花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【51】『北病棟』 宮本 輝 著 『星々の悲しみ』に収録

 

宮本 輝 さま

お変わりございませんか。 もう3月も残り少なくなりました。いつまでも寒い日が続いておりましたが、やっと春めいてまいりました。眩しい太陽はありがたいです。春は別れのイメージです。若い人達に、また新しい出会いが待っていますように。今日は『北病棟』を読みましたのでお便り致します。

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 この写真は、物語に出て来る『宇宙の精力』が、色彩の美しさの上に現われたようだと感じました。『西病棟』の窓から、このようなひらけた景色は見えなかったでしょうが、地球に迫る『宇宙の精力』は、何処にいたとしても、漏れること無く及んでいます。元気な時は美しいと感動できても、自分の力が弱っている時は体に迫って来るような、跳ね返せないような圧力を感じることがあったと記憶しております。美しい輝きの大空からそんなことを感じましたので、この写真をお借り致しました。

 

貴方が芥川賞を受賞されて、「さぁこれからだ」と言う時に、肺結核が見つかり、入院を余儀なくされ、後にその頃を題材にした作品を幾つかお書きになりました。実際にお会いした時には、愉快な入院生活の経験談もお聞きしましたが、心の中には動かぬ不安や寂しさや、同じ病棟の方の死を間近に見守られた経験もお有りだったのかと想像しております。

『尾崎』の病室の真下で暮らす『栗山さん』は58歳で、何十年も病いと闘っています。穏やかな『ご主人』がお見舞いに来ています。『ご主人』は、雨が降っているのに長い時間、『中庭』に佇み、『栗山さん』が色とりどりのセロファン紙で作った『影絵』を、辛抱強く見ています。   影絵の題名は『宇宙の精力』です。「星や花や鳥や人間」が登場しているとありますが、影絵のあらすじは書いてありません。見ていた『ご主人』にもよくわからなかったようですが、このような長い闘病生活を経験した人でなければ、創り出せなかった物語があったのでしょう。内容を想像してみますと…

地球上のありとあらゆる物は『宇宙の精力』に満たされて生きています。人間もその中の小さな一粒である限り、逃れることはできないのです。そして『宇宙の精力』は、止むことなく『降り続く雨』のように、全てを覆い尽くしています。生物も月や星も例外なく『宇宙の精力』の下に生きているのです。人間だけは、そのことに逆らおうとしたり、いつまでも若くいたいと願ったりします。それは人間を、進歩のレールに載せることもできるのですが、科学がどんなに進化しようと『宇宙の精力』を消すことはできません。「鳥」は木の枝で、死ぬまでの時間を囀り、大空を旋回して海を渡ります。「星」は何億光年も変わらず無数の運河のように瞬いています。「月」は宇宙の見張り番のように、目を細めたり見開いたりしているかのように、柔らかな光を投げかけてくれています。このような宇宙に厳然とある約束事に気づけば、死はもはや怖いことでも、恐れるものでもないのです。『栗山さん』は、生きている今の時間、自分の肺がまだ空気を吸っていられる時間を大切にして、残された命を愛おしく生きているのだと感じていたのでしょう。死はもはや『栗山さん』にとって、宇宙に帰ること。だから、「どうか心配しないで、悲しまないで、私は大丈夫…」そんなことを、影絵を通して『ご主人』に伝えたかったのかもしれないと思いました。影絵の物語を想像しながら、片方で、『尾崎』こと『宮本 輝』と言う作家が、まだこの世で遣り残した「使命」があること。それを自らがお感じになられていること。それ故に、生き抜く為の『宇宙の精力』を、穴の空いた両肺に吸い込み、眠れるだけ眠り、好き嫌いを言わず食べ、とうとう病いをねじ伏せられたのだろうと思いました。

今日は、雨で柔らかくなった、人が通らぬようなあぜ道で、土筆を沢山積んでみたいような気持ちがしました。ハカマを外して、甘辛く煮付けて、お茶を飲みながらゆっくりと食べたいと思うような午後でした。またお便り致します。ご自愛くださいますように。どうか、ごきげんよう

 

                                                                          清 月    蓮

 

 

星々の悲しみ (文春文庫)

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