花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【26】『香炉』宮本輝著   『真夏の犬』に収録

この写真は、次々と愛する人を追いかけ、懸命に命の限り求めずにはいられなかった『清玉』の心のようです。 身体から無数の感情を迸らせて、細い糸で精一杯の愛情を求めています。ピタリの写真をお借りできて感謝しています。  

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 『一心不乱』という言葉が出てきます。『清玉』は何をするにもそうであったと。そしてそれはまるで『妖怪』のようですらあったと。『私』が『清玉』を訪ねて辿り着いたロンドンのチャイナタウン。  世界中に広がる、どこの国にも必ずある蜘蛛の巣のように張り巡らされた別世界。そこはまるで洞窟のように仄暗く猥雑で、秘密めいていて、それなのにどうしてか惹きつけられる場所です。説明出来ない独特の香りと、食べ物の匂いが混じり合い、辺りに漂っています。路地に並ぶ店々、奥まった人々の住処には、外からは窓のように描かれていて、中に入ると壁でしかない外と完全に遮断された不可思議な空間があります。世界中に散らばって行った 華僑と呼ばれる華人達。小さな店から逞しく世界中にその力を延ばしてゆきます。足ることは知らず、何処までももっと遠くへと求め続けます。ですが、彼らの新天地を追い求める心は、とても熱心で懸命さに溢れています。自分の商売の向上に弛まぬ努力を惜しみません。その路地は終わることがなく、今日から更にもっと豊かな明日へと向かって切り開かれて行くのです。『清玉』はきっとこの血を受け継いだのでしょう。自国を離れ、台湾から日本にやって来た漢民族の、弛むことない永い歴史の血脈。《自分をもっと愛して、もっと強い腕でつかまえてと         ですから、安住の地も永遠の愛だと思える人も、求めても求めてもお終いになることはありません。そんな『清玉』を少し哀れに思います。彼女のせいではないかも知れないのに。悠久の彼方のずっと奥から『清玉』をこんな風にした歴史が、小さな声で彼女を呼び続けていたのかも知れません。今、『清玉』は、何処にいるのでしょう。本当に死んでしまったのでしょうか。もしかしたら、気が狂れてしまい、このチャイナタウンのどこかの『窓のない小部屋』で、娘を想いながら毎日泣いたり、笑ったりしているのかもしれません。それとも、もっと自分を愛してくれると信じた人に巡り会い、その人と共に何処へとも知れず、去ってしまったのでしょうか。それにしても何十年の時間が経っても 『私』はたった一夜『清玉』と過ごした若き日のことが胸の底にくすぶって 、自分の猜疑心と対峙したかったのです。自分のキズを男としての誇りに変えたかったでもそれは空っぽの『香炉』が答えています。男と女の性の営みは得てして目に見えない、答えのないものなのでしょう。

 

毎日、世界は落ち着く事なく、次から次へと事件や揉め事や問題が起ります。

人間の欲望に底がない為でしょうか。いつか貴方の著書に人々を幸せにできる『写真集』の事が書かれていました。FBを見ていますと、沢山の人がそれに参加されています。優しい気持ちや愉快な気持ち、強く揺さぶられ反省の芽にできる写真の一葉それらが世界に向けて伝えられるのは素敵な事だと思います。次は『五千回の生死』の短編集を読ませて頂きます。またお便りできますように。どうかごきげんよう

 

                                                                      清月  

【25】『赤ん坊はいつ来るか』宮本輝著 『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

お元気でおられますか?  数十年前、貴方に宛てて便箋 10枚の長い手紙を書いたことがありました。けれどこんな手紙は自己満足で、著名な作家が読者からの手紙を読む訳がないと考えて、出す勇気がありませんでした。でも、先日お会いした時『ブログ、読んでいますよ』と仰って頂き、今は夢のようです。今日は『赤ん坊はいつ来るか』を読みましたのでお便り致します。f:id:m385030:20160917114622j:plain

この写真は、ひたすら赤ん坊を求めて、諦めざるを得なかった『小沢さんの奥さん』みたいです。まるで童女のように燃える想いを抑えきれず、赤ん坊を欲しがっています。そんな烈しい心のように見えましたのでお借り致しました。

