花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【70】『 三千枚の金貨』宮 本 輝 著 《上・下卷》

宮 本 輝さま
お元気でおられることと思います。富士山もすっかり雪化粧を見せているそうです。神奈川に住んでおりました頃は、ベランダから冬の富士山を眺めながら洗濯物を干しておりました。富士山の冠雪は日本の冬がとうとうやってきたことを知らせています。今日は『三千枚の金貨』を読みましたのでお便り致します。

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写真は、この物語の最後の場面に現れた『桜の古木』のイメージです。和歌山県の山里に育った桜は、その枝に歴史を刻みつけ、見る人の心を鎮めてくれるような気が致しましたのでお借りしました。
読み始めからずっと「ああ、このお話は大人の男の人達の繰り出すおとぎ話なんだなぁ」と思いながら読みました。何故なら、『光生』の仕事先の仲間達は、みんな気の合う賢くて道理をわきまえた人ばかりです。そして『三千枚の金貨』が埋められているとのお話の展開も、男の人達が少年期に大好きだった宝島への冒険のようです。おまけに宝探しに参加した紅一点の『沙都』は、極め付けの美人です。しかも元看護師で白衣の天使のイメージを醸しつつ、今は居心地の良いバーのオーナーです。『テキパキ』仕事をこなし、気が利いていて、賢く明るいのです。
また、多くの男の人が一度位は、はまり込む「ゴルフへの熱病」も、こと細かく書かれています。女の私でさえ、ゴルフに夢中の時期には、練習から帰ると直ぐに仲間に電話して「今日、開眼したんよ!」とその日の発見を、いち早く誰かに話したくなったものです。それは自分で名付けた「アンブレラの原理」でした。傘の留め金を外して、クルッと回して広げるように身体の芯を動かさず背骨だけを回す…という動きを思い浮かべて「これこそ極意」と思っりしました。このように、ゴルフには、どういう訳か人に自分の秘密の発見を話してみたくなるものです。ですからご執筆中のこの時期に、ゴルフに夢中であられたのがよく伝わってきました。また、一度くらい多くの人が興味をもって『蕎麦』を自分で打とうと思い立ち、麺棒や木鉢を買ったりもします。私も持っております。つまり、この物語には、大人がやってみたくなるような楽しくて、なのに真剣に取り組みたくなるような事が、まるでおもちゃ箱の中からのように、次々と出てくるのです。
でもそこだけで終わるはずはありません。この中には『待つ』という事の大切な意味が出てきます。せっかく確信と歓喜に包まれ、苦労の末に『三千枚の金貨』が埋められている場所を見つけたにもかかわらず、彼らは『二十年間』そこを掘らずにおこうと意見が一致するのです。山里に民家を買い、軽自動車を備え、布団も準備して、みんなの「安らぎの場所」にしようと決めるのです。途中でどんな事が起ころうと、死ぬほどお金に困ろうと、この取り決めを破るようなら、きっと自分たちは「本当の大人の男」にはなれないだろうと考えるのです。何故なら、それは欲望を抑え込み、辛抱の年月を重ねることになるからです。
考えてみますと、お金で手に入れることのできない「安らぎ」と仲間への揺るがぬ「信頼」と、楽しみに輝く未来への「希望」とは、物質的に豊かな事になど比べようもなく、大きな幸福に包まれるだろうという実感は、歳を重ねるごとに深まってゆきます。本当の幸福を知る為に『待つ』事の大切な意味を教えて頂けた一冊でした。
長雨の後は、続けて台風に襲われた日本列島ですが、家や家族を災害で失った人々もおられます。政府のお金の遣い方、自治体の素早い対応が望まれます。誰もが安心して国を信頼し、未来に希望の持てる国にしてゆかねばなりません。お身体、ご自愛くださいませ。どうかごきげんよう

                             清月蓮


三千枚の金貨〈上〉 (光文社文庫)

三千枚の金貨〈上〉 (光文社文庫)

三千枚の金貨〈下〉 (光文社文庫)

三千枚の金貨〈下〉 (光文社文庫)

