【56】『人間の幸福』 宮本 輝 著
宮本 輝さま
真夏のように暑い日が続いたり、少し肌寒かったり致します。たまにハッとして早朝に目覚めてしまう日があります。夜明け前に窓を開けますとひんやりとした風が部屋の中に流れて来て、もう一度眠ろうとしても上手くゆきません。そんな時はそのまま本を読むことにしています。今日は『人間の幸福』を読み終わりましたのでお便り致します。
この写真は、見ている人を幸せな気持ちにしてくれます。柔らかい色の薔薇が緑の葉に包まれて、建物を這うように昇っています。下から見上げても窓辺から見下ろしても、とても美しく胸が高鳴ります。こんな花に囲まれていたら、きっと人は誰でも『幸福』な気持ちになるに違いないと思いお借りしました。
この物語を少し読み進めると、いつもの作品とは違うことに気づきます。憧れるような美しい人や、少し戸惑うような愛も、どうやら登場しそうもない気配です。この物語にはざっと27人が登場しますが、彼らは何処にでもいそうな、貧しすぎも豊かすぎもしない人たちです。大事件が起きない限り人のことを詮索したり、まして付け回したりなどしないでしょう。けれど、起きたのは『殺人事件』です。もし警察に自分が疑われたら厳しい尋問に耐えきれず、犯人にされてしまうかもしれません。そんな危機感から『敏幸』は自分で『犯人』探しを始めてしまい、他人を尾行するまでになってしまいます。『殺人事件』の犯人を追いながら、題名『人間の幸福』について、どこかに結びつく言葉が隠されているだろうと探してみました。意味を曲げないように気をつけて、簡略に書き出してみます。
《異常な寂しさをもつのは、今まで一度も人の為に生きたことがないから》
《ある一定の線より、ほんの少しだけ心根がきれいだったり、賢明だったりするだけで平和に生きていける》
《人を悲しませてはいけない。不思議なくらい、それはきみ悪いくらい、自分に返ってくる》
《他人の噂話が好きな人は、人から聞いた話に自分の想像をくっつけて、本当らしくまた他の誰かに話す》
《火のような人間と水のような人間がいる。火のような人間は激しく炎を上げても、一晩で豹変する。水のような人間は絶えることなく流れ続け、終着点までその役割をやめることはない》
《お前のは、俺のと違っていると腹をたてたり、馬鹿にしたりすることから戦争が始まるのかもしれない》
これらを抜き出してみて少し思い浮かんだことがありました。
それは、今月5日に、ボブディランさんがノーベル文学賞受賞に関して、《自分の楽曲に「文学」と呼ぶべきものがあるか否か》について記念講演をされた事です。ご本人の生の音源を聞くことができ、彼の言葉と語られる声は美しい一篇の詩のように感じました。ですが、彼の答えは「NO」だそうです。何故「NO」かというと《音楽は歌われるためにあるもので、読むためにあるのではない》という考え方でした。心を高揚させ人々に訴えるのは文学と同じですが、音楽は主に人の感受性に訴えるものであるとも述べられていました。彼の歌詞は《…答えは風の中にある…》と結ばれています。
上に書き出した『人間の幸福』の中に書かれた言葉とを読み比べてみると、読み手がそれについて何度も反芻でき、物語に感動しながらも自らの身に感情ではなくはっきりとした定理として示されている事は、文学の魅力のひとつかも知れないと思いました。 人が幸せに暮らす為の、夢のような指南書は簡単ではなさそうです。ここでは『人間の幸福』の基準は、常に『平凡な生活』の中にあり、誠実に懸命に生きる事に尽きると書かれているように思います。万一、非日常的な事件が持ち上がれば、人間がどんな風に動いてしまうか、自分を守るためにどんな思考を広げ、人を疑ったりついには落としめることもあるのです。そんな遠回りをする事はあっても、この結末のように、どんな状況に追い詰められようが、人は『人間の幸福』の為には努力を惜しまない事も理解することができました。
梅雨入りして、紫陽花たちは、解放されたように一斉に咲き出しています。どこを歩いても明るい色が目につくこの時期は、とても心が弾みます。梅雨の合間の散歩をお楽しみくだされば嬉しく思います。ご自愛くださいますように。またお便り致します。どうかごきげんよう。
清 月 蓮