花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【37-1】『ドナウの旅人』宮本輝著 その1

宮本 輝さま

新しい年をいかがお過ごしでおられますか。年の初めは決意を新たにしなくてはと思います。幼い頃、大晦日の夜には  晴れ着、靴、靴下、下着、ハンカチ まで買ったばかりの新品を枕元に置いて、明日は見たこともない日がやってくるんだろうとドキドキして 眠りについたものでした。お正月には新しい本や雑誌も買ってもらい、お雑煮の後は夢中になって読んでいました。今日は『ドナウの旅人』についてお便り致します

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写真を撮られたご本人は、この写真は「ニースのようだ」と仰っておられましたが、私には向こうに見えるのは、海ではなくドナウ河に見えます。夕闇が迫り、群青色の空が色を濃くして、ここから始まるドナウの流れの物語を、目の前に浮かび上がらせてくれる一枚でした。今年も写真をお借りできる事を幸せに思っています。改めまして感謝してお届け致します。

この物語は上下巻あり、とても長いのですが、いつまでも終わらないで欲しいと願いながら読まずにはいられませんでした。愛の深淵、サスペンスの高鳴り、舞台の雄大さ、難題への考察、全てに目を見張る思いです。そして、ここに登場する人々は魅力に溢れています。33歳、精悍な体躯で頭脳明晰、それなのに小心な『長瀬』、50歳で初めて髪をショートにして着物を脱ぎ捨てた『絹子』、その娘『麻沙子』は日本人離れしたスタイルの魅惑の美女、彼女の恋人『シギィ』の一途さと判断力の深さ、『世捨て人ペーター』の使う魔法のおおらかな確かさ…他の登場人物もみんな揃って、自分の気持ちや信念を見失っていません。ドナウの流れが蛇行しながらも、ひたすら黒海を目指しているように。

この物語はドイツからオーストリアハンガリーユーゴスラビアを経てブルガリアルーマニアを過ぎ、やがて黒海へと注ぐ 七色のドナウ河と、そこに住む人々を見せてくれます。ドナウの流れの途中で出会った人々は、一体何人であったのでしょう。 その人々に囲まれながら『長瀬』と『絹子』の「絶望」と生きたい故の「希望」を探す旅が、ドナウ河と共に流れてゆきます。  読みながら、宮本輝著『花の降る午後』に書かれていたことを思い出しました。『ボッシュ』の快楽の園(愉楽の園)という絵について書かれている部分の抜粋です。

『あの絵が不思議なのはねェ、絵を見ていない時は、細部どころか、全体の構成までおぼろになってしまうことなんだ。感動も消える。多少の雰囲気だけは、こっちの心に漂っているけど、それは雰囲気にしかすぎない。だけど、絵の前に立つと、虚ろな雰囲気が、何か人間の生命のすべてであるような気持ちを誘い出す』

これは『ドナウの旅人』に描かれている世界そのものを表している言葉です。

沢山の登場人物がドナウの流れと共に様々な心模様をみせ、思索した事を語り合い、外国に生きている日本人や、その国の住人…その一人一人は『ボッシュの絵』に描かれている人々なのです。又、人生そのもの、過去そのものでもあると思います。   私が何度も読むのは、雰囲気だけは覚えているその感動の記憶を確かめたいからです。そして、様々な世の中の疑問や理念が、まるで炙り絵のように会話の中に溢れているのを更に考え直してみたいからです。

また『ドナウの旅人』についてお便り致します。これからの一年が貴方様にとって輝かしい年となりますようにお祈り致して居ります。何よりお元気でお過ごし下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                        清月  蓮