花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【67】『草原の椅子』宮 本 輝 著 《上・下 巻》

宮 本  輝 さま

いかがお過ごしでおられますか。季節の変わり目は、体調に思いもよらない悪さをすることがございます。壮健であられますようお祈りしております。今日は『草原の椅子』を読みましたのでお便り致します。

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この写真を見た瞬間『ウルタル峰』をつんざき『ディラン峰』を刺す、鋭い『雷』を見たように感じました。雪解けを迎えた『カラコルムの峰々』を、一瞬浮かび上がらせたであろう烈しい稲光は、自然からの警告のようです。この物語に書かれております『日本と日本人』への両断の刃(やいば)のようにも思われましたのでお借り致しました。

『日本人』と『日本という国』が、少しづつおかしくなっているのではないかとの疑念は「阪神淡路大震災」の前後から、私自身の胸にも湧き出しておりました。そんな折に、どこかしらに怒りさえ含まれたようなこの内容は、関西弁で柔らかい表現になっていますが、やはり鋭い打擲であると合点がいったのです。

題名『草原の椅子』の穏やかさにたどり着く、最後の最後まで、確かな透察による容赦のない言葉が『憲太郎』と『富樫』の会話などに次々と出てきます。こんなにはっきりお書きになって、ご本人の身に何か圧力がかからないだろうかと心配になった程でした。日本の現状に押し潰された時代を生きる人々の姿が、ここで浮き彫りにされたのです。お書きになられました時より、既に二十数年も経った現在でも、読み返す度、ますます酷くなる現実に驚きを感じております。

きっと書かれている内容は、実際に起きた不当な事件や、世の中の出来事に対する実感を根底にされていたのでしょう。書ききってくださいましたことで、読み手自身の生き方や、恐れに立ち向かわねばならない時の、決意の根幹となったであろう気が致します。

『感情で人生の大事を決める』人間力の底の浅さ。『本当の大人』とはどのような人物を指すのかとの提示。『嫌になったからやめる』ような人間は、再起不能と思える時に、自分の信ずるものを捨てるとの考察。『顔と腹の違うやつ』は、企業の中でも邪魔にしかならないとの判断。『私利私欲と嫉妬』ばかりが渦巻く底なしの悪循環の中で、本来の『心根』をもぎ取られそうな『日本人』への警告。『人間、いい気になったときがおしまい』との確かな示唆。   虐待やいじめや莫大な借財への勇気ある対処。『この国を汚うしているのは政治家と土建屋と役人』であるとの指摘。『人情のかけらもないものは、どんなに理屈がとおっていても正義やおまへん』との断固とした見解。…     他にもまだまだ出ていますが、平易な言葉とおかしさも伴う場面として書き記されていたにもかかわらず、急所を見事に突かれていたと思い入りました。

こんな難題ばかりの中、登場人物達は、心ある友と知恵を出し合い、自然にお互いを助け合って生きてゆきます。あまりにも遠いと思われた道は、日本と同じ面積の『タクラマカン砂漠』を目指し、自身の生命力に喝を入れたいとの切実な願いとなって物語は進んでゆきます。一緒に旅をしているかの様な描写が、とても愉しく、時に笑いをもたらしてくれます。気持ちのいい読後の清涼感が、現在の世の中への憤慨や、情けない忿怒の熱を冷ましてくれているように思いました。

涼しく過ごしやすくなったと思っておりますと、今日は夏のような暑さです。来週は富山「高志の国文学館」での、対談のご講演をなさいますので、お手紙は控えさせて頂きます。会場の熱気が、私のところまで届くよう願っております。ご自愛のほど、この季節の富山を、存分にお愉しみ下さいますよう願っております。どうかごきげんよう

 

                                                                   清  月    蓮