花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【30】『五千回の生死』宮本輝著 『五千回の生死』に収録

宮本 輝さま

 

お元気でおられますか。夏に咲き誇っていたペチュニアもすっかり花を落としてしまいました。零れた種子がアスファルトの隙間から最後の一輪をのぞかせて秋の陽を浴びています。今日は『五千回の生死』を読みましたのでお便り致します。 

 

f:id:m385030:20161022155720p:plain

 

この写真を見ると『五千回の生死』を思い浮かべます。夜に停められた自転車は不思議なもう一つの影を見せています。この影は短編の中に登場しますもう一人の「化身」のように感じましたので、お願いしてお借り致しました。

『複式夢幻能』     これは何のことでしょう。能の前編、後編と言うだけの意味ではなく、演技者とその化身、又は亡霊と解釈しました。本人の心から発したもう1人の人物は、自分の心の叫びかも知れず、また亡くなった『父親』の声であったのかとも感じます。このお話は、もしかしたら『俺』はたった一人で、死に物狂いで家まで歩いて帰ったかもしれないそんな道すがら、零下の身も凍る夜だからこそ『俺』の中から飛び出した『亡霊』が、こんな風に現れたお話とも思います。それが『不思議な男』として描かれているとすれば…  この短編は、宮本輝さんの揺るぎない大切な哲理が書かれているのでしょう。大きな発見と過去の浅い思索が悔やまれたりも致します。

 

幽霊は、夏の登場と相場が決まっています。このお話は、底冷えのする寒い寒い冬の夜に起こりました。『俺』は父が残した『ダンヒルのオイルライター』を、持ち物には無頓着にみえた『父』の遺品の中にどうしてあったのかを考えています。男は「物 」それ自体に惚れ込んでしまいます。そのメカニズムや、作り手の意向がジンジン迫ってきて、どんなに自分に不相応でも手に入れたくなります。『俺の父』も、きっと一生に一度くらい、そんな事があったのでしょう。その『ライター』が『俺』を真冬の夜の不思議な出会いに連れてゆきます。

寒いなんてもんじゃない、今年一番の冷え込みの、凍てつく零下の深夜。朝から牛乳しか お腹に入っていないし、お金は1円もありません。もう考えられるのはあんなに欲しがっていた友人に『父のライター』を売ることぐらいです。それなのに友人は家族旅行中で留守でした。ポケットには帰りの電車賃もありません。朝までかかっても、歩いて帰るしか無いのです。そして『不思議な男』に出会います。自転車で、家まで送ってやろうと言うのです。   その道中

『うん、ものすごう嬉しい気分や。死んでも死んでも生まれて来るんや。それさえ知っとったら、この世の中、何にも怖いもんなんてあるかいな。乗れよ』       もう、どうにもこうにもならなくなり、考えて考えて、悩んで悩んで、身体中の力を全部出し切ってしまった時、人はそうしなかった人には信じられない事を体験します。今夜の『俺』のように。    自転車に乗せて『俺』を家まで送って行くと言った男。その男の背中に頬を擦り付けると、暖かい幸せな気持ちがしたのです。 坊主頭で眉毛ばかり目立つ『不思議な男』は、家まで送り届けてくれ、何事もなかったように 朝日を浴びて神々しい顔で去って行きました。そうです。亡くなった『父』が、寒さで死んでしまってもおかしくないこんな夜に、先に書いた『複式夢幻能』の『亡霊』となって、『俺』の前に現れたのでしょう。生き苦しむ『俺』のところへやって来て『俺』を護ってくれたのです。でも、価値のわかりそうもない息子から、あの『ダンヒルのライター』だけは、こんな風に持ち去りました。

 

秋の日暮れは釣瓶落としうかうかしていますと直ぐに暗闇が迫り、急いで戸締りを致します。貴方の家を初めて知った15年前、一度だけ、お部屋に灯りが灯るのを見届けて、安心して帰宅した事がありました。ますます筆が進まれますようお祈りしております。またお便り致します。どうかごきげんよう 

 

