花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【40】『優駿』宮本輝著 上下巻

宮本 輝様

庭の梅も枝いっぱいに開花して、今日は立春です。春の暖かさへ一歩づつ向かっています。まだ朝の厳しい寒さは続きそうですが、お変わりございませんか。今日は、懐かしい『優駿』を手に取りました。寒い時期だからこそ読み返したい一冊でした。 

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この写真は北海道ではありませんが、見た瞬間に『優駿』を読みたいと強い衝動が起こりました。自由に草原を馳け廻る姿は、無事に『ダービー』を終え『トカイファーム』に帰って来た『オラシオン』に見えてきます。幸せそうに草を食む姿がとても幸せそうに見えて、お借り致しました。

 

このお話の最後まで物語の成り行きに、また、『競馬』という知らない世界に引き込まれてゆきました。   肌馬、種馬、当歳、追い切り、二白流星、軸にヒモ、馬ごみ、脚色、ハミ、ソエ、キャンター、あぶみ…聞きなれない専門用語が次々飛び出します。でも、あまりの力強さに惹きつけられ、そのまま読み続けました。終章『長い流れ』では、どうか『オラシオン』が事故に遭うことなく、無事にダービーを走りきって欲しいと祈るような気持ちになりました。短編『不良馬場』が胸をよぎったからです。なんて読みごたえのある作品でしょう。この中に『博正』が父に買ってもらった本『名馬・風の王』が出てきます。私も初めて『優駿』を読んだ時、すぐに探し出して読みましたが、物言えぬ『アクバ』に愛されて育った『シャム』と『優駿』の『オラシオン』が、私の中で1つに繋がりました。

この物語は、人や出来事に必ず付いて回る『運』について一貫して書かれています。『和具 平八郎』が会社の命運をかけて買った馬券は何故当たったのでしょう。そして後には、会社の危機を翻す為に、大企業の吸収に甘んじ、自分は第一線から潔く身を引きました。社員とその家族の生活を守る為でした。

『運』が良いとか悪いとか、世間でよく言われますが、ここに書かれているのは《『運』の裏側を見なければならない》と言うことです。『運』はそれを引き寄せる為に、一人の人間が成して来た行為や、結びついた人々との『縁・えにし』に依るものなのです。『渡海 博正』の『オラシオン』の誕生への祈りが、『久美子』を振り向かせ『和具平八郎』を夢中にさせ『砂田』を微笑ませ『吉永』と『藤川 老人』を動かしたのです。そして結果的に、幸運な奇跡をも連れてきたのだと思います。サラブレッドはその血脈を人智により交配させ、人口的に創られた生物です。けれど、その遺伝は、姿形、脚力だけではなく『精神の遺伝』として受け継がれていると書かれています。人も馬も、もしかしたら同じかも知れません。「遺伝子だよ」と簡単に片付ける人には分かり得ない秘密の暗号が『優駿」に書かれているのです。

あと少しすれば春が来るこんな時期に、10日ほど暖かい国に逃げて行きたい様な気もしますが、貴方の本をこの寒さの中でもっと読んでいたい気持ちの方が強いです。お身体を大切にお過ごしくださいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                              清月  蓮

【39】『田園発 港行き自転車』宮本 輝著 上下巻

宮本 輝さま

ここ数日の冷え込みで、大地はすっかり冷え切ったようです。でも今日は素晴らしい青空です。明るい日差しは冬の小休止のようです。先週のテレビで仰っていた『書かずに書く…』は本当に難しいことです。画面に映し出されました『田園発港行き自転車』の直筆原稿の高さと迫力に感動しました。もう一度『田園発港行き自転車』を読み直したくなりました。最近作ですので、筋書きに触れないようにお便り致します。 f:id:m385030:20170128153114j:plain

まるで誰かの腕の中で、眠りにつくまでやさしく抱かれているような作品でした。この本の「あとがき」に、《 都会育ちの自分にも胸の中にいつも美しい田園風景があった 》という意味のことを書かれていました。私も強い憧れを、青々とした田園やそびえる山々に求めていることを感じます。この作品は大人のための安らぎの一冊です。物語の要になる場所『愛本橋』のフォルムの美しい写真をお借り致しました。

 