【69】『寝台車』宮本 輝著 『幻の光』に収録  

 宮 本  輝 さま

すっかり秋が深まりました。お変わりございませんでしょうか。やっと青空が続いて気持ちの良い毎日です。早めに家事を済ませて、本を読めるのは本当に幸せな時間です。この平和がずっと続きますように。今日は短篇『寝台車』を読みましたのでお便り致します。

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 『寝台車』の窓からは、この写真のような「夜」が見えたように思いました。月明かりは、黒い空を群青色に染め、雲の間に月の輝きがほの見えています。『老人』の心の風景のように感じましたのでお借り致しました。

『寝台車』は寂しい列車です。窓の外には闇が広がり、人々は既に眠りに就き、電車の規則正しい音だけが車内に響いています。カーテンは閉じられ、誰もが気配を消したかに思う瞬間もあり、突然足音でまどろみを破られたりもします。私が15歳からの数年間、京都の学生寮から福岡へ『寝台車』に一人で乗り帰省しておりました。家族を思いながら、嬉しさで高揚して、眠くとも眠りきれない長い夜が続きます。この物語を読む事で、カーテンの手触りまでもが甦りました。今でも、この独特の雰囲気は残っているのでしょうか。『寝台車』の数も減り、早くて快適な交通機関は、便利さの代わりに私達からここでしか感じることのできなかったある時間を奪ったような気も致します。

ここに登場する『私』も、長い交渉の末にやっと掴んだ『契約』の為に『寝台車』に乗りました。暫くすると、向かいのカーテンの中から、本当に悲しそうな嗚咽が聞こえるのに気づきます。70歳を過ぎたような『老人』の嘆きは、自分の身の上に起こったことに対してではない気がします。自分より若い、親しい者の死を思いながら、どうにも止められず、涙がしたたってしまったのでしょう。宿命と戦いながら、やはり死に至らなければならなかった自分の孫なのかもしれません。人を喪った事実に対して、どんな哲理を理解したとしても、その喪失感からは逃れられないのです。例えば、深海の音もない深い底に沈んでゆくように、亡くした人への憐憫は募り、どんな音も聴こえず、声すら出せない、呼吸も止まったように、身体の動きさえ緩慢になる感覚が続きます。海の底から、息をつける海面へと浮上するには、悲しみの塊を捨てる場所が必要なのです。『老人』は、胸の中の嘆きを夜の闇の中に吐き出さずにはいられなかったのでしょう。子供や女や若い男ではなく『老人』の泣き声は、悲痛な響きで『寝台車』の音に吸いとられてゆきました。

『老人』の泣き声に気づいた『私』も、社内で起こる様々な理不尽を乗り越え、前に向かって生きてゆかねばならないと思い始めています。その為には、日々のやるべき事をコツコツ誠実にやり通し、やっと辿り着いた『朝』をこの手で掴むのです。しっかり『弁当』を食べ、力を取り戻し、前に進むしかありません。今日までの苦労して辿り着いた『契約』に、朝日の眩しさが応えてくれているかのようです。

こんな風に沢山の苦しみや悲しみを積んで『寝台車』は夜の中を朝陽に向かって、力強く走り続けています。他の人にはわかりようのない、孤独な闇の時期があるとしても、それを『寝台車』だと思えば、いつかトンネルは抜けられ、夜はやがて希望の朝の光に包まれます。振り返ると私もそのような体験がありました。そんなことを思い出させて頂いた、忘れ難い作品でした。

今年の秋は雨の日々が長く続きました。山々は靄にけむって、しばらく外を歩けませんでした。気分が落ち込まぬよう、カーテンを洗ったり、家具にワックスをすり込んだりして年末の準備をしております。本格的な寒さに向かいますので、お風邪など召されませんように。どうかごきげんよう

 

                                                               清  月    蓮

 

 

幻の光 (新潮文庫)

幻の光 (新潮文庫)

 

 

【68】『海辺の扉』 宮 本  輝 著  《上・下巻 》

 

