花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【64】『にぎやかな天地』宮 本  輝 著  上下巻

宮 本  輝 さま

お変わりなくお過ごしのことと思います。暑いと文句を言っておりましたが、秋めいてきますと、毎年のことながら急に心細くなります。寒いのは大の苦手なので、もう少しの間この気候が続いて欲しいものです。今日は『にぎやかな天地』を読み終えましたのでお便り致します。

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 涼しげな立山連峰の写真をお借りすることに致しました。この美しい田園からは、御著書『田園発港行き自転車』の明るい幸せな物語が浮かびあがります。山々は遠く何万年もの歳月を、こうして動じる事なくそこに在ります。富山の街は山々に見護られ、街の人々は沢山の恩恵を受けておられます。長い年月が育んだ目に見えない物も含めた命の波動は、山々の至る所から立ち昇り、発酵したり熟成したりしているのを想像できるこの写真をお借り致しました。

ここでは『発酵食品』が縦糸となり、主人公『聖司』が、勇気を振り絞り自分の道を定めてゆく過程において、考えたり迷ったりしながら決意を深めてゆく物語が描かれています。縦糸について書きますと文面が長くなりますので、中に沈められた自分なりに感じた「核」について書いてみたいと思います。

それは『時間』の為す、科学でも解き得ない天の、もしくは宇宙の『方程式』だろうと思っています。目には見えずとも最後のシーンで『聖司』が聴いた水のしたたりのような『音』こそ、その存在を信じ得る証だと感じています。目に見えるものしか信じられないとすれば、現代の私たちは今ある糠漬けも、鰹節も醤油や酢や味噌も享受できなかったでしょう。

この中にこんな言葉が出てきます。『天佑』…漢字二文字ですが、両方とも目には見えません。『天』とはどこにあり『佑』とはどのような現象でしょうか。

文字の理解は「天が助ける」との意味ですが 、ではどうやって…と疑問が湧きます。これは『聖司』が『祖母』から聞かされ続けていた言葉で、『人間の力ではもうどうにもこうにもならなくなったときにあらわれる天の助け』との意味です。人が懸命に考え、腹を据えて決意すると、そこに『天佑』が生じ、道を拓かせてくれる事は、実際に経験した人間にしかわかりません。『聖司』はこの物語の中で、本気で『豪華本』の制作に未来を託すと決意した途端、次々仕事が舞い込む事でそれを実感しました。もし、自分も本気で知りたいと思うなら、京都『三十三間堂』に赴き、あまたの『菩薩や風神、雷神』の前に佇んでみるのも良いだろうと思い、近々には訪ねてみたいです。私に何を語ってくれるかは 、決意の深さに因るのだろうと思っています。

決意には『勇気』が要ります。『えいや!』と自分に掛け声をかけて、組し易い『保険』を手放さなければなりません。そんな時、一番邪魔になるのは『嫉妬』という怪物です。『ねたみ、そねみ、やっかみの気持ち…』それを追い払うにはどうすればいいのでしょう。それは 、そんなものが入り込まない位の大きな愛情を胸に溢れさせる事だと思います。目に見えないものが自分を護ってくれていると信じられるなら、人のことを妬んだりしようにも、できないものだろうと思います。嫉妬が入り込む隙間が無いように隣の人々、縁した方々を愛して暮らすこと。そんなことを物語を読みながら深く感じました。

夏のお疲れが出ませんようお祈り致しております。世界が平和になり 、戦いが静まり 、目に見えないもの達が、にぎやかに私たちの周りに息づいていてくれるようお祈りしております。どうかごきげんよう

 

                                                                          清 月   蓮

【63】『オレンジの壺』 宮本  輝 著     上下巻

宮本  輝 さま

やっと九月に入りました。まだまだ暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでおられますか。八月はお忙しい事と思い、お便りを差し控えておりました。またこうして本が読める事を、嬉しく思っております。今日は『オレンジの壺』を読みましたので、お便り致します。 

