花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【69】『寝台車』宮本 輝著 『幻の光』に収録  

 宮 本  輝 さま

すっかり秋が深まりました。お変わりございませんでしょうか。やっと青空が続いて気持ちの良い毎日です。早めに家事を済ませて、本を読めるのは本当に幸せな時間です。この平和がずっと続きますように。今日は短篇『寝台車』を読みましたのでお便り致します。

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 『寝台車』の窓からは、この写真のような「夜」が見えたように思いました。月明かりは、黒い空を群青色に染め、雲の間に月の輝きがほの見えています。『老人』の心の風景のように感じましたのでお借り致しました。

『寝台車』は寂しい列車です。窓の外には闇が広がり、人々は既に眠りに就き、電車の規則正しい音だけが車内に響いています。カーテンは閉じられ、誰もが気配を消したかに思う瞬間もあり、突然足音でまどろみを破られたりもします。私が15歳からの数年間、京都の学生寮から福岡へ『寝台車』に一人で乗り帰省しておりました。家族を思いながら、嬉しさで高揚して、眠くとも眠りきれない長い夜が続きます。この物語を読む事で、カーテンの手触りまでもが甦りました。今でも、この独特の雰囲気は残っているのでしょうか。『寝台車』の数も減り、早くて快適な交通機関は、便利さの代わりに私達からここでしか感じることのできなかったある時間を奪ったような気も致します。

ここに登場する『私』も、長い交渉の末にやっと掴んだ『契約』の為に『寝台車』に乗りました。暫くすると、向かいのカーテンの中から、本当に悲しそうな嗚咽が聞こえるのに気づきます。70歳を過ぎたような『老人』の嘆きは、自分の身の上に起こったことに対してではない気がします。自分より若い、親しい者の死を思いながら、どうにも止められず、涙がしたたってしまったのでしょう。宿命と戦いながら、やはり死に至らなければならなかった自分の孫なのかもしれません。人を喪った事実に対して、どんな哲理を理解したとしても、その喪失感からは逃れられないのです。例えば、深海の音もない深い底に沈んでゆくように、亡くした人への憐憫は募り、どんな音も聴こえず、声すら出せない、呼吸も止まったように、身体の動きさえ緩慢になる感覚が続きます。海の底から、息をつける海面へと浮上するには、悲しみの塊を捨てる場所が必要なのです。『老人』は、胸の中の嘆きを夜の闇の中に吐き出さずにはいられなかったのでしょう。子供や女や若い男ではなく『老人』の泣き声は、悲痛な響きで『寝台車』の音に吸いとられてゆきました。

『老人』の泣き声に気づいた『私』も、社内で起こる様々な理不尽を乗り越え、前に向かって生きてゆかねばならないと思い始めています。その為には、日々のやるべき事をコツコツ誠実にやり通し、やっと辿り着いた『朝』をこの手で掴むのです。しっかり『弁当』を食べ、力を取り戻し、前に進むしかありません。今日までの苦労して辿り着いた『契約』に、朝日の眩しさが応えてくれているかのようです。

こんな風に沢山の苦しみや悲しみを積んで『寝台車』は夜の中を朝陽に向かって、力強く走り続けています。他の人にはわかりようのない、孤独な闇の時期があるとしても、それを『寝台車』だと思えば、いつかトンネルは抜けられ、夜はやがて希望の朝の光に包まれます。振り返ると私もそのような体験がありました。そんなことを思い出させて頂いた、忘れ難い作品でした。

今年の秋は雨の日々が長く続きました。山々は靄にけむって、しばらく外を歩けませんでした。気分が落ち込まぬよう、カーテンを洗ったり、家具にワックスをすり込んだりして年末の準備をしております。本格的な寒さに向かいますので、お風邪など召されませんように。どうかごきげんよう

 

                                                               清  月    蓮

 

 

幻の光 (新潮文庫)

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