宮 本  輝 さま

お元気でおられますか。秋の富山は如何でしたでしょうか。さぞかし充実された日々であっただろうと想像をしておりました。美味しい海の幸も堪能され、空気の澄み切った美しい街並みを歩かれたことでしょう。今日は『海辺の扉』を読みましたので、お便り致します。

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ギリシャには行った事はありません。『満典』が『エフィ』にギリシャ語を習い始めて、二人がチグハグな『会話』を交わした場面を読んだ時、この写真とピタリと結び付きました。夕闇が迫る静かな風景があまりに美しく、国を超えた映像を感じましたのでお借り致しました。

世の中には幸せが溢れているのと同時に、不幸も数知れず起こります。自然災害や戦争や苦しい病気、あろうことか自分の子を虐待したり、事故や生まれながらの障害、盗まれたり失ったり騙されたりフラれたり、嫉妬を抱かれ意地悪にあったり…そんな中で、立ち直れないくらいの不幸とは、自分の愛する子供を、思いも依らない過失から死に至らしめてしまった親の生涯です。その後の人生をどうやって生きられるというのでしょう。このお話はそんなどん底からの再生の物語です。

日本で『満典』に起きた悲劇。自分の子を思いもよらない一瞬の自らの過失によって、喪ってしまいます。『妻』やその両親にも罵倒の限りをぶつけられ、離婚を望まれて、ひとり日本を出ます。

『野良犬』のように生きるしかないではないか。『満典』は、夢か幻のような生活をギリシャでおくり続けています。愛も仕事も全てが偽りの、生きる術だけの生活の中にいた時、『ギリシャ国立博物館』で、死んだ『息子』にそっくりな『アルタミスの馬と乗り手』の像に出逢います。それは、過去を忘れようとして忘れられなかった『満典』の心を強く揺さぶり、やがて『エフィ』の言葉から、もう一度、死んだ『息子』に会いたいと本気で望むようになります。

亡くなった人に、あの世ではなく、「現在の生」の中でまた「会える」という思索は、もう一度生き直せると信じられるほどの勇気を『満典』にもたらしたのです。それを信じるのも否定するのも自由なのですが、苦しみの果てに、確かにそうだと信じた時、心は今まで味わったことの無い解放感に溢れ、自分の未来に希望を抱くことができたのでしょう。そこには落ち着いた深い『エフィ』の愛がありました。『満典』の離婚した妻への嫉妬や疑惑にも負けず、自分を律し『お腹の子』を愛の代替え品とせず、潔くひたすら『満典』の心を待ち続けたのです。『エフィ』にとって、待ち続けた海辺には確かに未来への『扉』が見えたのです。

人は不幸のまま生きてゆくのは間違いです。たとえどんな罪を侵したとしても、どんな不幸が襲ったとしても、どんな失敗を為しても、誰もがどうにかして幸せにならなければならないのです。生きる『使命』は少しでも人に幸せを送れることに違いないのですが、自分の不幸を解決できなければ、自分を幸せにできないなら、人を幸せにできよう筈がないと思っています。

別れた『妻』も、『満典』を奈落から救い出してくれた『エフィ』も、やはり幸せにならなければなりません。『満典』はそのことに気づき、新たな出発をしました。    

この物語の展開は見事という他なく、スリルの波に乗りながら、自分の子や、女の人に対する愛と肉欲に苦しむ『満典』の心の揺れに胸が疼きます。頭の中では、次々現れるパズルのような小さな出来事が繋がってゆき、読む愉しみを頂点まで引き上げてくれました。小説とは、どこまでも読む面白さを与えてくれること、その上に生きる為の大切な道標を示されているものが『良い小説』であると深く感じることができました。

秋の長雨が続いています。少しでも家の中を明るくしようと、小さなことですが、飾り物や椅子のカバーを変えて、なんとか気分を保っております。愉しいお話を読ませて頂き、元気を頂く思いです。またお便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                   清  月    蓮

 

 

海辺の扉 上 (文春文庫)

海辺の扉 上 (文春文庫)

 

