花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【75】『草花たちの 静かな誓い』  宮本 輝 著 

宮 本   輝 さま

 静かに新年が始まっています。先日テレビの時事公論で、世界に埋められている地雷について報じられました。地雷は、相手を殺さず、残虐に怪我をさせる事により、周りの人間をも恐怖に陥れ、怪我への対処に多勢の他の人の力までも抑え込む、悪魔の兵器だと知りました。一日も早く地雷撲滅が地球を救うことを願っております。今日は『草花たちの静かな誓い』についてお便り致します。 

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『菊枝』は、娘『レイラ』と幸せに暮らしていた頃の庭を、もう一度『ランチョ・パロス・ヴァーデス』の自宅に作ろうとして、庭師『ダニー』に設計図を作らせていました。この写真は、その庭の一部を連想させてくれます。お借りできて感謝しております。

 

2016年12月にこの本が出版されました。私は偶然にも、その前年にカリフォルニア州におりました。気候やアメリカのお金持ちの屋敷の広さを、直に感じられたのは幸運としか言えません。当時、カリフォルニアには、海と乾燥した大地しかないとの印象をもちました。季節がら棘に覆われた枯れ枝が、風に煽られくるくる回って足元に飛んできます。人々はラフな服装でワインの瓶を下げ、夕陽を見る為に、あちこちから海辺に集まります。人生を愉しむ裕福な人々を囲むカモメの群れを、飽きず眺めた記憶が甦りました。 

『草原の椅子』に《人情のかけらもないものは正義とは言えない》との記述がありました。常識という縛り、それどころか、法律という鎖を切ってでも『菊枝』と『キョウコ・マクリード夫妻』が為そうとした事について思いを巡らせます。 

大抵の人は、世間の風潮に対して、なるべく逆らわずに生きていきます。自分の中の常識を重んじ、法を犯すことの恐怖から、この物語のような行動はとれるものではありません。カリフォルニアのスーパーに行くと、本当に牛乳パックに、『子供の捜索』を願う写真やメッセージがあるのを見ました。いたたまれず目を背けた私も、やはり世間の人と同じなのだと思いました。 

この物語に描かれたのは、大切ないのちを護るための、知悉な計画から実行までが、サスペンスのように描かれていました。 

『菊枝』と『キョウコ・マクリード夫妻』には、自分の人生を賭す程の強い信念と、正義とは何かの判断に、本気の覚悟があったのです。他者の為に自分の意思を貫いて行動したた探偵『ニコ』がいたことは、『弦矢』が、財産を独り占めするどころか、逆の方向へと行動した時には、必ず味方が現れるとの必然を感じました。辛いことに耐える長い時間、願いを祈りに託す時間、草花を育てることが、安らぎと辛抱を、草花たちから与えられるのです。 

最後に大好きな花、ノウゼンカズラが出てきて、体中に血が駆け巡り、周りがぱっと光輝いたような感覚をもちました。何故なら、花言葉が、この物語のように「勝利」であり「平安」だった事。また、幼い頃、私の父が、この花のように明るく、力強く、幸せな言葉をラッパのように鳴らし続けることを、私に願ったからです。その頃の自宅の玄関から庭への通路には、ノウゼンカズラのトンネルがありました。蟻や蜂たちに蜜を与え、自分の目指す場所へと力強く昇る姿に見習うようにとの、父から私への大きな課題だったのかも知れません。 

今年は去年までのあまりに物騒な世界の流れが『ドンデン返し』の年になりますよう、私も気合いを入れて参りたいと思っております。お元気で、どうかごきげんよう 

 

                                                                 清  月     蓮