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 蓮の季節は移りましたが、余りに美しい写真なので、またお借り致しました。泥の池から次々姿を現わす蓮の花は、この物語の『オレンジの壺』の仲間のようにも見えましたのでお届け致します。

『骸骨ビルの庭』だけでなく、ここでも戦争にまつわるお話を書いて頂き、とても感謝致しております。人に何かを伝えたいと思う「核」があり、それを物語にできるのが小説の凄いところです。いつもながら謎めいて、早く知りたい気持ちを抑えられません。読み手をおいてきぼりにせず、ぐんぐん物語の中に引っ張ってくださる力こそ、読む愉しみの真骨頂だと思っております。今回のヒロインは美し過ぎることも色っぽくもなく、親近感をもちながら落ち着いて読み終えました。この世で一番呪わしく残酷で何一つ良いところなどない《戦争の歴史》は、途切れる事なく現在まで続いています。何故なんだろうといつも考えます。

『戦争とは個人のエゴイズムが増殖した結果として生じるもののようです。…』登場人物『クロード・アムッセン』が書き送った手紙の形でこう書かれています。そして『個人のエゴイズム。この魔物に、私たちはいつも狂わされてきました。人間は、まだ一度も、自分のエゴイズムを超克したことはないようです…』ともあります。      現在の世界を見回せば至極頷ける言葉です。何か難しい思想、政治、主義、宗教の違いが原因なのかと考えがちですが、どんな場合でも結局突き詰めると、私利我欲にゆき着きます。自分の支持する思想こそ正しくて、他は封じ込めなければ気が済まなかったり、自分の信ずる宗教こそ唯一無二だと他を弾圧しようとするのはエゴイズムです。それに加えて、自分だけ冨み潤えば、人をどんな苦しめても戦争に加担する人達もいます。ですが、それを悲しい事と捉え、諦めるのではなく、もしも人々の心が、他者への愛情に満ちる日がくるなら、戦争を超えられる希望があると理解することもできます。

『オレンジの壺』には、はっきり書かれてはいませんが、世界中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた組織…非暴力はもちろん、穏やかな権力への抵抗を誓い、権力の下で非道な扱いを受けている人々の味方になれる『オレンジの壺』のような組織…それを形成できたならば、どんなに素晴らしいでしょう。戦争の排斥はこんな地道な努力によるしかないと気づかせて頂きました。

ですが、現在なお、世界は差別と憎しみに満ち、相対する考えの人々を暴力により抑えつける行動は、ますます心と立場の分断を拡げています。子供達がそれに利用され、自爆テロを強要されるなど、言葉に出来ない悲惨さです。戦争で命からがら逃げて来た人々に対する排他主義は、結局自国をも滅ぼすことにも気づいていません。このような世界情勢を『オレンジの壺』を書かれた43歳にして、早くも見通されていた先見には、こうべを垂れる思いが致しました。世界が平和で、人々が誰もやさしい気持ちをもつ日が来ることを、そして粘り強く共生できる道を探し続ける事を、強く願って止みません。

これから、また平穏なご執筆の日々が続くことをお祈り致しております。秋めいた朝夕に少しほっと致しますが、まだまだ日中は気温が高いようです。ご自愛くださいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                    清  月    蓮

 

【62】『こうもり』 宮本  輝 著     『幻の光』に収録

宮 本  輝 さま

ますます暑さが厳しくなっております。札幌に住む姉まで、今年は耐えられない暑さだと申しておりました。そちらは如何でしょうか?  関西では今朝、少し涼しい風が吹いて、一息つけた気が致しました。ですが、日中の暑さは嘗て経験したことがない程です。今日は短編『こうもり』についてお便り致します。

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 この写真は『ランドウ』と『娘』が消えた堤防の上の、海と空のようです。暮れかけた空間には不吉な『コウモリ』が低く飛び交い、不気味さが広がり、暗い雲は人の心に巣食う「性の不可思議」や「止められない衝動」のようです。昼間の明るい青空に、突如 覆ってくる得体の知れない暗雲。この中に出てくる性のイメージと重なりましたので お借り致しました。

