花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【15】『しぐれ屋の歴史』 宮本輝著 『胸の香り』に収録

宮本輝さま

お変わりございませんでしょうか?
『長流の畔』は、何人もの方が読み終えられ、感想をコメントされています。
胸に浸潤する悲しみに捉えられてしまいましたが、「あとがき」にあります『意志』は、悲しみの果てに、『房江』さんが自害までされたのに、一命を取り留められ、また未来に向かい決意を定められた…  そして素早く、行動に出られたことに確かに強い『意志』を見ることができました。『野の春』が待ち遠しく思います。       今日は『胸の香り』の5篇目『しぐれ屋の歴史』を読みましたので、お便り致します。

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文庫本ほどの大きさしかない小冊子に秘められた父母の『息子』への伝言。
『亡き父』が、当時15歳だったにもかかわらず『息子』を編集人にした本当の意味は、30余年後に『息子』の元へ届けられたのです。

この物語を、どうしてもこう読まずにいられないのは、『あとがき』の言葉からです。父母の子への情愛は、どんなに深いか、そして時を経ても薄まらず、ずっと子供と共にあるかに思い至りました。
ここで『母』が恥だと考えるのは、人の命の尊厳を軽んじる事でした。人は誰から生まれたかではなく、まして人種や宗教や思想を超えたところにその人の生の尊厳があると考えておられることの証しだと感じました。
それを冒した『父不詳』の1行は『母』にとって、生まれ出た命に対する侮辱でした。そして何より『母』が大切にしたのは、人様を救えるなら、大切なものを守る為なら、自身の身を投げ打つ程の心の強さと行動でした。『息子』は、ともすると『母』の全てを失った時代の、みっともない行動を恥だと思い込み『母』を許せなかったのです。『母』はそんな息子を虚ろな目で見ている…
そんな2人の全てを見抜いていたかのような『しぐれ屋の歴史』が伝えたものは『父』の気まぐれかに見える小さなこんな仕掛けだったのです。

子供が親の生き方に気づくのは、もしかしたら親が亡くなってからのような気が致します。『母』の生き方は、ここにきて『しぐれ屋の歴史』が伝えました。長い年月を経て、やっと気づいた『大杉ひな子』の胸に去来した『母』に救われたことを忘れ、冷たい仕打ちをしてしまったことに対する懺悔も同じです。人はここまで行きつくのに長い年月がかかる。その後のしぐれ屋の凋落を迎えて、自分の来し方の誤りに気付けたのでしょう。このお話は『母』の生き方がもたらした「紛れない結末」を伝えたのだろうと考えます。

この花は、自身の心を貫き通した一人の女性の後ろ姿のように感じましたのでお借り致しました。透き通る花弁から、今にも溢れそうな凛としたやさしい『母』の笑みが見えるようです。またお便りできますように。どうかごきげんよう



                                                                               清月蓮

【14】『胸の香り』 宮本輝著  『胸の香り』に収録

宮本輝さま

梅雨が続いていますがお変わりございませんでしょうか?
今日は真夏の暑さです。
大長編小説 『流転の海』第8部『長流の畔』の発売 おめでとうございます。
私のFBでも沢山の方々がアップされていました。嬉しいです。
今日は、先週の続きです。この短編集の題名でもある第四篇『胸の香り』を読みましたので、お便り致します。

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この物語の舞台、神戸『御影』や『六甲道』には時々遊びに行きます。友人の家があるからです。なんと彼女の家はご主人が『郵便局』をされておられました。
六甲山の中腹にある『設備の整った病院』も、多分…と思う建物を見上げた事があります。この物語は、昭和20年代に在ったので、今は様変わりしているでしょうが、『郵便局に勤めていた女』はこの辺りに住んでいたのだろうか、また『そのあたりでもひときわ大きな屋敷』とはどんなだったのだろうと、行く度に想像したり致します。

