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花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【47】『螢川』 宮本 輝著

宮本 輝さま

今週は雨が降りました。恵みの雨のようです。冬の霙混じりの頃とは、空気の温度が違ってきました。東風と北風が交互に吹き、本当の春に近づいていくのですね。いかがお過ごしでおられますでしょうか。今日は『螢川』を読みましたのでお便り致します。 f:id:m385030:20170225202551j:plain

『雪・桜・蛍』の三つの章に分けられたこの作品には、どんな写真がいいのかと思い悩みました。十数枚の写真から、やはりこれを選択してお借り致しました。『雪』の上に散った花びらは『桜』ではありませんが、たとえその前に咲き散る梅であろうと、この写真からのイメージは変わりませんでした。初々しい『英子』にも、妖しいほどの『蛍』の閃光と揺らめきにも、やはり富山の『雪』を添えなければなりません。

『春があっても、夏があっても、そこには絶えず冬の胞子がひそんでいて、この裏日本特有の香気を年中重く澱ませていた…』

『螢川』は、1977年「展望」に掲載され、その後、芥川賞を掴み取られました。

この作品は、他の作品とは全く異なった座標軸から現れた作品のように思います。この中には作家として、これから書こうとなさっている作品の「核」を成すものが、既に『胞子』となり、至るところに潜んでいます。失礼を承知の上で書かせて頂きますと、この作品は「狂気」が成した技であろうと感じました。普通に暮らし、ご飯を食べ、お風呂に浸かり、ぐっすり眠る…それが「正気」であるとするなら、この作品を書かれていた時間軸は、「血の赤」に染められていただろうと思うからです。読む人の体ごと震わせるほどの感動をもたらす作品は、そんな「狂気」と呼ぶ他にないところからしか、生まれ得ないものかもしれないと感じました。ともかく、この時代の他の芥川賞の候補作品などと比べることが出来ない位の、ぶっちぎりで一等賞の作品を書く以外、貴方に残された道はなかったのです。何故なら、この頃、既に貴方の肺には、病いの根がじわじわと忍び寄り、精神は不安神経症に苛まれ、おそらく貯蓄は底をつき、それなのに奥様のお腹には、二番目の息子さんが育っておられました。この物語は、その後の作品を生み出す途轍もないエネルギーを湛えており、「池上さん」という確かな人と出会われたこと…全てが「正気」の世界では起こり得なかったことなのだろうと感じます。作品を読んだ人は残らず、最後の場面で自分の心音が聴こえるかのような感動をもつでしょう。『蛍』が本当に『いたち川』の上流に、いたかどうかなどを論議する「正気」の人には分かり得ない、この世のものとは思われない位の美しい『蛍』の炎舞であったのです。そして内容に触れないままでここを閉じておきたいと思う位、私にとって特別の作品でした。出逢えて本当に良かった。出逢えていなければ、私は文学の入り口にも立てぬまま、享楽的で、平和で、人のことなどに気づかぬ生活を送っていただろうと思います。初めて、人の命の不思議な闇に連れていって頂けたのです。感謝して出逢えた自分の強運に感謝しております。

あと少し、残り少ない二月を愉しんで過ごすことに致します。空気の中に花の香りが漂います。温暖の差が激しい時期ですが、どうかご自愛くださいますように。またお便りさせて頂きます。どうかごきげんよう

 

                                                                       清月    蓮

 

 

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

 

 

 

 

【46】『道頓堀川』 宮本 輝著

宮本   さま

 

貴方に手紙を書く土曜日は、どんな風にお過ごしでしょうか。多分、いつもと変わらない時間通りのお仕事だろうと想像しております。取材で遠くまで行かれることもおありでしょうが、その時は連載などのご用意もおありで、お忙しいのだろうと思います。今日は『道頓堀川を読みましたのでお便り致します。  

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 夜の街に横たわる『道頓堀川』は、猥雑なものを底に秘め、住人や訪れる人の心を吸い込む動かぬ鏡のようです。この写真はずっと昔のものだそうですが、探し出してくださいました。お借りしてお礼申し上げます。

私は、十数年前、下の息子とこの辺りを訪れましたが、『道頓堀川』の近くまで歩いて来ましたら、突然、目から感情のない涙が落ちて来ました。この川の発する臭気と混ざり合ったガスで、目に刺激が襲って来たのでしょう。

