【9】カインの印
☆★読んで下さってる皆さまへ ☆★
いつの間にか春がいってしまいました。
春が来るたび、そして去ってしまう度、何故か哀しさを感じます。他の季節には起こらない郷愁や、少しの厭世観にも襲われます。所謂 「木の芽時」に過ぎないのでしょうが、普段はしないことをやりたくなったりもします。何十年も書いたことが無かった文章や詩作を、ここ2年ほど前から始めたきっかけになったのは、1つの詩を書いたことからでした。思い切ってここに書き写してみます。今日は読後感はお休みです。少し深呼吸してみたくなりました。
カイン の印
アルベロベッロの隅っこの
小さな扉の屋根裏に
きっと君は 住んでいて
まわりのみんなに 愛されて
ゆっくりやさしく 暮らしてる
時の流れに 目をとじて
秘かに心を 熱くして
時々僕に 会いたいと
きっと願って くれるけど
ずっと会えなくて それでいい
君の話す声も
髪の香りも横顔も
誉めてあげれは しないけど
僕の額についている
カインの印を 届けるよ
アルベロベッロの広場から
一日一度の バスが出て
君は揺られて どこゆくの
夕陽が沈む頃までに
必ず戻って来ようって
小さく十字を きるけれど
きっと君は 戻れない
多分君は 間に合わない
いいよ、おゆきよ
君の心の舞うように
君の心の翔ぶように
僕は気付かぬ振りをして
そっと 木陰で 待っている
アルベロベッロの隅っこの
小さな扉の屋根裏に
きっと君は住んでいて
窓辺に架けた鏡から
時々僕を覗いてる
鐘の音がしてるから
寂しくなんか無いなんて
君は微かに微笑んで
自分の額に付いている
カインの印に投げ kiss
敢えて、お粗末さま…とは書きません。
奥ゆかしさが足らないのでしょうが、書いた限りは、これしか書きようがないと思っているからです。他人が読んでも、だからどうと言う訳でもない…それも詩の宿命だと思います。散文のように起承転結もなく、ただ言葉のリズムの中に心情を沈めるしか術はありません。詩に説明はどうなのかなと思いますが、あまりに独善的で意味不明な部分もあると思い少しだけ補足します。
《 世界の何処かに『命の器』の中に同じ『核』を有する人が必ずいて、遠く離れていようが、国が違おうが、性別や環境や思想さえも異なっていたとしても、すれ違っただけで互いに相手の額に同じ印を認め合う。そんな人々と巡り合えたらどんなに幸せでしょう 》
そんな感じです。詩の持つ韻とは韻律であり何より余韻だろうと考えます。
リズムが心地よいか、耳障りかはその人の嗜好によるので、余韻もそれに準じています。詩はひとりよがりが許される自由に駆け回れる花畑のようでもあり、
自分の心の胞子が風に吹かれて散っていくようなものだとも思います。ただどこかで聞きかじったフレーズだけは使うまいと決めています。詩に関して何も学ばなかったので、その点は申し訳なく、お読み頂きまして感謝申し上げます。ありがとうございました
この写真は去りゆく季節を懐かしむどころか、時を止めてくれそうな夜の闇に咲く薔薇の花です。こんな薔薇を現実には見たことがありません。お願いしてお借り致しました。梅雨がやってきています。皆様、お身体を大切になさって下さい。どうかごきげんよう。
清月蓮