                                                                          清月  

【29】『力』 宮本 輝著  『五千回の生死』に収録

宮本 輝さま

 秋が日に日に深くなっています。この季節には昔のことを思い出す不思議な空気が漂っているようです。    

幼い頃の自宅の庭には、祖父が育てた実のなる木々が沢山ありました。納屋の中には買ってもらったばかりの自転車が光っていて、横の棚にはお餅つきの臼や杵、木枠で組まれた蒸籠、庭に設えられた竈(へっつい)さんに焚べる為の薪も積んでありました。今日は『力』を読みましたのでお便り致します。

 

f:id:m385030:20161015213258j:plain

 

雨は落ちていないのに、空は一面の薄曇りで、心には不安が広がっています。いくつかの『心配事』に見舞われて、体から『力』が抜けていくようです。秋風が煽るように吹き始め『公園』にいた人々は、いつの間にか何処かへ去って行きました。何もする気持ちになれず、座り込んだまま何もできません。このコスモスはそんな『私』の前で寂しそうに揺れています。写真 お借り致しました。

 

『公園のベンチ』で隣に座った『老人』は言いました。『元気が失くなったときはねェ、自分の子供のときのことを思い出してみるんですよ。

私もここ数日、明らかな愁訴を感じていました。目の前に越えるべき山が見えるなら這ってでも登ろうと思うのですが、山はどこにあるのかすら見えません。漠然とした不安や寂しい気持ちが胸に溢れます。        

伝わっていたと信じ切っていた事がそうでなかったり、際限なく襲う災害の脅威は何故だろうと考えてみたり、離れて暮らす息子の電話の声が沈んでいたり、自分の余りの迂闊さに愕然としたり、毎日の残虐な戦争の映像に落ち込んだり、自分のしていることは何の価値もないと思ったり。

流氷の海に一人で浮かんでいるようです。身体に漲っていた筈の『力』が、気づくとすっかり抜けてしまっています。

こうなるともういけません。ソファに横になり天井と観葉植物の葉を目で追うだけです。とても立ち上がれず、口にするのは炭酸水だけ。アーモンドを一粒口に含んでも中々噛み砕けません。目の前から色が徐々に消え、テレビを点けてもモノクロに見えてしまいます。そんな時、この老人の言葉が浮かびました。『元気を取り戻すこつはねェ    そうでした。 幼い頃を思い出すことに致します。

子供の頃、理由もわからず仲間外れにあい、誰も遊びに来ない学校から帰った長い放課後。  祖父がいつもの帽子を被り、いつもの腕カバーをして庭の隅に座っています。私の手には、おやつの丸い青色の缶カンに入った みかん飴と動物ビスケット。開けると人工甘味料の香りが立ちました。「じいちゃんも食べて」 祖父の硬くて節張った指が中のお菓子を一つ摘まみます。私がニッと笑っても、ただ黙って手仕事を続けています。その日は鍬の柄を修理していました。私も側で見ています。       

そこまで浮かんだ時、この短編の中に登場する幼い日の可愛らしい『私』がふらふら『阪急百貨店』の前でバスから降りて来るところが浮かびました。『モク拾いのおじいさん』に『こら、お前、なんでいままで、わしに手紙のひとつも出さなんだんや』そう怒鳴られた言葉が蘇って来たのです。        

いつの間にか、リビングの窓の外は、夕焼けの鈍い輝きに包まれ始めています。私はやっと痺れた両脚をさすりながら立ち上がります。昔の友達に葉書を書こう そう思いながら。

秋口にもしも風邪をひかれますと、冬を乗り切るのが大変です。どうか暖かくしておやすみくださいますように。温かいお風呂にもゆっくりお入りくださいますように。私も早くこの状況から抜け出します。またお便り致します。ご自愛下さいませ。どうかごきげんよう

 

                                                                           清月   

 

 

