花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【27】『トマトの話』 宮本輝著  『五千回の生死』に収録

宮本輝さま

 

秋は物思いの季節ですね。時代が目まぐるしく変わってゆくのを、ただぼんやり見ているように思う時があります。野辺に咲く曼珠沙華は美しいのだろうか、それとも死人を出す恐ろしい花なのだろうかとりとめもない事を考えています。今日は『五千回の生死』に収められています『トマトの話』を読みましたのでお便り致します。  

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  クリーム色の曼珠沙華は、本当は思いっきり紅く燃えたかったのに、そうできなかった『 江見  』の心のようです。病いに倒れ、自分の命の終わりに気づき、赤いトマトを抱きしめたかった。毎夜 過去を忘れようと飲み続けたお酒のせいで、末期の肝硬変に陥ったのです。飯場の人々は自分の事だけに懸命で、そばの男にかまう人はいません。   炊事場の女が、返事だけして買ってこなかったトマト。でも『小野寺』は忘れませんでした。重労働で身体は重く、きっと脚は棒のようだったでしょう。でも、汚れた布団に横たわり、医者にも診せられない様子で寂しく横たわる、見ず知らずの男さえ見捨てておけなかったのです。

『江見』が『セツ』に宛てた最後の手紙が胸に浮かびます。その手紙には、きっとこう書かれていたような気がします。     

《貴女をおいて都会に出てしまった自分が間違っていた。一日も貴女を忘れた日は無かった。あの頃のように真っ赤なトマトを二人で作って暮らしたかった。どうか自分を許して欲しい

でも、手紙は、熱いコールタールに焼かれ、アスファルトの下に消えてゆきました。

『江見』は震える両手でトマトを撫でながら遠のく意識の中で、夢をみていたのかもしれません。幸せだった『セツ』と暮らしていたあの頃の夢。   『セツ』は今もトマトを作って暮らしているのでしょうか。それとも別の誰かと暮らしているのでしょうか。『小野寺』は『江見』が、口から潮のように吹き上げた血糊と腐ったトマトのこびりついた布団や畳を、ちゃんと始末して上げました。  自分のことのように遅くまで落とした手紙を探し回り、あんなに必死でアスファルトまで剥がしてくれと頼みました。     ですから『小野寺』さん、どうか自分を責めないでいて下さい。手紙は『江見』が書いた時に、もう既に彼の心は満たされて、貴方が投函することを引き受けてくれてどんなにか安心したでしょう。たとえその手紙が今の『セツ』に届けられなくても、それでもいいのかもしれません。 貴方がトマトを食べられなくなっただけでも、本当に随分とお気の毒なんですから。

自分の中にはっきりとした映像まで浮かんだ印象深い物語でした。クリーム色の曼珠沙華を見るたび、伊丹昆陽の交差点に差し掛かるたび、この短編を思い出します。人の事が心配で、何とか役に立ってあげたいという思いは、忙しかろうが、大変な立場であろうが、心やさしい人には起こるものだと思いました。せめて自分の周りに、何かを一生懸命されている人達の為に出来ることをしいたいと思います。自分の事だけに夢中なのは寂しいことですから。季節の変わり目、お身体ご自愛下さいますように。またお便り致します。どうか ごきげんよう

 

                                                                            清月 

 

 

五千回の生死 (新潮文庫)

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