花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【76】『愉楽の 園』    宮 本  輝 著

宮 本  輝さま

 いかがお過ごしでおられますでしょうか。今日は『愉楽の園』を読みました。どれほどこの物語を愛しているかを、お伝えできる言葉を持たない自分が本当に無念でなりません。元旦にお便り致しました『青が散る』の中にある『自由と潔癖』が、少しの時を経て、登場人物の意識の中で闘いを始めた『物語』のように思います。 

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 この物語は、熱帯の国『タイ』が舞台です。私が、熱帯地方に住んでいた頃、いつも写真のような冬の風景が心の隅に沈んでいました。物語の中にも《木枯らしの街を襟を立てて歩きたい…》《冬の日本海…》との記述がありましたが、生まれた国の皮膚感覚の烙印は、地球上のどこにいようと消えるものではありませんでした。熱い鍋をかき回して、香辛料の香りが立ち昇るような国が『タイ』であるなら、日本は、この写真のような雪道に、一人立ちたいと感じさせる国だと思いお借りしました。

 

『タイ』の熱さは、重い空気が、透明感など決して見せない頑迷さで、異国の人間を、寺院の屋根に照り返す西日となって拒んでいるかのようです。ギラつく光線と灼熱が作り出す、退廃へ誘う思考力の浮遊、スコールの狂ったような雨音、茶色い『蜘蛛の巣』みたいな運河の至る所に繋がれた小舟、微風に揺れるブーゲンビリア、濡れた床の小さな店の沢山の惣菜類…それらは混ざり合い、溶け合って、異国の人間を見下しているかのような平然さを崩さずゆっくりと微笑むのです。

 

運河べりの大きな家に、お手伝いさんや運転手もいる生活を続けると、便利さや快適さに慣れ、そこから抜け出すのは並大抵ではありません。しかも『政治家で王家の血』を引く相手に強く請われたら、尚更です。『 サンスーン』の愛を受け入れ、平穏で裕福な一生は『恵子』にとって、魅力的でない筈はありません。それでも、迷いと躊躇の末に、日本への帰国を決めた『恵子』の胸には、自分はただ生活できれば良いと言う人間ではないとの、内奥の声に気づいたのです。ここに到達するには『サンスーン』が、才能ある作家『チュラナン』の小説を我がものとして、自分の人格や才能に化粧を施したこと、また、世界を放浪した末に、何の社会的な武器も持たず、日本に帰国した『野口』の存在がありました。言葉にされているのは《虚無の海では生きられない 生死の世界で生きている人間である》と書かれているように思います。『自由と潔癖』が青春の象徴であるとするなら、二人は、恋も体験も積んだ後、より広い世界に目を向けて、自分の生き方に決断をつける模索の時期にさしかかっていたのです。

 

『野口』が、世界中を旅した中で見たものはただ『生と死』であると書かれていますが、例えば、アフリカの奥地の住民や、貧しい難民キャンプの映像を観る度に感じるのですが、そこには赤児を抱えた母親の姿と、しゃがみこみ、苦痛に耐えているような老人の姿が、必ず見えるのです。世界には『生と死』が、至る所に横溢していて、その海を泳ぐ人々の姿だけがあったと『野口』は感じたのです。

 

『愉楽の園』は、『宮本文学』の中で、今も一番の宝物です。文学の素晴らしさは、文字が描く世界にどれだけ浸りきり、その場にいるような錯覚さえもてる吸引力の強さに尽きると感じるのは、読み出した途端、天井の大きな送風機の羽根がゆっくりと回り出し、部屋の重い空気をかき回す微かな音が甦り、直ぐに心が溶けてゆくのが感じられる事が、その確信を強めてくれます。読むほどに、心が静まるように感じる作品も好きですが、熱を帯びてくる体を意識できる作品は負けず魅力的なのです。

 

日々はどんどん過ぎ去ります。寒さはますます日本を覆ってゆく様です。風邪が流行っていて、友人達の中には寝込んでいる人もいます。くれぐれも、うがいを欠かされませんよう、ご自愛されてお暮らしくださいますように。今月はまた、芥川賞の選考でお忙しいと思いますので、暫くお手紙をおやすみさせて頂きます。どうかごきげんよう 