これは昭和33年のお話です。その時代には夏の過ちから生まれた赤ん坊を川に流したり、産んでも育てられない赤ん坊を、闇で売り買いするようなことがあったようです。赤ん坊は川に浮かびながら、生きている人間たちの自己本位な欲望を、見えなくなった目で見ています。誰にも訴えられず黙って流され、へその緒さえ切ってもらえず、さぞ辛かったでしょう。
『小沢さんの奥さん』は、どうしても欲しいものを手に入れようと強く願い過ぎて、どこかのネジが切れてしまいます。子供が出来にくい身体でも、どうしても赤ちゃんが欲しい。だから想像妊娠みたいになり、心まで病んでしまいました。オロオロするだけの『小沢さんの夫』は、ヤミ医者が産ませた赤ちゃんを不法に手に入れようとします。そして、警察に連行されてしまいます。

命は不思議なものです。人が強く望んだから、その人の元にやって来るものでもなく、望まなくても突然来ることもあったり。命は、人の欲望や願いや性欲をも超えた、どこかわからない川のずーっと奥の奥から私達のところへ流れて来るのです。
『ぼくらには、子供なんか、もうどうでもええやないか』
『赤ん坊は、もう来やへんの?』
『そうや、もうぼくらのところには来やへんのや』
二人は、『母』が教えたかったことをやっと知りました。命は人の勝手な意志では手に入らないこと、人の手の届くところやすぐそばの川の中にはいないということです。それに、『般若のおっさん』がやった悪事は全て暴かれ、背中の刺青を剥ぎ取られてしまいました。いい気味です。少しは懲りたでしょうに。

いつか『私』に頼んで捨てられた子猫たちは優しい人に拾われたでしょうか。
  『小沢さんの奥さん』は、赤ん坊をたくさん産んだ猫に嫉妬して、見ているのも辛くなり『私』に捨てて来るように言いました。でも、きっといつか救われたポンポン船の上にいる猫に向かって、大きく手を振るような気がします。

夏が終わってしまうと思うと、少し寂しく感じます。今でも乳児虐待のニュースが流れて胸がふさがれます。恐怖と孤独がもたらすこのような事件が無くなる日が来るといいのですが。今日は満月が見えました。貴方もご覧になられたでしょうか。またお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                       清月  蓮

【24】『チョコレートを盗め』 宮本輝著  『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

やっと涼しくなり、ホッと致します。この夏も昼間はエアコン無しで過ごしました。近頃 報じられる残虐なニュースまた次々襲う災害の猛威に、時として気持ちが削がれてしまいそうです。でも出来ることをやり続けるしかありません。貴方がなさっているように。今日は『チョコレートを盗め』を読みましたのでお便り致します。

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この写真の花は暗い環境の中で、闇夜に誓いを立てどんな手段を使っても『高架の南側の暗闇』から抜け出そうとした『花枝』のように感じましたので、お借り致しました。 匂い立つ色香と孤独な心が見えるようです。

『花枝』の『母』は、男をとっかえひっかえするだけでは飽き足らず、恰も自分の娘が男の性の相手をするような思わせぶりで、卑猥な言葉を囁くのです。『チョコレートより甘いもんで、花枝はお返ししてくれるよってに』…
こういう人を淫乱と呼ぶのでしょう。この台詞は恐ろしいです。  どういう人なんでしょう。もっと怖いのは、そんな母の娘『 花枝』がとても冷静に、自分の未来の安定をそこに上乗せしたことです。自分の母より強慾に。
女の性は それを使って自分の欲望を果たそうとする、まるで毒薬のようなものを秘めています。『花枝』は、その底にねっとりと毒を隠しもち、男を意のままに動かそうとしていました。しかもまだ中学生だったと言うのに。

『チョコレートを盗め』…甘くてとろけそうな香りと食べると幸せが掴めそうなチョコレートみたいなそんな誘いは、魅惑に満ちて鼻先近くまで迫ってきます。でも、そう囁いた女も誘いにのった男も、生きている間にきっと決着の時を迎えます。『花枝』は『男』の心と生きる場所までも、甘い罠で奪ったのす。そして十数年が経ち、 騙されてこの街から去った『男』が『花枝』の元にやって来ます。約束を果たせと。チョコレートより甘いもので返せと。

女が持つこの毒薬は、一度使ってしまうと自分の体にもその毒が回り 、一生そこから逃れられなくなる、そんな毒薬なのです。昔、『新田』が自分を好きだったことがわかっているから、袖口から白い腕をさりげなく見せる媚びは『花枝』の体から決して去ることはありません。いくら明るく健気に生きて、几帳面に年賀状を書き続け、母の介護に座敷牢のような家で6年を過ごした日々があったとしても…です。『新田』もここに引っ越して来て、たった数日で『花枝』の店を訪ねたのは『花枝』に会いたかったのです。男も女も美しさや魅惑には逆らえません。毒薬を体の奥底から零さない様に生きる女も、また毒薬と分かりながらも、その香に惹かれ口に含む男も、結構 骨が折れるものです。