短篇『こうもり』には『耕助』の高校生の頃と、結婚した後の推移が交錯しながら描かれています。

夏の盛りに『ランドウ』と『耕助』が 可愛い『娘』を探して行き着いた街は、犬猫の屠殺場があり、工場のクレーン車が大きな音をたてていました。密集した住宅街には、傾きかけた家が並び、錆びたトタン屋根のバラックも見えます。そんな場所に住む『娘』は、『おきゃんな写真』の顔に加え、実際に見ると、かすかなおびえや羞恥が滲む表情をしていました。『ランドウ』は、全身汗みずくで、直前にはラーメンを啜り、その臭いを全身から発していたでしょう。堤防の向こうの海は、油だらけの汚い海です。ロマンの要素はひとかけらもなく『ランドウ』は鷲鼻でそれほど美男子でもなく、お金も持っていません。でも、堤防の向こうから『娘』の助けを求める悲鳴も聞こえず、ただ時間だけが過ぎてゆきます。

この時、高校生の『耕助』の胸を襲った突然の衝動はなんだったのでしょう。自分には女の友達はまだ一人もいない。好奇心が疼き、見知らぬ世界に対する淡い期待と理想が、この瞬間、見事に裏切られてゆくのを知ります。だから堤防のこちらで一人待つ間に『ランドウ』の『ドス』で、むちゃくちゃにカバンを切り裂き、一人家に帰ったのです。あんな可憐そうな娘を手なづけたであろう『ランドウ』への憎しみが、あとさきを考える余裕もなくし、報復を恐れない何かを『耕助』にもたらしました。

数十年後… 『耕助』は結婚しているのに、秘密で『洋子』との関係をもってしまいます。『洋子』は29歳。微妙な年齢。未来のない関係がわかる歳です。そんな『洋子』は『耕助』と京都で会うたび、何故か『詩仙堂』の庭を見たがります。『…うん。もう辛抱でけへんとおもう』     こんな自分の体の奥深くの無意識の性の叫びと闘っていたのでしょう。

詩仙堂の庭で、風に巻き上げられた落ち葉は、妖しい渦を作り、空遠くに吹き飛ばされたり、いつまでも回りながら空中を彷徨っています。その落ち葉の乱舞は、まるで高校生の夏に見た『こうもり』のようです。『耕助』は、自分が今『洋子』にしていることは、高校生の『ランドウ』と変わらないことに、やっと気づくのです。そして今日、『洋子』は、高く見えた寺の土塀を、一気に跳び越え『耕助』の元から去ったのです。

性の不思議は、相手を愛し、求める故の清らかで自然な行為でありながら、もしそこに相手の幸せを願う心と決意がなければ、あの『コウモリ』のように、鳥でも哺乳動物でもない、顔を背けたくなる醜い生き物の姿と化すのです。自分本位な性の行為は、誰も幸せにはしないでしょう。

七月も最後の週です。あまりの暑さですので、私も暫く家を離れます。九月に、またお便りをさせて頂きます。どうかお元気で、夏を乗り切って下さいますよう、お仕事が順調に進みますようお祈り致しております。どうかごきげんよう

 

                   清  月   蓮

 

 

 

【61-2】『睡蓮の長いまどろみ』 宮 本   輝  著  《下巻》

宮 本 輝 さま

暑く長い夏が始まっています。今年は春から一気に真夏の暑さです。汗をかかなければ、身体から毒素は抜けないだろうと、昼間はエアコンを点けないで過ごしておりますが、たまらなくなると、近くの涼しいショッピングモールを、ただ歩くために訪れたりしております。今日は『睡蓮の長いまどろみ』《下巻》についてお便り致します。

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写真を見た瞬間、この美しい花が 清月蓮 と名付けられた蓮の仲間かも知れないと思いました。何年か前『睡蓮の長いまどろみ』を読んだ時の、強い憧れは今も続いております。花芯には既に実が備わり、花の命の核は『因果倶時』の所以をくっきりと見せています。こんなに自身の思い入れ通りの写真に驚きながら、感謝してお借り致しました。

