花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【49-1】『月光の東』宮 本  輝 著 《その一・塔屋よねか について》

宮本輝さま

桜が満開のこんな時期に、初めてお便りを差し上げてから一年が経ちました。春は物憂く過ぎています。どうしてか『月光の東』を開いてみたくなりました。去年、興福寺に阿修羅像を見に行った時、太陽神とされるその美しさの底に、言い知れない哀しさを感じ、同時に月光菩薩の姿が浮かびました。それ以来、胸の中では『月光の東』への想いが燻り続けておりました。ですから、短編集『星々の悲しみ』の途中ですが、今日は『月光の東』についてお便り致します。

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 この写真は静かに燃える月がとても美しく、現在50歳の『塔屋よねか』のような光だと感じましたのでお借り致しました。輝く月は、死に物狂いの末に掴んだ彼女の心のようです。

《塔屋よねかについて》

『ねェ、私を追いかけて。月光の東まで追いかけて』…

この呪文のような言葉が何を意味するのか、自分なりに納得しなければ、何度読んでもこの物語は終わらないと考えています。宮本輝さんは、読者を煙に巻くだけの無駄な言葉は、一文字も使われない事を知っているからです。

『よねか』の母は、結婚して『よねか』を生みましたが、事もあろうに、自分の『夫の兄』と、逃避行の旅を始めてしまったようです。『よねか』を連れて、世間の目から逃れて、周りに見咎められると、住む場所を変えなければならない生活です。安定した仕事も持てず『養父』は穏やかな人でも、ある時期には『酒乱』になり『よねかの母』を陰湿に虐めていました。子供の最大の不幸は両親の諍いです。冬の北海道でも『よねか』は『言語障害と全身が麻痺した妹』を抱きかかえて、夜の道端に立ち、ただ時が収まるのを待っているしかありません。そんな『よねか』が、現実から抜け出す方法があったとすれば、『神秘的架空の世界』を創り出し、その中で自分を生かし続ける事。

しかし自己が確立した頃に『よねか』は現実にたち向います。画廊を持ち経済力があった『津田』に金銭的援助を委ね、代わりに自分の身体を預けたのです。僅か17歳の少女の決意でした。この時、『よねか』に一体何が訪れたのでしょう。

頭の中の思考や、心の整理とは別に、言葉では明確に説明できないけれど、胸の真ん中にある意識。

《私は、これから「修羅」のように生きてゆく。自分の容姿が人より優れていることを利用する。自分と人々を幸せに導ける力を確立する為に。今の不幸から逃れる為に…》      自身にもはっきりと意識出来ないまま、こんな声を胸の内に聴いたのではないか。西から昇り始めた月が『東』に沈もうとする頃、それを人生に例えるなら、自分の生が終わる頃までに、必ずそれを手に入れるから『私を月光の東まで追いかけて』…つまり、『月光の東』とは場所を示すのではなく「人生の終盤」という意味だったのではないか。朧げながらでも、既に少女の『よねか』はこんな漠然とした願いを言葉にしたのではなかったか。「月の沈む東の空まで、私の人生を追いかけて…そして見届けて…」自分を好きでいてくれた男達に残したい意識の底から、この『呪文』は生まれたのだろうと思うのです。

その現れは、思春期に『よねか』が好きだった『合田孝典』との約束を忘れず、彼が『事故死』した後も、懸命な努力で得た莫大な資産を投じ、彼の名を付けた『養護学校』を開設した事にも現れています。また、後年訪れた、少女期を過ごした『親不知駅』の山道で『大きな枯れかけたひまわり』に執着して、持ち帰らざるを得なかった気持ちにもみられます。太陽を追いかけ、太い幹を育て、輝く『ひまわりの花』を咲かせることに努力を惜しまなかった半生。でも今は『朽ちかけたひまわり』に自分の姿を見て、愛おしく感じ、太い幹を切り取ってまで、胸に抱いて持ち帰ったのでしょう。