【28】『眉墨』 宮本 輝著   『 五千回の生死』に収録

宮本 輝さま

今年は雨が多いように感じます。この雨が日本の大地を潤してくれています。ありがたいと思いながら、何度も台風に見舞われる沖縄地方の方は本当にご苦労をされています。どうか被害が出ませんように。今日は『眉墨』を読みましたので お便り致します。

f:id:m385030:20161008192358j:plain

この写真の太陽は、稜線を光らせながら姿を隠そうとしていますが、消えてしまった訳ではなく山の向こう側にいます。煌めく光を雲に残して、またの日の為に今、美しく輝いています。このお話の『母』のようなのでお借り致しました。       男が垣間見せる優しさは、100年続く恋のように胸が騒ぎます。 私は男ばかりの家族に囲まれて何十年も暮らしていましたので、どうして男は自分だけの正義の御幟や、攻め込まれない為の鉄の鎧や、相容れない相手を切り捨てるナイフを持ち歩かなければならないのだろうと思います。  そんな男が本当に持つ優しさは、このお話の中では『母』に向けられました。

暑い夏に身体の弱ってきた『母』を、涼しい処へ連れて行こう。老いた『母』が、薄いむらさき色のワンピースを着て嬉しそうにしています。  でも、軽井沢の別荘地に着いて間も無く『母』の『病気』が見つかります。   

このお話の中に夕焼けを見ているシーンが出てきます。母を絶望の底に沈めたくなくて、『母』の胃癌を胃潰瘍だと告げようと決意した『息子』の目に、美しい夕焼けが滲んでゆきます。 『お母ちゃん、胃潰瘍でよかったなァ。助かったなァ』    けれど、『母』は『息子』が心配するような心の領域にはいませんでした。『お前、心配せんときや。生きるもよし、死ぬもまたよし。…』そう答えます。   そして見物に出かけた夜の病院の庭で、鮮やかに打ち上げられる沢山の『花火』…その光は『母』の過去を次々と浮かび上がらせます。     幼い頃は家族に恵まれず、貰い子に出され、そこにもおいてもらえず、淫売宿の下働きの奉公に出され、結婚してからも働きどうしで、亭主には苦労させられ、生きる希望も無くなり自殺未遂までした『母』の過去。  それでも『母』は 今 、笑って嬉しそうに『花火』を見上げています。   そして『息子』はあとからあとから流れ落ちる涙をそっと指でぬぐいます。  そんな『母』が 2・3年前から、寝る前に丁寧に眉墨を塗るようになりました。寝ている間に、もし死ぬようなことがあっても、自分が生きた証のその時の顏を、あやふやな幻にはしたくない覚悟でもあるかのように。   そんな『母』も、 気が逸る病院への道路で、皇室の車が行き過ぎるのを長い時間待たされた時、自分の人生と皇室のそれを較べずにはいられませんでした。でも『母』の宿命へのやるせなさは、心配して怯えているだろう『息子』の頬を、後ろから両手でそっと包み込む労わりへと変わってゆきました。 今夜も母はひとり、部屋の電灯の下で真剣に眉を描いています。

 

金木犀の香りが雨上がりの庭から仄かに漂ってまいります。この香りで幼い頃、庭で祖父と過ごした遠い日々が蘇りました。祖父が葡萄棚を組み立てたり、ヤギや鶏の小屋を作るのをずっと見ていました。  お忙しいご様子、お身体ご自愛くださいますように。またお便り致します。どうかごきげんよう    

                                                                           清月  蓮

 

 

 

 

【27】『トマトの話』 宮本輝著  『五千回の生死』に収録

宮本輝さま

 

秋は物思いの季節ですね。時代が目まぐるしく変わってゆくのを、ただぼんやり見ているように思う時があります。野辺に咲く曼珠沙華は美しいのだろうか、それとも死人を出す恐ろしい花なのだろうかとりとめもない事を考えています。今日は『五千回の生死』に収められています『トマトの話』を読みましたのでお便り致します。  

f:id:m385030:20161001181935j:plain

  クリーム色の曼珠沙華は、本当は思いっきり紅く燃えたかったのに、そうできなかった『 江見  』の心のようです。病いに倒れ、自分の命の終わりに気づき、赤いトマトを抱きしめたかった。毎夜 過去を忘れようと飲み続けたお酒のせいで、末期の肝硬変に陥ったのです。飯場の人々は自分の事だけに懸命で、そばの男にかまう人はいません。   炊事場の女が、返事だけして買ってこなかったトマト。でも『小野寺』は忘れませんでした。重労働で身体は重く、きっと脚は棒のようだったでしょう。でも、汚れた布団に横たわり、医者にも診せられない様子で寂しく横たわる、見ず知らずの男さえ見捨てておけなかったのです。