『母』の胸の奥に燻っていた遠い光景の記憶。
夫にぶつけても、叱責されただけの1つの疑念は、無意識の彼方に消えずに残っていたのです。   もしかしたら『夫』は幸せだった『御影の生活』の中で、私を裏切り、よその女との間に子をもうけていたのではないか…     それを確信に変えたのは、言葉で説明できない1つの香りでした。
香料でもない、好物の食べ物の匂いでもない、体温に温められて胸や首の辺りから立ち昇る、仄かなその人だけの香り。その香りを持った夫以外の人に、出会ってしまったのです。その人は『夫』が嘗て通いつめていた『パン屋の息子』でした。亡くなった『夫』の秘密は、実証とは言えないこんな頼りなげで微かな独特の香りによって、死の間際まで『母』を襲いました。死が迫る枕辺で、愛犬の鼻先に噛み付くほどに激しく、『おとうちゃんの胸…』とうわ言を言い続ける程、壮絶に。
ここに書かれている物語は、答えの出なかった事による苦しみであったろうと思います。   鮮明に出来ず、生活に追われ、時間が経過したことにより、発酵して強くなり『母』を苦しめることになりました。どんなに包み隠そうと『紛れない結末』はこんな風にやってきてしまったのです。人の為したことは時間の経過に拠らず、『紛れない結末』を迎えるものなのでしょう。
でも実生活に於いては『母』は『息子』が大学を卒業し結婚して、経済的にも恵まれ『所願満足』だと感謝しています。『母』は、息子を護り抜き、懸命に生きたからこそ、もしかしたら弟がいるのかもしれない事を『息子』に話すことができたのだろうと思います。その弟は『おとうちゃん』とおなじ性癖をもっていることを微かに表す最後の場面は、少しクスっと致しました。

この写真は、幸せな生活の中に突然訪れた疑惑を心の奥に湛えながらも、それでも女として母として生き、雄々しく美しく花開いた『母』の姿のように感じましたので、お借り致しました。その人の持つ『胸の香り』は、愛する人を持った者にだけ分かる独特の香りなのですね。
またお便りさせていただけますように。どうかごきげんよう

                                                                               清月蓮

 

 

【13】『さざなみ』 宮本輝著 『胸の香り』に収録

    宮本輝さま

梅雨の空を見上げますと、初めてお会いした折、手が震える本態性振戦のご病気のことをお伺いしたのを思い出します。長年の万年筆でのご執筆は想像もできない負担を手に及ぼしていたのでしょうが、この時期、どうかお大事になさいますように。今日は『胸の香り』の三篇目『さざなみ』を読みましたので、お便り致します。

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短いお話ですが、ここに登場する『真須美』に、心を奪われます。時折、夜空を見上げて、今頃 彼女はどうしているだろう…などと思うことがあります。日本の真裏のポルトガル リスボンに、彼女は亡き夫の足腰の弱った両親と、お腹の赤ちゃんと共に住んでいます。彼女に心を寄せずにはいられません。『薄い眉と鋭い眼光』とは「さりげない振る舞いと強い意志」に他ならないと思いました。ヨーロッパに一度だけ行ったことがありますが、張り巡らされた石畳はたいそう脚に負担をかけます。其処に生きる人々は毎日この石畳を踏みしめ、人波をかい潜りながら暮らしているのです。
ポルトガル語を習い、働く決意をして、路面電車の線路をゆっくり横切る彼女は何よりお腹の子供を大切に思い、まだ息子の事故死の失意から抜け出せない彼の両親のことを考えています。なんとか食欲を取り戻し、生きる力を蘇らせてあげたいのです。    日本で『私』に出会った時から『真須美』は、相手に求めることをしない人でした。そんな彼女が初めて他者に求めたのは、ミルクしか口にしない両親に、好物の蒸し鶏を『口をこじ開けてでも、食べさせる』ということでした。日本から愛する人の故郷に渡り、一緒に過ごしたのは1年と少しだけ。それでも彼女がリスボンから去らない決意をしたのは、お腹にできた赤ん坊の命の鼓動を感じた瞬間だったのでしょう。愛の「紛れない結末」は、『真須美』が母になったことでより強く確かな道を選んだのです。  自分の心に刻みつけたくて、『私』に知っていてもらいたかったのでしょう。   こうして荒波を1つづつ『さざなみ』に変えて、石畳の道を今も『真須美』は、逞しく力強く歩いているのです。
この写真はとても異国情緒を誘ってくれます。『真須美』がいつの日か、こんな花を、庭で育てる日が来ることを願ってお借り致しました。まるで『真須美』のような優しい色と、美しい姿が伝わりましたでしょうか?  またお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                            清月蓮