『よねか』は、一人の女の一生にすれば、多くの男達と肉体関係を持ちました。いつも『狡猾で淫乱』でありながら、決して自分を偽る行動はしなかった。それは、昂然とした後ろ姿に滲んでいて、どのような時も『自己否定』はしなかったのだろうと感じます。『祈りの叶う人間』の芯を持ち続けた姿でもあった。それは哀れなどと言ってはならない。むしろ、その貫かれた強い意志に畏敬の気持ちさえもたらしてくれました。

少しの間ですが、枝に咲く桜の花と、風に舞い、散りゆく姿を目に焼き付けておきたいと思います。ライトでなく月明かりの夜桜も雨に濡れた桜も好きです。美しい季節をお過ごしくださいますよう。『月光の東』について、もう一通 お便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                       清 月   蓮

 

 

【48】『火』宮本 輝 著 『星々の悲しみ』に収録

宮本  輝さま

四月に入りました。気持ちの良い日が続いています。桜の木の枝先が、黒く尖っていたのに、いつの間にか細い枝先が少しづつ丸みを帯び、薄桃色になってゆくのを眺めているこの時期がとても好きです。今年はゆっくり春が来ているようです。今日は『火』を読みましたのでお便り致します。

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 人の心の奥には、この写真のような場所があるような気が致します。誰もいない、誰からも見られたくない、密かな細い階段のような領域です。無意識の行動や癖は、美しいものとは限りませんが、やはり厳然と存在しているものです。でも、この坂道の向こうには灯りが見えます。無意識の先に瞬く光を信じてこの写真をお借りすることに致しました。

 

世の中には本当に様々な人がいて、その習性も理解し難い事があります。『古屋』は、毎夜、一人でマッチを擦り、快感をもってそれを見ているのです。その火に慰められるこの男には理解が及びません。人の癖はどんな時に始まるのでしょう。難しい心理学の事はわかりませんが、それは無意識の領域に忍び寄るある寂しさをもって始まるような気がします。指の関節をポキポキ鳴らさないと落ち着かない癖も、メガネのフチを何度も持ち上げる癖も、それと意識しない内に始まり、いつまでも止まらない。

『古屋』は一度は結婚して女の子がいましたが、今は一人です。自分の娘は姉に預かってもらい、住み込みで働いています。きっといつも寂しかったのでしょう。『古屋』は『啓一』がまだ子供の頃に、家に住み込んでいた従業員でした。それから数十年経って、奇遇にも成人した『啓一』の、電車の向かいの席に座った『古屋』は、50歳になっていました。しかし彼の気味の悪い癖は、未だ彼から離れてはいなかったのです。

癖は、自己顕示欲や劣等感などが複雑に絡み合い、心の寂しさのほころびから人の身体にいつの間にか忍び込みます。私達は誰もがある種の寂しさの中で生き、自分でも気付かぬ癖をもちながら、見咎められないように、身を潜めているのかもしれません。それはずっと昔の、もしかしたら生まれる前からの潜在意識の中に潜んでいて、心の深い層に蓄積されたままで生まれて来たような気さえ致します。それを見定め、自分の心の汚れや弱さを、今この時に清浄なものへと転換してゆかなければと思います。『古屋』は、50歳になってもまだ乗り越えていなかったのですが、彼は『啓一』に『プロレス』を観せてあげ『ソフトクリーム』を奢ってあげる優しさもありました。これからの人生で、彼が蘇る場面が待っているかも知れないと思います。この写真のように、薄暗い階段を登り切れば、先には灯りが見えています。50歳からでも、より豊かな自己の改革へ向かい、心は拓けていくものだと信じられる作品でした。

今年はどこかにお花見に行かれるのでしょうか。近所にとても可愛い桜のトンネルがあります。毎年、その下を飽きずに往復致します。桜の柔らかい色と光が、沢山の人々に降り注ぎますように。またお便りさせて頂きます。お元気でお暮らしくださいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                      清 月   蓮