この作品は、『避暑地の猫』『月光の東』『草原の椅子』などにもテーマとして織り込まれています。人生の転落や誘惑や欲望は、美しさの上に訪れることが多いので、ひととき自分を忘れ、密かに飲んだお酒に酔うように読めるのは、とても愉しい時間です。またお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                           清月  蓮

【23】『力道山の弟』 宮本輝著  『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

お元気でおられますか。最近読んだ 志村ふくみさんの著書に「白いままではいられない」という言葉がありました。この本では染色について書かれていましたが、花も人も蕾のままではいられないから、いつか蕾は膨らみ、つかの間 開花して、萎れて散ってゆくのですね。今日は『力道山の弟』を読みましたのでお便り致します。

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この写真の固そうな蕾は、自分の想いをじっと胸に秘めた『喜代』の心を感じましたのでお借り致しました。可憐な蕾に見えても、その中には、雨の雫も、蜜に集まる小さな虫も、強い太陽が射す外界も抱えているのです。このお話の『喜代』のようです。蕾の美しさが永遠なら、どんなにいいでしょう。
ユーモラスなお話のようにも読めますが、やるせない人間たちが見えます。
この時代にはプロレスラー『力道山』と、駅前で店を出す様々な香具師(やし)と呼ばれる人達がいたのです。 国民的英雄「力道山」は、悪漢に刺し殺されてしまいました。刺された後も何食わぬ顔で、お酒を飲んでいたそうです。ここには『力道山の弟』と名乗る男が登場します。
『父』の親友中国人の『高 万寿』とその妻『喜代』を、日中戦争が引裂きました。『父』はその後も、残された親友の恋女房『喜代』を見守り続けています。どんな男にも、なびく素振りさえ見せたことのない『喜代』でしたが、ある日、あろうことか、雀荘に客としてやって来た香具師の『力道山の弟』に、身体を奪われ、子供まで出来てしまいます。    それを知った『父』の怒りは凄まじく、警察に連行される程に暴れました。『父』は、愛しい人をおいて、祖国へ帰らねばならなかった『高 万寿』の無念さを思うと、憤怒を抑えることが出来ません。『父』は裏切った『喜代」を罵りましたが、『喜代』の心はどうだったのでしょう。男の考える純情と女は同じではありません。
女は愛しい人と家庭を持ち、子に恵まれ、穏やかに日々を暮らせれば、それで1つの幸せを掴むことができます。でも、子も授からぬ内に、夫は目の前から消えてしまいました。夫と過ごし愛された数年は夢のようで、いつも『喜代』の胸にありました。商売に打ち込み、何人かの男からの誘いもありましたが、その気にはなれません。では、どうして、どこの馬の骨かもわからない男に、身体を任せてしまったのでしょう。それは、心も寄せず、あと腐れもない相手であり『高 万寿』を愛した次元とは別の、女の性に従い、子を宿し、産み、育てることへの本能的な渇望からではないでしょうか。
生まれた子は女の子で『悦子』と名付けられます。『父』は『悦子』は『力道山の弟』の子などではなく、『高 万寿』が、『喜代』に授けたのだと信じ始めました。そうしか自分の気持ちを救う手立てがありません。そして『高 万寿』の話を『悦子』に聞かせます。食事にも連れ出し、とても可愛がり続けたのです。親友の純情を何としても守るかのように。
近頃、日本の各地で幼児虐待のニュースが報じられ、耳を塞ぎたくなります。
映画「長い散歩」にも描かれていますが、『力道山の弟』を読んで、例え父が誰であれ、母が病いで若くして死んだとしても、世の中に1人でも、その子に心からの愛情を抱き続ける人がいれば、真っ当に生きて、大きくなれるのだと思いました。このお話の『父』には、慈愛に満ちた男の強さを感じました。またお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                          清月  蓮

【22】『階段』 宮本輝著   『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

お元気でおられますでしょうか? 『階段』を読む前に、ドフトエフスキーの「貧しき人びと」を読み直しました 。貧しさとはどれ程の苦しみかを、もう一度 確かめる為です。感傷的な言葉で埋め尽くされた処女作との事ですが、一気に読み終えなければ気が済まない力強さに、改めて凄さを感じました。貧乏に耐えきれなかったワルワーラに、恋心を弄ばれ翻弄されたかもしれないと、マカールが哀れに感じました。 また、ワルワーラがそうせざるを得ない程の貧しさとは、どんな苦しみなのだろうと思ったり致しました。マカールの狂おしい程愛した歓びと老いた無力な叫びが、いつまでも消えません。今日は『階段』を読みましたのでお便り致します。