 

                                                                    清  月    蓮

 

 

 

愉楽の園 (文春文庫)

愉楽の園 (文春文庫)

 

 

【75】『草花たちの 静かな誓い』  宮本 輝 著 

宮 本   輝 さま

 静かに新年が始まっています。先日テレビの時事公論で、世界に埋められている地雷について報じられました。地雷は、相手を殺さず、残虐に怪我をさせる事により、周りの人間をも恐怖に陥れ、怪我への対処に多勢の他の人の力までも抑え込む、悪魔の兵器だと知りました。一日も早く地雷撲滅が地球を救うことを願っております。今日は『草花たちの静かな誓い』についてお便り致します。 

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『菊枝』は、娘『レイラ』と幸せに暮らしていた頃の庭を、もう一度『ランチョ・パロス・ヴァーデス』の自宅に作ろうとして、庭師『ダニー』に設計図を作らせていました。この写真は、その庭の一部を連想させてくれます。お借りできて感謝しております。

 

2016年12月にこの本が出版されました。私は偶然にも、その前年にカリフォルニア州におりました。気候やアメリカのお金持ちの屋敷の広さを、直に感じられたのは幸運としか言えません。当時、カリフォルニアには、海と乾燥した大地しかないとの印象をもちました。季節がら棘に覆われた枯れ枝が、風に煽られくるくる回って足元に飛んできます。人々はラフな服装でワインの瓶を下げ、夕陽を見る為に、あちこちから海辺に集まります。人生を愉しむ裕福な人々を囲むカモメの群れを、飽きず眺めた記憶が甦りました。 

『草原の椅子』に《人情のかけらもないものは正義とは言えない》との記述がありました。常識という縛り、それどころか、法律という鎖を切ってでも『菊枝』と『キョウコ・マクリード夫妻』が為そうとした事について思いを巡らせます。 

大抵の人は、世間の風潮に対して、なるべく逆らわずに生きていきます。自分の中の常識を重んじ、法を犯すことの恐怖から、この物語のような行動はとれるものではありません。カリフォルニアのスーパーに行くと、本当に牛乳パックに、『子供の捜索』を願う写真やメッセージがあるのを見ました。いたたまれず目を背けた私も、やはり世間の人と同じなのだと思いました。 

この物語に描かれたのは、大切ないのちを護るための、知悉な計画から実行までが、サスペンスのように描かれていました。 

『菊枝』と『キョウコ・マクリード夫妻』には、自分の人生を賭す程の強い信念と、正義とは何かの判断に、本気の覚悟があったのです。他者の為に自分の意思を貫いて行動したた探偵『ニコ』がいたことは、『弦矢』が、財産を独り占めするどころか、逆の方向へと行動した時には、必ず味方が現れるとの必然を感じました。辛いことに耐える長い時間、願いを祈りに託す時間、草花を育てることが、安らぎと辛抱を、草花たちから与えられるのです。 

最後に大好きな花、ノウゼンカズラが出てきて、体中に血が駆け巡り、周りがぱっと光輝いたような感覚をもちました。何故なら、花言葉が、この物語のように「勝利」であり「平安」だった事。また、幼い頃、私の父が、この花のように明るく、力強く、幸せな言葉をラッパのように鳴らし続けることを、私に願ったからです。その頃の自宅の玄関から庭への通路には、ノウゼンカズラのトンネルがありました。蟻や蜂たちに蜜を与え、自分の目指す場所へと力強く昇る姿に見習うようにとの、父から私への大きな課題だったのかも知れません。 

今年は去年までのあまりに物騒な世界の流れが『ドンデン返し』の年になりますよう、私も気合いを入れて参りたいと思っております。お元気で、どうかごきげんよう 

 

                                                                 清  月     蓮

 

 

 

草花たちの静かな誓い

草花たちの静かな誓い

 

 