【47】『北病棟』 宮本 輝 著 『星々の悲しみ』に収録

宮本 輝 さま

お変わりございませんか。 もう3月も残り少なくなりました。いつまでも寒い日が続いておりましたが、やっと春めいてまいりました。眩しい太陽はありがたいです。春は別れのイメージです。若い人達に、また新しい出会いが待っていますように。今日は『北病棟』を読みましたのでお便り致します。

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 この写真は、物語に出て来る『宇宙の精力』が、色彩の美しさの上に現われたようだと感じました。『西病棟』の窓から、このようなひらけた景色は見えなかったでしょうが、地球に迫る『宇宙の精力』は、何処にいたとしても、漏れること無く及んでいます。元気な時は美しいと感動できても、自分の力が弱っている時は体に迫って来るような、跳ね返せないような圧力を感じることがあったと記憶しております。美しい輝きの大空からそんなことを感じましたので、この写真をお借り致しました。

 

貴方が芥川賞を受賞されて、「さぁこれからだ」と言う時に、肺結核が見つかり、入院を余儀なくされ、後にその頃を題材にした作品を幾つかお書きになりました。実際にお会いした時には、愉快な入院生活の経験談もお聞きしましたが、心の中には動かぬ不安や寂しさや、同じ病棟の方の死を間近に見守られた経験もお有りだったのかと想像しております。

『尾崎』の病室の真下で暮らす『栗山さん』は58歳で、何十年も病いと闘っています。穏やかな『ご主人』がお見舞いに来ています。『ご主人』は、雨が降っているのに長い時間、『中庭』に佇み、『栗山さん』が色とりどりのセロファン紙で作った『影絵』を、辛抱強く見ています。   影絵の題名は『宇宙の精力』です。「星や花や鳥や人間」が登場しているとありますが、影絵のあらすじは書いてありません。見ていた『ご主人』にもよくわからなかったようですが、このような長い闘病生活を経験した人でなければ、創り出せなかった物語があったのでしょう。内容を想像してみますと…

地球上のありとあらゆる物は『宇宙の精力』に満たされて生きています。人間もその中の小さな一粒である限り、逃れることはできないのです。そして『宇宙の精力』は、止むことなく『降り続く雨』のように、全てを覆い尽くしています。生物も月や星も例外なく『宇宙の精力』の下に生きているのです。人間だけは、そのことに逆らおうとしたり、いつまでも若くいたいと願ったりします。それは人間を、進歩のレールに載せることもできるのですが、科学がどんなに進化しようと『宇宙の精力』を消すことはできません。「鳥」は木の枝で、死ぬまでの時間を囀り、大空を旋回して海を渡ります。「星」は何億光年も変わらず無数の運河のように瞬いています。「月」は宇宙の見張り番のように、目を細めたり見開いたりしているかのように、柔らかな光を投げかけてくれています。このような宇宙に厳然とある約束事に気づけば、死はもはや怖いことでも、恐れるものでもないのです。『栗山さん』は、生きている今の時間、自分の肺がまだ空気を吸っていられる時間を大切にして、残された命を愛おしく生きているのだと感じていたのでしょう。死はもはや『栗山さん』にとって、宇宙に帰ること。だから、「どうか心配しないで、悲しまないで、私は大丈夫…」そんなことを、影絵を通して『ご主人』に伝えたかったのかもしれないと思いました。影絵の物語を想像しながら、片方で、『尾崎』こと『宮本 輝』と言う作家が、まだこの世で遣り残した「使命」があること。それを自らがお感じになられていること。それ故に、生き抜く為の『宇宙の精力』を、穴の空いた両肺に吸い込み、眠れるだけ眠り、好き嫌いを言わず食べ、とうとう病いをねじ伏せられたのだろうと思いました。

