花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【65】『ここに地終わり 海始まる』宮本  輝 著 上・下巻

宮 本  輝 さま

身体が涼しさに慣れて過ごし易い毎日かと思っておりましたら、真夏のような暑い日もありました。陽が早く沈み、夕食後の時間がとてもゆったり感じます。好きな音楽を低く流しながら、本を読むのは本当に愉しい時間です。今日は『ここに地終わり 海始まる』を読みましたのでお便り致します。

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 葉陰で揺れる紅い実は、高原の風を受けています。『志穂子』が十八年間を過ごした『軽井沢の療養所』の近くには、こんな可愛い実のなる木があったと想像しています。木漏れ日が明るく輝いて、透き通るように美しく、葉音がさわさわ聴こえてくるように感じましたのでお借り致しました。

この物語は、俗世間の汚れを知らない、恋には無垢な『志穂子』が、最後は誰と結ばれるのだろうとドキドキしながら読み進めました。ロマンへの憧れを沸き立たせながら、深い意味が沈められている『題名』からも示唆を頂きました。

もしも『志穂子』が『梶井』と『尾辻』の二人の内、一人を選ぶとしたら…穏やかで思慮深い『志穂子』は、広い心で愛してくれる『尾辻』の胸に、静かに自分の未来を委ねるだろうと予想して読んでおりました。ですが『志穂子』を十八年の闘病生活から救った『奇跡の電源』は、一度だけ舞台に立ち、演奏していた姿を見ただけの『梶井』からの一枚の『葉書』だったのです。その中の言葉が『志穂子』の命の中に眠っていたものに火を点け、その焔は身体中を燃え上がらせる程の力を与えたのです。人間の命に仕組まれた『電源』とはなんて凄い力を持っていたのでしょう。初恋と呼ぶにはあまりに強い稲妻のような電流でした。では、どうして『志穂子』は、嘘つきでいい加減で、過去に幾人かの女性の影が見える『梶井』に抱かれたいと思ったのでしょう。

例えば言葉、例えば自分への思いやりの行為、それらに感謝することを超えて存在するもの…それは多分その人の目の光から、声のトーンや、単なる気配から…自分の中に直に伝わる何かなのかもしれません。『志穂子』はそれに従いたかったのでしょう。いのちは、奥の奥で、心のそのまた奥で、身体中が燃えあがるような、頭で考えても制御できないような、勘とも言えず本能とも言えない不思議な力を持っているのです。敢えて言葉にすれば、いのちの精 の仕業のような気がしています。

『地の終わり』は過去の自分と訣別し、悪い過去を捨て去ると言う意味で、『海始まる』は新生した自分のいのちの始まりを意味するのでしょう。それは簡単には出来るはずのない、ゲームのリセットのようにはいかないのです。ですが、人が心の底から自分の過去を改め、今までの生き方を変革したいと決意したとすれば、その場所こそ『ここに地終わり 海始まる』処だと思います。してはいけないことをしてしまった懺悔や、忘れ去れない後悔や、軽率な判断から人を傷つけたとしても、時間の熟成を待ち、彷徨いながらもたどり着けるのです。『ここに地終わり 海始まる』…そんな場所に。

ご自身の『あとがき』に、気になる言葉がありました。『幸福という料理は、不幸という俎板の上で調理されるものだと、私はいつも思っています。…』という書き出しです。不幸を意識した記憶はなく、いつもギリギリセーフの私のような人生には、本当の幸福は訪れないのでしょうか。この命題はもう少し作品を読みながら考えてみたいと思いました。小説作法のことならいいのですが…

これから美しい季節が訪れます。冬の前の宇宙の気配を、胸いっぱいに吸い込んで、少しの間、今を愉しみたいと思っております。もう避暑地からお帰りになられましたでしょうか。台風が近づいておりますので、充分お気を付け下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                          清 月     蓮