【74】『青が 散る』宮本 輝 著   《上・下巻》

宮 本  輝 さま 

明けましておめでとうございます。いかがお過ごしでおられますか。ご家族で穏やかなお正月を迎えられたことと思います。今年もどうかよろしくお願い致します。今日は、私にとって運命の作品『青が 散る』を読みました。『青が散る』は私が初めて『宮本輝』さんの文学に触れた作品で、その頃、学生時代の友人が、テニスに夢中になっていた私に「読んでみて」と薦めてくれたのです。 f:id:m385030:20180101075855j:plain

 この題名通り、写真は青の世界です。木々は、寒風の中で枝を広げ、高い空を見つめています。夜空を包み込む青い光に、思わず射すくめられました。この写真をお借りできて感謝しています。 

未来が見えない故の不安と葛藤を、みなぎる力強さを感じながら読ませて頂きました。初めて出会ったこの物語に、これほど陶酔する事がなければ『宮本輝』という作家を、半世紀近く追い続けることはなかったでしょう。 

見えないものに対峙する時、到達できるかどうか、わからない道をがむしゃらに走っている時、若者は不安と同時に、得体の知れないエネルギーを発しています。川の流れの飛沫に似て、それは周りに飛び散ります。この時代にしか出せない汗の粒を煌めかせながら、青春は否応なく流れます。 

この作品の時代、大学は学生運動の荒波に揉まれ、シュプレヒコールが聞こえない日はない位でした。『あとがき』を読んでおりますと、受験の日さえ、大学の構内で受験生に向かって、ヘルメット姿の若者が、大声で喚き散らしていましたし、通学の最寄り駅では、夏でも『学ラン姿』で大声で叫んでいた『応援団』を見た事を思い出したり致しました。 

この中に登場するのは、そんな時代でも、周りに翻弄されず、自分の未来と現実を見つめていた若者達です。そして若者は恋をします。 

この時代の恋が狂おしいのは、相手をどれほど愛していても、確かな未来が見えない自信の無さに、告白さえ出来ず、悶々と恋心だけが熟してゆくところです。沸騰してしまった恋の熱は、方向が捻れたまま、肉体の開放へと向かうこともありました。心と肉体の微妙な揺れが、切なく、残酷なのに美しく描かれていたことが、私の心を捉えて離しませんでした。 

『夏子』も『裕子』も若さ故の性の魔力に勝てません。『裕子』が、結婚後、学生時代からずっともち続けていた自分の気持ちを『燎平』に打ち明け、身体を投げ出した『ラブホテル』の床の『絨毯』に、何故『椿の模様』の描写があったのでしょう。それは20歳の若さで自分の恋を潔く諦めたつもりの『裕子』は、まだ紅く綺麗なままで、結婚に踏み切り、恋心を散らせたのです。それは綺麗なままで地面に落ちる『椿の花』の悲しみだと気づきます。   また『夏子』は、理性では自分の恋が理不尽だと解っていても、恋と信じた相手への、肉体の誘いに勝てなかったのでしょう。『夏子』の美しすぎる故の悲しみを感じます。どちらの恋も青春を駆け抜け、それぞれに散ってゆきました。 

二人の息子達の大学が決まり、家を出て行く時『春の夢』とこの物語を荷物にそっと入れました。二人の青春はこんな風に一途に何かを目指したり、烈しい恋もして欲しかったのです。 

今年こそ世界が平和に近づいてくれることを強く願っております。魔法のような方法など無く、毎日書き続けておられる一文字一文字のように、絶えず語りかけ、対話を重ねる以外方法はありません。人の心にやさしさが降り積もりますよう願うばかりです。お身体ご自愛くださいますように。どうかごきげんよう                                                                     

                   清  月     蓮

【73-2】『水のかたち』宮本  輝 著 《下巻》

宮 本  輝 さま

雪を冠した富士の美しい姿が、この時期だけは、懐かしく思い出されます。それでも、街中の何処にいても、なだらかな六甲山脈が見える関西が好きです。海や山が見えるのはとても落ち着きます。今日は『水のかたち』《下 卷 》を読みましたので、お便り致します。

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 人生には、時にこの写真の流れのように烈しい時期があります。ほんの数ヶ月の間に、生活が一変してしまうようなことが次々起こり、理由がわからないまま勢いに乗るように進んでゆくのです。まるでこの物語の『志乃子』のようだと感じてお借り致しました。