鏡はくらがりの底に簡略な、実際の色や形よりもはるかに美しい虚像を映し出してみせる。だが、陽の明るいうちは、それは墨汁のような色をたたえてねっとりと淀む巨大な泥溝である

この物語は、1982年6月に深作欣二監督の「映画」として公開されました。今日はその映画に絡めて書いてみたいと思います。       先ず、貴方が行数を費やされた喫茶店『リバー』に、マスター『武内』が、こだわって活けている『花』の扱いが、映画の中では、私には気になりました。濁った街の汚れた空気の中で『武内』の飾る花は、彼の「希望」であったと思います。そして、自分が蹴り殺してしまったであろう『鈴子』への「鎮魂」もこめられていたのでしょう。そこが映画には描ききれていないと感じました。  また大阪の人々は、あんなにガラ悪く騒がしいでしょうか。 挙句、最後に街の騒ぎに巻き込まれ『邦彦』が刺されるという設定に納得のゆかないものを感じました。  でも、最近、二度三度と本を読む度に、映画も観直していますと、映画とはあんなようにしか作れないのかもしれないと思うこともあります。これが「松坂慶子」さん演じる『まち子』の純な恋に、哀れさを誘う唯一の収め方なのでしょう。更に、この物語は「本」を読んでいると、騒がしいというよりとても静かだということです。『戎橋』から『リバー』までの『武内』の『足音』が聞こえる静寂もあるのです。夜の嬌声や喧騒だけを描いてある訳ではなく、寧ろ、心の移り変わりが丁寧に描かれています。息子『政夫』に対しての父の落胆や、自分と同じ宿命を断ち切らねばならないと強く考えた『武内』の気持ち、それに『杉山』に身も心も奪われた『鈴子』の哀れ、また、それに対する『武内』の取り返しのできない制裁への懺悔。翡翠色のギアマンの意味。『かおる』の生き方のやるせなさ数え上げたらキリはありません。でも、まるで天女のような「松坂慶子」さんの美しさと、純でおきゃんな可愛らしさを観ることができたので、全てを我慢することに致しました。本の作品と映画は全く別のものと捉えるのがいいのかも知れません

春はいつの間にか、もうすぐそこまで来ています。あと何回この季節を迎えられるのかと、ふと思うことがあります。夜になり、冴えた空の星々を眺めていますと、心がすっと落ち着きます。お元気でお過ごし下さいますように。どうかごきげんよう

  

                                                                             清月  

 

 

道頓堀川 (新潮文庫)

道頓堀川 (新潮文庫)

 

 

【45】『いのちの姿』 宮本輝著

宮本 輝さま

 

またお便り致します。ご迷惑でないことを念じつつ書いています。こんな一方的なお手紙は、あり得ないと思うこともありますが、貴方の作品が、私を突き動かしている気が致します。遠い日々を思い出しながらの思い込みばかりで、いつも申し訳ありません。今日は『いのちの姿』を読みましたので、お便り致します。  

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 この写真を見た瞬間に、貴方のお書きになった『いのちの姿』が浮かびました。生まれては散りゆく山茶花のひと花ひと花が、それぞれの形になって命を燃やし、時が来れば地に落ちてゆきます。死してなお美しく、真上の枝で若い蕾が開くのを見守っているように見えます。『いのちの姿』にこのような営みの「時」を感じます。どうしていつもぴたりの写真が目の前に現れるのか、不思議に思いながらお借りしております。

 

硬い表紙の、単行本の三分の二 程の大きさと厚みのこの本は、私を深い思惟へと誘ってくれました。特別な一部の人しか読むことのできなかった小冊子『桑兪』は、『京都・和久傳』の女将さんのたっての願いで、200711月より刊行されました。宮本輝さんがここに執筆されていることに気づかれた「集英社の村田登志江さん」が、一冊にまとめてくださり、こうして読むことができ、とても感謝しております。

エッセイは、ご自身の胸の内をみせて頂ける貴重なもので、直截な故に胸を打ってきます。男らしい文章だなぁと思います。重くて深い内容なのでエッセイというのがしっくりこないのですが、ご本人がそう表記されていますので倣いました。   思いますに、小説が一つの形を現すまでには、胸の中にある「核」のようなものが、ある時、ポコっと文字になって現れ、登場人物が生まれ、物語が動き出すそうですが、その「核」をなすものは、エッセイや短編の中で、その「時」を待っているのだろうと思っています。ここに収められた14篇のエッセイは、作家というお仕事が何故貴方のところへやって来たのかに納得できるものでした。

