花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【73-2】『水のかたち』宮本  輝 著 《下巻》

宮 本  輝 さま

雪を冠した富士の美しい姿が、この時期だけは、懐かしく思い出されます。それでも、街中の何処にいても、なだらかな六甲山脈が見える関西が好きです。海や山が見えるのはとても落ち着きます。今日は『水のかたち』《下 卷 》を読みましたので、お便り致します。

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 人生には、時にこの写真の流れのように烈しい時期があります。ほんの数ヶ月の間に、生活が一変してしまうようなことが次々起こり、理由がわからないまま勢いに乗るように進んでゆくのです。まるでこの物語の『志乃子』のようだと感じてお借り致しました。

ある日『かささぎ堂』に置かれていた『古い文机』を買おうと、思い切って店に入った瞬間から『志乃子』の人生は、自分の意思が追いつかないくらいの速さで流れ出しました。わが身に起こったことのように、あとを追いながら読むのは、とても愉しい時間でした。

『志乃子』が『早苗』の『祖母の家』に泊まった日『他者への畏敬』に気づきます。『なんの肩書きも高い学歴もない、有名でも金持ちでもない庶民』…そんな人達が「自分が知らないことを知っていて、分別や知恵があり、他者の凄さを知っているのだ」という事に気づいたのです。

私も、多勢の人も、心のどこかで自分が一番正しいと思っているものです。こうしか生きられないし、絶えず適切で、何も悪いことなどしていない。そんな心は些細な事にも現れます。心に浮かんだことを言い放ち、人が理解できるかどうかなどには無関心です。でも、あるきっかけで『他者への畏敬』に気づけたら、それは「幸運」と言うしかありません。何故なら、そこから、人の言葉に耳を傾けようとし、もう一度自分を見つめ直し、無限の宇宙に近づいてゆく唯一の入り口になり得るからです。慢心を沈め、謙虚に物事に対する時、そこには必ず明るい展望が待ってくれています。それが、もう一つの『水のかたち』についての私の恣意です。他者に逆らわず、攻撃せず、相手の『かたち』に沿って流れてゆく。けれど、ずっとどこまでも『水』であり続ける姿を『志乃子』を取り巻く人々を通して描いて下さったものと思っております。

『志乃子』のゆったりとした微笑みや、好きな陶器に注ぐ一途で直感的な生まれもった才に、惹き寄せられるように人々は集まり、知らずして力になりたくなってゆきます。一見平凡に見えた『志乃子』を、コーヒーショップの共同経営者にまで誘なうのです。お金に潔く、欲は出さず、目の前のことに懸命で、でも、いざとなったら肝が座ります。戦うべき相手に怯みません。『白ナマズ』のように何も持たず生まれて、特別なことは何もしてなくて、いつも迷ったり人に頼ったりして、周りの人々には自然に心を寄せられて、冬のあたたかな陽だまりを思わせる微笑みをもつ『志乃子』には、なろうとしてもなれるものではありません。ですが、読み終わった後のふんわりあったかな幸せな気持ちに、そっと息を吹きかけながら「桜梅桃李」の言葉に励まされ、ずっと『水のかたち』のように生きてゆきたいと思わせて頂けました。それに『きゅうりだけ』のサンドイッチと、スプーン一杯の『水』に、馴染ませてから作るロイヤルミルクティは、私の大好きなメニューになりました。我が家の食卓に度々登場致します。

冬はとても苦手ですが、温かいコートを着て、顔だけ冷たい風に吹かれているのは、とて気持ちが引き締まります。耳がちぎれるような風に毎日耐えておられる地方の人の事を思います。12月は慌ただしいので、お手紙は新年を迎えましたらまた書かせて頂きたいと思っております。この冬を無事に乗り切らねばなりません。ご自愛下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                     清  月    蓮