こんな喩え方は間違っているのかもしれませんが、読み終わった時、同じ貴方のお書きになられた『避暑地の猫』と『田園発港行き自転車』は補色関係のようだと感じました。この作品はどのページにも光がみなぎり、優しさと明るさと前向きさに満ちています。人間の持つ善なるものが限りなく目の前に広がり、「富山」の風土と共に幸せなメロディを奏でながら読む人をひなたでまどろむような気持ちへと誘ってくれます。「富山」という風土が、住む人々に与える途轍もない歓喜がページをめくるたびに現れるのです。そして《短編は長編のスケッチにもなり得る》のお言葉どうり短編『駅』も浮かび上がります。

『佑樹』には生まれた時から父がいませんでした。けれど、微塵の暗さも冷たさも彼にはありません。何故だろうと思案していますと、偶然、京都大学大学院の明和 政子教授の講義の内容を読むことができました。

《宇宙には法則があり、微塵の矛盾もない。他の動物と人間の誕生、繁殖の周期、そして誕生後 一年間、自分で歩くことができない人間は、動物学的見地からも、単独の両親が一人の子供を育てられるようにはできていない》というものです。    人には、人間らしい心が育つ環境が必要であり、それは周りの多数の人間と、心を浄化する自然などにより創り上げられるものだとも書かれています。現在、度々ニュースになる我が子の虐待などは、核家族化が進み、更に離婚や断絶、貧困により、孤立化した結果であろうと。私はそれを読んだ時、この解決方法がもしあるとするなら、その答えがつぶさに描かれているのが『田園発港行き自転車』だと思いました。人の正しい思惟、行動、強い希求、何よりそれらが、恰もずっと以前から結ばれていた糸のようにここ『愛本橋』に向かって集って来たのです。人の心を育てるのは、清冽な山からの湧き水、稲穂が輝きながら香ばしい匂いを放ち、山の端に落ちてゆく夕陽に感謝する祈り…そしてその場所を目指して集いあった人々。その沢山の優しい手によって、父のいない『佑樹』は、こんなにも素直に明るく懸命に人を思いやれる人間として育っていったのでしょう。日本のこれからに、やさしくあたたかい物語です。けれども、見方を変えれば、厳しい警告も確かに聴こえる気が致しました。

「あとがき」に、FB友達の寺田 幹さんの名前を見つけて、誇らしいような嬉しい気持ちが致しました。この本を書かれた貴方のお気持ちは、沢山の方々にこだましてゆき、また更に多くの人々に読み継がれてゆくことを願っております。美しい「富山」を汚さないように…新幹線の開通と共に沢山の方々が訪れて下さいますように…またお便り致します。どうか ごきげんよう

                                                                                         清月 蓮

 

 

【38】『約束の冬』 宮本輝著

宮本 輝さま

やはり寒気がやって来ました。今日は朝から落ち着きません。NHK教育テレビに貴方がご出演される日だからです。22時まであと少しです。とても楽しみです。今日は『約束の冬』についてお便り致します。

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この写真に対する感覚は、少し違うのかも知れないと思いますが、ちょうど『約束の冬』を読んでいた時、これを見て『飛行蜘蛛』の事を連想してしまいました。可愛いピンクの糸のような蒸気の色にとても惹かれてお借りしました。

冬の初めのお天気の良い日に、お尻から糸を出しながら上昇気流と微風に乗って、少しでも遠くに飛ぼうとする蜘蛛の子供達。田畑の多い里山の雪の降る前の晴れた日に、何処まで行けるのかも、何処へ着くのかもわからないのに、懸命な健気さで蜘蛛たちは一斉に飛び立とうとするのです。

《その蜘蛛を、10年後の誕生日に、一緒に見に行きませんか。そこで僕は貴女に結婚を申し込みます…》そんな意味の15歳の少年から受け取った《手紙》と、父の建てた風変わりな《家》とが招き寄せたかのような人々がこの物語に登場します。