ある日『かささぎ堂』に置かれていた『古い文机』を買おうと、思い切って店に入った瞬間から『志乃子』の人生は、自分の意思が追いつかないくらいの速さで流れ出しました。わが身に起こったことのように、あとを追いながら読むのは、とても愉しい時間でした。

『志乃子』が『早苗』の『祖母の家』に泊まった日『他者への畏敬』に気づきます。『なんの肩書きも高い学歴もない、有名でも金持ちでもない庶民』…そんな人達が「自分が知らないことを知っていて、分別や知恵があり、他者の凄さを知っているのだ」という事に気づいたのです。

私も、多勢の人も、心のどこかで自分が一番正しいと思っているものです。こうしか生きられないし、絶えず適切で、何も悪いことなどしていない。そんな心は些細な事にも現れます。心に浮かんだことを言い放ち、人が理解できるかどうかなどには無関心です。でも、あるきっかけで『他者への畏敬』に気づけたら、それは「幸運」と言うしかありません。何故なら、そこから、人の言葉に耳を傾けようとし、もう一度自分を見つめ直し、無限の宇宙に近づいてゆく唯一の入り口になり得るからです。慢心を沈め、謙虚に物事に対する時、そこには必ず明るい展望が待ってくれています。それが、もう一つの『水のかたち』についての私の恣意です。他者に逆らわず、攻撃せず、相手の『かたち』に沿って流れてゆく。けれど、ずっとどこまでも『水』であり続ける姿を『志乃子』を取り巻く人々を通して描いて下さったものと思っております。

『志乃子』のゆったりとした微笑みや、好きな陶器に注ぐ一途で直感的な生まれもった才に、惹き寄せられるように人々は集まり、知らずして力になりたくなってゆきます。一見平凡に見えた『志乃子』を、コーヒーショップの共同経営者にまで誘なうのです。お金に潔く、欲は出さず、目の前のことに懸命で、でも、いざとなったら肝が座ります。戦うべき相手に怯みません。『白ナマズ』のように何も持たず生まれて、特別なことは何もしてなくて、いつも迷ったり人に頼ったりして、周りの人々には自然に心を寄せられて、冬のあたたかな陽だまりを思わせる微笑みをもつ『志乃子』には、なろうとしてもなれるものではありません。ですが、読み終わった後のふんわりあったかな幸せな気持ちに、そっと息を吹きかけながら「桜梅桃李」の言葉に励まされ、ずっと『水のかたち』のように生きてゆきたいと思わせて頂けました。それに『きゅうりだけ』のサンドイッチと、スプーン一杯の『水』に、馴染ませてから作るロイヤルミルクティは、私の大好きなメニューになりました。我が家の食卓に度々登場致します。

冬はとても苦手ですが、温かいコートを着て、顔だけ冷たい風に吹かれているのは、とて気持ちが引き締まります。耳がちぎれるような風に毎日耐えておられる地方の人の事を思います。12月は慌ただしいので、お手紙は新年を迎えましたらまた書かせて頂きたいと思っております。この冬を無事に乗り切らねばなりません。ご自愛下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                     清  月    蓮

 

 

 

水のかたち 下 (集英社文庫)

水のかたち 下 (集英社文庫)

 

 

【73-1】『 水のかたち』宮本  輝 著 《上巻》

宮 本  輝 さま

朝の冷え込みがとてもこたえるようになりました。起きたらすぐに靴下を探してしまいます。いかがお過ごしでしょうか。今日は『水のかたち』《上巻》についてお便り致します。

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この写真は、森の中に分け入る「けもの道」のように見えます。物語の《上巻》の最後に『志乃子』たち四人が『お糸さん』を目指して、『キク婆さん』の『りんご牛』があった滝壺まで歩いた道。そして、織り込まれていた「お話」にあるのは、昭和21年に、朝鮮半島38度線を超えて、日本に引き揚げる際の『ムッシュ・イチヨーの母』が、死に物狂いで這いながら進んだ道。その二つの道が重なり、あまりの美しさに惹かれて、この写真をお借り致しました。