『蓮と睡蓮』の違いは、作中の『美雪』と同じように、言葉のイメージから、私も勘違いをしておりました。この物語に依り明らかになった事柄は、他にもう一つあります。『川三部作』で少し気づき『錦繍』でヒントを得た気分になり、とうとう『睡蓮の長いまどろみ』まできてしまいました。それは『宿命』についての《謎》です。

『生まれながらにもつ容貌、性格、体力、才能、運、それに嗜好』これらが厳然と生まれた瞬間に既にある限り、一人一人に生まれる前から『宿命』と言えるものも備わっているだろう事は、認めざるを得ない真理です。では、生まれる前とはいつでしょう。やはり「過去生」と呼ぶしかない時間軸において、既に備わっていたのです。  けれども、仮に現在、貧乏や、病いや、不運や、悩み苦しみなどに苛まれ続けているとして…それを「過去生」の行いが悪かったからだと捉えるとすると、責任も自覚もない事への腹立ちを感じて、恨みすら抱きます。

結果、捨て鉢になったり、諦めて投げ出したりするかも知れません。何故なら本人は「現生」において、「悪」と言われる事を成した覚えはないからです。心から善良な生き方をしてきたと感じています。ですが、自分で正しいと思う意識の底に「過去生」から蓄えられた「無意識」が沈んでいるのです。   それは「現生」において「宿命の核」のように命に刻まれて生まれてきているのです。それをどうやって割り、砕き、ねじ伏せていったのかが、ここに物語として著されていたのだろうと思います。 

《三千人の私を生きる》という『美雪』の言葉が出て来ます。生きる支えになった言葉です。これは、仏法の《一念三千》に通じる法華経の哲理で、命の中に三千もの、選択、決意、可能性を孕んでいる事を指し、それが自分の意思と行動により、ダイナミックと言って良い位に烈しく、命を新たに「転換」してゆく力を表す言葉として、自分の中で動き出すのです。

不幸な『宿命』の毒薬を、幸せへの秘薬に変える方法。それは、自分の『宿命』の原因を探ろうと、過去から繋がる現在の呪縛に囚われるのではなく、未来に向けて、新しい《因》となるような自分を見つけ出し、未来の《果》を創り続ける事なのです。

蓮に教えられる『因果倶時』とは「今日から明日へ」生きること…未来に幸福をもたらす「因」を、今、作ろうと心に決めた瞬間、そこに同時に「果」が俱わっているのなら「宿命を変えよう」「未来を変えよう」と決意した瞬間に、もう結果はいのちの中に生まれていると言う事でした。この事をを知った時の幸せな気持ちは、少しも薄れず胸にあります。気づかせて頂き『睡蓮の長いまどろみ』は、大きな転機をもたらしてくれました。感謝の気持ちが溢れて、静かにページを閉じました。

 

昨日、西宮まで出かけましたが、行き帰り、車を運転しながら、なんと合計四台の救急車に道を譲りました。多分、この暑さで熱中症の方が続出されておられるのかもしれません。地球は人間の所作の傍若無人さに怒りを持っているかのようです。ご自愛くださいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                          清  月   蓮

 

【61-1】『睡蓮の長いまどろみ』 宮 本  輝 著 《上巻》

宮 本  輝 さま

暑くて寝苦しい日が続きますが、お元気でおられますでしょうか。九州北部を襲った豪雨による土砂崩れは、夥しい流木を橋桁に絡ませ、濁流が民家を襲いました。目を疑うような惨状に現実感を失う程です。被災地に日常生活が戻る日までまた長い時間がかかりそうです。自然災害と闘うだけでもとても大変なのに、国同士、人間同士が戦うなど、本当に愚かなことです。今日は『睡蓮の長いまどろみ・上巻』についてお便り致します。

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 『睡蓮の長いまどろみ』を読み始めて二日後に、この写真に出逢いました。いつも、読み方の順序に秩序がなく、思いつくまま手に取りますのに、本当に不思議なタイミングに驚いております。写真は真っ白な花びらですが、花芯には愛らしい紅色が隠れていそうで とても惹き込まれます。この写真に『父・庄平』の『釣り道具入れ』に隠されていた『女雛』のイメージが浮かびましたので、お借り致しました。

