花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【79-2】『流転の海』 全9巻 (その2)  {1~9巻のテーマ別  読後感を記載 }

宮本輝さま

 謹啓

長編の題名『流転の海』は、人生 山あり谷あり…の意味だけでなく、幾千年前から繰り返し繰り返された生と死の限りない変遷のように思います。 登場人物は、読み手を人生の『海』まで導く案内人。様々な人々が『熊吾』に関わり、頼りにし助けられて生き、ある者は離れてゆき、突然、病いや事故で死んでしまったりします。物語は手足をもぎ取られた『大阪の闇市』を舞台に始まります。幼い少年が『死んでしまった妹をいつまでもおぶった姿』で出てきます。駅には浮浪児があてもなく集まり、明日の命も知れぬまま夜を迎えていたのです。

『息子伸仁』が生まれたのが、この時期だったから、物語はここから始まったのだと、初めは思っていました。でも、この壮大な長編小説には、烈しい反戦歌が絶えず聴こえていたことに気づきます。惨たらしく、良いことなど一つもない戦争に対する憎しみ。戦争中に経験した悪夢は、戦後も長い間、兵士だった人間の心を蝕み続けます。戦争の悲惨すぎる『回想』が、漏れる事なく『9巻全て』に、盛り込まれているのです。しかも、予想に反せず、最後の『野の春』には現代に生きる私達が、とるべき方向にすら触れられているのを目にして、とても腑に落ちた気が致しました。今までの作品も、書かんとされた御本意は、必ず物語の中に巧みに練りこまれていました。読み手は自分の考えで読み解くしかなく、読んだ人が、それぞれに「父と子の物語」と読むのも「妻 房江の強さと愛情の物語」「庶民の生老病死の物語」と読むのも素敵です。 ですが、戦後の微かな気配を、幼少期に感じていた私には、それだけでは胸の奥に痛みが残ります。

私の中にあるのは、幼い頃…多分、幼稚園児くらいの時の記憶です。この物語から連想される光景が浮かんでくるのです。当時、阪急宝塚線蛍池駅の地下道には、白い服に身を包んだ傷痍軍人が、片脚を失くしたり、腕をもぎ取られた不自由な身体で、アコーディオンを弾きながら物乞いをしていました。それは私には亡霊達の楽団のように映り、怖くて前を走って通り抜けていました。駅を出ると、木々を日除けにして、数台の『リンタク』が客を待って並んでいました。職を無くした元日本兵のその日暮らしの仕事です。     家に帰ると、一緒に住んでいた明治生まれの祖父がいました。彼は来る日も来る日も、畑で野菜を作り、小屋を建て鶏を飼い、卵を産ませ、糞を茣蓙に広げて陽に干し、肥料にしました。また、山羊を育て、搾りたての乳を台所で沸かしていました。葡萄棚も作り、お餅つきの杵も削り、休まず手を動かすのです。まるでこの中の『音吉』の『槌の音』のように。    もしかしたら手を止めると、思い出したくない戦争の記憶が甦るからではなかったかと…今、思うのです。そんな祖父の寝ていた部屋に、ずっと架けられていた『カーキ色の軍服』の意味。『流転の海』を読んで、祖父の寡黙で何かに耐えているような顔が、遠い時間の底から思い出されてきたのです。

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写真は、有るか無きかの僅かな光を、それでもくっきりと放っている美しい繊月の一枚をお借り致しました。物語の中の戦後を生きようとした人々の「意志」のように感じました。  ご自愛くださいませ。どうかごきげんよう

                                                                                 謹白

 

                                                                       清  月      蓮