 

【12】『舟を焼く』宮本輝著 『胸の香り』収録


宮本輝さま

曇り空が続いていましたが、今日の太陽は、まるで真夏のようでした。
今年の夏は厳しい暑さになりそうな予感が致します。どうか、ご自愛下さいますように。今日は、短編集『胸の香り』の2篇目『舟を焼く』を読みましたので、お便りさせて頂きます。 

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 部屋数は、5つばかりの安宿のガラス窓に映る舟の影。

その向こうに日本海を望む砂浜がありました。そこに置かれた一艘の廃船は、夜毎 場所を変え、砂浜を引きづられて移動していました。
『宿の主人夫婦』は、30歳くらいに見えるほど老けた印象を与えています。幼馴染の2人は8歳の頃から、ここにある舟を漕ぎ出し、沖に浮かぶ島の平らな石の上で「2人だけの時間」をもっていました。  中学になると互いに相手と結婚したいと願うようになり、その想いは19歳の時、この旅館の跡を2人で継ぐことによって満たされました。けれど、僅か3年後 22歳で、別れることになってしまったのです。そして別れの前にこの舟を焼き払ってしまおうと場所を求めて移動していたのです。
この舟に心を誘われた泊まり客の『私』と『珠恵』も、やはりここで別れなければならない事を知っていました。でも、未練や惰性や体の相性などが、ここまで2人を別れさせなかったのです。2人は現実には出口を見つけられない関係だったのです。         この2組の男と女に共通していたのは、「2人だけの時間」が、もしも満たされていたとしても、「2人だけの時間」を継続出来ない様々な要素に 、打ち勝てなかったということです。経済的に困窮したのか、生活に疲れたのか、相手の愛情に誠意を見出せなかったのか、世間への嘘や誤魔化しに疲れ果てたのか…理由はおぼろげにしか書かれていませんが、ここに「紛れない結末」を見た思いがしました。      人を愛するのは「2人だけの時間」の中では成立していたとしても、それは他者の介在により壊れてしまうことが多いのです。他者とは世間の常識であったり、日々をこなす事の疲れであったり、豊かさへの欲望であったりもします。それらを超えたもっと高い場所に2人が居続けなければ、波にさらわれたり、水底に落ちて沈んでしまうのです。相手に望むことが多かったり、「2人の時間」以外の時間を拘束し合うことも。

この写真は落ちてなお美しい形を残したえごの木の花です。
燃え上がる炎に焼け崩れた小さな舟と、その中に『珠恵』が投げ捨てたブレスレットは、この2組の男と女の「紛れない結末」です。けれど、たとえ別れを決意したとしても、それぞれの胸の中に、そして4人の未来に、この花のような美しい思いが残るようにと願ってお借り致しました。風が心地よく吹いています。こんな午後は窓をいっぱいに開けて、新鮮な空気を吸い込みます。
またお便りさせていただけますように。どうかごきげんよう

                                                                                清月蓮

【11】『月に浮かぶ』宮本輝著 『胸の香り』収録

宮本輝さま

お元気でいらっしゃいますか?
今日は短編集『胸の香り』の第1篇『月に浮かぶ』を読みましたのでお便り致します。  短編は家を建てる時の「足場」だと仰いましたので、私は自分勝手な家を建てるかもしれません。どうか笑ってお許しくださいますように。

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『胸の香り』と題された短編集には、7篇が収められています。
人間の生涯のある時期に起こった「紛れない結末」について書かれているように思いました。この文庫本の解説を書かれたドイツ文学者 池内 紀さんは「7つの修羅」と表現されていますが、修羅とは醜い争いや恨み、嫉妬などが内在するもので、私はそうは読みませんでした。生きることに真剣になれば、必ず訪れる迷いや、それでも決断せねばならないことは、人間が懸命に生きた姿であり、寧ろ清々しいと思うからです。今日は初めの1篇『月に浮かぶ』における「紛れない結末」について書いてみます。