しみじみ感心致しますのは、この題名『睡蓮の長いまどろみ』です。これ以外ないと言う題名をいつも付けられるのは、本当に天才的であられると思います。泥の中で一年の大半を過ごし、夏の初めのたった四日間の為に、蓄えられたエネルギーや、美しさの全てを天に向かって開きながら、その中に既に《実》も備えているこの花は、昔から様々な思惟の対象になりました。確かに、冬の間は「まどろみ」というしかなく、これまで過ごした『美雪』と『順哉』の上に流れた四十二年の月日もそうだったのかと繋がってゆくように思います。

《上巻》を読んでいる内は、どんなに『美雪』の気持ちを探ろうにも、我が子『順哉』をおいて、家を出、新しい人生を探すなど、同感も同情も出来ないと思っていました。たとえ『義父』とのおぞましい《事情や密約》があったとしてもです。それに『順哉』にしても、結婚して、よく出来た『妻・津奈子』や息子までいるのに、何故『秘密のアパート』が必要だったのでしょう……野暮ですね。   小説は自分の中で、現実味が結べなくとも、深い秘め事があるからこそ、読む愉しみに浸れます。映画や観劇、コンサートや古典芸能にしても、自分以外の観客がすぐ側にいる訳で、一人っきりでその世界に浸り切る事は出来ません。小説世界に自分を立たせて、好きなように酔いしれることができるのは、読書の最大の愉しみです。妖しくも美しい…とても好きな物語です。

今回初めて気付いたのは『上巻』には、人間の《性》が、少し常軌を失したかのように、何故あそこまで描かれているのだろう…と言うものでした。男と女の交わり以上の、淫靡 過ぎる性の倒錯をここに著されたのは、多分、人間は実の母親によって育てられなければ、こんな性的嗜好が生じることもある ということなのでしょう。また愛していても妻と別れなければならなかった『父・庄平』や、知らぬ間に家族と別れさせられた『千菜』の上に、振り払えない力で、のしかかったのは一体何だったのでしょう。その力に抗しきれず『千菜』のように死を選んだり『順哉』のように、善き友を得て適切な言葉を受けることができ、生きる力を保ち続ける事もあるのです。『順哉』と『今井』の男の友情には、羨望に近いくらいの清潔感を抱きました。『今井』にちょっと心惹かれてしまいます。 

二人が訪ねた『羅臼港』にいた『カラス』は、細い無線アンテナの先に止まり、無数の槍のような雨に全身を打たれながら、微塵も動かない。そのカラスを『繊細でありながら不羈(ふき)でもある…』と書かれています。この意味は、鈍感で感じていないのではなく、精緻なところにまで強く影響を受けたとしても、それに囚われることなく、何に束縛されることもない…と言うくらいの意味だろうと思いますが『順哉』が、そんなカラスの姿を見て、人間の生き方にも通ずると感じたであろう場面です。私もしっかり心に留めておきたいと思います。

来週は《下巻》を読みたいと思います。それに致しましても、今年の梅雨からの異常な暑さや、かつて無いくらいの雨の激しさは、昔、住んでいた東南アジアの熱帯雨林気候を思い出させます。地球も人々も、なんだか喘いでいるように感じますのは、私の思い過ごしでしょうか。ご自愛くださいますように。どうかごきげんよう

                  

                                                                  清 月    蓮

 

【60】『森の中の海』 宮 本  輝 著   上下巻 

宮 本  輝 さま

息つく暇もないくらい次々ニュースが続きますが、お変わりございませんか。この本を読み始めた頃、北九州を襲った豪雨のニュースが映し出され「何もかも、のうなってしもうた…」と呆然とされているお年寄りに心が痛みました。今日は『森の中の海』についてお便り致します。

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この写真をお借りしようとした時は気づかなかったのですが、写された時に、やはり『森の中の海』に出てくる『大海・ターハイ』の印象をもたれたようです。改めてお借りできる事を感謝してお届け致します。