このお話は、主人公『志乃子』という平凡に見える五十歳の主婦に起った出来事が軸になっています。『音楽や落語また陶器』に造詣の深い方にも愉しいお話です。ですが、ここでは先に書きました『朝鮮北部の城津』から、日本人151人と共に引き揚げを決行した人物について思いを馳せずにはいられません。ですから、その事について書いてみます。

それには、先ずエッセイ集『いのちの姿』の中の『人々のつながり』にふれなければなりません。     宮本文学について、私が驚嘆致します第一義は、水の流れのように繊細で滑らかで、時に峻烈な展開の妙ですが、もう一つ『彗星物語』他にも見られる「事実の核」が存在する所以です。ここに書かれている物語は、私を深く震えさせるほどです。『いのちの姿』の中に書いておられる『絶対的確信』というお言葉は、そのような「事実の核」が長い歳月を経て、静かにご自身の胸に落ち積もり、そこから昇るように発せられたお言葉なのだろうと思います。

ご自身の若き日、25歳で会社勤めを辞され、小説を書き始められても、中々結果が出ないでおられた頃、生活維持の為に、ご近所の『和泉商会』に職を得られました。その頃のことは『バケツの底』の短編を生み『水のかたち』にまで結実してゆきました。

そればかりか『和泉商会』を離れられて、30数年経った後に、『和泉商会の奥様』から、実際に、突然の連絡があったのです。そして、『和泉商会』のご自宅に残された『手記と手縫いのリュック』の存在を、お知りになるに至ります。その時のご自身の強い衝撃を想像致しますと、この物語が、歴史上も貴重で、現代と戦後が微妙に綯われた作品として、後世に伝えなければならない事がよく理解できます。

お話は、戦前、朝鮮に住んでいた日本人の、命がけの日本への帰還を描かれています。敗戦により、その途端、現地の日本人は、朝鮮人による残虐な殺戮や暴力に合います。そのような状況下で、自分だけでも日本に帰れるかどうか、全く分からない崖っぷちに立ちながら、それでも、151名の同胞を見捨てず、いつ沈むか判らない「泥舟」のような小舟 ( 幅3メートル、長さ25.6メートル )を、決死の覚悟で出航させたひとりの日本人がいたのです。その方こそ『和泉商会』の『奥様の父上』であったのでした。

何故、宮本輝という作家の元へその『手記』が、辿り着いたかを思うと、何かにひれ伏したい思いに包まれました。阪神大震災の後、自らが運転され『和泉商会』の安否を確かめに行かれたやさしさにも、気持ちが波立ちました。『和泉商会』とは、たったの二ヶ月の繋がりでしかなかったのですから…

この小説は1988年8月から1989年9月まで毎日新聞に連載されました。それは、猥雑なことの多い世の中に、静粛で深淵な大河の一筋を確かに滴らせ、今も尚、流れ続けていると信じさせて頂ける読後感でした。

冬の鉛色の空を見ておりますと、不思議に歴史的な時間の膨大な流れを感じてしまいます。『劫』とはどのような長さなのでしょう。皆目解らずとも、それでも不思議なことに体の奥底に、そんな何かを溜め込んでいるかのような錯覚にとらわれることがあります。お風邪など召されませんように。どうかごきげんよう

 

                                                                    清 月   蓮

 

 

水のかたち 上 (集英社文庫)

水のかたち 上 (集英社文庫)

 

 

『海岸列車』宮 本  輝 著  《 上・下 卷  》

宮  本  輝 さま

一雨一度の言葉通り、雨の後は気温が少しづつ低くなっております。いかがお過ごしでおられますか。初冬の雨はとても寂しいですが、その分、晴れ渡りますと突き抜けるような青空が、とても清々しいように感じます。今日は『海岸列車』を読みましたのでお便り致します。

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 お正月まであと数日の『山陰地方』には、この写真のように雪が舞っていたかもしれません。『城崎』から『浜坂』までの各駅に停車する列車は『陸離』と『かおり』の出会いの場所です。この写真は以前から記憶に残る大好きな写真でしたのでここにお借りすることに致しました。