今日は、雨で柔らかくなった、人が通らぬようなあぜ道で、土筆を沢山積んでみたいような気持ちがしました。ハカマを外して、甘辛く煮付けて、お茶を飲みながらゆっくりと食べたいと思うような午後でした。またお便り致します。ご自愛くださいますように。どうか、ごきげんよう

 

                                                                          清 月    蓮

【46】『西瓜トラック』宮本  輝 著  『星々の悲しみ』に収録

宮本 輝さま

お元気でお暮らしのことと思います。今朝、何気なく『宮本輝の本』をめくっておりました。『自己分析』の項を読んでいますと、同時に6篇の連載を抱えておられた時期があったことが記されていました。流行り言葉で表すと神業です。『我慢強さ』などと仰られていますが、一文字一文字書くしかなく、魔法の方法はない…と思い入りました。今日は短編集『星々の悲しみ』の中の『西瓜トラック』を読みましたので、お便り致します。 

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昔は、何処にでもあったこの写真のような原っぱには、泡立草がはびこり、夏の盛りなのに、いつの間にか芒の穂がそこに混じります。このお話の場面の描写には、ぴったりの一葉だと思い、お借り致しました。

 

高校生だった頃『土屋』は、自己主張をあまりせず、流れに身を任せ、特に強く大学にいきたいとも思わず、『父』の裏工作を感じながらも、地元の市役所に勤め始めました。誰でも働くと、何処かで溜まったガスを抜きたくなるものです。『土屋』は『珈琲専門店』で、そんな時間をもつ習慣が出来ました。そして、どんなに平凡に見えようとも、人間にはガスを抜く以上に『烈しい歓び』の時間を求めるものなのでしょう。高校生の彼は『バイト』をしたお金を貯めて、リュックを担ぎ、海辺の町や村に向かって旅をしていました。ひた走る列車の窓から、海が現れる瞬間に、無上の『幸福感』に包まれるのです。群青色の海が展けた時、空想の扉が開き、自分だけの歓びと満足感が彼を包みこみます。そんな彼が思い起こしたあの夏の日…

西瓜を積んだトラックで『 東舞鶴』からやって来た『男』が、トラックの番を『土屋』に任せて訪れたアパートは、故郷に住んでいた『女』との、情事の場所でした。トラックの『男』の隠すことのない、自分の身体を絞ったタオルで拭く情事の後始末を盗み見ながら、『土屋』を襲ったのはなんだったのか。小さな子供のいる家で行われたであろう事は、高校生の『土屋』には、想像を超えたものだったのでしょう。性欲を満たしたい『男』と、それを受け入れざるを得ない自分の体を知っている哀しい『女』の性は、どこか、寂しさを伴い『土屋』に忘れ難い記憶として残りました。    そして数年後、そのトラックが、もしかしたら、あの原っぱに、また来ているかもしれないと思った瞬間…昼休みが、あと10分しかなくとも、もう一度会おうと、市役所を飛び出しバイクを蹴って走った『土屋』の胸に去来したのは、青い海原に浮かぶさびしい女のアパートの『漁火』のような灯りでした。    性の波の寄せ返しに、ゆらゆら揺れる人間の『男』と『女』の暗闇に瞬く欲望の光。生と死の狭間に浮かぶ人間の宿業の灯り。それはまるで熟れ過ぎた『西瓜』が、ほんの少しの空気の揺らぎで爆けるしかないのに似た、人間の性欲のように見えます。熟れ過ぎた『西瓜』の中には、形を成さないドロドロとした赤い液体。その深い果実の底を、はっきりと見極められなかったあの頃の自分に戻って行く為に、『土屋』はひとつの禊のように、あの夏の日の出来事を確かめておきたかったような気が致しました。

日が長くなったのを感じます。私の苦手な寒さが去り、暖かそうな明るい日差しが降り注いでいますが、風は思ったより冷たく、まだ寒さは完全には去ってくれません。季節の変わり目、どうぞご自愛くださいますように。またお便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                      清 月   蓮