『悪いことが起こったり、うまくいかない時期がつづいても、それは、思いもかけない「いいこと」が突如として訪れるために必要な前段階だと信じられるようになったのだ。』

人に理解してもらえないほどの『パニック障害の苦しみの末に掴まれた実感は、私達の強い味方になって、これからのどんな危機をも乗り越えられるような勇気を掴んだ気が致します。

もうひとつは、このエッセイ集の最後『土佐堀川からドナウ河へ その二』にあります。

目に見えないものを確信することによって現実に生じさせる現象というものを、私は信じられるようになっていたのである。』

この言葉については、目に見えないものを信じるという意味だけでなく、確信する信じて疑わない『心の力』が信じたことを現実に『現象』として、目の前に現わすことができるという意味です。ご自身が体験されたことからの一文は、力強い説得力を感じました。  疑えばどんなことでも疑いは生じます。考えれば考えるほど不安が広がり、疑問に苛まれ、やがて諦めへと流れます。  夜の闇の中で無数の星々を眺める時、宇宙の中の芥子粒のような自分の「生」に気づきます。そして広大な宇宙に、厳然と存在する法則のひとつの啓示のように、自分に降ってくる瞬間というのを体験されたものと感じました。このエッセイ集はゆっくり味わって、自分なりに様々に思考して、人それぞれに受け取りながらも、『心の力』を高めてゆける一冊でした。エッセイ『兄』の「最後の呼びかけの声」は、あなたの体からほとばしり出た血脈の声でした。もう会わなくてもいい。貴方のたった一人の胸の中の「お兄様」はきっと穏やかに健やかに暮らしておいでなのですから。

二月はすごいスピードで過ぎ去るような気が致します。去ると思うと寒い冬にも未練が生まれ、むしろ寒さが愛おしくなります。今年はインフルエンザの羅患数が百万人を超えたそうで花粉症も始まりました。ご自愛くださいますように。どうか ごきげんよう

 

                                                                             清月  

 

 

いのちの姿

いのちの姿

 

 

【44】『優駿』宮本輝著 上下巻

宮本 輝様

庭の梅も枝いっぱいに開花して、今日は立春です。春の暖かさへ一歩づつ向かっています。まだ朝の厳しい寒さは続きそうですが、お変わりございませんか。今日は、懐かしい『優駿』を手に取りました。寒い時期だからこそ読み返したい一冊でした。 

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この写真は北海道ではありませんが、見た瞬間に『優駿』を読みたいと強い衝動が起こりました。自由に草原を馳け廻る姿は、無事に『ダービー』を終え『トカイファーム』に帰って来た『オラシオン』に見えてきます。幸せそうに草を食む姿がとても幸せそうに見えて、お借り致しました。

 

このお話の最後まで物語の成り行きに、また、『競馬』という知らない世界に引き込まれてゆきました。   肌馬、種馬、当歳、追い切り、二白流星、軸にヒモ、馬ごみ、脚色、ハミ、ソエ、キャンター、あぶみ…聞きなれない専門用語が次々飛び出します。でも、あまりの力強さに惹きつけられ、そのまま読み続けました。終章『長い流れ』では、どうか『オラシオン』が事故に遭うことなく、無事にダービーを走りきって欲しいと祈るような気持ちになりました。短編『不良馬場』が胸をよぎったからです。なんて読みごたえのある作品でしょう。この中に『博正』が父に買ってもらった本『名馬・風の王』が出てきます。私も初めて『優駿』を読んだ時、すぐに探し出して読みましたが、物言えぬ『アクバ』に愛されて育った『シャム』と『優駿』の『オラシオン』が、私の中で1つに繋がりました。

この物語は、人や出来事に必ず付いて回る『運』について一貫して書かれています。『和具 平八郎』が会社の命運をかけて買った馬券は何故当たったのでしょう。そして後には、会社の危機を翻す為に、大企業の吸収に甘んじ、自分は第一線から潔く身を引きました。社員とその家族の生活を守る為でした。

