花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【11】『月に浮かぶ』宮本輝著 『胸の香り』収録

宮本輝さま

お元気でいらっしゃいますか?
今日は短編集『胸の香り』の第1篇『月に浮かぶ』を読みましたのでお便り致します。  短編は家を建てる時の「足場」だと仰いましたので、私は自分勝手な家を建てるかもしれません。どうか笑ってお許しくださいますように。

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『胸の香り』と題された短編集には、7篇が収められています。
人間の生涯のある時期に起こった「紛れない結末」について書かれているように思いました。この文庫本の解説を書かれたドイツ文学者 池内 紀さんは「7つの修羅」と表現されていますが、修羅とは醜い争いや恨み、嫉妬などが内在するもので、私はそうは読みませんでした。生きることに真剣になれば、必ず訪れる迷いや、それでも決断せねばならないことは、人間が懸命に生きた姿であり、寧ろ清々しいと思うからです。今日は初めの1篇『月に浮かぶ』における「紛れない結末」について書いてみます。

『46歳の私』は『36歳の美幸』と恋愛関係なのですが、『私』には『80歳の母』を不眠不休で介護してくれている『妻』がいます。
ここに大好きな『52歳のチュウさん』が出てきてくれます。
南四国 城辺町の方言で、のんびり話す彼の言葉が、このお話を和らげ、人情の機微がわかり親切でお茶目な『チュウさん』が、修羅場からも阿修羅の心からも救ってくれているのです。ここに書き出した年齢は、相互にとても微妙な関係を保っています。    40代は、自分がもう若者の仲間には入れないことに気づき、それなのに大人になりきれていないと思い込み、惑いが忍び寄る年代なのだろうと思います。だからこそ『50を過ぎた情熱しか信じない』と言われた貴方の著書の言葉が理解できます。『チュウさん』はこの山を越えられた方なのですね。

不適切な関係から出来た赤ん坊はこの世から消えてゆきましたが、その結果『美幸』は、二人の間隔は決して縮まらない事を身をもって気づいたのだと思います。『私』も『美幸』との関係を振り返ります。
その時『80歳の母』が、便で膨れ上がったお腹は、赤ちゃんがお腹にいるのだと叫んでいる事に思いを馳せます。女が命を孕むことの根底にある侵されざる深淵に震撼としたのだろうと思いました。その深淵とは…

『父母の紅白二滯・和合して我が身となる、母の胎内に宿る事・二百七十日、九月(くがつき)の間・三十七度死(しに)るほどの苦しみあり、生み落とす時たへがたしと思い念ずる息・頂(うなじ)より出でずる煙り梵天に至る、さて生み落とされて乳を飲む事一百八十余石・三年が間は父母の膝に遊び…』

貴方があとがきに書かれていました日蓮の言葉です。母のこの姿が、沼のように静まり返った凪いだ海に現れた月になって『私』の心に浮かび上がったのです。闇を照らし全てを包み込む月のような母という性の姿。それは、天空の月と、海に映った大きな月の2つのように、また過去と未来の2つのように、すぐそこにあるようで、決して手に取ることは出来ないことを『月に浮かぶ』姿として見ているのです。 月の光に照らされ、2人は未来のない関係に、倒れこんで揺れる船底で、1つの命を失った事による「紛れない結末」を見ているのだろうと思います。

いつも自分勝手なことを書いております。どうかお怒りになられませんように。
『チュウさん』みたいに血圧が上がっては大変です。お詫びに2人の未来に咲く美しい花のような写真をお借りできましたので、お届け致します。また続きをお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                              清月蓮

 

 

 

胸の香り (文春文庫)

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