花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【23】『力道山の弟』 宮本輝著  『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

お元気でおられますか。最近読んだ 志村ふくみさんの著書に「白いままではいられない」という言葉がありました。この本では染色について書かれていましたが、花も人も蕾のままではいられないから、いつか蕾は膨らみ、つかの間 開花して、萎れて散ってゆくのですね。今日は『力道山の弟』を読みましたのでお便り致します。

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この写真の固そうな蕾は、自分の想いをじっと胸に秘めた『喜代』の心を感じましたのでお借り致しました。可憐な蕾に見えても、その中には、雨の雫も、蜜に集まる小さな虫も、強い太陽が射す外界も抱えているのです。このお話の『喜代』のようです。蕾の美しさが永遠なら、どんなにいいでしょう。
ユーモラスなお話のようにも読めますが、やるせない人間たちが見えます。
この時代にはプロレスラー『力道山』と、駅前で店を出す様々な香具師(やし)と呼ばれる人達がいたのです。 国民的英雄「力道山」は、悪漢に刺し殺されてしまいました。刺された後も何食わぬ顔で、お酒を飲んでいたそうです。ここには『力道山の弟』と名乗る男が登場します。
『父』の親友中国人の『高 万寿』とその妻『喜代』を、日中戦争が引裂きました。『父』はその後も、残された親友の恋女房『喜代』を見守り続けています。どんな男にも、なびく素振りさえ見せたことのない『喜代』でしたが、ある日、あろうことか、雀荘に客としてやって来た香具師の『力道山の弟』に、身体を奪われ、子供まで出来てしまいます。    それを知った『父』の怒りは凄まじく、警察に連行される程に暴れました。『父』は、愛しい人をおいて、祖国へ帰らねばならなかった『高 万寿』の無念さを思うと、憤怒を抑えることが出来ません。『父』は裏切った『喜代」を罵りましたが、『喜代』の心はどうだったのでしょう。男の考える純情と女は同じではありません。
女は愛しい人と家庭を持ち、子に恵まれ、穏やかに日々を暮らせれば、それで1つの幸せを掴むことができます。でも、子も授からぬ内に、夫は目の前から消えてしまいました。夫と過ごし愛された数年は夢のようで、いつも『喜代』の胸にありました。商売に打ち込み、何人かの男からの誘いもありましたが、その気にはなれません。では、どうして、どこの馬の骨かもわからない男に、身体を任せてしまったのでしょう。それは、心も寄せず、あと腐れもない相手であり『高 万寿』を愛した次元とは別の、女の性に従い、子を宿し、産み、育てることへの本能的な渇望からではないでしょうか。
生まれた子は女の子で『悦子』と名付けられます。『父』は『悦子』は『力道山の弟』の子などではなく、『高 万寿』が、『喜代』に授けたのだと信じ始めました。そうしか自分の気持ちを救う手立てがありません。そして『高 万寿』の話を『悦子』に聞かせます。食事にも連れ出し、とても可愛がり続けたのです。親友の純情を何としても守るかのように。
近頃、日本の各地で幼児虐待のニュースが報じられ、耳を塞ぎたくなります。
映画「長い散歩」にも描かれていますが、『力道山の弟』を読んで、例え父が誰であれ、母が病いで若くして死んだとしても、世の中に1人でも、その子に心からの愛情を抱き続ける人がいれば、真っ当に生きて、大きくなれるのだと思いました。このお話の『父』には、慈愛に満ちた男の強さを感じました。またお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                          清月  蓮