『戸倉陸離』について。彼は幼い頃、両親を喪い、文字通り苦学の末に『国際弁護士』への道を歩みました。彼の人間性の素晴らしさは、この物語の中に溢れています。彼が学生時代にアメリカに留学した時『ボウ・ザワナ』や『デナニ』に出会えたのは、彼の人間性が引き寄せた「必然」のように思います。そこから『周 長徳』へと繋がり、『アフリカ』への挑戦へと向かわせたのです。

この物語は『戸倉陸離』の生い立ちから『かおり』への気持ちの整理の仕方を通じて、ひとりの「理想的な人間」の姿が描かれています。『光彩陸離』が表すように、彼は眩いばかりに光り輝き、心正しい、美しい人として生きているのです。      世の中には、不道徳で非条理な出来事が蔓延して、何が人の道なのか、何が一番大切なのかなど、どこ吹く風の現実です。でも、この物語を通して、こんな男がいて、こんな風に自分を律して、もがきながら不可能に挑む姿を描かれ、人の生き方に、喝とエールを同時に送られたように感じています。 

  日本には、親の全面支援で大学に通い、運良く入れた企業で、なるべく苦労せず、結果だけは期待する人たちもいます。何が自分にとって得で、どうすれば人より豊かに暮らせて、なるべくなら美人の妻を娶り、人より多い収入を目指して、他人をかき分け、時に足を引っ張る人もいます。それらの心の隙間に忍び寄るのは、自分さえ良ければいいという我欲です。そんな人たちの胸ぐらを掴むような言葉が出ています。

『私利私欲を憎め。私利私欲のための権力と、それを為さんとする者たちと闘え』

『ボウ・ザワナ』が死力を尽くして彫った『ペーパーナイフ』の柄にあった言葉は『陸離』を動かし、たった二度しか会ったことのない『かおり』の兄『夏彦』を引寄せていきます。

『夏彦』は、母親に捨てられたキズをどうすることも出来ず、育ての親も信じられず、年上の裕福な女『澄子』のヒモとして生きていました。現実を真っ向から見ることを拒み『享楽的で無思想』の波に漂っていたのです。それはトンネルばかりの『海岸列車』に揺られ、トンネルの暗さに目を閉じて、気づかぬふりをしていた私たち日本人そのものの姿なのです。そこからどう闘い、現実へ挑むかは、読む人ひとりひとりの覚悟以外にない事を、ここに突きつけられるのです。

文学に向かおうとする時、読み手は自分の経験した事象から、感じたり思考を深めてゆくしかありません。受け身では読めないのです。『海岸列車』は

その顕著な物語のように思いました。

世界は目まぐるしく変動してゆき、悲しいニュースばかりが目についてしまいます。心を平常に保つのは大変ですが、懸命に目の前にあることを積み重ねる他はないと思っております。またお便り致します。お元気でお暮らしくださいませ。どうかごきげんよう

 

                                                                 清  月    蓮

 

 

海岸列車 (上) (集英社文庫)

海岸列車 (上) (集英社文庫)

 

 

 

海岸列車 (下) (集英社文庫)

海岸列車 (下) (集英社文庫)

 

 

【71】『スワートの男 』宮本  輝 著    《 特別 書き下ろし小説 》

宮 本  輝 さま

この秋、日本列島は台風に見舞われ、凄まじい風と、烈しい雨を見つめておりますと、何故か『スワートの男』を読み直したくなりました。これは『宮本輝の本』を購入した折に綴じ込まれていたこともあり、とても特殊な感覚をもって読み終えた気が致します。到底私などが理解できるものではありませんが、今日は思い切ってお便り致します。

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 お話の舞台に登場した『インダス川』は、下流は、まるで大海のような川幅でも、始まりは、無数の山々からの湧き水や雨水、雪解け水が無数の流れとなり、徐々に大河の姿を判然とさせてゆきます。この写真には、細く清らかな流れの筋が、下の川へと落ちているのが見えます。これを目にした時、生命の辿る道も川の流れと同じようだと感じました。誰かに出会い、同じ道を流れたり、時に別々に流れることになったり『インダス川』が、やがて最後にアラビア海に注ぐように、いのちの最後の一滴も川の流れのように大海に落ちてゆく…そんな事をどこかにお書きになっておられたのを思い出しました。この写真に「命と川の流れ」の相似性を見た思いが致しましたのでお借りしました。

