【79-8】『流転の海』 全9巻 (その8 ){ 1~9巻のテーマ別 読後感を記載 }
宮本 輝 さま
謹 啓
先週の続き『宿命』について…
故郷で『血の騒ぎ』を聴くことは、若き日の父の情熱に触れる事であり、父の愛した山河からの物言えぬ伝言だと承知しています。ですが先週、それは「自分の宿命の傾向を知る近道」だと、確かに感じたのは、何より今も浮かぶ私の遠い日の故郷の情景があるからでした。
私の父母の故郷は、奈良市街の外れにありました。細い通りにまで続く測られたような碁盤の目。使われていない火の見櫓が残る古い町並み、格子窓の上にかぶさる低い瓦屋根。 遺産と言う名の沢山の古寺。 駅前には東西に伸びる商店街。そしていつも強気で寂しそうな祖母のほつれ髪。 奈良に行く度、華やかさのない歴史の町のいたるところから、誰かが私に語りかける声が、聴こえるような気がするのです。無意識の領域において、私はこの町からの『父の血の騒ぎ』を聴きながら育ったのだと思うのです。それは決して光り輝くうきうきした感覚ではありませんでした。そういうものは、一生体の真ん中に居座り続けます。でも「朗らかにいる事』の大切さを、宮本輝さんの作品から自分の中に染み込んできて、今では父の故郷の暗さが、寧ろ体の中で別のエネルギーとなっているのを感じています。
話を『流転の海』に戻します。
『宿命』とは如何なる法則によるものなのか…
その鍵を握る登場人物の名前は『正澄』です。『母・ヨネ』の強い思いが、祈りとなって名付けられた二文字の名前…
《どうか、正しく、濁ることのない澄んだ心》で生きて欲しいと願った理由
は 『正澄 』は、代々《盗癖の宿業》を背負った一族の娘『ヨネ』を母に《ヤクザで人殺し》の『増田伊佐男 』を父として、この世に生まれたからです。 これ以上悪い『宿命』はないくらいです。情にほだされた一夜の結果でしたが、『ヨネ』は、この子を産む訳にはいかない、なんとか堕ろそうと考えました。でも『房江』と『熊吾』に、静かに諭され『正澄』を 真っ当に育てる強い決意をしました。思い半ばで、病いに倒れこそしましたが、その後『正澄』は、善意の塊のような『丸尾千代麿』夫婦の子となり、愛情深く育てられます。
ここまで読んだ時『正澄』は、その後、一体どんな人間になると思うかと、
作者から真摯な問いを、突きつけられている気が致しました。 人間は生みの親からの遺伝や『宿命』に決定的に支配されているのか、それとも、育てた人や、出会った人物の愛情や育った環境により、もって生まれた『宿命』は変えられるのか、という提示について、読み手は本心で、答えなければならない気がしたのです。
親の中にある「種」が子の「実」となるのは因果の当然の法則なのだと思います。ですが「種」があるだけで「実」はなるのでしょうか? 人は不思議な巡り合わせで「縁」ある人と出会うのです。動物は本能の通りに生きますが、『正澄』は『熊吾』と『房江』『千代麿夫婦』に出会ったことにより『宿命』をねじ伏せられたのではないかと思うのです。
《 宿命の『軌道』を、良い方向に向かって、自分から変えてゆく努力をすることで、修正された『軌道』は、自分の育てた子へと継承される… 》
『慈雨の音』の中で『熊吾』はこのような意味の事を呟いています。
たとえ命に悪い『宿命』が刻まれて生まれたとしても、親がその子を懸命に育て、悪業から守り抜いていこうと努力したならば、成長の過程で、悪い『宿命』を断ち切ることができるものと信じます。
いつの日か、成人した『正澄 』が、養父『千代麿』と、明るく愉快な掛け合いのように、笑いながら話す声が聞こえてきそうな気が致します。
この写真は 『正澄』がこの河の水のように、澄み切った美しい心で生きてゆくことを信じてお借りしました。本格的な寒さに向かいます。またお便り致します。ご自愛下さいませ。どうかごきげんよう。
謹 白
清 月 蓮