花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【66-1】『朝の歓び』宮 本  輝 著   《上巻》

 宮 本  輝 さま

虫の音が力を増してまいりました。命の限り、力の限り、鳴き競っているように感じます。いかがお過ごしでおられますか。温かいお茶が美味しくて、そばに置きながらの読書は、夜の愉しみです。今日は『朝の歓び』《上巻》を読ませて頂きましたのでお便り致します。

f:id:m385030:20170923144414j:plain

 この写真を撮られた方が、何度も現地に赴かれ、シャッターをきられたであろう沢山の写真の中の一枚です。『ぼら待ちやぐら』のそばで『日出子』は、妻を亡くした『良介』を待ち『良介』は、四年前に別れた『日出子』に会えないものかと、辺りを見回していた場所です。「待つ」ことの寂しさと忍耐を現しながら、物語の情景が浮かぶこの写真をお借り致しました。

『朝の 歓び』は、1992年9月から1993年10月まで、「日本経済新聞」に連載されました。その頃、沢山の企業戦士の方々が、通勤電車の中や、会社に着いてからの少しの時間に、この小説を読まれていた様子を想像致しますと、なんだか微笑ましい気が致します。誰でも一度は今の会社を辞めて、自由気ままに暮らしてみたいと思うでしょうし、妻以外に関係を持てる女の人のことを夢想するものす。そして長い休暇を、贅沢な海外旅行に使ってみたいとも思うでしょう。見事に具現されている物語を、きっと密かに愉しまれたことでしょう。大人の恋愛だけでは終わらない、誤解や、欲望や、嫉妬や、疑惑を孕みながら、沢山の硝子の『かけら』のように輝きながら、お話は進んでゆきます。

《上巻》の『かけら』の中のひとつに『パウロと両親』について書かれています。 イタリア・ボジターノに『パウロ』は住んでいて『日出子』が『パウロ』に「また会いにくる」と約束をしたのは、『パウロ』が六歳の時。彼は『精神薄弱児』で生まれ、現在十九歳です。今『日出子』は『良介』に背中を押されて、急な崖の上に建つ『パウロの家』に向かっています。

そこで見たものは、絶えず「貴方を愛している」と信号を送り続けながら、常に『朗らか』でいることを貫いてきた『パウロの両親』の姿でした。朗らかでいるための血の出るような辛抱。ご両親の『ガブリーノさんとその妻』にだって、きっと『パウロ』が寝静まった苦渋の夜が、幾夜もあった筈です。十九歳になった『パウロ』は、自分の仕事を懸命にこなし、ひとりでバスに乗って、仕事場へ行けるようになりました。その姿が『日出子』と『良介』にもたらしたものは、今までのつまらない焦燥や我儘や迷いを見事に吹き飛ばす荘厳な感動だったのです。

目の前に現れた愛情の実像は、人の心を浄化し、出会った人の生き方にまで勇気を与えます。『全身を打つ雨』のように、全ての穢れたものを洗い流す力をもっていました。揺るぎない子への想いに触れる時、いのちの限りない可能性と尊厳に、途轍もない感謝の気持ちに包まれます。

それに致しましても、『良介』と『日出子』の性の行為の描写は瑞々しく、美しく、それでも尚『生前の妻』を思い出す『良介』の心の深淵があり、男と女の漂うような、終着点も曖昧な、それでいて確かめ合わずにはいられない縺れ合った性の不思議を感じました。伴って『妻の死期』の場面に挿入されている『生老病死』は『苦しみ』が自らを鍛え、豊かにし、荘厳な命を『四面』からなる輝かしい『宝塔』に表わされています。『妻の死』は、死してなお生きるいのちを『良介』の心に刻みつけていたのです。

世界中の人々の心が、静かな平和へと向かって欲しいと、毎日願っております。相手への攻撃は何も生みはしないと強く思います。そんな事を祈りながら、次は《下巻》についてお便りさせて頂きます。お忙しい毎日でおられる事と思いますが、ご自愛のほど、お元気でお過ごし下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                  清  月     蓮