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花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【41】『ドナウの旅人』宮本 輝著 その2

宮本 輝 さま

いつも通りの日常が戻って参りました。この平安が続きますようにと願っております。  自分さえ良ければいい、自国さえ潤えば良いと言う風潮は少し不安です。これが自国の文化を深めてゆく方向に向かうよう願うばかりです。こんな時に本を読んでいますと、落ち着いた気分が戻ります。 今日は『ドナウの旅人』のニ通目のお便りを致します。 

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『ドナウの旅人』は1983年11月5日から1985年5月28日まで、朝日新聞への、著者初の連載小説です。38歳でおられました。その冒頭の言葉をお書きになった瞬間、どれほど胸が高鳴られたかと想像致します。

『目を覚ますごとに、夜が明け始めていた。眼下にはアラスカ半島が雲の切れめから 見え 、薄紅色や淡い水色を、眩い草原のあちこちから放っていた。… 』

これは飛行機からの描写ですが、瞬間的に色が美しいこの写真が浮かび、直ぐにお借り致しました。

 

50歳の母『絹子』が、どうしても尊敬できなかった『夫』と 離婚する為の布石のように、ドナウ河に沿って旅に出ました。母が 33歳の『長瀬』と一緒にいる事を知った娘『麻沙子』は、母を連れ戻そうと、その後を追い続けます。この旅の途中で様々な事が起こります。作中に挟み込まれた思索の多さ、深さ、筋を追いながら考え込まずにはいられません。今まで胸の中におありだった思いを、余さず物語の中にぶつけられたのだろうと思うくらいです。それは政治や経済、イデオロギーや権力にとどまらず、言語の壁や国際結婚、女の概念の固定性、民族や風土が生み出す文化について、更に、嫁への姑の在り方や、人生の『忘れ物』とは何か、人の為の行動の潔さ、常識を超えた無垢な愛情、共産圏の現状…どれもこれもが私たちの前に差し出されました。その中で一つだけを取り出してみます。民俗学を研究している『ペーター』の言葉です。

『…偶然は意識のおそるべき力が招き寄せたものに違いないんだ。意識を動かしているのが無意識の領域なら、その無意識の領域を動かしているのは何かという問題に降りていくべきだ。それはもう歴史学ではなくて宗教だろう…』

 

無意識の中で、いつも嫉妬や悲観や敵愾心や蔑みや攻撃や欺瞞や欲望や慢心が渦巻いていたとすると…その方向に無意識の内に引きずられるということのようです。後で考えても、どうしても理解できないことがあります。あの時、何故、あんな行動をとったのだろう。考えても判断のできない瞬時の決断とは、それまでに培われていた思いや意識が、本人の意思に依らず、無意識という命の器の中に蓄えられているのであろうと思います。  つまり貴方が言われているように、偶然とは必然だと言う事なのですね。そしてそれは宗教と呼ぶ以外にないだろうとの意味に解釈しました。

この物語の中で、どうして 絶体絶命に見えた『莫大すぎる借金』の解決策が少し見えてきたのでしょう。それは、『絹子』をはじめ、登場する人々に相手を思いやる心が、無意識の領域までを満たしていたからに違いないと思うのです。道中のあちこちで少しお荷物になったり、日本語しか分からなくて、つまはじきを感じたりしても、娘の幸せを理解し『長瀬』への恋心に素直で、裏切りにも耐え抜いた『絹子』の無意識の心が「希望」をもたらしたのであろうと思います。でも、何故死ななければならなかったのかは、ここに書く勇気がありません。最後の章『さいはての雪』のはじめから、読みながら『絹子』の死の予感に震えていました。そして、読み終わって、夕ご飯の支度にかかっても、台所のシンクに涙が音を立てて落ちてしまいました。

今年は暖かすぎるお正月でした。梅の蕾が少し紅くなりました。でも寒気が来ています。雪に慣れない地方では美しいだけでは済まない事故に繋がります。どうかご自愛下さいませ。またお便り致します。それでは、ごきげんよう

 

                                                                              清月  蓮

 

 

ドナウの旅人〈上〉 (新潮文庫)

ドナウの旅人〈上〉 (新潮文庫)

 

 

 

ドナウの旅人〈下〉 (新潮文庫)

ドナウの旅人〈下〉 (新潮文庫)