とにかく、読んでいて気持ちがいいのです。それぞれの場面に、何気なく書かれているかに見えますが、何より「お金」の行き来が気持ちいい。    32歳『瑠美子』が 弟『亮』への姉としての優しくて気前のいい思い遣りの奢りの代金。『亮』と『とと一』の主人との『李朝の飾り棚』にまつわる気っぷのいい即金。『瑠美子』と同級生『小巻』がネパールの村に『学校』を建てようと、毎月貯金すると約束した大切なお金。54歳の『桂ニ郎』が、血の繋がらない息子『俊国』にためらいなく遣った養育費。会社経営者として、社員に渡したポケットマネーからのお祝いや労いの金封。年老いた『須藤潤介』の代わりに、台湾まで運んだ心残りを消す為の弁償金。『瑠美子』の父が自分の思い通りの『武家屋敷のような家』に工面した建設費。『亮』が10年20年先を見据えて買い貯めた木材に支払った なけなしのお金…  その一つ一つがこの物語の硬い縄のように、一筋になって繋がっているように感じます。それが人の振る舞いの基盤のようにさえ思います。    私が嫁ぐ時、母が何気なく呟いた言葉を思い出させてくれました「まぁなぁ、台所の包丁とお金の遣い方さえ間違えんかったら、なんでもあんじょういくやろ」

また、この物語には人間以外の「モノ」がいくつも散りばめられています。外国製の葉巻。鯨のように見える三つの石ころ。パティックの美術品のような時計。イチョウの大木をはめ込んだ穴蔵のような空間。初めての新しいパソコン。軽井沢と北海道のゴルフ場。親切な業者さんのお陰で やっと見つかった老眼鏡。空飛ぶ蜘蛛の場所を示した可愛い絵地図、庭の敷石を覆う多くの木々…それらがもたらす豊さと安心感。それらに包まれながら、最後に…

『 雪迎え そは病む君に かかりけり』

こう詠んだ『鮎子』の気持ちと重なって、何処か高いところに、まるで蜘蛛の子達を運ぶ上昇気流に乗ったように、私を上へ上へと運んでくれたように感じました。今、病いに苦しんでいる友にも、怪我で痛みに堪えている人にも、上昇気流が一日も早く訪れてくれますように。

この物語の舞台の場所の殆どに、昔、行ったことがあります。思い出しながら、とても愉しく読ませて頂きました。これから本格的な冬に入ります。でも散歩の途中の冷たい風が、顔に当たるのがとても心地よいと感じます。またお便り致します。お風邪などお召しになられませんように。どうかごきげんよう

 

                                                                        清月  蓮

 

 

【37-2】『ドナウの旅人』宮本 輝著 その2

宮本 輝 さま

いつも通りの日常が戻って参りました。この平安が続きますようにと願っております。  自分さえ良ければいい、自国さえ潤えば良いと言う風潮は少し不安です。これが自国の文化を深めてゆく方向に向かうよう願うばかりです。こんな時に本を読んでいますと、落ち着いた気分が戻ります。 今日は『ドナウの旅人』のニ通目のお便りを致します。 

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『ドナウの旅人』は1983年11月5日から1985年5月28日まで、朝日新聞への、著者初の連載小説です。38歳でおられました。その冒頭の言葉をお書きになった瞬間、どれほど胸が高鳴られたかと想像致します。

『目を覚ますごとに、夜が明け始めていた。眼下にはアラスカ半島が雲の切れめから 見え 、薄紅色や淡い水色を、眩い草原のあちこちから放っていた。… 』

これは飛行機からの描写ですが、瞬間的に色が美しいこの写真が浮かび、直ぐにお借り致しました。

 

50歳の母『絹子』が、どうしても尊敬できなかった『夫』と 離婚する為の布石のように、ドナウ河に沿って旅に出ました。母が 33歳の『長瀬』と一緒にいる事を知った娘『麻沙子』は、母を連れ戻そうと、その後を追い続けます。この旅の途中で様々な事が起こります。作中に挟み込まれた思索の多さ、深さ、筋を追いながら考え込まずにはいられません。今まで胸の中におありだった思いを、余さず物語の中にぶつけられたのだろうと思うくらいです。それは政治や経済、イデオロギーや権力にとどまらず、言語の壁や国際結婚、女の概念の固定性、民族や風土が生み出す文化について、更に、嫁への姑の在り方や、人生の『忘れ物』とは何か、人の為の行動の潔さ、常識を超えた無垢な愛情、共産圏の現状…どれもこれもが私たちの前に差し出されました。その中で一つだけを取り出してみます。民俗学を研究している『ペーター』の言葉です。

