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花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【34】『紫頭巾』 宮本 輝 著 『五千回の生死』に収録

宮本 輝さま

 

初冬の空気は澄み切っています。ここから叫べば、お住いの伊丹市まで届きそうに感じる程です。長編『流転の海』は、いよいよ最終編の連載が進み、お忙しい毎日をお送りになっておられる事でしょう。とても楽しみにしております。今日は『紫頭巾』を読みましたのでお便り致します。 

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 この短編の最初の描写。『園子』の死体が発見された場面です。

『ドブが薄く凍り、そこに映る月光の縁が、油膜の虹色と重なっている。園子の右手の指先は、氷を破ってドブにつかっているのだが、私たちは、それがときおり動くような気さえした。    残酷で恐ろしい場面に現れた なんと美しい描写でしょう! 細い『園子』の指先が、月の光に照らし出されて流れる水に微かに揺れているさまが、こんな短い文章で描かれています。写真はそのイメージでお借り致しました。

 

戦後の日本各地の混乱は、他人の生活など目に入る余裕はなく、自分の生活を守るだけの生きる戦いであったろうと思います。ここに書かれている『猿公』『園子』『萑・金・尹・呉 一家』『武本一家』『安っちゃん』『李じいさん』『金のおばば』これらの人々は、戦前に強制的に日本に連れてこられたか、もしくは日本になんらかの理由で逃げて来た北朝鮮の人達です。ここに書かれている全ての事を、この時代に殆どの日本人はまだ知らなかったのです。永遠と思われる別れや死人まで出て、こんなにも運命を変えてしまうような決断があったというのに。

『猿公』と『 私』は、同じクラスの友達でしたが、子供にとって突然過ぎる別れが来ます。『猿公』は、姉と一緒に日本を離れて祖国に帰る事になったのです。『私』の両親が言います。『お好み焼、焼いたろか。もう、いやっちゅうほど食べて行き』   どんなに嬉しく悲しい味がしたのでしょう。

その時『猿公』の胸に浮かんだのは、自分を信じてるくれる友達がいることを確信したかった。   だから、自分の知っていることを打ち明けて、秘密の共有を持つことで、親頼感が何よりも欲しかったのでしょう。『園子』は『紫頭巾』で、大阪の駅裏で占いをしていたのだと、秘密めかして話したのです。『猿公』の言っていた事は本当でした。学校の『花壇とゴミ箱の間』に『猿公』の埋めた『紫頭巾』はありました。  

それからもう何十年も経ちました。

あの頃の、右翼と朝鮮総連。機動隊。差別してこの人達に石礫を投げ続けた日本人。何も知らない無知による誹謗と拒否。北と南の争いもううんざりします。

友達と別れて日本を去った『猿公』のことを思い出してください。彼を送りに来たプラットホームで、伸び上がって『猿公』を探した『私』を忘れないでください。列車の揺れに、小さな脚で踏ん張っていただろう『猿公』の最後の敬礼に、強くこめられた思いを胸にしまっておいてください。

 

戦後70年が経っても、未だ世界に戦争は無くならず、民族同士、異教徒同士の戦いは止まらず、『猿公』が訳も解らず帰って行った北の祖国は、決して幸せな国ではありません。日本の中でも差別が消えてしまった訳ではありません。人間の中には優しい心が必ず全ての人にあるにも拘らず、どうして解け合えないのでしょう。「多様性」という言葉があります。「寛容性」という言葉もあります。それに本当に気付くことが出来るのに、こんなに長い年月がかかるものなのでしょうか。

貴方の作品を多くの人に読んで頂ければいいのにと思います。

 

久し振りの小春日和が、少し元気をくれます。世界中がどんなに騒がしくとも、身近に死人が出ようとも、今しなければいけない事をするしか方法がありません。貴方がそうしておられるように。またお便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                            清月  

 

 

 

五千回の生死 (新潮文庫)

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