花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【24】『チョコレートを盗め』 宮本輝著  『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

やっと涼しくなり、ホッと致します。この夏も昼間はエアコン無しで過ごしました。近頃 報じられる残虐なニュースまた次々襲う災害の猛威に、時として気持ちが削がれてしまいそうです。でも出来ることをやり続けるしかありません。貴方がなさっているように。今日は『チョコレートを盗め』を読みましたのでお便り致します。

f:id:m385030:20160911205512j:plain

この写真の花は暗い環境の中で、闇夜に誓いを立てどんな手段を使っても『高架の南側の暗闇』から抜け出そうとした『花枝』のように感じましたので、お借り致しました。 匂い立つ色香と孤独な心が見えるようです。

『花枝』の『母』は、男をとっかえひっかえするだけでは飽き足らず、恰も自分の娘が男の性の相手をするような思わせぶりで、卑猥な言葉を囁くのです。『チョコレートより甘いもんで、花枝はお返ししてくれるよってに』…
こういう人を淫乱と呼ぶのでしょう。この台詞は恐ろしいです。  どういう人なんでしょう。もっと怖いのは、そんな母の娘『 花枝』がとても冷静に、自分の未来の安定をそこに上乗せしたことです。自分の母より強慾に。
女の性は それを使って自分の欲望を果たそうとする、まるで毒薬のようなものを秘めています。『花枝』は、その底にねっとりと毒を隠しもち、男を意のままに動かそうとしていました。しかもまだ中学生だったと言うのに。

『チョコレートを盗め』…甘くてとろけそうな香りと食べると幸せが掴めそうなチョコレートみたいなそんな誘いは、魅惑に満ちて鼻先近くまで迫ってきます。でも、そう囁いた女も誘いにのった男も、生きている間にきっと決着の時を迎えます。『花枝』は『男』の心と生きる場所までも、甘い罠で奪ったのす。そして十数年が経ち、 騙されてこの街から去った『男』が『花枝』の元にやって来ます。約束を果たせと。チョコレートより甘いもので返せと。

女が持つこの毒薬は、一度使ってしまうと自分の体にもその毒が回り 、一生そこから逃れられなくなる、そんな毒薬なのです。昔、『新田』が自分を好きだったことがわかっているから、袖口から白い腕をさりげなく見せる媚びは『花枝』の体から決して去ることはありません。いくら明るく健気に生きて、几帳面に年賀状を書き続け、母の介護に座敷牢のような家で6年を過ごした日々があったとしても…です。『新田』もここに引っ越して来て、たった数日で『花枝』の店を訪ねたのは『花枝』に会いたかったのです。男も女も美しさや魅惑には逆らえません。毒薬を体の奥底から零さない様に生きる女も、また毒薬と分かりながらも、その香に惹かれ口に含む男も、結構 骨が折れるものです。

この作品は、『避暑地の猫』『月光の東』『草原の椅子』などにもテーマとして織り込まれています。人生の転落や誘惑や欲望は、美しさの上に訪れることが多いので、ひととき自分を忘れ、密かに飲んだお酒に酔うように読めるのは、とても愉しい時間です。またお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                           清月  蓮