花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【44】『泥の河』 宮本 輝著

宮本 輝さま

2月は飛ぶように過ぎ去った気が致します。今年も一度も風邪を引かずに乗り切れました。あまり人混みへ行かない所為ですね。私は都会の喧騒が好きではありません。用事で都会に出ても、終わると一目散で家に帰ってきます。今日は『泥の河』を読みましたのでお便り致します。  

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 この写真の水のうねりを見ていますと『お化け鯉』が、今にもその腹を翻して姿を現しそうです。《ムイカリエンテのアルバム》に、この写真を見つけた時は、ドキッと致しました。この写真以外ないと思う位、イメージを助けて頂きました。感謝してお借り致します。

『泥の河』は『川三部作』と言われています最後の一作です。考えてみれば、貴方の作品は、他にも《川・河》が、数多く登場します。幾筋もの川が湾に注ぎ込み、そこでひとつの海になるように、人間の生命はその川の飛沫の一滴であることが、絶えず貴方のお心におありなのかと感じます。

この物語は第13太宰治賞を受賞された作品です。1981年には、小栗康平監督の自主製作映画として公開されました。この映画は本当に良かったです。本を読んだ時の気持ちが、より深められ、気になるところもなく、ここまで理解されていることに感謝したいと思いました。お二人のお人柄と才能の合作とは、こういうものだと思いました。

私たち「宮本輝ファン」同士で、数年前、この中に出て来る『お化け鯉』とは何だろうとネット上で話したことがありました。それは「貧しさと不幸」の象徴だとか、「宿命」の暗喩ではないかと話したり致しました。しかし、改めて読み直してみますと、それは理解に近付く為の、一つのもがき だったようにも感じます。この本の「解説」で、水上勉さんが《暗い・闇の入り口・怖さを忍ばせている》と述べられた上で、『宮本輝』という新人作家の登場に、途轍もない期待と驚嘆をされておられるのを感じました。この作品には、確かに、さぁこれからトラックを買い、仕事に夢を抱けるようになったと話していた『男』の悲惨な事故死が冒頭から出て来ますし、廓舟で生活するしかなく、学校にも行けない『姉弟』の生活が見えたり、せっかくもらったお祭りの大切なお小遣いを失くしたことにも、強く哀れさを感じます。その上、鳩の雛を握りつぶしたり、蟹を焼く怖い場面まで描かれています。『沙蚕採りのお爺さん』が『鬱金色の川』に消えたことなどどれを取り出してみても明るさはありません。戦争を潜り抜け、全てを失くし、自力で這い上がろうとして、懸命に生きる底辺の人達を襲う悲劇の連続です。

ですがこの物語を読んで、時間が経つと、それらは後ろに下がってゆき、『信雄』を愛おしく可愛がった両親の仕草や言葉、少年の清純な心や、『銀子』の全てを受け入れて耐える芯の強さ、大きな声で『きっちゃん』が軍歌を高らかに歌う声が蘇って来るのです。私は、戦後のあの時期を片隅に記憶しています。それはこの物語ほどでなくとも、進駐軍とその腕にぶら下がっていた日本の女の人の記憶、川の上の小さな三角形に、廃材で自力で建てられた小屋のような家も見ています阪急電車の地下通路には、アコーディオンを鳴らして、物乞いをしていた傷痍軍人それらを思い出していると、幼い頃の自分の心は、暗くも悲しくもなかった事に思い当たりました。そこで、この物語に数度出てくる『子供心に』と言う言葉に気付きました。それは、戦後の貧しさの中であろうと、理不尽な『警察官の尋問』に合おうと、思い通りの物が手に入らなくとも、子供達は逞しく好奇心に満ち、友達を求め、優しい心を失わず、親はどこまでも子が可愛そんな小さな明るさが、次々と影絵のように浮かび上がりました。体を売って口に糊していた廓舟の『母親』でさえ、子供の友達を『黒砂糖』で精一杯もてなそうとするのです。  それらから『お化け鯉』は『喜一』と『銀子』の成長を見守っていたいと願う、戦争で亡くなった「お父さんの化身」だと思えるようになりました。母親が身体を動かして働くことを諦めて、身をひさいで生きてゆくと、子供には「危険な萌芽」が生まれます。ですが、『子供心に』友達と『お化け鯉』の秘密の共有をした思い出によって、きっとしっかりとした大人として成長していってくれるに違いないと、そう信じられるようになりました。

暖かさが日に日に増して、寒さの感覚が薄れてゆきます。戦争を二度と起こさないと心に誓いながら読み終えた一冊でした。哀しいけれど暗くは感じたくない物語です。懐かしく読ませて頂きました。お元気でお暮らし下さいませ。どうかごきげんよう

 

                                                                             清月