 

 

海辺の扉 下 (文春文庫)

海辺の扉 下 (文春文庫)

 

 

【67】『草原の椅子』宮 本 輝 著 《上・下 巻》

宮 本  輝 さま

いかがお過ごしでおられますか。季節の変わり目は、体調に思いもよらない悪さをすることがございます。壮健であられますようお祈りしております。今日は『草原の椅子』を読みましたのでお便り致します。

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この写真を見た瞬間『ウルタル峰』をつんざき『ディラン峰』を刺す、鋭い『雷』を見たように感じました。雪解けを迎えた『カラコルムの峰々』を、一瞬浮かび上がらせたであろう烈しい稲光は、自然からの警告のようです。この物語に書かれております『日本と日本人』への両断の刃(やいば)のようにも思われましたのでお借り致しました。

『日本人』と『日本という国』が、少しづつおかしくなっているのではないかとの疑念は「阪神淡路大震災」の前後から、私自身の胸にも湧き出しておりました。そんな折に、どこかしらに怒りさえ含まれたようなこの内容は、関西弁で柔らかい表現になっていますが、やはり鋭い打擲であると合点がいったのです。

題名『草原の椅子』の穏やかさにたどり着く、最後の最後まで、確かな透察による容赦のない言葉が『憲太郎』と『富樫』の会話などに次々と出てきます。こんなにはっきりお書きになって、ご本人の身に何か圧力がかからないだろうかと心配になった程でした。日本の現状に押し潰された時代を生きる人々の姿が、ここで浮き彫りにされたのです。お書きになられました時より、既に二十数年も経った現在でも、読み返す度、ますます酷くなる現実に驚きを感じております。

きっと書かれている内容は、実際に起きた不当な事件や、世の中の出来事に対する実感を根底にされていたのでしょう。書ききってくださいましたことで、読み手自身の生き方や、恐れに立ち向かわねばならない時の、決意の根幹となったであろう気が致します。

『感情で人生の大事を決める』人間力の底の浅さ。『本当の大人』とはどのような人物を指すのかとの提示。『嫌になったからやめる』ような人間は、再起不能と思える時に、自分の信ずるものを捨てるとの考察。『顔と腹の違うやつ』は、企業の中でも邪魔にしかならないとの判断。『私利私欲と嫉妬』ばかりが渦巻く底なしの悪循環の中で、本来の『心根』をもぎ取られそうな『日本人』への警告。『人間、いい気になったときがおしまい』との確かな示唆。   虐待やいじめや莫大な借財への勇気ある対処。『この国を汚うしているのは政治家と土建屋と役人』であるとの指摘。『人情のかけらもないものは、どんなに理屈がとおっていても正義やおまへん』との断固とした見解。…     他にもまだまだ出ていますが、平易な言葉とおかしさも伴う場面として書き記されていたにもかかわらず、急所を見事に突かれていたと思い入りました。

こんな難題ばかりの中、登場人物達は、心ある友と知恵を出し合い、自然にお互いを助け合って生きてゆきます。あまりにも遠いと思われた道は、日本と同じ面積の『タクラマカン砂漠』を目指し、自身の生命力に喝を入れたいとの切実な願いとなって物語は進んでゆきます。一緒に旅をしているかの様な描写が、とても愉しく、時に笑いをもたらしてくれます。気持ちのいい読後の清涼感が、現在の世の中への憤慨や、情けない忿怒の熱を冷ましてくれているように思いました。

涼しく過ごしやすくなったと思っておりますと、今日は夏のような暑さです。来週は富山「高志の国文学館」での、対談のご講演をなさいますので、お手紙は控えさせて頂きます。会場の熱気が、私のところまで届くよう願っております。ご自愛のほど、この季節の富山を、存分にお愉しみ下さいますよう願っております。どうかごきげんよう

 

                                                                   清  月    蓮

 

 

草原の椅子(上) (幻冬舎文庫)

草原の椅子(上) (幻冬舎文庫)

 

 

 

草原の椅子〈下〉 (幻冬舎文庫)

