花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【49-1】『月光の東』宮 本  輝 著 《その一・塔屋よねか について》

宮本輝さま

桜が満開のこんな時期に、初めてお便りを差し上げてから一年が経ちました。春は物憂く過ぎています。どうしてか『月光の東』を開いてみたくなりました。去年、興福寺に阿修羅像を見に行った時、太陽神とされるその美しさの底に、言い知れない哀しさを感じ、同時に月光菩薩の姿が浮かびました。それ以来、胸の中では『月光の東』への想いが燻り続けておりました。ですから、短編集『星々の悲しみ』の途中ですが、今日は『月光の東』についてお便り致します。

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 この写真は静かに燃える月がとても美しく、現在50歳の『塔屋よねか』のような光だと感じましたのでお借り致しました。輝く月は、死に物狂いの末に掴んだ彼女の心のようです。

《塔屋よねかについて》

『ねェ、私を追いかけて。月光の東まで追いかけて』…

この呪文のような言葉が何を意味するのか、自分なりに納得しなければ、何度読んでもこの物語は終わらないと考えています。宮本輝さんは、読者を煙に巻くだけの無駄な言葉は、一文字も使われない事を知っているからです。

『よねか』の母は、結婚して『よねか』を生みましたが、事もあろうに、自分の『夫の兄』と、逃避行の旅を始めてしまったようです。『よねか』を連れて、世間の目から逃れて、周りに見咎められると、住む場所を変えなければならない生活です。安定した仕事も持てず『養父』は穏やかな人でも、ある時期には『酒乱』になり『よねかの母』を陰湿に虐めていました。子供の最大の不幸は両親の諍いです。冬の北海道でも『よねか』は『言語障害と全身が麻痺した妹』を抱きかかえて、夜の道端に立ち、ただ時が収まるのを待っているしかありません。そんな『よねか』が、現実から抜け出す方法があったとすれば、『神秘的架空の世界』を創り出し、その中で自分を生かし続ける事。

しかし自己が確立した頃に『よねか』は現実にたち向います。画廊を持ち経済力があった『津田』に金銭的援助を委ね、代わりに自分の身体を預けたのです。僅か17歳の少女の決意でした。この時、『よねか』に一体何が訪れたのでしょう。

頭の中の思考や、心の整理とは別に、言葉では明確に説明できないけれど、胸の真ん中にある意識。

《私は、これから「修羅」のように生きてゆく。自分の容姿が人より優れていることを利用する。自分と人々を幸せに導ける力を確立する為に。今の不幸から逃れる為に…》      自身にもはっきりと意識出来ないまま、こんな声を胸の内に聴いたのではないか。西から昇り始めた月が『東』に沈もうとする頃、それを人生に例えるなら、自分の生が終わる頃までに、必ずそれを手に入れるから『私を月光の東まで追いかけて』…つまり、『月光の東』とは場所を示すのではなく「人生の終盤」という意味だったのではないか。朧げながらでも、既に少女の『よねか』はこんな漠然とした願いを言葉にしたのではなかったか。「月の沈む東の空まで、私の人生を追いかけて…そして見届けて…」自分を好きでいてくれた男達に残したい意識の底から、この『呪文』は生まれたのだろうと思うのです。

その現れは、思春期に『よねか』が好きだった『合田孝典』との約束を忘れず、彼が『事故死』した後も、懸命な努力で得た莫大な資産を投じ、彼の名を付けた『養護学校』を開設した事にも現れています。また、後年訪れた、少女期を過ごした『親不知駅』の山道で『大きな枯れかけたひまわり』に執着して、持ち帰らざるを得なかった気持ちにもみられます。太陽を追いかけ、太い幹を育て、輝く『ひまわりの花』を咲かせることに努力を惜しまなかった半生。でも今は『朽ちかけたひまわり』に自分の姿を見て、愛おしく感じ、太い幹を切り取ってまで、胸に抱いて持ち帰ったのでしょう。

『よねか』は、一人の女の一生にすれば、多くの男達と肉体関係を持ちました。いつも『狡猾で淫乱』でありながら、決して自分を偽る行動はしなかった。それは、昂然とした後ろ姿に滲んでいて、どのような時も『自己否定』はしなかったのだろうと感じます。『祈りの叶う人間』の芯を持ち続けた姿でもあった。それは哀れなどと言ってはならない。むしろ、その貫かれた強い意志に畏敬の気持ちさえもたらしてくれました。

少しの間ですが、枝に咲く桜の花と、風に舞い、散りゆく姿を目に焼き付けておきたいと思います。ライトでなく月明かりの夜桜も雨に濡れた桜も好きです。美しい季節をお過ごしくださいますよう。『月光の東』について、もう一通 お便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                       清 月   蓮