『…偶然は意識のおそるべき力が招き寄せたものに違いないんだ。意識を動かしているのが無意識の領域なら、その無意識の領域を動かしているのは何かという問題に降りていくべきだ。それはもう歴史学ではなくて宗教だろう…』

 

無意識の中で、いつも嫉妬や悲観や敵愾心や蔑みや攻撃や欺瞞や欲望や慢心が渦巻いていたとすると…その方向に無意識の内に引きずられるということのようです。後で考えても、どうしても理解できないことがあります。あの時、何故、あんな行動をとったのだろう。考えても判断のできない瞬時の決断とは、それまでに培われていた思いや意識が、本人の意思に依らず、無意識という命の器の中に蓄えられているのであろうと思います。  つまり貴方が言われているように、偶然とは必然だと言う事なのですね。そしてそれは宗教と呼ぶ以外にないだろうとの意味に解釈しました。

この物語の中で、どうして 絶体絶命に見えた『莫大すぎる借金』の解決策が少し見えてきたのでしょう。それは、『絹子』をはじめ、登場する人々に相手を思いやる心が、無意識の領域までを満たしていたからに違いないと思うのです。道中のあちこちで少しお荷物になったり、日本語しか分からなくて、つまはじきを感じたりしても、娘の幸せを理解し『長瀬』への恋心に素直で、裏切りにも耐え抜いた『絹子』の無意識の心が「希望」をもたらしたのであろうと思います。でも、何故死ななければならなかったのかは、ここに書く勇気がありません。最後の章『さいはての雪』のはじめから、読みながら『絹子』の死の予感に震えていました。そして、読み終わって、夕ご飯の支度にかかっても、台所のシンクに涙が音を立てて落ちてしまいました。

今年は暖かすぎるお正月でした。梅の蕾が少し紅くなりました。でも寒気が来ています。雪に慣れない地方では美しいだけでは済まない事故に繋がります。どうかご自愛下さいませ。またお便り致します。それでは、ごきげんよう

 

                                                                              清月  蓮

【37-1】『ドナウの旅人』宮本輝著 その1

宮本 輝さま

新しい年をいかがお過ごしでおられますか。年の初めは決意を新たにしなくてはと思います。幼い頃、大晦日の夜には  晴れ着、靴、靴下、下着、ハンカチ まで買ったばかりの新品を枕元に置いて、明日は見たこともない日がやってくるんだろうとドキドキして 眠りについたものでした。お正月には新しい本や雑誌も買ってもらい、お雑煮の後は夢中になって読んでいました。今日は『ドナウの旅人』についてお便り致します

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写真を撮られたご本人は、この写真は「ニースのようだ」と仰っておられましたが、私には向こうに見えるのは、海ではなくドナウ河に見えます。夕闇が迫り、群青色の空が色を濃くして、ここから始まるドナウの流れの物語を、目の前に浮かび上がらせてくれる一枚でした。今年も写真をお借りできる事を幸せに思っています。改めまして感謝してお届け致します。

この物語は上下巻あり、とても長いのですが、いつまでも終わらないで欲しいと願いながら読まずにはいられませんでした。愛の深淵、サスペンスの高鳴り、舞台の雄大さ、難題への考察、全てに目を見張る思いです。そして、ここに登場する人々は魅力に溢れています。33歳、精悍な体躯で頭脳明晰、それなのに小心な『長瀬』、50歳で初めて髪をショートにして着物を脱ぎ捨てた『絹子』、その娘『麻沙子』は日本人離れしたスタイルの魅惑の美女、彼女の恋人『シギィ』の一途さと判断力の深さ、『世捨て人ペーター』の使う魔法のおおらかな確かさ…他の登場人物もみんな揃って、自分の気持ちや信念を見失っていません。ドナウの流れが蛇行しながらも、ひたすら黒海を目指しているように。

この物語はドイツからオーストリアハンガリーユーゴスラビアを経てブルガリアルーマニアを過ぎ、やがて黒海へと注ぐ 七色のドナウ河と、そこに住む人々を見せてくれます。ドナウの流れの途中で出会った人々は、一体何人であったのでしょう。 その人々に囲まれながら『長瀬』と『絹子』の「絶望」と生きたい故の「希望」を探す旅が、ドナウ河と共に流れてゆきます。  読みながら、宮本輝著『花の降る午後』に書かれていたことを思い出しました。『ボッシュ』の快楽の園(愉楽の園)という絵について書かれている部分の抜粋です。