『江見』が『セツ』に宛てた最後の手紙が胸に浮かびます。その手紙には、きっとこう書かれていたような気がします。     

《貴女をおいて都会に出てしまった自分が間違っていた。一日も貴女を忘れた日は無かった。あの頃のように真っ赤なトマトを二人で作って暮らしたかった。どうか自分を許して欲しい

でも、手紙は、熱いコールタールに焼かれ、アスファルトの下に消えてゆきました。

『江見』は震える両手でトマトを撫でながら遠のく意識の中で、夢をみていたのかもしれません。幸せだった『セツ』と暮らしていたあの頃の夢。   『セツ』は今もトマトを作って暮らしているのでしょうか。それとも別の誰かと暮らしているのでしょうか。『小野寺』は『江見』が、口から潮のように吹き上げた血糊と腐ったトマトのこびりついた布団や畳を、ちゃんと始末して上げました。  自分のことのように遅くまで落とした手紙を探し回り、あんなに必死でアスファルトまで剥がしてくれと頼みました。     ですから『小野寺』さん、どうか自分を責めないでいて下さい。手紙は『江見』が書いた時に、もう既に彼の心は満たされて、貴方が投函することを引き受けてくれてどんなにか安心したでしょう。たとえその手紙が今の『セツ』に届けられなくても、それでもいいのかもしれません。 貴方がトマトを食べられなくなっただけでも、本当に随分とお気の毒なんですから。

自分の中にはっきりとした映像まで浮かんだ印象深い物語でした。クリーム色の曼珠沙華を見るたび、伊丹昆陽の交差点に差し掛かるたび、この短編を思い出します。人の事が心配で、何とか役に立ってあげたいという思いは、忙しかろうが、大変な立場であろうが、心やさしい人には起こるものだと思いました。せめて自分の周りに、何かを一生懸命されている人達の為に出来ることをしいたいと思います。自分の事だけに夢中なのは寂しいことですから。季節の変わり目、お身体ご自愛下さいますように。またお便り致します。どうか ごきげんよう

 

                                                                            清月 

 

 

 

【26】『香炉』宮本輝著   『真夏の犬』に収録

この写真は、次々と愛する人を追いかけ、懸命に命の限り求めずにはいられなかった『清玉』の心のようです。 身体から無数の感情を迸らせて、細い糸で精一杯の愛情を求めています。ピタリの写真をお借りできて感謝しています。  