草原の椅子〈下〉 (幻冬舎文庫)

 

 

【66-2】『朝の 歓び』 宮 本  輝 著  《下巻》

宮 本  輝 さま

お元気でお暮らしのことと思います。朝夕は寒いくらいの日もあり、日中は夏のようです。上着を着たり脱いだりしております。花々も姿を変え、気持ちのいい時期です。今日は『朝の歓び』《下巻》についてお便り致します。

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この写真は『大垣老人』が『お墓参り』に向かった小道に、人の目を逃れるように咲いていただろう彼岸花のように感じました。紅く燃えていた頃の自分の過ちに赦しを請い、贖罪を終えた心の象徴でもあるように、今はただ静かにやさしさを秘めて咲いています。重ねて、若くして亡くなった『Kさん』の生まれ変わりにも思われます。物語のイメージにとても合うと感じましたのでお借り致しました。

人には一面では済まされない「表と裏」があり、それだけでもすまない「多面性」すらあります。現実では、この人は親切で正義感に燃えた人だと信じ、永く付き合っているうちに、思いもよらない冷淡さを見ることもあります。そのような時、 大抵は失望したり、騙されたような気持ちに襲われ、その人から離れてしまうことが多いものです。この物語の中には『大垣老人』の「多面的」な過去が『手紙』の章から著されています。

この章だけでも、ひとつの小説のような生々しさで迫って来ます。愛情とは一体なんでしょう。愛するとはどのような行為を指すのでしょう。『親と子』が『同じ相手』を愛し、運命に翻弄され、互いに奪い合い、のたうちながら辿り着いた先とは、どんな場所だったのでしょう。

そんな問いかけは、人は愛によって幸福にも不幸にもなり得る事、我欲だけが存在する愛もあり、相手への独占欲は、限りなく燃え上がる時もあるのだと思い知りました。それでもやがて歳をとり、冷淡で自分勝手な『本性』をねじ伏せようと生きてきた『大垣老人』に、切羽詰った『ゴルフの場面』で、思わず不正を為した事により、消えずにいた醜い自分を露呈することになったのでした。

人は、自己顕示の欲求からだけでなく、贖罪としての告白の希求があります。自分の過去を曝け出し、信頼できる相手に伝える事で、自らを弾劾したいと思うのです。そして自分と関わった人々の墓に詣で、手を合わせることで、区切りをつけたいと思うのは、死期の近づきを感じる年齢には自然な行為だと実感致しました。

ここでは、酷い行動をして非難され 、家族にさえ見放される悪事をしたとしても「絶望するな」とのメッセージを感じます。時が経ち、粘り強い相手への詫びの繰り返しと、心からの気遣いにより、固まった憎悪はやがて溶解し、人間の心奥に眠る「赦す」という境地のドアは必ず開くのです。そして『手紙』を読んだ『良介』と『日出子』にとっても、ひとりの生きた証を感じた事により、新たな関係の拡がりをみせることとなりました。

読み終わった瞬間、胸に満ちた『歓び』は 、確かに新鮮な『朝の 歓び』と言うに相応しい静かで豊かで暖かいものでした。長い物語を思い返しながら、自分の過去を振り返りますと『あとがき』に記されていますように 、これまでの出来事が、いくつもの『かけら』となって浮かんでまいります。そして、それらはゆっくり『火花』のように静かに燃え尽きてゆくようです。確かな『朝の 歓び』を感じる手立ては、自身の心の変革にあるのを読み取れた物語でした。『息子』との穏やかな関係を築く事が出来た『大垣老人』のように。

空気が澄み渡り、美しい空や涼しい風を感じますと、地球の平和と人々の安らぎを祈らずにはおれません。政治の世界も目まぐるしい変化が次々現れます。テレビやマスコミの報道に流される事なく、候補者本人と政策の確かさをよく研究して、冷静に判断したいと思います。お仕事が思うように はかどられます事を心より願っております。どうかごきげんよう

 

                                                                      清  月     蓮

 

 

新装版 朝の歓び(下) (講談社文庫)

