしていない。そんな心は些細な事にも現れます。心に浮かんだことを言い放ち、人が理解できるかどうかなどには無関心です。でも、あるきっかけで『他者への畏敬』に気づけたら、それは「幸運」と言うしかありません。何故なら、そこから、人の言葉に耳を傾けようとし、もう一度自分を見つめ直し、無限の宇宙に近づいてゆく唯一の入り口になり得るからです。慢心を沈め、謙虚に物事に対する時、そこには必ず明るい展望が待ってくれています。それが、もう一つの『水のかたち』についての私の恣意です。他者に逆らわず、攻撃せず、相手の『かたち』に沿って流れてゆく。けれど、ずっとどこまでも『水』であり続ける姿を『志乃子』を取り巻く人々を通して描いて下さったものと思っております。

『志乃子』のゆったりとした微笑みや、好きな陶器に注ぐ一途で直感的な生まれもった才に、惹き寄せられるように人々は集まり、知らずして力になりたくなってゆきます。一見平凡に見えた『志乃子』を、コーヒーショップの共同経営者にまで誘なうのです。お金に潔く、欲は出さず、目の前のことに懸命で、でも、いざとなったら肝が座ります。戦うべき相手に怯みません。『白ナマズ』のように何も持たず生まれて、特別なことは何もしてなくて、いつも迷ったり人に頼ったりして、周りの人々には自然に心を寄せられて、冬のあたたかな陽だまりを思わせる微笑みをもつ『志乃子』には、なろうとしてもなれるものではありません。ですが、読み終わった後のふんわりあったかな幸せな気持ちに、そっと息を吹きかけながら「桜梅桃李」の言葉に励まされ、ずっと『水のかたち』のように生きてゆきたいと思わせて頂けました。それに『きゅうりだけ』のサンドイッチと、スプーン一杯の『水』に、馴染ませてから作るロイヤルミルクティは、私の大好きなメニューになりました。我が家の食卓に度々登場致します。

冬はとても苦手ですが、温かいコートを着て、顔だけ冷たい風に吹かれているのは、とて気持ちが引き締まります。耳がちぎれるような風に毎日耐えておられる地方の人の事を思います。12月は慌ただしいので、お手紙は新年を迎えましたらまた書かせて頂きたいと思っております。この冬を無事に乗り切らねばなりません。ご自愛下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                     清  月    蓮

 

 

 

水のかたち 下 (集英社文庫)

水のかたち 下 (集英社文庫)

 

 

【73-1】『 水のかたち』宮本  輝 著 《上巻》

宮 本  輝 さま

朝の冷え込みがとてもこたえるようになりました。起きたらすぐに靴下を探してしまいます。いかがお過ごしでしょうか。今日は『水のかたち』《上巻》についてお便り致します。

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この写真は、森の中に分け入る「けもの道」のように見えます。物語の《上巻》の最後に『志乃子』たち四人が『お糸さん』を目指して、『キク婆さん』の『りんご牛』があった滝壺まで歩いた道。そして、織り込まれていた「お話」にあるのは、昭和21年に、朝鮮半島38度線を超えて、日本に引き揚げる際の『ムッシュ・イチヨーの母』が、死に物狂いで這いながら進んだ道。その二つの道が重なり、あまりの美しさに惹かれて、この写真をお借り致しました。

このお話は、主人公『志乃子』という平凡に見える五十歳の主婦に起った出来事が軸になっています。『音楽や落語また陶器』に造詣の深い方にも愉しいお話です。ですが、ここでは先に書きました『朝鮮北部の城津』から、日本人151人と共に引き揚げを決行した人物について思いを馳せずにはいられません。ですから、その事について書いてみます。

それには、先ずエッセイ集『いのちの姿』の中の『人々のつながり』にふれなければなりません。     宮本文学について、私が驚嘆致します第一義は、水の流れのように繊細で滑らかで、時に峻烈な展開の妙ですが、もう一つ『彗星物語』他にも見られる「事実の核」が存在する所以です。ここに書かれている物語は、私を深く震えさせるほどです。『いのちの姿』の中に書いておられる『絶対的確信』というお言葉は、そのような「事実の核」が長い歳月を経て、静かにご自身の胸に落ち積もり、そこから昇るように発せられたお言葉なのだろうと思います。

ご自身の若き日、25歳で会社勤めを辞され、小説を書き始められても、中々結果が出ないでおられた頃、生活維持の為に、ご近所の『和泉商会』に職を得られました。その頃のことは『バケツの底』の短編を生み『水のかたち』にまで結実してゆきました。

そればかりか『和泉商会』を離れられて、30数年経った後に、『和泉商会の奥様』から、実際に、突然の連絡があったのです。そして、『和泉商会』のご自宅に残された『手記と手縫いのリュック』の存在を、お知りになるに至ります。その時のご自身の強い衝撃を想像致しますと、この物語が、歴史上も貴重で、現代と戦後が微妙に綯われた作品として、後世に伝えなければならない事がよく理解できます。

お話は、戦前、朝鮮に住んでいた日本人の、命がけの日本への帰還を描かれています。敗戦により、その途端、現地の日本人は、朝鮮人による残虐な殺戮や暴力に合います。そのような状況下で、自分だけでも日本に帰れるかどうか、全く分からない崖っぷちに立ちながら、それでも、151名の同胞を見捨てず、いつ沈むか判らない「泥舟」のような小舟 ( 幅3メートル、長さ25.6メートル )を、決死の覚悟で出航させたひとりの日本人がいたのです。その方こそ『和泉商会』の『奥様の父上』であったのでした。

何故、宮本輝という作家の元へその『手記』が、辿り着いたかを思うと、何かにひれ伏したい思いに包まれました。阪神大震災の後、自らが運転され『和泉商会』の安否を確かめに行かれたやさしさにも、気持ちが波立ちました。『和泉商会』とは、たったの二ヶ月の繋がりでしかなかったのですから…

この小説は1988年8月から1989年9月まで毎日新聞に連載されました。それは、猥雑なことの多い世の中に、静粛で深淵な大河の一筋を確かに滴らせ、今も尚、流れ続けていると信じさせて頂ける読後感でした。

冬の鉛色の空を見ておりますと、不思議に歴史的な時間の膨大な流れを感じてしまいます。『劫』とはどのような長さなのでしょう。皆目解らずとも、それでも不思議なことに体の奥底に、そんな何かを溜め込んでいるかのような錯覚にとらわれることがあります。お風邪など召されませんように。どうかごきげんよう

 

                                                                    清 月   蓮

 

 

水のかたち 上 (集英社文庫)

水のかたち 上 (集英社文庫)