f:id:m385030:20160924170720j:plain

 『一心不乱』という言葉が出てきます。『清玉』は何をするにもそうであったと。そしてそれはまるで『妖怪』のようですらあったと。『私』が『清玉』を訪ねて辿り着いたロンドンのチャイナタウン。  世界中に広がる、どこの国にも必ずある蜘蛛の巣のように張り巡らされた別世界。そこはまるで洞窟のように仄暗く猥雑で、秘密めいていて、それなのにどうしてか惹きつけられる場所です。説明出来ない独特の香りと、食べ物の匂いが混じり合い、辺りに漂っています。路地に並ぶ店々、奥まった人々の住処には、外からは窓のように描かれていて、中に入ると壁でしかない外と完全に遮断された不可思議な空間があります。世界中に散らばって行った 華僑と呼ばれる華人達。小さな店から逞しく世界中にその力を延ばしてゆきます。足ることは知らず、何処までももっと遠くへと求め続けます。ですが、彼らの新天地を追い求める心は、とても熱心で懸命さに溢れています。自分の商売の向上に弛まぬ努力を惜しみません。その路地は終わることがなく、今日から更にもっと豊かな明日へと向かって切り開かれて行くのです。『清玉』はきっとこの血を受け継いだのでしょう。自国を離れ、台湾から日本にやって来た漢民族の、弛むことない永い歴史の血脈。《自分をもっと愛して、もっと強い腕でつかまえてと         ですから、安住の地も永遠の愛だと思える人も、求めても求めてもお終いになることはありません。そんな『清玉』を少し哀れに思います。彼女のせいではないかも知れないのに。悠久の彼方のずっと奥から『清玉』をこんな風にした歴史が、小さな声で彼女を呼び続けていたのかも知れません。今、『清玉』は、何処にいるのでしょう。本当に死んでしまったのでしょうか。もしかしたら、気が狂れてしまい、このチャイナタウンのどこかの『窓のない小部屋』で、娘を想いながら毎日泣いたり、笑ったりしているのかもしれません。それとも、もっと自分を愛してくれると信じた人に巡り会い、その人と共に何処へとも知れず、去ってしまったのでしょうか。それにしても何十年の時間が経っても 『私』はたった一夜『清玉』と過ごした若き日のことが胸の底にくすぶって 、自分の猜疑心と対峙したかったのです。自分のキズを男としての誇りに変えたかったでもそれは空っぽの『香炉』が答えています。男と女の性の営みは得てして目に見えない、答えのないものなのでしょう。

 

毎日、世界は落ち着く事なく、次から次へと事件や揉め事や問題が起ります。

人間の欲望に底がない為でしょうか。いつか貴方の著書に人々を幸せにできる『写真集』の事が書かれていました。FBを見ていますと、沢山の人がそれに参加されています。優しい気持ちや愉快な気持ち、強く揺さぶられ反省の芽にできる写真の一葉それらが世界に向けて伝えられるのは素敵な事だと思います。次は『五千回の生死』の短編集を読ませて頂きます。またお便りできますように。どうかごきげんよう

 

                                                                      清月  

【25】『赤ん坊はいつ来るか』宮本輝著 『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

お元気でおられますか?  数十年前、貴方に宛てて便箋 10枚の長い手紙を書いたことがありました。けれどこんな手紙は自己満足で、著名な作家が読者からの手紙を読む訳がないと考えて、出す勇気がありませんでした。でも、先日お会いした時『ブログ、読んでいますよ』と仰って頂き、今は夢のようです。今日は『赤ん坊はいつ来るか』を読みましたのでお便り致します。f:id:m385030:20160917114622j:plain

この写真は、ひたすら赤ん坊を求めて、諦めざるを得なかった『小沢さんの奥さん』みたいです。まるで童女のように燃える想いを抑えきれず、赤ん坊を欲しがっています。そんな烈しい心のように見えましたのでお借り致しました。

これは昭和33年のお話です。その時代には夏の過ちから生まれた赤ん坊を川に流したり、産んでも育てられない赤ん坊を、闇で売り買いするようなことがあったようです。赤ん坊は川に浮かびながら、生きている人間たちの自己本位な欲望を、見えなくなった目で見ています。誰にも訴えられず黙って流され、へその緒さえ切ってもらえず、さぞ辛かったでしょう。
『小沢さんの奥さん』は、どうしても欲しいものを手に入れようと強く願い過ぎて、どこかのネジが切れてしまいます。子供が出来にくい身体でも、どうしても赤ちゃんが欲しい。だから想像妊娠みたいになり、心まで病んでしまいました。オロオロするだけの『小沢さんの夫』は、ヤミ医者が産ませた赤ちゃんを不法に手に入れようとします。そして、警察に連行されてしまいます。

命は不思議なものです。人が強く望んだから、その人の元にやって来るものでもなく、望まなくても突然来ることもあったり。命は、人の欲望や願いや性欲をも超えた、どこかわからない川のずーっと奥の奥から私達のところへ流れて来るのです。
『ぼくらには、子供なんか、もうどうでもええやないか』
『赤ん坊は、もう来やへんの?』
『そうや、もうぼくらのところには来やへんのや』
二人は、『母』が教えたかったことをやっと知りました。命は人の勝手な意志では手に入らないこと、人の手の届くところやすぐそばの川の中にはいないということです。それに、『般若のおっさん』がやった悪事は全て暴かれ、背中の刺青を剥ぎ取られてしまいました。いい気味です。少しは懲りたでしょうに。

