花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【61-1】『睡蓮の長いまどろみ』 宮 本  輝 著 《上巻》

宮 本  輝 さま

暑くて寝苦しい日が続きますが、お元気でおられますでしょうか。九州北部を襲った豪雨による土砂崩れは、夥しい流木を橋桁に絡ませ、濁流が民家を襲いました。目を疑うような惨状に現実感を失う程です。被災地に日常生活が戻る日までまた長い時間がかかりそうです。自然災害と闘うだけでもとても大変なのに、国同士、人間同士が戦うなど、本当に愚かなことです。今日は『睡蓮の長いまどろみ・上巻』についてお便り致します。

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 『睡蓮の長いまどろみ』を読み始めて二日後に、この写真に出逢いました。いつも、読み方の順序に秩序がなく、思いつくまま手に取りますのに、本当に不思議なタイミングに驚いております。写真は真っ白な花びらですが、花芯には愛らしい紅色が隠れていそうで とても惹き込まれます。この写真に『父・庄平』の『釣り道具入れ』に隠されていた『女雛』のイメージが浮かびましたので、お借り致しました。

しみじみ感心致しますのは、この題名『睡蓮の長いまどろみ』です。これ以外ないと言う題名をいつも付けられるのは、本当に天才的であられると思います。泥の中で一年の大半を過ごし、夏の初めのたった四日間の為に、蓄えられたエネルギーや、美しさの全てを天に向かって開きながら、その中に既に《実》も備えているこの花は、昔から様々な思惟の対象になりました。確かに、冬の間は「まどろみ」というしかなく、これまで過ごした『美雪』と『順哉』の上に流れた四十二年の月日もそうだったのかと繋がってゆくように思います。

《上巻》を読んでいる内は、どんなに『美雪』の気持ちを探ろうにも、我が子『順哉』をおいて、家を出、新しい人生を探すなど、同感も同情も出来ないと思っていました。たとえ『義父』とのおぞましい《事情や密約》があったとしてもです。それに『順哉』にしても、結婚して、よく出来た『妻・津奈子』や息子までいるのに、何故『秘密のアパート』が必要だったのでしょう……野暮ですね。   小説は自分の中で、現実味が結べなくとも、深い秘め事があるからこそ、読む愉しみに浸れます。映画や観劇、コンサートや古典芸能にしても、自分以外の観客がすぐ側にいる訳で、一人っきりでその世界に浸り切る事は出来ません。小説世界に自分を立たせて、好きなように酔いしれることができるのは、読書の最大の愉しみです。妖しくも美しい…とても好きな物語です。

今回初めて気付いたのは『上巻』には、人間の《性》が、少し常軌を失したかのように、何故あそこまで描かれているのだろう…と言うものでした。男と女の交わり以上の、淫靡 過ぎる性の倒錯をここに著されたのは、多分、人間は実の母親によって育てられなければ、こんな性的嗜好が生じることもある ということなのでしょう。また愛していても妻と別れなければならなかった『父・庄平』や、知らぬ間に家族と別れさせられた『千菜』の上に、振り払えない力で、のしかかったのは一体何だったのでしょう。その力に抗しきれず『千菜』のように死を選んだり『順哉』のように、善き友を得て適切な言葉を受けることができ、生きる力を保ち続ける事もあるのです。『順哉』と『今井』の男の友情には、羨望に近いくらいの清潔感を抱きました。『今井』にちょっと心惹かれてしまいます。 

二人が訪ねた『羅臼港』にいた『カラス』は、細い無線アンテナの先に止まり、無数の槍のような雨に全身を打たれながら、微塵も動かない。そのカラスを『繊細でありながら不羈(ふき)でもある…』と書かれています。この意味は、鈍感で感じていないのではなく、精緻なところにまで強く影響を受けたとしても、それに囚われることなく、何に束縛されることもない…と言うくらいの意味だろうと思いますが『順哉』が、そんなカラスの姿を見て、人間の生き方にも通ずると感じたであろう場面です。私もしっかり心に留めておきたいと思います。

来週は《下巻》を読みたいと思います。それに致しましても、今年の梅雨からの異常な暑さや、かつて無いくらいの雨の激しさは、昔、住んでいた東南アジアの熱帯雨林気候を思い出させます。地球も人々も、なんだか喘いでいるように感じますのは、私の思い過ごしでしょうか。ご自愛くださいますように。どうかごきげんよう

                  

                                                                  清 月    蓮