【45】『夢見通りの人々』  宮本  輝著

宮本 輝さま

三月に入りました。貴方さまにおかれましては、古希を迎えられ、お元気にお仕事をされておられますこと、心よりお慶び申し上げます。本当におめでとうございます。私はポカポカと太陽を浴びるのが好きです。晴れた日は、近所をただゆっくり歩いております。どうか、のんびりした時間もお過ごしくださいますようお祈り致しております。今日は『夢見通りの人々』を読みましたので、お便り致します。

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 青空に向かって花弁を開き、精一杯両手を挙げているチューリップ達は、『夢見通りの人々』のようです。夜の場面が多いお話ですが、最後まで読み終わると、何故か、この写真が似合うと思いました。とても色彩が美しく、思わず笑みが溢れそうなのでお借り致しました。

『夢見通りの人々』の住人たちみんなは、ざっくばらんで、直裁的です。どの人もこの人も、自分の気持ちを迷わず言葉や行動に直ぐ表してしまいます。読んでいる間中、ニヤニヤが止まりません。まだ観ていないこの映画の映像がクッキリと浮かび上がる気が致しました。躍動感に溢れ、商店街の夜の街灯や人影までもが浮かび上がる描写に感嘆しております。今日は登場人物の「女の人たち」に目を向けて書いてみたいと思います。そこには、様々な衝動が起こした行動を、現実のものにしてしまう力強さを感じました。

年老いて自分の余命を悟った『トミ』は、血の繋がりのない『春太』の優しさに触れ、残りの財産を彼に上げようと行動します。『太楼軒の娘・美鈴』は、育ての親の方が、実の親より好きだとはっきりと言い、外交官になる為に『アメリカン・スクール』に入ります。『時計屋の息子』と逃避行に出た『理恵』は、好きな相手でも、子供の父親にはしたくない意思を固めて実家に戻ります。美容院の『光子』は、かまぼこ屋の二階に下宿している『春太』が、自分に寄せる想いを知りながら、肉屋の元ヤクザ『竜一』に男を感じています。そしてそれは自分には受け入れ難い道であろうと考え、誰にも黙って、故郷へ帰って行きます。スナック『シャレード』の『奈津』は、永遠に手に入れられなくとも、美しい自分でありたい気持ちと、自分の美意識に適う、若くて美しい男を追い求める事をやめません。   この商店街に住む「女の人たち」は、自分をしっかり見つめ、同時に未来を見ています。そして、その未来に向けて、迷いなく行動しています。出来そうで難しい。でも、それに向かい昂然と決意して行動を起こすのです。小さな商店街の片隅に、こうして生きる女達がいるのは、頼もしい。その女達を見つめながら、『春太』は、人の事を思いやり、自分の不甲斐なさを自覚しながら『詩』を書き溜めています。まだ頼りないけれど、ひたすらこう信じているのです。『詩こそ文章による最高の芸術だ』と…そしていつか自分の詩集を出そうとお金を貯めています。難解な言葉を使わない、生涯に一冊だけの詩集の為に。

私の育った時代のせいにするつもりはありませんが、まだ自分の中で何も確立出来ていない時期に、いつの間にかという感覚で母親になって、今日まで疑問も持たず生きて来たような感覚に、今頃になって気付いています。ですから、この中の「女たち」はとても輝いて見えました。大阪ミナミの片隅の商店街は、今日も、こんな「女たち」が逞しく生きているのでしょう。

世の中は毎日毎日、驚くようなニュースに満ちています。心が塞いでしまうこともよくあります。その上、同年代の有名な方々の訃報が届いたり…でも、自分の足元からしか何も出来ないと言い聞かせて、自分の立ち位置を考える日々です。またお便り致します。ご自愛下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                       清月 蓮

【44】『泥の河』 宮本 輝著

宮本 輝さま

2月は飛ぶように過ぎ去った気が致します。今年も一度も風邪を引かずに乗り切れました。あまり人混みへ行かない所為ですね。私は都会の喧騒が好きではありません。用事で都会に出ても、終わると一目散で家に帰ってきます。今日は『泥の河』を読みましたのでお便り致します。  

