花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【54-1】『葡萄 と 郷愁』 宮 本 輝 著

 

宮本 輝 さま

暑くもなく寒くもないありがたい季節がやってまいりました。入梅までのこの時期は、清々しくて生き返るように感じます。毎日の散歩が楽しくなりました。今日は『葡萄と郷愁』を読み終わりましたのでお便り致します。

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 この写真は物語の中の『アンドレア』に捧げたいと思います。闇に咲く紫の花は、彼女の短い人生に浮かび上がった深い悲しみを映し撮っているように感じてお借りしました。この方の写真は、生前の父の写真に似ています。初めてそれに気づいたのは、ぼんやりの私ではなく姉でした。

物語は『東京』と『ブダペスト』の時間の推移と共に進みます。『ブダペストのアギー』と『東京の純子』の二人が重大な決断をするまでの物語です。時間と場所が、国の事情の違いが、交互に現れ、捻れ合って、もう一つ別の味わいをもたらしてくれます。主旋律ではないのかもしれませんが、読み終わり、心に浮かびましたことを書いてみます。これはとても文学性の濃い作品です。

幼い時期に母を亡くし、悲嘆にくれてお酒に潰れた『父』を守り、逞しく生き抜く『アギー』は、孤独と苦難の生活に耐え、今『おとぎ話』のような『アメリカでの豊かな生活』を目の前にして迷っています。決断の時が迫ります。『郷愁』に包まれて暮らすことを選ぶか、夢を叶える為に現在を捨てるかの選択のようにみえますが『アギー』は、現在の自分の生活の中に『希望』があるか、ないかの答えを探しあぐね、迷っていたように思います。けれども、その選択すら与えられなかった『アンドレア』がすぐそばにいました。   『アンドレア』は早朝の『地下鉄』に飛びこんで命を終えたのです。その直前まで、周りのクラスメートにお金を貸してあげたり、電話をかけて『さびしい』と訴えています。全ては、仲間と一緒にパーティに誘われたり、ワインを飲んで喋ったりしたかったのです。ですが級友たちは彼女を『石の女』と呼び合い、挨拶以上の距離には近づきませんでした。身体が貧弱で学歴もない『ゾルターン』なら、自分を愛してくれるかもしれないと『アンドレア』は恋人のふりをしますが、それも見破られ、唯一、書き続けていた小説も、才能などかけらもないと言われます。『父』は共産党幹部で祖国からも逃げたくとも逃げれず、行き場をなくしてしまったのでしょう。

『寂しさ』は、大勢の人が自分の目の前にいるのに、一人ぼっちだと感じた時に、絶望に変わるのかもしれません。希望を断たれた『アンドレア』の自殺は、彼女の生まれた時より、もっともっと以前の『何千年の過去』から、彼女の中に『地下鉄の音』をもたらしたように思います。人は生まれて物心ついた頃、心の中にある孤独に既に気づいていて、幼い頃、幸せであったとしても、避けることは出来ず、忍び寄って来るものです。『アンドレア』に比して、『純子』の幼馴染の『いつ子』は、両腕を失くし、もっともっと孤独であったでしょう。でも明るく笑顔で懸命に努力して、自分の未来を現在に引き寄せたのです。そこには『いつ子』を愛する「両親と幼馴染」の存在がありました。そう思いますと、対照的な『アンドレア』に、いたたまれなさを感じて、たまらなくなりました。

近頃山火事が多発しています。乾燥と強風がもたらす惨事に心が痛みますが、出火の直接の原因は殆ど人の不注意だとのことです。山に木がなければ水も蓄えられず、川にも水は流れません。大切にしなければと思います。またお便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                       清 月   蓮