『あの絵が不思議なのはねェ、絵を見ていない時は、細部どころか、全体の構成までおぼろになってしまうことなんだ。感動も消える。多少の雰囲気だけは、こっちの心に漂っているけど、それは雰囲気にしかすぎない。だけど、絵の前に立つと、虚ろな雰囲気が、何か人間の生命のすべてであるような気持ちを誘い出す』

これは『ドナウの旅人』に描かれている世界そのものを表している言葉です。

沢山の登場人物がドナウの流れと共に様々な心模様をみせ、思索した事を語り合い、外国に生きている日本人や、その国の住人…その一人一人は『ボッシュの絵』に描かれている人々なのです。又、人生そのもの、過去そのものでもあると思います。   私が何度も読むのは、雰囲気だけは覚えているその感動の記憶を確かめたいからです。そして、様々な世の中の疑問や理念が、まるで炙り絵のように会話の中に溢れているのを更に考え直してみたいからです。

また『ドナウの旅人』についてお便り致します。これからの一年が貴方様にとって輝かしい年となりますようにお祈り致して居ります。何よりお元気でお過ごし下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                        清月  蓮

 

【36-4】『錦繍』宮本 輝著 その4

宮本 輝さま

異常気象が叫ばれて久しいですが、冬の夜空にひときわ輝く宵の明星を見つけますと、とても嬉しくなります。伊丹の空からも金星の輝きが見えていると良いのですが。今日は『錦繍』の最後のお便りを致します。 

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この写真は不思議な世界が写し撮られています。手前に浮かぶ七色の葉は「現在」を現し、水に映る上の方の木の枝の間から明るい「未来」の空が見えています。そしてその間を素早く走り過ぎる「過去」の世界…しかも『錦繍』を物語る木の葉によって描き出されているのです。まるでこの物語の為に現れたように感じましたのでお借り致しました。

最後のお便りには、ここに登場する3人の女の人達について書いてみたいと思います。『亜紀』『由加子』『令子』の3人は『靖明』の人生に深く関わっています。それぞれに愛した形が違っても『靖明』は彼女達にとって唯一無二の存在であることに変わりはなく、どうしても失いたくない人でした。それにしても『亜紀』も『由加子』も女の宿命のようになんと受け身であったことでしょう。恋をして結ばれた『亜紀』は、疑う事もなかった『靖明』の愛情に裏切られてしまいます。『靖明』の心をずっと占め続けていた『由加子』でさえ、最後に『何事もなく別れられる』と思った『靖明』の心を感じて、絶望してしまったのでしょう。  一方『令子』はと言えば、最初から何と積極的であったのだろうと気付きます。少なくとも受け身ではありませんでした。『靖明』を愛していたことは、『亜紀』と『由加子』と変わりはないのですが、あくまで自分の生活を見つめ、自分の中で強く『靖明』に愛情を注いでゆきました。たとえ女として見てくれずとも、罵られようと、尽くすだけだとしても、自分の心を揺るがせる事がありませんでした。恋の手練手管などではなく、逞しい生命力を感じます。そして最後には『靖明』の心を捉えてしまうのです。

この中に、女にとって『嫉妬と愚痴』は、切り離せないものであると書かれていました。自らを省みましても、それは否定できず、それ故に、運命の落とし穴に落ちるのかも知れないとさえ感じます。もう1つ付け加えるならば、うわさ話が好きなことも女の否定できない一面です。これらによって、大切な人との繋がりを失ったり、見落としてはいけない事を掬い取れなかったりするのかも知れません。大地に脚を踏ん張って、知識のない頭をフル回転させ、逞しく生き抜かねばならないと感じております。強く思いますのは、愛情は相手から何かを期待せず、ただ自分の中で育ててゆく事がもしかしたら幸せへの近道かも知れません。

今日は明るい日差しが、眩い位に部屋に差し込んでいます。この作品は一気に読んでしまいましたが、この後の長編は時間をかけて、もう少しゆったりと愉しんで読んでから、お便りしたいと思っております。年末の慌ただしい時期ですが、良いお年をお迎えくださいますように。また新年になりましたら、お便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                                           清月  蓮

