花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【37】『錦繍』宮本 輝 著 その2

宮本  輝さま

日本の冬がこうして寒気を連れて来てくれますのは、何故か安心致します。幼い頃、母がよく申しておりました。「冬に寒いのんは当たり前や。寒うないとでけんことをしたらよろし…」私は「やった~」とばかりにやぐら炬燵に脚を突っ込み、本を読んだり、一人おはじきをしたり、お手玉の練習をして過ごしていました。未だにその癖が抜けないようです。今日は『錦繍』の2通目のお便りを致します。少しは落ち着いて書けそうです。 

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命を育む太い幹に、女の命を託して、懸命に生きる『亜紀』は紅葉の化身のようです。『靖明』の手紙に翻弄された感情、自分の中から生まれた確かな決意、この2つによって、今、美しく燃え上がっています。『錦繍』は、こんな木が幾本も寄り添い合っているのだと感じましたので、お借り致しました。

この書簡の登場人物について   ( 勝沼 亜紀 )

『亜紀』は自分というものを強く持っている筈の人です。恋をして相手の家庭が少し複雑でも、父を納得させ、相手との結婚をつかみます。その幸せな生活に突然鳴り響いた朝まだきの電話のベル。   そこから運命が自分を見失う程の速さで、目の前を走り過ぎました。『父』からも『靖明』からも『離婚』という現実を言い渡され、自分の中の懊悩を封じ込めてしまいました。たとえ相手に裏切られようと、社会的に破綻者になった相手であろうと『亜紀』は『靖明』が自分を確かに愛していたと信じたかったし、彼への愛情は消えていなかったのです。けれど、『嫉妬』の魔の手に絡められ、『離婚』してしまうのです。自分というものをしっかりもっていても尚、あまりに残酷な『心中事件』の現実でした。           

歳月が流れ、又しても周りから勧められる『再婚』に『亜紀』は、踏み切ってしまいます。女が一人で生きてゆくのが、今ほど認められていない時代のせいでもありましたが、少し歯がゆくもあります。心のままに、泣き叫んで『父』の胸にむしゃぶりついて、どうして叫べなかったのかと、つい思ってしまいます。愛情は、唯一自分が体験したものしか知らなかったお嬢様育ちの『亜紀』は、嘘偽りのない告白が書かれた返信を読むことにより、苦しくて飲み込み難い物を飲み込まざるを得なかったのでしょう。 

ここから『亜紀』の 宿命を確認した闘う生き方がやっと始まりました。『亜紀』は、最後に『瀬尾由加子』にも、現在『靖明』が共に暮らしている『令子』にも、やさしい気持ちで理解できるまでに至ります。グレーのままに過ぎた10年の歳月は『靖明』と『亜紀』を本当に生かしてくれなかったのでしょう。心から正直に綴られた長い書簡は『亜紀』にとって『みらい』への風穴となりました。強い母性によって、息子『清高』の肢体の不自由と能力の遅れをゆっくりと克服して行く為に、どんな事も恐れないで生きようと決意できたのです。こう考えてみますと、『靖明』の残酷とも思えた本心の吐露も『亜紀』の力になっていったのですね。   仕方がありません、私も『靖明』をもう許してあげなくては…

関東以北で、今日は雪が降ったようです。美しい雪景色を思い描きます。雪は全ての醜いものを覆い尽くし、美しい世界を見せてくれます。小さな雪のひとひらの集まりのように、いつか世界中がやさしさで覆われますよう祈っております。また『錦繍』についてお便りを致します。どうかごきげんよう 

 

                                                                            清月  蓮

 

 

錦繍 (新潮文庫)

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