お話は、時空を超えた二重性を保ちながら語られています。『父親の違う弟』を、両手で抱きしめられぬまま、それでも、彼の幸せを願っていた兄『洋之助』は、愛した女の本性を見抜けぬ弟『賢介』の純真さへのもどかしさから、弟がその女の元へ行こうとした時、思わず大声で罵倒してしまいます。その言葉の衝撃から弟『賢介』は、交通事故に遭い、肢体不自由になってしまうのです。兄『洋之助』は、弟への懺悔の気持ちを抱えたまま旅に出たのでした。

そこは、僧『鳩摩羅什』が歩いた『シルクロード』への道でした。その僧とは、サンスクリット語の膨大な仏典を漢訳した人であり、その中の『法華経』にある言葉を、二人の異父兄弟は、大切に書き写して持ち歩いていました。

《 難問答に巧みにして    その心に畏るる所無く  忍辱の心は決定し  端正にして威徳有り 》

『威徳』とは威厳があり徳が高いことを言いますが、難しい内容が並びます。恥を耐え忍ぶことも、揺るがず信じることも、さらに成し難いことです。でも、二人の兄弟は、それを胸において行動することを目指したのです。ここまでの高みをみることができたのは、二人が人生を左右するような「不幸」に見舞われたからなのでしょうか。

シルクロード』には、阪神大震災の後、ご自身が実際に旅をされたことが、他の多くの著作にも著されています。その場所は、一体どんな場所で、何を感じられたのかなど、到底知り得るものではありませんが、きっと途轍もない「地球」を身体中でお感じになられたのだろうと思います。其処は、昼間の酷暑と陽が沈んだ後の冷気、竜巻が巻き起こす『太鼓のような大きな音』の中で、人々が暮らしていたのです。多種多様の民族が出会い、混じり合い、様々な容姿の人が自然の中に溶け込んでいるのを目にされた時、人の心に去来する僻みや嫉妬や恨みの、なんと情けないことかと感じられただろうと想像致します。

人々は砂漠と闘い、しかも砂漠と共に生きています。『蜃気楼』に撹乱され、どこまでも『オアシス』を目指しているつもりで、砂漠の奥へ奥へと歩き続ける者も日常的にいたのでしょう。それは、「生と死」が、ただ川の流れのように途切れる事なく、人の暮らしの直ぐそばで、休みなく続いていることを表しています。『洋之助』もここで、自然や人々の営みを見て、自分のわだかまりや躊躇の小さなことに気づき、突き動かされたように『賢介』に心から謝る他にないと決意しました。

この物語は、ご自身の「覚悟」を見定める為の旅への決意から発せられたのだろうと感じております。そこには絶望と希望がないまぜになっていて、それでも「新たな光」を求めて、砂漠の国々を、高い山脈を見上げるように『鳩摩羅什』の足跡を辿られのかもしれないと感じております。この中に登場する『クルド民族』は、世界最大の国土をもたない人々です。独自の言語さえ奪われ、民族の音楽や民芸の全てを抑えつけられたままに、長い過酷な状況下で、川がその流れを止めないように、人々は今日も地球上で生きているのです。          私も多民族国家に数年間住むことがあり、その頃、街で見た緑の瞳、見上げるような大男達、秀でた額と力強い鼻梁をもつ人達を見ました。その頃、自分の生きている世界の壁が崩れたような感覚をもちました。日本人の穏やかさの陰に隠れた曖昧さや、賢さを盾に意思表示をしない民族性に気づいたのです。          最後の場面に描かれている『スワートの男』とは、約束を守るためには、命をも厭わぬ意思の強い人のことなのかもしれません。そんなことを思い出させて頂いた貴重な作品でした。

風邪が流行り始めました。人混みに出かけられます折には、充分にご注意くださいませ。寒い中にもあたたかな陽だまりを見つけられますようお祈り致しております。どうかごきげんよう

 

                                                                  清  月    蓮

 

 

『宮本輝の本~記憶の森~』

『宮本輝の本~記憶の森~』