いつか『私』に頼んで捨てられた子猫たちは優しい人に拾われたでしょうか。
  『小沢さんの奥さん』は、赤ん坊をたくさん産んだ猫に嫉妬して、見ているのも辛くなり『私』に捨てて来るように言いました。でも、きっといつか救われたポンポン船の上にいる猫に向かって、大きく手を振るような気がします。

夏が終わってしまうと思うと、少し寂しく感じます。今でも乳児虐待のニュースが流れて胸がふさがれます。恐怖と孤独がもたらすこのような事件が無くなる日が来るといいのですが。今日は満月が見えました。貴方もご覧になられたでしょうか。またお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                       清月  蓮

【24】『チョコレートを盗め』 宮本輝著  『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

やっと涼しくなり、ホッと致します。この夏も昼間はエアコン無しで過ごしました。近頃 報じられる残虐なニュースまた次々襲う災害の猛威に、時として気持ちが削がれてしまいそうです。でも出来ることをやり続けるしかありません。貴方がなさっているように。今日は『チョコレートを盗め』を読みましたのでお便り致します。

f:id:m385030:20160911205512j:plain

この写真の花は暗い環境の中で、闇夜に誓いを立てどんな手段を使っても『高架の南側の暗闇』から抜け出そうとした『花枝』のように感じましたので、お借り致しました。 匂い立つ色香と孤独な心が見えるようです。

『花枝』の『母』は、男をとっかえひっかえするだけでは飽き足らず、恰も自分の娘が男の性の相手をするような思わせぶりで、卑猥な言葉を囁くのです。『チョコレートより甘いもんで、花枝はお返ししてくれるよってに』…
こういう人を淫乱と呼ぶのでしょう。この台詞は恐ろしいです。  どういう人なんでしょう。もっと怖いのは、そんな母の娘『 花枝』がとても冷静に、自分の未来の安定をそこに上乗せしたことです。自分の母より強慾に。
女の性は それを使って自分の欲望を果たそうとする、まるで毒薬のようなものを秘めています。『花枝』は、その底にねっとりと毒を隠しもち、男を意のままに動かそうとしていました。しかもまだ中学生だったと言うのに。

『チョコレートを盗め』…甘くてとろけそうな香りと食べると幸せが掴めそうなチョコレートみたいなそんな誘いは、魅惑に満ちて鼻先近くまで迫ってきます。でも、そう囁いた女も誘いにのった男も、生きている間にきっと決着の時を迎えます。『花枝』は『男』の心と生きる場所までも、甘い罠で奪ったのす。そして十数年が経ち、 騙されてこの街から去った『男』が『花枝』の元にやって来ます。約束を果たせと。チョコレートより甘いもので返せと。

女が持つこの毒薬は、一度使ってしまうと自分の体にもその毒が回り 、一生そこから逃れられなくなる、そんな毒薬なのです。昔、『新田』が自分を好きだったことがわかっているから、袖口から白い腕をさりげなく見せる媚びは『花枝』の体から決して去ることはありません。いくら明るく健気に生きて、几帳面に年賀状を書き続け、母の介護に座敷牢のような家で6年を過ごした日々があったとしても…です。『新田』もここに引っ越して来て、たった数日で『花枝』の店を訪ねたのは『花枝』に会いたかったのです。男も女も美しさや魅惑には逆らえません。毒薬を体の奥底から零さない様に生きる女も、また毒薬と分かりながらも、その香に惹かれ口に含む男も、結構 骨が折れるものです。

この作品は、『避暑地の猫』『月光の東』『草原の椅子』などにもテーマとして織り込まれています。人生の転落や誘惑や欲望は、美しさの上に訪れることが多いので、ひととき自分を忘れ、密かに飲んだお酒に酔うように読めるのは、とても愉しい時間です。またお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                           清月  蓮