『運』が良いとか悪いとか、世間でよく言われますが、ここに書かれているのは《『運』の裏側を見なければならない》と言うことです。『運』はそれを引き寄せる為に、一人の人間が成して来た行為や、結びついた人々との『縁・えにし』に依るものなのです。『渡海 博正』の『オラシオン』の誕生への祈りが、『久美子』を振り向かせ『和具平八郎』を夢中にさせ『砂田』を微笑ませ『吉永』と『藤川 老人』を動かしたのです。そして結果的に、幸運な奇跡をも連れてきたのだと思います。サラブレッドはその血脈を人智により交配させ、人口的に創られた生物です。けれど、その遺伝は、姿形、脚力だけではなく『精神の遺伝』として受け継がれていると書かれています。人も馬も、もしかしたら同じかも知れません。「遺伝子だよ」と簡単に片付ける人には分かり得ない秘密の暗号が『優駿」に書かれているのです。

あと少しすれば春が来るこんな時期に、10日ほど暖かい国に逃げて行きたい様な気もしますが、貴方の本をこの寒さの中でもっと読んでいたい気持ちの方が強いです。お身体を大切にお過ごしくださいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                              清月  蓮

 

 

優駿〈上〉 (新潮文庫)

優駿〈上〉 (新潮文庫)

 

 

 

優駿〈下〉 (新潮文庫)

優駿〈下〉 (新潮文庫)

 

 

 

【43】『田園発 港行き自転車』宮本 輝著 上下巻

宮本 輝さま

ここ数日の冷え込みで、大地はすっかり冷え切ったようです。でも今日は素晴らしい青空です。明るい日差しは冬の小休止のようです。先週のテレビで仰っていた『書かずに書く…』は本当に難しいことです。画面に映し出されました『田園発港行き自転車』の直筆原稿の高さと迫力に感動しました。もう一度『田園発港行き自転車』を読み直したくなりました。最近作ですので、筋書きに触れないようにお便り致します。 f:id:m385030:20170128153114j:plain

まるで誰かの腕の中で、眠りにつくまでやさしく抱かれているような作品でした。この本の「あとがき」に、《 都会育ちの自分にも胸の中にいつも美しい田園風景があった 》という意味のことを書かれていました。私も強い憧れを、青々とした田園やそびえる山々に求めていることを感じます。この作品は大人のための安らぎの一冊です。物語の要になる場所『愛本橋』のフォルムの美しい写真をお借り致しました。

 

こんな喩え方は間違っているのかもしれませんが、読み終わった時、同じ貴方のお書きになられた『避暑地の猫』と『田園発港行き自転車』は補色関係のようだと感じました。この作品はどのページにも光がみなぎり、優しさと明るさと前向きさに満ちています。人間の持つ善なるものが限りなく目の前に広がり、「富山」の風土と共に幸せなメロディを奏でながら読む人をひなたでまどろむような気持ちへと誘ってくれます。「富山」という風土が、住む人々に与える途轍もない歓喜がページをめくるたびに現れるのです。そして《短編は長編のスケッチにもなり得る》のお言葉どうり短編『駅』も浮かび上がります。

『佑樹』には生まれた時から父がいませんでした。けれど、微塵の暗さも冷たさも彼にはありません。何故だろうと思案していますと、偶然、京都大学大学院の明和 政子教授の講義の内容を読むことができました。

《宇宙には法則があり、微塵の矛盾もない。他の動物と人間の誕生、繁殖の周期、そして誕生後 一年間、自分で歩くことができない人間は、動物学的見地からも、単独の両親が一人の子供を育てられるようにはできていない》というものです。    人には、人間らしい心が育つ環境が必要であり、それは周りの多数の人間と、心を浄化する自然などにより創り上げられるものだとも書かれています。現在、度々ニュースになる我が子の虐待などは、核家族化が進み、更に離婚や断絶、貧困により、孤立化した結果であろうと。私はそれを読んだ時、この解決方法がもしあるとするなら、その答えがつぶさに描かれているのが『田園発港行き自転車』だと思いました。人の正しい思惟、行動、強い希求、何よりそれらが、恰もずっと以前から結ばれていた糸のようにここ『愛本橋』に向かって集って来たのです。人の心を育てるのは、清冽な山からの湧き水、稲穂が輝きながら香ばしい匂いを放ち、山の端に落ちてゆく夕陽に感謝する祈り…そしてその場所を目指して集いあった人々。その沢山の優しい手によって、父のいない『佑樹』は、こんなにも素直に明るく懸命に人を思いやれる人間として育っていったのでしょう。日本のこれからに、やさしくあたたかい物語です。けれども、見方を変えれば、厳しい警告も確かに聴こえる気が致しました。

