花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【79-9】『流転の海』 全9巻 (その 9 ) { 1~9巻のテーマ別  読後感を記載 }

宮 本  輝  さま

謹啓

この写真は、美しい夕陽が、手前の木の枝に縁取られて、水平線の向こうに落ちてゆく瞬間です。読後感の写真では、いつもお世話になりました。お借りしました一連の写真は、ご苦労されて、時間に追われながら、走ったり、時には、地面に伏せてまでも撮影されたことだろうと思います。にも拘らず、私が使う事を、快く許して頂き、とても感謝しております。そのご好意は、何より、撮影者(ムイカリエンテさん)が 宮本 輝 さんを誰より敬愛されておられるからだと思い至り、お二人に心より感謝申し上げます。それに、思い返しますと『流転の海』の読後感を書き始めて、最初に「朝陽」が、そして最後には、こんなにも美しく焼けた「夕陽」の一枚を頂き、あまりの幸運に、とても嬉しく感じております。

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今日で『流転の海』についてのお便りは、9通目です。

思いつくままメモもとらず書いてしまいました。『野の春』を読み終わった日の安堵感や高揚感を、充分な言葉にする力がなく、書き足らない感はどこまでも残ります。でも今日で締め括る事に致しました。

『人を幸せにしない小説は一篇たりとも書かない』と仰られておられる通り『野の春』を読み終わった時の、私の胸に溢れた幸福感を、言葉には出来ません。書き終えられたご当人こそが、どんなに歓びに溢れ、また大きな達成感を味わっておられたのだろうと想像致します。そして時が過ぎた今は、もう意気軒昂に、次の作品に挑んでおられることでしょう。

37年間という年月は、書き続けられるにはあまりに長く、その間には私生活でも沢山の山や谷を見つめながらのご執筆であっただろうと思います。それを承知で書かせて頂きますと…

読み手だって、この長い時期、どんな事が起ころうと、辛かったり悲しかったりの向こう側に、次の『流転の海』の出版を仄かな光と感じて、日々を過ごしていたのだなぁと思い出されてきます。そしてますます書きにくいのですが…もう最終章を読了してから数ヶ月経っておりますのに、私の中の喪失感というか、もう次は無いのだという、やはり哀しみと言うしか無い感情に心を奪われたままなのも事実です。出版された時期も11月の末で、私の苦手な深い秋と、その中に明らかな、逃れられない冬の気配の感じられる時期でした。マスコミに取り上げられて、多くの方々の『流転の海』完結への賛辞や祝福の言葉がネットにも溢れましたが、私には遠い世界の出来事のように感じました。つまり、見たことのない幸福感にも導き、これまでにない幸福感とは反対の気持ちにも、さらわれてしまった作品なのだろうと思います。

もしかしたら人生では経験した事のない熱さで『熊吾』さんを愛してしまっていたのでしょうか。それとも自分にはどんなにしても到達できない粘り強くて、行動的で美しい『房江』さんに、同性への憧れ以上の愛おしさを感じ続けていたのでしょうか。その内きっとこの哀しみは薄れてゆくに決まっていると信じてはおりますが、物事は一度にドッと来るもので、私生活でもこの数ヶ月には様々な事が起こりました。『流転の海』は「終わっても終わらない」というお言葉に自分を納得させようとしますが、概念や想念と自律神経みたいなものがもたらすものには、やはり明らかな差異があると思います。言葉によって人は救われたり奮起したりするものではありますが、それでも、しょんぼりした気持ちから抜け出せないまま年を超えました。季節はこれから春に向かって進むのでしょう。ですが、街を歩いていても、ネットを眺めていても、それに現実感が全く伴わないこんな状況は、褒められたものではありません。また、無分別に人様にこのような嘆きを吹聴するのは、恥ずべき行為だと思っています。けれども、確かに味わったことのないこの状況も『流転の海』のもたらしたものの一つであったので、敢えてここに書き置く事に致しました。失礼があればどうかお許しくださいませ。最後に『音吉』が丁寧に弔われた『ご遺体』に、心からの祈りを捧げます。お元気でますますご活躍くださいますように。どうかごきげんよう                                                                                       

                                                                                   謹白

                                                       

                                                                       清   月       蓮