【60】『森の中の海』 宮 本 輝 著 上下巻
宮 本 輝 さま
息つく暇もないくらい次々ニュースが続きますが、お変わりございませんか。この本を読み始めた頃、北九州を襲った豪雨のニュースが映し出され「何もかも、のうなってしもうた…」と呆然とされているお年寄りに心が痛みました。今日は『森の中の海』についてお便り致します。
この写真をお借りしようとした時は気づかなかったのですが、写された時に、やはり『森の中の海』に出てくる『大海・ターハイ』の印象をもたれたようです。改めてお借りできる事を感謝してお届け致します。
物語の中に数々の川が、扇の「要」の一点「海」へ向かって、流れ込んでゆきます。途中で合流したり、別れて支流になったりしているのが見える気が致します。そんな映像は、この物語を読むと徐々に浮かび上がってきます。数多くの川とは、物語の中に挟み込まれている沢山の大切なテーマのことです。この作品がとても長いのは、どうしても今の日本の若者に伝えておきたい事、また熟年者には本当の愉しみはこうだと、全て伝えておきたかったお気持ちを感じました。
1997年1月17日に阪神淡路大震災が起こりました。その事をこの作品の軸のひとつにされた事を感謝したいと思います。あの震災は、人々から生活も命も奪い、家を焼き、家族を連れ去り、多くの人を地獄へ叩き落としました。20年の歳月が経ちましたが、その頃、被害に遭われた方々のことを改めて思い出させて頂けました。 普段の生活では見えなかった人間の正体が、異常事態が起こるとあぶり出されることがあります。わが身を省みず、考える前にそばの人を助けようとする人、ただ一目散に自分だけ逃げる人… 『希美子』は夫に引きずられるように、住んでいた街『西宮』から逃げ出しました。そこに残してきた懺悔の心が、おっとりしていた『希美子』の心に火を点けます。そして物語は読み応えのある展開を見せながら進んでゆきます。
『飛騨の山奥の森』に面妖な大木が見つかります。この木は蔦に絡まれ、他の木に行く手を遮られたり、締め付けられたりしながら、幹にはコブや捩れが沢山現れた大木です。何百年もの樹齢のうちに、周りの植物を見事に抱き込んで同化して混じり合い、溶け合っているかのようです。この木は物語の何かを象徴しています。『骸骨ビルの庭』では、戦後に行き場を失った子供達でしたが、ここでは『阪神淡路大震災』で父母を亡くしたり、親の離婚や行方不明によって、寝る場所も頼る大人もいなくなった子供達が『毛利カナ江』の残した家と土地で、『希美子』や、心ある大人達に守られながら成長してゆきました。読み終わった時、とても落ち着いた気持ちになれました。でも、一方で日本の危機とは何かがはっきりしました。
《上は大臣から下は町会議員、村会議員に至るまで、そのほとんどが金の亡者。公務員は事勿れ主義。国民は、人間としての行儀とか教養を積まないまま大人になって、自分たちよりもさらにレベルの低い子供を産んで……この日本て国はもうおしまいね》 この頃、既に書いておられたことが、今の毎日のニュースで証明されています。
『時代背景』は、生きる人々を否応なくある方向に引っ張ります。政治も文化も世相も無関係には生きられません。ですが自分の中の「信」を貫いた『毛利カナ江』は、最期の痛みや苦しみさえ物ともせず、自分の「生を静かに全うしたのです。ここにもまた『風』についてのくだりがありましたが、どんな『時代背景』に立たされても、自分の中に吹く風に負けない生き方をした人の姿を見せて頂けたように思いました。
『マフウ』は元女子プロレスの選手でしたが『典弥』に弟子入りを許され、やっと『作陶』に『自分の風の通り道』を見つけました。体育会系の世界で生きていた『マフウ』は、きっとどんな逆風にも負けないだろうと思います。若い人々の未来が輝き出すのを『大海』はだだ黙して、これからも静かに見ているような気が致します。
日本列島を襲った暴雨の被害が大きくなっています。この瞬間にも家を失ったり、苦労して積み上げたものを全て流される人たちがおられます。自然災害にまだまだ弱い日本の国土です。どうかこれ以上被害が広がりませんように。お元気でお暮らしくださいませ。どうかごきげんよう。
清 月 蓮