花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【80】『灯台からの響き』 宮本 輝著

 

その日 出雲に風はなく

大社に 祈る人見えず

見下ろせば 眼下に広がる日本海

海原の静けさ 広さ 柔らかさ

誓いよ届け 白き塔からの響き

 

宮本輝さま


謹啓

長くご無沙汰致しました。

お元気なご様子で、安心致しました。新刊も出版され、私たちも歓ばしい日々を過ごしております。

今日は先の『灯台からの響き』についてお便り致します。

 

今年の年明け早々、出雲に行ってまいりました。

『日御埼灯台』は美しく高くなんと威風堂々としていたことでしょう。その時の写真です。

 

作中の『小坂真砂雄』のお母さんが働いていた『出雲蕎麦の店』も確かに大社横にありました。見つけた時は嬉しかったです。

灯台への『駐車場からの二つの道』も『断崖絶壁だらけの道』を迷わず選びました。残念ながら灯台の中の『163段の階段』は、脚に自信がなく断念しましたが『真砂雄と蘭子』が座った『ベンチ』には座って来ました。ここであの時『セーラー服の少女』から発せられた言葉の数々を思い出しておりました。

 

考えれば、物語は『灯台の見えるベンチ』が全ての帰着点なのですね。ここに辿り着くまでがあまりに面白く、中華そば屋さんや山下お惣菜屋さんに行ってみたいと思いました。先生の作品はお腹が鳴ることが多いです。

 

『人を護る』というのはなんと長い年月を要し、また固い決意が無ければならなかったのでしょう。『蘭子』は生涯かけてそれを為したのです。自分が『真砂雄の罪』を被りそれを死ぬまで誰にも漏らさなかったのです。

彼が貧乏で可哀想な年下の少年だったからではなく、大学に行きたい強い悲願を知っていたからだけでもありませんでした。

最も重大なのは『宿痾』という『真砂雄の病気』を何としても治さなければならないと蘭子が考えたからでした。その病気を治さなければ、大学どころか全てを無くしてしまう事を『少女蘭子』は知っていたのです。

『真砂雄の宿痾』とは、『盗み癖』でした。

 

『今ここでその右腕を切り落とし海に投げ捨てなさい』と烈しい言葉で、『蘭子』はその癖の持つ恐ろしさを『真砂雄』に理解させたのです。その決心はどんなことが起ころうと揺らいではならないのです。

蘭子はきっとその誓いを、船の航行を護って毅然と立ち続ける『日御埼灯台』の姿として真砂雄の心に強く烙印したかったのでしょう。

 

私は『海辺のベンチ』に座り暫くの間、白く高い灯台をみつめていました。

すると、蘭子が『東京板橋宿』の中華そば屋で、朝早くから働く姿が浮かんできました。店の掃除と開店の準備をしていた時に彼女は倒れ、人知れず逝ってしまったのです。でもその時、『蘭子』さんは、きっと一人ではなく、そばに『神』が付き添っていたに違いないと、そう思いました。

 

春もそこまで来ていますが、まだ油断できない寒さが居座りそうです。お身体に気をつけてお暮らし下さいませ。

どうかご機嫌よう。

                     謹白

 

                  清月  蓮