花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【66-2】『朝の 歓び』 宮 本  輝 著  《下巻》

宮 本  輝 さま

お元気でお暮らしのことと思います。朝夕は寒いくらいの日もあり、日中は夏のようです。上着を着たり脱いだりしております。花々も姿を変え、気持ちのいい時期です。今日は『朝の歓び』《下巻》についてお便り致します。

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この写真は『大垣老人』が『お墓参り』に向かった小道に、人の目を逃れるように咲いていただろう彼岸花のように感じました。紅く燃えていた頃の自分の過ちに赦しを請い、贖罪を終えた心の象徴でもあるように、今はただ静かにやさしさを秘めて咲いています。重ねて、若くして亡くなった『Kさん』の生まれ変わりにも思われます。物語のイメージにとても合うと感じましたのでお借り致しました。

人には一面では済まされない「表と裏」があり、それだけでもすまない「多面性」すらあります。現実では、この人は親切で正義感に燃えた人だと信じ、永く付き合っているうちに、思いもよらない冷淡さを見ることもあります。そのような時、 大抵は失望したり、騙されたような気持ちに襲われ、その人から離れてしまうことが多いものです。この物語の中には『大垣老人』の「多面的」な過去が『手紙』の章から著されています。

この章だけでも、ひとつの小説のような生々しさで迫って来ます。愛情とは一体なんでしょう。愛するとはどのような行為を指すのでしょう。『親と子』が『同じ相手』を愛し、運命に翻弄され、互いに奪い合い、のたうちながら辿り着いた先とは、どんな場所だったのでしょう。

そんな問いかけは、人は愛によって幸福にも不幸にもなり得る事、我欲だけが存在する愛もあり、相手への独占欲は、限りなく燃え上がる時もあるのだと思い知りました。それでもやがて歳をとり、冷淡で自分勝手な『本性』をねじ伏せようと生きてきた『大垣老人』に、切羽詰った『ゴルフの場面』で、思わず不正を為した事により、消えずにいた醜い自分を露呈することになったのでした。

人は、自己顕示の欲求からだけでなく、贖罪としての告白の希求があります。自分の過去を曝け出し、信頼できる相手に伝える事で、自らを弾劾したいと思うのです。そして自分と関わった人々の墓に詣で、手を合わせることで、区切りをつけたいと思うのは、死期の近づきを感じる年齢には自然な行為だと実感致しました。

ここでは、酷い行動をして非難され 、家族にさえ見放される悪事をしたとしても「絶望するな」とのメッセージを感じます。時が経ち、粘り強い相手への詫びの繰り返しと、心からの気遣いにより、固まった憎悪はやがて溶解し、人間の心奥に眠る「赦す」という境地のドアは必ず開くのです。そして『手紙』を読んだ『良介』と『日出子』にとっても、ひとりの生きた証を感じた事により、新たな関係の拡がりをみせることとなりました。

読み終わった瞬間、胸に満ちた『歓び』は 、確かに新鮮な『朝の 歓び』と言うに相応しい静かで豊かで暖かいものでした。長い物語を思い返しながら、自分の過去を振り返りますと『あとがき』に記されていますように 、これまでの出来事が、いくつもの『かけら』となって浮かんでまいります。そして、それらはゆっくり『火花』のように静かに燃え尽きてゆくようです。確かな『朝の 歓び』を感じる手立ては、自身の心の変革にあるのを読み取れた物語でした。『息子』との穏やかな関係を築く事が出来た『大垣老人』のように。

空気が澄み渡り、美しい空や涼しい風を感じますと、地球の平和と人々の安らぎを祈らずにはおれません。政治の世界も目まぐるしい変化が次々現れます。テレビやマスコミの報道に流される事なく、候補者本人と政策の確かさをよく研究して、冷静に判断したいと思います。お仕事が思うように はかどられます事を心より願っております。どうかごきげんよう

 

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