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少し季節が違いますが、この写真をお借り致しました。周りは見渡せる限りの雪野原で、猛吹雪を遮るものはなく、それでもこの木は、たった1人で立っています。まるでこのお話に出てくる高校生の頃の『私』のようです。

思い出したくも無い貧しさの象徴のような 一間きりの木造アパート。
汚泥の中に閉じ込められ、息も出来ないようなあの頃の暮らし。
『私』が高校生だった時、父はゆくえ知れずになり、兄は貧しいアパートから去り、母はアルコール中毒に陥りました。仕事も続かぬ『母』は、酔うと市電のレールの上で酔い潰れ、スカートが捲くり上がっても構わずにわめきます。
『轢いてえなァ。早よう轢いてえなァ』

『私』は、恥ずかしさと腹立たしさで、何度も母の顔を力任せに殴り続けるしかありませんでした。そして母がお酒を買うのを見張る為に、アパートの『階段』の7段目に座り続けたのです。     隙間風が抜け、ガラス窓は破れ、排泄物の臭気が絶えず漂い、漆喰の壁はひび割れ、汚れが付着しています。孤独と闘い、毎日を懸命に生きるだけです。どうすることも出来ず『私』はアパートの住人『島田』の部屋からお金を盗みます。まるで何かに憑かれたように盗み続けました。この時、もしかしたら『島田』は誰が犯人なのか、わかっていたのかもしれません。それでも部屋の鍵を新しく取り換えただけでした。
この作品の最後にこう書かれています。
『私をうなだれさせ、そしてすくっと立ち上がらせます』
大人になった『私』の言葉です。

人の力が及ばないところ…意思も正義感も法律も道徳も意識さえ失われていたかに思える一時期があったことを『私』は今、思い出しています。もしその1つでも自分の中に居座っていたら、こんなことはできなかったでしょう。盗みを人に見つからず、警察にも捕まらず、どうして今日まで無事に過ごせたのだろう。
そして、『兄』は高校を中退した後、働きながら夜学に通い、その後、製薬会社に勤めます。私たちは「何かに護られていた」だからこそ、自分の惨めさと後悔に『うなだれた』後、護られていた何かに応えるために『すくっと』立ち上がったのです。
夏はもうすぐ去りますね。日本には四季があり、恵まれた豊潤をもたらしてくれます。一年中砂漠でも、湿った熱帯でも、極寒の地でもありません。それなのに、18歳未満の子供の6人に1人が貧困家庭にいます。貧乏が怖いのは、盗み自体の行為にもまして、相手の誠意を踏みにじらなければならなかったり、自分の心を殺さなければらない事態に陥る事のように思います。
また、お便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                            清月  蓮

【21】『ホット・コーラ』 宮本輝著  『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

お元気でおられますでしょうか?  朝早く目覚めますと、もう確かに秋の気配を感じます。まだ星が見えて、近くで野鳩が少し寂しそうに鳴いています。今日は『ホット・コーラ』を読みましたのでお便り致します。

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沢山の蓮が咲いている広い池からすくい取られたこの1枚は、数ある蓮の写真の中でも、とても美しいと思います。歩きながら見える場所から、この一輪を見つけられたのは偶然とは思えないものを感じましたのでお借り致しました。子を思う『母』の姿が届きますように。

1919年アメリアトランタから日本にやって来た『コカコーラ』は、忽ち私達の人気の的になり、高村光太郎さんも、芥川龍之介さんも、虜になられたそうです。 私も一時期、中毒みたいになりました。
なんらかの事情で一緒に暮らせない『母と少年』
茶店『アトラス』の窓際の席に座り『ホットコーラ』を注文する女は、近くの精神病院の患者なのでしょうか? それともそこで働いている人なのでしょうか?   女は『アトラス』の向かい側の家に住む『少年』の『母』だと分かります。『少年』は『母』が自分を気遣ってくれていることを知っています。大声も出さず、泣き喚きもせず、窓をいっぱいに空けて、画用紙に『きょうのおかずは はんばあぐ』と書いて『母』に知らせます。この時間が母と少年』にとって、なくてはならない大切な時間。でも、『アトラス』の主人『英男』は、経営の行き詰まりに悩んでいました。ずっと『ホットコーラ』を注文する女に淡い恋の想像をしていました。でもやはり妻『伸子』の望みを叶えようと決めたのです。ですから、窓際の席が、近くに出来た『蒲鉾工場』の人達に取られてしまうかもしれません。『母』と『少年』はもう窓際の会話が出来なくなるのでしょうか?