「あとがき」に、FB友達の寺田 幹さんの名前を見つけて、誇らしいような嬉しい気持ちが致しました。この本を書かれた貴方のお気持ちは、沢山の方々にこだましてゆき、また更に多くの人々に読み継がれてゆくことを願っております。美しい「富山」を汚さないように…新幹線の開通と共に沢山の方々が訪れて下さいますように…またお便り致します。どうか ごきげんよう

                                                                                         清月 蓮

 

 

田園発 港行き自転車 (上)

田園発 港行き自転車 (上)

 

 

 

田園発 港行き自転車 (下)

田園発 港行き自転車 (下)

 

 

 

【42】『約束の冬』 宮本輝著

宮本 輝さま

やはり寒気がやって来ました。今日は朝から落ち着きません。NHK教育テレビに貴方がご出演される日だからです。22時まであと少しです。とても楽しみです。今日は『約束の冬』についてお便り致します。

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この写真に対する感覚は、少し違うのかも知れないと思いますが、ちょうど『約束の冬』を読んでいた時、これを見て『飛行蜘蛛』の事を連想してしまいました。可愛いピンクの糸のような蒸気の色にとても惹かれてお借りしました。

冬の初めのお天気の良い日に、お尻から糸を出しながら上昇気流と微風に乗って、少しでも遠くに飛ぼうとする蜘蛛の子供達。田畑の多い里山の雪の降る前の晴れた日に、何処まで行けるのかも、何処へ着くのかもわからないのに、懸命な健気さで蜘蛛たちは一斉に飛び立とうとするのです。

《その蜘蛛を、10年後の誕生日に、一緒に見に行きませんか。そこで僕は貴女に結婚を申し込みます…》そんな意味の15歳の少年から受け取った《手紙》と、父の建てた風変わりな《家》とが招き寄せたかのような人々がこの物語に登場します。

とにかく、読んでいて気持ちがいいのです。それぞれの場面に、何気なく書かれているかに見えますが、何より「お金」の行き来が気持ちいい。    32歳『瑠美子』が 弟『亮』への姉としての優しくて気前のいい思い遣りの奢りの代金。『亮』と『とと一』の主人との『李朝の飾り棚』にまつわる気っぷのいい即金。『瑠美子』と同級生『小巻』がネパールの村に『学校』を建てようと、毎月貯金すると約束した大切なお金。54歳の『桂ニ郎』が、血の繋がらない息子『俊国』にためらいなく遣った養育費。会社経営者として、社員に渡したポケットマネーからのお祝いや労いの金封。年老いた『須藤潤介』の代わりに、台湾まで運んだ心残りを消す為の弁償金。『瑠美子』の父が自分の思い通りの『武家屋敷のような家』に工面した建設費。『亮』が10年20年先を見据えて買い貯めた木材に支払った なけなしのお金…  その一つ一つがこの物語の硬い縄のように、一筋になって繋がっているように感じます。それが人の振る舞いの基盤のようにさえ思います。    私が嫁ぐ時、母が何気なく呟いた言葉を思い出させてくれました「まぁなぁ、台所の包丁とお金の遣い方さえ間違えんかったら、なんでもあんじょういくやろ」

また、この物語には人間以外の「モノ」がいくつも散りばめられています。外国製の葉巻。鯨のように見える三つの石ころ。パティックの美術品のような時計。イチョウの大木をはめ込んだ穴蔵のような空間。初めての新しいパソコン。軽井沢と北海道のゴルフ場。親切な業者さんのお陰で やっと見つかった老眼鏡。空飛ぶ蜘蛛の場所を示した可愛い絵地図、庭の敷石を覆う多くの木々…それらがもたらす豊さと安心感。それらに包まれながら、最後に…

『 雪迎え そは病む君に かかりけり』

こう詠んだ『鮎子』の気持ちと重なって、何処か高いところに、まるで蜘蛛の子達を運ぶ上昇気流に乗ったように、私を上へ上へと運んでくれたように感じました。今、病いに苦しんでいる友にも、怪我で痛みに堪えている人にも、上昇気流が一日も早く訪れてくれますように。

この物語の舞台の場所の殆どに、昔、行ったことがあります。思い出しながら、とても愉しく読ませて頂きました。これから本格的な冬に入ります。でも散歩の途中の冷たい風が、顔に当たるのがとても心地よいと感じます。またお便り致します。お風邪などお召しになられませんように。どうかごきげんよう

 

                                                                        清月  蓮

 

 

約束の冬〈上〉 (文春文庫)

約束の冬〈上〉 (文春文庫)