【36-3】『錦繍』宮本 輝 著 その3

宮本  輝さま

夕べ遅くに降り出した雨が、今朝まで音もなく降り続いております。初冬の雨は哀しい調べをつれてきます。いかがお過ごしでおられますか。  今日は『錦繍』の3通目のお便りをさせて頂きます。      

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 この写真は、降り積もる紅葉が地面を覆い尽くし、見上げればまだ木々は明るく色づいています。真ん中に道が見えます。『ドッコ沼からゴンドラリフト』への道、茶店モーツァルト』までの道、『清高』が満天の星を見る為に辿った道物語に出てくる『錦繍を纏った様々な道を思い浮かべて、お借りしました。

 

『靖明』と『亜紀』は、長い書簡の遣り取りを通して、今までの自分たちの人生の過去と向き合いました。『靖明』は、自分を『野良犬』よりも劣ると感じたり、惹かれ続けた『瀬尾由加子』を『酒場の女』などと蔑んでみたりしました。『亜紀』も肢体の不自由な子を産んだのは『靖明』のせいだと思ったりしました。でも、わだかまっていた胸のつかえを吐き出したことにより、足元の自分の道についてやっと気づけたのでしょう。

『亜紀』が『モーツァルト』を聴き、そして呟いた『生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへんという忘れられないフレーズが今心の中で反復しています。  この言葉に、観念的な解釈を加えても詮無いことですが、クラシックに疎い私でも、時にモーツァルトを聴いていますと、周りの現実が、全て確かに消えたように感じることがあります。今の年齢も、役目も、予定も、すべてが何処か遠くへ消え去り、目を瞑りますと、そこは果てしない銀河に囲まれたような無限の空間にいるような気持ちになるのです。「時」は無く、ただ自分の中の何かそれは霊魂などと呼ぶようなものではない別の何かそれだけが、モーツァルトの音楽の中に抱かれているような不思議さを感じるのです。いつも気になる劣等感も、嫌々ながらやらなければならないことも、全てが何処かへ飛んでゆき、恰も「いのち」そのものになって、ただ、広い世界を漂っているような快感に包まれます。今ある総てを受け入れられる、もう『死』すら無くなってしまったような感覚です。本当は『亜紀』が何を感じたかは、私にはわかりませんが、この『亜紀』の言葉に、私なりに幸福感としか言いようのない気持ちを当てはめてみました

もう1つ『靖明』が書簡の中で『瀬尾由加子』に殺されかけて、死の世界に半分入った時の感覚を吐露していました。そこには、自分が今まで生きてきた『善と悪』が、死の間際まで、自分に張り付いているのがわかったと書いています。今の生活の全ては、死後の世界に一緒についてゆくのだろうという暗喩だと思いました。過去、現在、未来は決して別々のものでは無く、過去が現在に、現在が未来へ、来世へと繋がってゆくのです。ここで『亜紀』モーツァルトの音楽から感じて『呟いた言葉』と結びついてゆきました。つまり「死は生の始まり」であると。『みらい』へ続く道であると

錦繍』はとても奥の深い作品で、私が一通目に書いた事などに終始していては、見逃してしまう多くのことが書かれています。それは絹糸で織られた精緻な織物の『錦繍』をも想起させます。なんて美しい物語であったことでしょう。胸の鼓動は読み終わっても中々静まってはくれない程です。それに致しましても最後に『瀬尾由加子』と密会して心中事件まで起こした京都の旅館に『靖明』は、この期に及んで訪ねて行ったことこの事実は、男のもつ愛情には逆らえない強い引力のようなものがいつも働くものかもしれないと感じました。  仕方がないので、過去にキリをつけて『令子』を喜ばせてあげる為の最後の『靖明』なりの儀式だったのだと信じてあげることに致します。女は懐が深くなくてはとても生きていけないのですから。

書いておりましたうちに、雨が上がったようです。紅葉した庭の木々の葉に、水滴がつき、瑞々しく光り出しました。部屋を満たしていました音楽の音を落として、私も現実に向き合わなければなりません。夕ご飯の支度にかかります。貴方さまも美味しいものを沢山召し上がってくださいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                        清月