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 この写真の水のうねりを見ていますと『お化け鯉』が、今にもその腹を翻して姿を現しそうです。《ムイカリエンテのアルバム》に、この写真を見つけた時は、ドキッと致しました。この写真以外ないと思う位、イメージを助けて頂きました。感謝してお借り致します。

『泥の河』は『川三部作』と言われています最後の一作です。考えてみれば、貴方の作品は、他にも《川・河》が、数多く登場します。幾筋もの川が湾に注ぎ込み、そこでひとつの海になるように、人間の生命はその川の飛沫の一滴であることが、絶えず貴方のお心におありなのかと感じます。

この物語は第13太宰治賞を受賞された作品です。1981年には、小栗康平監督の自主製作映画として公開されました。この映画は本当に良かったです。本を読んだ時の気持ちが、より深められ、気になるところもなく、ここまで理解されていることに感謝したいと思いました。お二人のお人柄と才能の合作とは、こういうものだと思いました。

私たち「宮本輝ファン」同士で、数年前、この中に出て来る『お化け鯉』とは何だろうとネット上で話したことがありました。それは「貧しさと不幸」の象徴だとか、「宿命」の暗喩ではないかと話したり致しました。しかし、改めて読み直してみますと、それは理解に近付く為の、一つのもがき だったようにも感じます。この本の「解説」で、水上勉さんが《暗い・闇の入り口・怖さを忍ばせている》と述べられた上で、『宮本輝』という新人作家の登場に、途轍もない期待と驚嘆をされておられるのを感じました。この作品には、確かに、さぁこれからトラックを買い、仕事に夢を抱けるようになったと話していた『男』の悲惨な事故死が冒頭から出て来ますし、廓舟で生活するしかなく、学校にも行けない『姉弟』の生活が見えたり、せっかくもらったお祭りの大切なお小遣いを失くしたことにも、強く哀れさを感じます。その上、鳩の雛を握りつぶしたり、蟹を焼く怖い場面まで描かれています。『沙蚕採りのお爺さん』が『鬱金色の川』に消えたことなどどれを取り出してみても明るさはありません。戦争を潜り抜け、全てを失くし、自力で這い上がろうとして、懸命に生きる底辺の人達を襲う悲劇の連続です。

ですがこの物語を読んで、時間が経つと、それらは後ろに下がってゆき、『信雄』を愛おしく可愛がった両親の仕草や言葉、少年の清純な心や、『銀子』の全てを受け入れて耐える芯の強さ、大きな声で『きっちゃん』が軍歌を高らかに歌う声が蘇って来るのです。私は、戦後のあの時期を片隅に記憶しています。それはこの物語ほどでなくとも、進駐軍とその腕にぶら下がっていた日本の女の人の記憶、川の上の小さな三角形に、廃材で自力で建てられた小屋のような家も見ています阪急電車の地下通路には、アコーディオンを鳴らして、物乞いをしていた傷痍軍人それらを思い出していると、幼い頃の自分の心は、暗くも悲しくもなかった事に思い当たりました。そこで、この物語に数度出てくる『子供心に』と言う言葉に気付きました。それは、戦後の貧しさの中であろうと、理不尽な『警察官の尋問』に合おうと、思い通りの物が手に入らなくとも、子供達は逞しく好奇心に満ち、友達を求め、優しい心を失わず、親はどこまでも子が可愛そんな小さな明るさが、次々と影絵のように浮かび上がりました。体を売って口に糊していた廓舟の『母親』でさえ、子供の友達を『黒砂糖』で精一杯もてなそうとするのです。  それらから『お化け鯉』は『喜一』と『銀子』の成長を見守っていたいと願う、戦争で亡くなった「お父さんの化身」だと思えるようになりました。母親が身体を動かして働くことを諦めて、身をひさいで生きてゆくと、子供には「危険な萌芽」が生まれます。ですが、『子供心に』友達と『お化け鯉』の秘密の共有をした思い出によって、きっとしっかりとした大人として成長していってくれるに違いないと、そう信じられるようになりました。