 

 

 

約束の冬〈下〉 (文春文庫)

約束の冬〈下〉 (文春文庫)

 

 

【41】『ドナウの旅人』宮本 輝著 その2

宮本 輝 さま

いつも通りの日常が戻って参りました。この平安が続きますようにと願っております。  自分さえ良ければいい、自国さえ潤えば良いと言う風潮は少し不安です。これが自国の文化を深めてゆく方向に向かうよう願うばかりです。こんな時に本を読んでいますと、落ち着いた気分が戻ります。 今日は『ドナウの旅人』のニ通目のお便りを致します。 

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『ドナウの旅人』は1983年11月5日から1985年5月28日まで、朝日新聞への、著者初の連載小説です。38歳でおられました。その冒頭の言葉をお書きになった瞬間、どれほど胸が高鳴られたかと想像致します。

『目を覚ますごとに、夜が明け始めていた。眼下にはアラスカ半島が雲の切れめから 見え 、薄紅色や淡い水色を、眩い草原のあちこちから放っていた。… 』

これは飛行機からの描写ですが、瞬間的に色が美しいこの写真が浮かび、直ぐにお借り致しました。

 

50歳の母『絹子』が、どうしても尊敬できなかった『夫』と 離婚する為の布石のように、ドナウ河に沿って旅に出ました。母が 33歳の『長瀬』と一緒にいる事を知った娘『麻沙子』は、母を連れ戻そうと、その後を追い続けます。この旅の途中で様々な事が起こります。作中に挟み込まれた思索の多さ、深さ、筋を追いながら考え込まずにはいられません。今まで胸の中におありだった思いを、余さず物語の中にぶつけられたのだろうと思うくらいです。それは政治や経済、イデオロギーや権力にとどまらず、言語の壁や国際結婚、女の概念の固定性、民族や風土が生み出す文化について、更に、嫁への姑の在り方や、人生の『忘れ物』とは何か、人の為の行動の潔さ、常識を超えた無垢な愛情、共産圏の現状…どれもこれもが私たちの前に差し出されました。その中で一つだけを取り出してみます。民俗学を研究している『ペーター』の言葉です。

『…偶然は意識のおそるべき力が招き寄せたものに違いないんだ。意識を動かしているのが無意識の領域なら、その無意識の領域を動かしているのは何かという問題に降りていくべきだ。それはもう歴史学ではなくて宗教だろう…』

 

無意識の中で、いつも嫉妬や悲観や敵愾心や蔑みや攻撃や欺瞞や欲望や慢心が渦巻いていたとすると…その方向に無意識の内に引きずられるということのようです。後で考えても、どうしても理解できないことがあります。あの時、何故、あんな行動をとったのだろう。考えても判断のできない瞬時の決断とは、それまでに培われていた思いや意識が、本人の意思に依らず、無意識という命の器の中に蓄えられているのであろうと思います。  つまり貴方が言われているように、偶然とは必然だと言う事なのですね。そしてそれは宗教と呼ぶ以外にないだろうとの意味に解釈しました。

この物語の中で、どうして 絶体絶命に見えた『莫大すぎる借金』の解決策が少し見えてきたのでしょう。それは、『絹子』をはじめ、登場する人々に相手を思いやる心が、無意識の領域までを満たしていたからに違いないと思うのです。道中のあちこちで少しお荷物になったり、日本語しか分からなくて、つまはじきを感じたりしても、娘の幸せを理解し『長瀬』への恋心に素直で、裏切りにも耐え抜いた『絹子』の無意識の心が「希望」をもたらしたのであろうと思います。でも、何故死ななければならなかったのかは、ここに書く勇気がありません。最後の章『さいはての雪』のはじめから、読みながら『絹子』の死の予感に震えていました。そして、読み終わって、夕ご飯の支度にかかっても、台所のシンクに涙が音を立てて落ちてしまいました。

今年は暖かすぎるお正月でした。梅の蕾が少し紅くなりました。でも寒気が来ています。雪に慣れない地方では美しいだけでは済まない事故に繋がります。どうかご自愛下さいませ。またお便り致します。それでは、ごきげんよう

 

                                                                              清月  蓮

 

 

ドナウの旅人〈上〉 (新潮文庫)

ドナウの旅人〈上〉 (新潮文庫)

 

 

 

ドナウの旅人〈下〉 (新潮文庫)

ドナウの旅人〈下〉 (新潮文庫)