新装版 朝の歓び(下) (講談社文庫)

 

 

【66-1】『朝の歓び』宮 本  輝 著   《上巻》

宮 本  輝 さま

虫の音が力を増してまいりました。命の限り、力の限り、鳴き競っているように感じます。いかがお過ごしでおられますか。温かいお茶が美味しくて、そばに置きながらの読書は、夜の愉しみです。今日は『朝の歓び』《上巻》を読ませて頂きましたのでお便り致します。

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 この写真を撮られた方が、何度も現地に赴かれ、シャッターをきられたであろう沢山の写真の中の一枚です。『ぼら待ちやぐら』のそばで『日出子』は、妻を亡くした『良介』を待ち『良介』は、四年前に別れた『日出子』に会えないものかと、辺りを見回していた場所です。「待つ」ことの寂しさと忍耐を現しながら、物語の情景が浮かぶこの写真をお借り致しました。

『朝の 歓び』は、1992年9月から1993年10月まで、「日本経済新聞」に連載されました。その頃、沢山の企業戦士の方々が、通勤電車の中や、会社に着いてからの少しの時間に、この小説を読まれていた様子を想像致しますと、なんだか微笑ましい気が致します。誰でも一度は今の会社を辞めて、自由気ままに暮らしてみたいと思うでしょうし、妻以外に関係を持てる女の人のことを夢想するものす。そして長い休暇を、贅沢な海外旅行に使ってみたいとも思うでしょう。見事に具現されている物語を、きっと密かに愉しまれたことでしょう。大人の恋愛だけでは終わらない、誤解や、欲望や、嫉妬や、疑惑を孕みながら、沢山の硝子の『かけら』のように輝きながら、お話は進んでゆきます。

《上巻》の『かけら』の中のひとつに『パウロと両親』について書かれています。 イタリア・ボジターノに『パウロ』は住んでいて『日出子』が『パウロ』に「また会いにくる」と約束をしたのは、『パウロ』が六歳の時。彼は『精神薄弱児』で生まれ、現在十九歳です。今『日出子』は『良介』に背中を押されて、急な崖の上に建つ『パウロの家』に向かっています。

そこで見たものは、絶えず「貴方を愛している」と信号を送り続けながら、常に『朗らか』でいることを貫いてきた『パウロの両親』の姿でした。朗らかでいるための血の出るような辛抱。ご両親の『ガブリーノさんとその妻』にだって、きっと『パウロ』が寝静まった苦渋の夜が、幾夜もあった筈です。十九歳になった『パウロ』は、自分の仕事を懸命にこなし、ひとりでバスに乗って、仕事場へ行けるようになりました。その姿が『日出子』と『良介』にもたらしたものは、今までのつまらない焦燥や我儘や迷いを見事に吹き飛ばす荘厳な感動だったのです。

目の前に現れた愛情の実像は、人の心を浄化し、出会った人の生き方にまで勇気を与えます。『全身を打つ雨』のように、全ての穢れたものを洗い流す力をもっていました。揺るぎない子への想いに触れる時、いのちの限りない可能性と尊厳に、途轍もない感謝の気持ちに包まれます。

それに致しましても、『良介』と『日出子』の性の行為の描写は瑞々しく、美しく、それでも尚『生前の妻』を思い出す『良介』の心の深淵があり、男と女の漂うような、終着点も曖昧な、それでいて確かめ合わずにはいられない縺れ合った性の不思議を感じました。伴って『妻の死期』の場面に挿入されている『生老病死』は『苦しみ』が自らを鍛え、豊かにし、荘厳な命を『四面』からなる輝かしい『宝塔』に表わされています。『妻の死』は、死してなお生きるいのちを『良介』の心に刻みつけていたのです。

世界中の人々の心が、静かな平和へと向かって欲しいと、毎日願っております。相手への攻撃は何も生みはしないと強く思います。そんな事を祈りながら、次は《下巻》についてお便りさせて頂きます。お忙しい毎日でおられる事と思いますが、ご自愛のほど、お元気でお過ごし下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                  清  月     蓮

