花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【79-6】『流転の海』  全9巻   (その6 ){ 1~9巻のテーマ別  読後感を記載 }

宮本  輝 さま

 謹啓

2019年が始まりました。賑やかでお忙しいお正月をお過ごしの事と思い、先週はお手紙を控えておりました。今年もご家族の皆さまのご健康を心よりお祈り申し上げます。

『流転の海』は、作家 宮本 輝さんがお書きになった長編小説です。わかってはいるのですが、読みながら幾度も、これはお父上『熊吾』さんが書いておられるのだと、本気で思うことがありました。『憑依』とは、作者が登場人物になりきることだそうですが、読み手も、何か近いものを実感させて頂けたのかもしれません。深夜『息子』が筆を運ぶ傍らに、絶えず付き添って「おい、伸仁、そうじゃ、そうじゃ…」と相槌を打ちながら、髭を撫でている『熊吾』さんが浮かんできた時の、こみ上げる嬉しさを思い出しております。

ほとほと感心するのは『熊吾』の気っ風の良さです。『欲』といえば事業に対するものだけで『玉木』に大金を奪われた事が発覚した直後であっても、そばにいる『シンゾウくん』の労に対して、きちんと労りの施しを忘れないのです。こんな時は、普通なら1円も出せない心境に陥る瞬間だと思うのです。『熊吾』は頭で計算しているのではなく、自分がそうしてやれば、人が助かったり、元気を出して頑張れると判断すれば、吝嗇な迷いはないのです。全編を通して『熊吾』が他人の為に労した時間と、費用の多さに驚くばかりです。『熊吾』はそうやってずっと生きてきたのです。未来の世の中で活躍するであろう人々に、期待や展望や、何より愛情があったのです。人への未来の投資は彼の生き様なのです。そこにぶれがないので、彼は絶えず堂々としていて、恐れるものは何もなかったのだと思います。たとえ相手がヤクザであろうとも…         けれど、たった一度だけ『慈雨の音』で、勇猛な『熊吾』が『餘部駅の鉄橋』を前にして、脚を震わせ怖がっている姿がありました。この場面は『房江』の覚悟の決め方も潔く、対する『熊吾』が、なんだか可愛く見えたほどでした。

最近の日本にこんな人物は中々いません。

それを考えた時、思い浮かぶのは、現役で働いていた頃の義兄のことです。札幌で大学を卒業後、10年余り企業に勤め、その後自分で建設会社を興しました。彼の口癖は「天に貯金」でした。『流転の海』が発売になった時、札幌に住む姉に「姉ちゃん、これ義兄みたいやでェ」と言いつつ、本を送った日を思い出します。姉も『房江』さんに似たところがあるように思います。一時は多くの会社を経営した時期もありました。それでも姉は『房江』さんがしたように、いつか、義兄がどうしても資金繰りに困った時の為に、絶えず節約して贅沢はせず、息子たちにも甘い顔は見せない人でした。そして、残念にも、姉の貯めたお金は、晩年になり、とうとう役に立つことになってしまいました。  お金に執着がない人は、やがて経営難に合うのでしょうか。その結果、辛い時期もありましたが、今は善き人々に恵まれ、穏やかな幸せな日々を過ごしています。姉の話では『流転の海』を熱心に読み始めているそうです。

私にとって、『流転の海』は、「思い当たる人々」や「思い浮かぶ光景」が数多く出て来て、愉しいだけの「小説」ではありませんでした。ですから、どなたかが「登場人物」を全て数えられたようですが、私の中では、一人の人物に重なる現実の人物や、想起される宮本輝さんの他の作品の登場人物なども同時に思い浮かぶので、人数はもっともっと多いのです。

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写真は『熊吾』が、一人沖に漕ぎ出し、また新たな目標に向かう朝の海のように感じました。同時に始ったばかりの新しい年の平安の中で、ますます意欲的な作家 宮本 輝さんのご執筆への決意と意欲を想起 致しましたので、お借りしました。またお便り致します。どうかごきげんよう

                                                                                       

                                                                                 謹 白

 

                                                                      清   月      蓮