花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【46】『西瓜トラック』宮本  輝 著  『星々の悲しみ』に収録

宮本 輝さま

お元気でお暮らしのことと思います。今朝、何気なく『宮本輝の本』をめくっておりました。『自己分析』の項を読んでいますと、同時に6篇の連載を抱えておられた時期があったことが記されていました。流行り言葉で表すと神業です。『我慢強さ』などと仰られていますが、一文字一文字書くしかなく、魔法の方法はない…と思い入りました。今日は短編集『星々の悲しみ』の中の『西瓜トラック』を読みましたので、お便り致します。 

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昔は、何処にでもあったこの写真のような原っぱには、泡立草がはびこり、夏の盛りなのに、いつの間にか芒の穂がそこに混じります。このお話の場面の描写には、ぴったりの一葉だと思い、お借り致しました。

 

高校生だった頃『土屋』は、自己主張をあまりせず、流れに身を任せ、特に強く大学にいきたいとも思わず、『父』の裏工作を感じながらも、地元の市役所に勤め始めました。誰でも働くと、何処かで溜まったガスを抜きたくなるものです。『土屋』は『珈琲専門店』で、そんな時間をもつ習慣が出来ました。そして、どんなに平凡に見えようとも、人間にはガスを抜く以上に『烈しい歓び』の時間を求めるものなのでしょう。高校生の彼は『バイト』をしたお金を貯めて、リュックを担ぎ、海辺の町や村に向かって旅をしていました。ひた走る列車の窓から、海が現れる瞬間に、無上の『幸福感』に包まれるのです。群青色の海が展けた時、空想の扉が開き、自分だけの歓びと満足感が彼を包みこみます。そんな彼が思い起こしたあの夏の日…

西瓜を積んだトラックで『 東舞鶴』からやって来た『男』が、トラックの番を『土屋』に任せて訪れたアパートは、故郷に住んでいた『女』との、情事の場所でした。トラックの『男』の隠すことのない、自分の身体を絞ったタオルで拭く情事の後始末を盗み見ながら、『土屋』を襲ったのはなんだったのか。小さな子供のいる家で行われたであろう事は、高校生の『土屋』には、想像を超えたものだったのでしょう。性欲を満たしたい『男』と、それを受け入れざるを得ない自分の体を知っている哀しい『女』の性は、どこか、寂しさを伴い『土屋』に忘れ難い記憶として残りました。    そして数年後、そのトラックが、もしかしたら、あの原っぱに、また来ているかもしれないと思った瞬間…昼休みが、あと10分しかなくとも、もう一度会おうと、市役所を飛び出しバイクを蹴って走った『土屋』の胸に去来したのは、青い海原に浮かぶさびしい女のアパートの『漁火』のような灯りでした。    性の波の寄せ返しに、ゆらゆら揺れる人間の『男』と『女』の暗闇に瞬く欲望の光。生と死の狭間に浮かぶ人間の宿業の灯り。それはまるで熟れ過ぎた『西瓜』が、ほんの少しの空気の揺らぎで爆けるしかないのに似た、人間の性欲のように見えます。熟れ過ぎた『西瓜』の中には、形を成さないドロドロとした赤い液体。その深い果実の底を、はっきりと見極められなかったあの頃の自分に戻って行く為に、『土屋』はひとつの禊のように、あの夏の日の出来事を確かめておきたかったような気が致しました。

日が長くなったのを感じます。私の苦手な寒さが去り、暖かそうな明るい日差しが降り注いでいますが、風は思ったより冷たく、まだ寒さは完全には去ってくれません。季節の変わり目、どうぞご自愛くださいますように。またお便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                      清 月   蓮