 

 

新装版 朝の歓び(上) (講談社文庫)

新装版 朝の歓び(上) (講談社文庫)

 

 

【65】『ここに地終わり 海始まる』宮本  輝 著 上・下巻

宮 本  輝 さま

身体が涼しさに慣れて過ごし易い毎日かと思っておりましたら、真夏のような暑い日もありました。陽が早く沈み、夕食後の時間がとてもゆったり感じます。好きな音楽を低く流しながら、本を読むのは本当に愉しい時間です。今日は『ここに地終わり 海始まる』を読みましたのでお便り致します。

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 葉陰で揺れる紅い実は、高原の風を受けています。『志穂子』が十八年間を過ごした『軽井沢の療養所』の近くには、こんな可愛い実のなる木があったと想像しています。木漏れ日が明るく輝いて、透き通るように美しく、葉音がさわさわ聴こえてくるように感じましたのでお借り致しました。

この物語は、俗世間の汚れを知らない、恋には無垢な『志穂子』が、最後は誰と結ばれるのだろうとドキドキしながら読み進めました。ロマンへの憧れを沸き立たせながら、深い意味が沈められている『題名』からも示唆を頂きました。

もしも『志穂子』が『梶井』と『尾辻』の二人の内、一人を選ぶとしたら…穏やかで思慮深い『志穂子』は、広い心で愛してくれる『尾辻』の胸に、静かに自分の未来を委ねるだろうと予想して読んでおりました。ですが『志穂子』を十八年の闘病生活から救った『奇跡の電源』は、一度だけ舞台に立ち、演奏していた姿を見ただけの『梶井』からの一枚の『葉書』だったのです。その中の言葉が『志穂子』の命の中に眠っていたものに火を点け、その焔は身体中を燃え上がらせる程の力を与えたのです。人間の命に仕組まれた『電源』とはなんて凄い力を持っていたのでしょう。初恋と呼ぶにはあまりに強い稲妻のような電流でした。では、どうして『志穂子』は、嘘つきでいい加減で、過去に幾人かの女性の影が見える『梶井』に抱かれたいと思ったのでしょう。

例えば言葉、例えば自分への思いやりの行為、それらに感謝することを超えて存在するもの…それは多分その人の目の光から、声のトーンや、単なる気配から…自分の中に直に伝わる何かなのかもしれません。『志穂子』はそれに従いたかったのでしょう。いのちは、奥の奥で、心のそのまた奥で、身体中が燃えあがるような、頭で考えても制御できないような、勘とも言えず本能とも言えない不思議な力を持っているのです。敢えて言葉にすれば、いのちの精 の仕業のような気がしています。

『地の終わり』は過去の自分と訣別し、悪い過去を捨て去ると言う意味で、『海始まる』は新生した自分のいのちの始まりを意味するのでしょう。それは簡単には出来るはずのない、ゲームのリセットのようにはいかないのです。ですが、人が心の底から自分の過去を改め、今までの生き方を変革したいと決意したとすれば、その場所こそ『ここに地終わり 海始まる』処だと思います。してはいけないことをしてしまった懺悔や、忘れ去れない後悔や、軽率な判断から人を傷つけたとしても、時間の熟成を待ち、彷徨いながらもたどり着けるのです。『ここに地終わり 海始まる』…そんな場所に。

ご自身の『あとがき』に、気になる言葉がありました。『幸福という料理は、不幸という俎板の上で調理されるものだと、私はいつも思っています。…』という書き出しです。不幸を意識した記憶はなく、いつもギリギリセーフの私のような人生には、本当の幸福は訪れないのでしょうか。この命題はもう少し作品を読みながら考えてみたいと思いました。小説作法のことならいいのですが…

これから美しい季節が訪れます。冬の前の宇宙の気配を、胸いっぱいに吸い込んで、少しの間、今を愉しみたいと思っております。もう避暑地からお帰りになられましたでしょうか。台風が近づいておりますので、充分お気を付け下さいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                          清 月     蓮