【16】『深海魚を釣る』宮本輝著 『胸の香り』に収録
宮本輝さま
お元気でいらっしゃいますか?
『長流の畔』はまだ本棚にしまえず、そばの机に置いてあります。
読み終えても、ハイおしまいといかないのです。いつも色々な場面を思い浮かべております。こんな時間も私には愉しい読書の時間です。 今日は『深海魚を釣る』を読みましたのでお便り致します。
オコゼを見たことがありませんでした。
名前はよく耳にしますが、検索して出てきた写真に目を覆いました。なんと醜悪な形相でしょう! ぬるぬるしていそうな体、顔つきからは愛らしさも剽軽さも感じることはできません。そんな深海魚と自分は似ている「お前みたいや」と言われた『カバちゃん』は、物心ついてから、自分の中で無理やり抑えていたものが凄まじい勢いで吹き出したのです。
父を名乗る2人の男『ツルちゃん』と『テッちゃん』は、20歳の時から18年間、ずっと一緒に住み続け、いつも揃って釣りをしていました。そこへ、多分『カバちゃん』のお母さんなる女が現れ、そのまま同居したのでしょう。やがて生まれた『カバちゃん』はどちらの父親の子供だかわからない。そして、そのまま中学1年生になりました。 『 カバちゃん』は礼儀正しく、明るい子で、『私』や、『息子』『妻』とも家族ぐるみで楽しく付き合っていました。ところがある日を境に、彼らは黙って引っ越して行き、それ以来会うことはありませんでした。
その原因は、深海に住むオコゼは『…お前みたいなもんや』と言う一言でした。そのあと、『カバちゃん』は、その一言を漏らしてしまった『テッちゃん』と、深い闇に自分を閉じ込めた『母』を殺しました。
近頃、日本でも耳を疑いたくなるような事件が毎日毎日報じられます。どうすればそんなことができるのだろう…その度に悲しみと驚愕に包まれます。
何故起こるのでしょうか⁇ その答えは見つけられません。ここに書かれているように、人間は時として理由のあるようでない、説明がつきそうでつかない行動をする生き物なのです。
ですが、振り返ると、あの一言が別の一言であったなら、その事件は起こらなかったかもしれない…それもまた事実だろうと思います。勿論当事者に限らず誰かの一言でも。 物事の結果には必ず原因が隠されていて、その一言なり、冷淡な態度や無責任な怠惰なりが「紛れない結末」を連れてくることもあるのでしょう。 自分達の無分別で子供を犠牲にしてはいけません。いくら礼儀を教え、正しい躾けをして育てたとしても、父親がはっきりわからないという闇は、深海魚が住む暗い海です。そこから明るい水面に浮かび上がり生き抜くのはどんなに大変なことか、又、どれほど強い心が必要かを忘れてはいけなかったのです。そしてそれを救い得るのは、寄り添っていつもその人を護る決意をした大人の存在です。
この花は『カバちゃん』が、少年から大人になっ時、『ツルちゃん』が罪を被ろうと庇った時の心を持ち続け、その後も2人で寄り添って生き抜くことを願ってお借りしました。どうか『カバちゃん』が、明るい光の差す場所に生きて、幸せを掴んでくれますように。またお便り致します。どうかごきげんよう。
清月蓮