物語の中に数々の川が、扇の「要」の一点「海」へ向かって、流れ込んでゆきます。途中で合流したり、別れて支流になったりしているのが見える気が致します。そんな映像は、この物語を読むと徐々に浮かび上がってきます。数多くの川とは、物語の中に挟み込まれている沢山の大切なテーマのことです。この作品がとても長いのは、どうしても今の日本の若者に伝えておきたい事、また熟年者には本当の愉しみはこうだと、全て伝えておきたかったお気持ちを感じました。

1997年1月17日に阪神淡路大震災が起こりました。その事をこの作品の軸のひとつにされた事を感謝したいと思います。あの震災は、人々から生活も命も奪い、家を焼き、家族を連れ去り、多くの人を地獄へ叩き落としました。20年の歳月が経ちましたが、その頃、被害に遭われた方々のことを改めて思い出させて頂けました。   普段の生活では見えなかった人間の正体が、異常事態が起こるとあぶり出されることがあります。わが身を省みず、考える前にそばの人を助けようとする人、ただ一目散に自分だけ逃げる人… 『希美子』は夫に引きずられるように、住んでいた街『西宮』から逃げ出しました。そこに残してきた懺悔の心が、おっとりしていた『希美子』の心に火を点けます。そして物語は読み応えのある展開を見せながら進んでゆきます。

『飛騨の山奥の森』に面妖な大木が見つかります。この木は蔦に絡まれ、他の木に行く手を遮られたり、締め付けられたりしながら、幹にはコブや捩れが沢山現れた大木です。何百年もの樹齢のうちに、周りの植物を見事に抱き込んで同化して混じり合い、溶け合っているかのようです。この木は物語の何かを象徴しています。『骸骨ビルの庭』では、戦後に行き場を失った子供達でしたが、ここでは『阪神淡路大震災』で父母を亡くしたり、親の離婚や行方不明によって、寝る場所も頼る大人もいなくなった子供達が『毛利カナ江』の残した家と土地で、『希美子』や、心ある大人達に守られながら成長してゆきました。読み終わった時、とても落ち着いた気持ちになれました。でも、一方で日本の危機とは何かがはっきりしました。

《上は大臣から下は町会議員、村会議員に至るまで、そのほとんどが金の亡者。公務員は事勿れ主義。国民は、人間としての行儀とか教養を積まないまま大人になって、自分たちよりもさらにレベルの低い子供を産んで……この日本て国はもうおしまいね》  この頃、既に書いておられたことが、今の毎日のニュースで証明されています。

『時代背景』は、生きる人々を否応なくある方向に引っ張ります。政治も文化も世相も無関係には生きられません。ですが自分の中の「信」を貫いた『毛利カナ江』は、最期の痛みや苦しみさえ物ともせず、自分の「生を静かに全うしたのです。ここにもまた『風』についてのくだりがありましたが、どんな『時代背景』に立たされても、自分の中に吹く風に負けない生き方をした人の姿を見せて頂けたように思いました。

『マフウ』は元女子プロレスの選手でしたが『典弥』に弟子入りを許され、やっと『作陶』に『自分の風の通り道』を見つけました。体育会系の世界で生きていた『マフウ』は、きっとどんな逆風にも負けないだろうと思います。若い人々の未来が輝き出すのを『大海』はだだ黙して、これからも静かに見ているような気が致します。

日本列島を襲った暴雨の被害が大きくなっています。この瞬間にも家を失ったり、苦労して積み上げたものを全て流される人たちがおられます。自然災害にまだまだ弱い日本の国土です。どうかこれ以上被害が広がりませんように。お元気でお暮らしくださいませ。どうかごきげんよう

 

                                                                     清 月    蓮

【59】『避暑地の猫』      宮 本  輝 著

宮 本  輝 さま

やっと梅雨らしくなってまいりました。次は『森の中の海』を読むつもりでおりましたが、もうすぐ貴方が軽井沢へ発たれると思いますと、急に『避暑地の猫』を読みたくなりました。今日は、私にとってとても難解な作品『避暑地の猫』についてお便り致します。

