花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【48】『火』宮本 輝 著 『星々の悲しみ』に収録

宮本  輝さま

四月に入りました。気持ちの良い日が続いています。桜の木の枝先が、黒く尖っていたのに、いつの間にか細い枝先が少しづつ丸みを帯び、薄桃色になってゆくのを眺めているこの時期がとても好きです。今年はゆっくり春が来ているようです。今日は『火』を読みましたのでお便り致します。

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 人の心の奥には、この写真のような場所があるような気が致します。誰もいない、誰からも見られたくない、密かな細い階段のような領域です。無意識の行動や癖は、美しいものとは限りませんが、やはり厳然と存在しているものです。でも、この坂道の向こうには灯りが見えます。無意識の先に瞬く光を信じてこの写真をお借りすることに致しました。

 

世の中には本当に様々な人がいて、その習性も理解し難い事があります。『古屋』は、毎夜、一人でマッチを擦り、快感をもってそれを見ているのです。その火に慰められるこの男には理解が及びません。人の癖はどんな時に始まるのでしょう。難しい心理学の事はわかりませんが、それは無意識の領域に忍び寄るある寂しさをもって始まるような気がします。指の関節をポキポキ鳴らさないと落ち着かない癖も、メガネのフチを何度も持ち上げる癖も、それと意識しない内に始まり、いつまでも止まらない。

『古屋』は一度は結婚して女の子がいましたが、今は一人です。自分の娘は姉に預かってもらい、住み込みで働いています。きっといつも寂しかったのでしょう。『古屋』は『啓一』がまだ子供の頃に、家に住み込んでいた従業員でした。それから数十年経って、奇遇にも成人した『啓一』の、電車の向かいの席に座った『古屋』は、50歳になっていました。しかし彼の気味の悪い癖は、未だ彼から離れてはいなかったのです。

癖は、自己顕示欲や劣等感などが複雑に絡み合い、心の寂しさのほころびから人の身体にいつの間にか忍び込みます。私達は誰もがある種の寂しさの中で生き、自分でも気付かぬ癖をもちながら、見咎められないように、身を潜めているのかもしれません。それはずっと昔の、もしかしたら生まれる前からの潜在意識の中に潜んでいて、心の深い層に蓄積されたままで生まれて来たような気さえ致します。それを見定め、自分の心の汚れや弱さを、今この時に清浄なものへと転換してゆかなければと思います。『古屋』は、50歳になってもまだ乗り越えていなかったのですが、彼は『啓一』に『プロレス』を観せてあげ『ソフトクリーム』を奢ってあげる優しさもありました。これからの人生で、彼が蘇る場面が待っているかも知れないと思います。この写真のように、薄暗い階段を登り切れば、先には灯りが見えています。50歳からでも、より豊かな自己の改革へ向かい、心は拓けていくものだと信じられる作品でした。

今年はどこかにお花見に行かれるのでしょうか。近所にとても可愛い桜のトンネルがあります。毎年、その下を飽きずに往復致します。桜の柔らかい色と光が、沢山の人々に降り注ぎますように。またお便りさせて頂きます。お元気でお暮らしくださいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                      清 月   蓮