暖かさが日に日に増して、寒さの感覚が薄れてゆきます。戦争を二度と起こさないと心に誓いながら読み終えた一冊でした。哀しいけれど暗くは感じたくない物語です。懐かしく読ませて頂きました。お元気でお暮らし下さいませ。どうかごきげんよう

 

                                                                             清月   

【43】『螢川』 宮本 輝著

宮本 輝さま

今週は雨が降りました。恵みの雨のようです。冬の霙混じりの頃とは、空気の温度が違ってきました。東風と北風が交互に吹き、本当の春に近づいていくのですね。いかがお過ごしでおられますでしょうか。今日は『螢川』を読みましたのでお便り致します。 f:id:m385030:20170225202551j:plain

『雪・桜・蛍』の三つの章に分けられたこの作品には、どんな写真がいいのかと思い悩みました。十数枚の写真から、やはりこれを選択してお借り致しました。『雪』の上に散った花びらは『桜』ではありませんが、たとえその前に咲き散る梅であろうと、この写真からのイメージは変わりませんでした。初々しい『英子』にも、妖しいほどの『蛍』の閃光と揺らめきにも、やはり富山の『雪』を添えなければなりません。

『春があっても、夏があっても、そこには絶えず冬の胞子がひそんでいて、この裏日本特有の香気を年中重く澱ませていた…』

『螢川』は、1977年「展望」に掲載され、その後、芥川賞を掴み取られました。

この作品は、他の作品とは全く異なった座標軸から現れた作品のように思います。この中には作家として、これから書こうとなさっている作品の「核」を成すものが、既に『胞子』となり、至るところに潜んでいます。失礼を承知の上で書かせて頂きますと、この作品は「狂気」が成した技であろうと感じました。普通に暮らし、ご飯を食べ、お風呂に浸かり、ぐっすり眠る…それが「正気」であるとするなら、この作品を書かれていた時間軸は、「血の赤」に染められていただろうと思うからです。読む人の体ごと震わせるほどの感動をもたらす作品は、そんな「狂気」と呼ぶ他にないところからしか、生まれ得ないものかもしれないと感じました。ともかく、この時代の他の芥川賞の候補作品などと比べることが出来ない位の、ぶっちぎりで一等賞の作品を書く以外、貴方に残された道はなかったのです。何故なら、この頃、既に貴方の肺には、病いの根がじわじわと忍び寄り、精神は不安神経症に苛まれ、おそらく貯蓄は底をつき、それなのに奥様のお腹には、二番目の息子さんが育っておられました。この物語は、その後の作品を生み出す途轍もないエネルギーを湛えており、「池上さん」という確かな人と出会われたこと…全てが「正気」の世界では起こり得なかったことなのだろうと感じます。作品を読んだ人は残らず、最後の場面で自分の心音が聴こえるかのような感動をもつでしょう。『蛍』が本当に『いたち川』の上流に、いたかどうかなどを論議する「正気」の人には分かり得ない、この世のものとは思われない位の美しい『蛍』の炎舞であったのです。そして内容に触れないままでここを閉じておきたいと思う位、私にとって特別の作品でした。出逢えて本当に良かった。出逢えていなければ、私は文学の入り口にも立てぬまま、享楽的で、平和で、人のことなどに気づかぬ生活を送っていただろうと思います。初めて、人の命の不思議な闇に連れていって頂けたのです。感謝して出逢えた自分の強運に感謝しております。

あと少し、残り少ない二月を愉しんで過ごすことに致します。空気の中に花の香りが漂います。温暖の差が激しい時期ですが、どうかご自愛くださいますように。またお便りさせて頂きます。どうかごきげんよう

 

                                                                       清月    蓮