この短編は、お話の続きが浮かびます。出てくる人達が、みんな悪意がないからです。近所の人達は『おばあさん』と『少年』の2人暮らしの庭の雑草を、みんなで抜いてあげようと相談しますし『アトラス』の『英男』も妻がパートに出ているのを、少しでも楽にしてあげようと決めました。『工場主任』も約束を守って、従業員を店に連れて来てくれます。ここに集まる善良な人々は、自分の生活を守りながらも、別れて暮らす『毋と息子』を、きっとやさしく見守ってくれるだろうと思います。『母』が『息子』に会う時間だけ、『アトラス』の窓際の席は、きっとみんなが自然に空けておいてくれるような気が致しました。母の愛情はこの世の平和と安寧の源だとみんながわかっているんです。だって、コーラは温められてもスカッと爽やかに違いないですから。

週に一度の温泉は貴方のお薦めどうり、欠かさず実行しております。サウナ室に大画面が据えられ、普段は観ない民放が点いていました。驚いたのはゲームソフトのCMの何と多いことでしょう。人気タレントが次々登場して、楽しそうに勧めていました。なんだか悲しくなりました。本をたくさん読むべき時期に、大切な時間を若者から奪っていきます。またお便りできますように。
どうかごきげんよう

                                                                               清月蓮

 

【20】『駅』 宮本輝著   『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

本当にこの夏は今までにない暑さです。お変わりございませんでしょうか?   昨年このお話に出ている『能登鹿島』の駅に降り立つことが出来ました。無人駅は初めてでした。ひと時、ここで風に吹かれておりました。目を瞑ると物語の光景が浮かぶようです。今日は『駅』を読みましたのでお便り致します。 

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私がこの『駅』に降り立った日も薄曇りでした。数枚、写真も撮りましたが、やはりこの写真が短編『駅』の雰囲気を一番伝えているように感じましたので、お借りすることに致しました。
能登半島七尾線無人駅。
その駅は、どうしても消し去れない過去の墓地のようです。たとえ、『妻』に知られなくても、浮気相手の親に責められなくても、この無人駅は『田所』の過去を全部見ていました。長い桜のトンネルが葉桜の頃までその余韻を残しています。そこで、酒を飲み、過去を流そうと言うのです。

『誰からも好かれる、本当にきれいで、おおらかで、精神のどこにも汚れたものなんて持ち合わせていない妻 』 でした。
『田所』が開放性の結核に罹り、母親と揃って入院した時も、栄養価の高い料理を運び続けました。笑顔に不思議な力を宿しているかのように、どんな時にも明るく笑っていました。  なのに『田所』は自分の会社が危機を脱するや、取引先の社長秘書に心も体も奪われてしまいます。男はそんな風に造られているのでしょうか。
浮気相手の『春子』は、道理の解っている、意思の強い、しかもそれを端然と実行する賢い人でした。ですから『田所』の妻は、亡くなるまで『田所』と『春子』の間にできた子供の事は知らずに逝きました。
『妻』の死後三年が過ぎ『春子』と『田所』は結婚します。家族は皆 大人の理解が出来る穏やかな 関係になりました。 それでも『田所』の胸には、亡くなった妻への憐憫と悔恨が、消えてゆかないのです。『妻』は幸せだったのだろうか…
この『駅』と決別する為に『田所』はここを訪れましたが、時は過ぎ去り 、すべては収まるべきところに収まったかに見えても、自分の心だけは騙せなかったのです。それに、全てを見ていたこの無人駅も。鋭くけたたましい猛禽の鳴き声に向かって 投げつけたお酒の瓶も、『田所』の話に聞き入り、自らの道ならぬ恋に迷う『青年』が投げた小石も、能登鹿島の海の色に溶けてはゆかず、まるで自分の過去に向かって投げつけたかのように痛みを残しています。

この『駅』に立った時、人間は自らの意思で再生することができるのだと思えるようになりました。未来に向かって心を整理して新たに変革してゆけるのです。『駅』は、それを見守ってくれているように感じました。今頃、どんな人が降り立っているのでしょう。七尾湾の無人駅を憎まないでいられるように。この駅の静かさをそっとしておきたいのです。『田所』と『青年』の人生が、この先、どうか穏やかで幸せでありますように。またお便りさせてくださいませ。どうかごきげんよう

                                                                                清月蓮