花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【51】『星宿海への道』 宮本  輝 著

宮本 輝さま

お元気でおられますか。いつも寝るまでの時間はニ階で長編を読み、昼間は隙間を見つけて、短編や別の長編を読んでいます。暖かい風が吹き、不穏なニュースさえ無ければ、気持ちの良い毎日です。今日は『星宿海への道』を読み終わりましたのでお便り致します。

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この写真は、私の心の『星宿海』です。 物語に登場する『しまなみ海道』からの写真ではありませんし『黄河の源流』からこぼれ落ちる湖でもありません。けれど、ここに浮かぶ島々を見た時の記憶とこの写真にとても神々しいものを感じました。この風景には、陽光を浴びたり翳ったりしながら、島の木々が『星』になり、海の波光が『星』になるような感動を確かに感じましたのでお借り致しました。

この物語を読んでゆくにつれ、胸の中に、涙ではない水が溜まってゆくのを感じました。その水は引く事がなく、キッチンに立っても、胸の中に満ちています。この水の正体を表せる言葉が、今は未だ見つかりません。宮本輝さんの『長篇』を読む時、広大な舞台、迫る問いかけ、謎の行方、会話の愉しみ…それらが物語いっぱいに溢れています。感動した気持ちについて、何か書こうと考えますと、焦点を絞って自分なりに掘り下げるしかありません。知識に基づく掘削機は持ちあわせず、スコップで少しずつ掘るしかありません。この物語には「命を賭して息子を愛した母と、母の愛を感じ続けて生きた息子」に照準を当ててみました。

『母』は空襲で大怪我をして、息子『雅人』の命を守るために物乞いになりました。橋の下の小屋に住み、莫大な借金を背負い、自分で両目を刺してさえ、免れようとしたにも拘らず、身体を売ることを余儀なくされてしまいます。こんな劣悪な環境の中で、何故 『母と子』が誰の目にも、この上なく『幸せ』に見えたのでしょう。母と子の姿は、すべてを剥ぎ取られても尚、愛情に溢れていました。地上の男女の恋や、清らかな初恋 …そのような「愛情」とは違った次元で存在し、月日の中で色褪せることなく『息子』の心の真ん中にずっとあり続けました。

成人した後に『雅人』が考案したゼンマイ仕掛けの『亀の親子のおもちゃ』は『母亀』にはゼンマイが無く『子亀』が懸命に『母』の背に這い上がる間、首を振り続ける『歩けない母』と、その首に喰らい付いていた息子『雅人』の姿です。母の死後も、時も場所も越えて生き続ける『母と子』の愛情。探しても探しても、この世では、もう見つけられない『母』の姿は『ポプラの並木』の向こう側から『雅人』を惹き寄せていました。彼は迷う事なくそこへ漕ぎ出し、安心して『星の筏』に乗り、幼い頃の『母』の元へ消えたのです。それは自殺を意味するのでもなく、事件を暗示する状況も残さず、ただ母の元へ向かったのでしょう。愛した筈の『女』とやがて生まれて来る自分の『子供』を捨てたのでもなく、胸の中の水が喉元までせり上がり、どうする事もできなかったように感じました。

途中で、鋭い『異族』と言う言葉が出てきます。これは『母』を喪くし、ひとりぼっちになり、他家の子供として生きた『雅人』が、常に感じ続けていた言葉だったのでしょう。誰にも過去を打ち明けられず、知られることを常に怯えて暮らす闇をもった自分には、誰一人「同族」と思える人間はいなかった。『母』と死に別れてからの『雅人』は、現実を生きることは出来ず、死ぬ事も許されず、ただ時をやり過ごしていたのでしょうか。    誰でも心の隅に、人とは同化出来ない孤独を抱えて生きています。幼少期から青年期に、孤独な世界で生きるしかなかった『雅人』にとって「母なる海」への舟出は、光り輝く美しい処への出発だったのかもしれません。読み終わった時、エッセイ集『いのちの姿』に書かれた『小説の中の登場人物たち』の最後の一文が蘇りました。

《…灼熱と強風など意に介さず、こんなものがどうしたといったふうに小さな竜巻と竜巻のあいだを歩きつづけて消えていったあの青年に、私は憑依する術を知らない》

近頃、悲しく感じますのは、被災地から他の地域ヘ避難した子供達を虐める学校内のニュースが流れる事です。本人にはなんの罪も無いのに、どうして周りにそんな心が湧くのでしょう。いじめを受けた彼らが、自分は周りに溶け込めない『異族』なのかもしれないと感じる事を思うと、とても悲しい思いが致します。一人でもその子たちに近づいて、優しく接してくれる人がいてくれることを願うばかりです。どうかお元気でお暮らし下さいませ。またお便りさせて頂きます。どうかごきげんよう

 

                                                                  清  月     蓮