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この写真はとても美しいのですが、無垢から秘め事へと花開く気配を感じます。男と女の命の中に潜む、奥深い『魔』の存在を確かに伝えてくれる妖しくも美しい花です。作品の内容とイメージが重なりましたのでお借り致しました。

この作品は身を固くさせながら読み進めるしかなく、最後の最後まで本来的な救いは感じられず、心の奥に深く沈潜したまま十数年を過ごしております。以前にこの作品から感じていましたことは、未だ消化されず、またぺージを開いてしまいました。《善人》は、ほぼ登場せず、全ての人が、空恐ろしい怯えや戸惑いを読み手にもたらします。しかも、回想しながら語る設定なのに、絶えず現在を感じさせる巧みな書法なので、途中でやめられません。

《読み手が幸福を感じないような小説は書かない》と言われていたのに、何故この小説が生まれたのでしょう。以前も思いましたが「人間の命の自画像」に確かに存在する「影」を施す為に著されたのだろうと理解しております。人間のもつ恐ろしい『魔』というしか無い「心の闇」の全てが、これでもかと現れてきます。最後のだめ押しは、火で焼き殺された『母』のお腹には、赤ん坊までいたということです。離婚して『金次郎』と結ばれる事を現実として捉え、あのように蔑み続け裏切り続けた『夫』との子供です。このことは、精神と肉体には別々の魂が宿っているのかとの思いまで致しました。     

人間の為す罪の究極の悪は人殺しであり、しかも肉親を手にかけるのは、法律でも極悪の裁きを課せられるのだろうと思います。そして犯した人間のその後の生は『底なしの虚無』の中に放り込まれ、二度と浮かび上がることはできません。たとえどのような罪の償いを成そうと『自分が自分を罰する』意識は消えることはないのです。  唯一の救いは『父親』が、恋をしている『息子』の幸せを願って、自分の命を差し出し、全てをわが身に負ってでも助けたかった行為でしょう。『修平』はその『父』の心を無にしない為に『絹巻刑事』や『コックの岩木』の老獪な罠にも陥らず、平静を装い続け『時効』までの十五年間を、這うように生き延びたのです。

『…この宇宙の中で、善なるもの幸福へと誘う磁力と、悪なるもの、不幸へと誘う磁力とが、調和を保って律動し、かつ烈しく拮抗している現象…』

今現在、幸福だと感じていても、半歩先に暗い不幸への入り口が、大きく口を開けているかも知れず、その均衡の中を人は生きているのです。     恐ろしい計画を実行に移そうとしたにもかかわらず、読み手はどこか『修平』を憎みきれず、同情までしてしまうのは、この法則による働きを、絶えず感じ続けていた『修平』の心の迷いを読み取れるからでしょう。避暑地に住み着いた『猫』たちの正体を垣間見せる描写は、『猫』も人も、その場の環境により、差し出された避けられない状況によって、可愛いペットの猫のように生き続けることはできない…姉『美保』も『母親』も『志津』や殺された『金次郎の妻』も、心のどこかに猫を飼い、嫉妬の餌食になり欲望の誘惑に勝てず、自分の《心のまま》に操られてしまったのです。   

解き明かせない闇はあります。この作品から受ける衝撃と難解さとあまりの悲惨さは、読み手を幸福にしてはくれません。ですが 、事件の周りを縁取る別世界のような軽井沢への憧れ、『霧』に浮かぶ『三浦貴子』の清純な愛らしい姿、それらが、ある種の郷愁をもたらして『軽井沢の霧』に、何度も浸りたくなるようです。

近頃、一面曇り空ですが、雲の中の太陽は昼の明るさを忘れていないようです。厚い雲の奥から差し込む陽の光は、木の葉に残る雨の雫を小さく輝やかせています。やがて晴れ渡る日が必ず訪れるのを約束しているようです。お元気でお暮らしくださいませ。どうかごきげんよう

 

                                                                         清 月    蓮