『46歳の私』は『36歳の美幸』と恋愛関係なのですが、『私』には『80歳の母』を不眠不休で介護してくれている『妻』がいます。
ここに大好きな『52歳のチュウさん』が出てきてくれます。
南四国 城辺町の方言で、のんびり話す彼の言葉が、このお話を和らげ、人情の機微がわかり親切でお茶目な『チュウさん』が、修羅場からも阿修羅の心からも救ってくれているのです。ここに書き出した年齢は、相互にとても微妙な関係を保っています。    40代は、自分がもう若者の仲間には入れないことに気づき、それなのに大人になりきれていないと思い込み、惑いが忍び寄る年代なのだろうと思います。だからこそ『50を過ぎた情熱しか信じない』と言われた貴方の著書の言葉が理解できます。『チュウさん』はこの山を越えられた方なのですね。

不適切な関係から出来た赤ん坊はこの世から消えてゆきましたが、その結果『美幸』は、二人の間隔は決して縮まらない事を身をもって気づいたのだと思います。『私』も『美幸』との関係を振り返ります。
その時『80歳の母』が、便で膨れ上がったお腹は、赤ちゃんがお腹にいるのだと叫んでいる事に思いを馳せます。女が命を孕むことの根底にある侵されざる深淵に震撼としたのだろうと思いました。その深淵とは…

『父母の紅白二滯・和合して我が身となる、母の胎内に宿る事・二百七十日、九月(くがつき)の間・三十七度死(しに)るほどの苦しみあり、生み落とす時たへがたしと思い念ずる息・頂(うなじ)より出でずる煙り梵天に至る、さて生み落とされて乳を飲む事一百八十余石・三年が間は父母の膝に遊び…』

貴方があとがきに書かれていました日蓮の言葉です。母のこの姿が、沼のように静まり返った凪いだ海に現れた月になって『私』の心に浮かび上がったのです。闇を照らし全てを包み込む月のような母という性の姿。それは、天空の月と、海に映った大きな月の2つのように、また過去と未来の2つのように、すぐそこにあるようで、決して手に取ることは出来ないことを『月に浮かぶ』姿として見ているのです。 月の光に照らされ、2人は未来のない関係に、倒れこんで揺れる船底で、1つの命を失った事による「紛れない結末」を見ているのだろうと思います。

いつも自分勝手なことを書いております。どうかお怒りになられませんように。
『チュウさん』みたいに血圧が上がっては大変です。お詫びに2人の未来に咲く美しい花のような写真をお借りできましたので、お届け致します。また続きをお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                              清月蓮

【10】『彗星物語』 宮本輝著

宮本輝さま

先日は思いがけずお会いできまして本当に嬉しかったです。
お元気そうでとても安心致しました。お別れの時は大声で叫んでしまいました。
曲がり角で手を上げて下さいましたが、きっと苦笑いされていたことでしょう。
お忙しい中、ありがとうございました。
今日は『彗星物語』を読みましたのでお便りさせて頂きます。 

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梅雨が近づきますと必ず思い出すのは『彗星物語』です。
何故なら、物語の中で ハンガリーからの留学生『ボラージュ』が、粘り着く湿気に、身体から精神にまで支障をきたす事態になったことが印象に残っているからです。この物語がテレビドラマ化されたことを近年になってから知りました。このように、軽くて楽しいタッチで筋を追うことは読書の一番の醍醐味です。 私もその中に潜り込み、ひと時の安らぎが欲しかったのだろうと思います。繰り返し読んだ数年は、様々な理由から我が家は突然の大家族になっていました。夜、やっと家事を終え、この本を持ってベッドに潜り込み、疲れた身体を横たえながら、ひと時の安らぎをもてることで日々を乗り越えられた気がしております。
まして、これが、全くの架空のものではなく、本当に一人の異国の青年を御自宅に預かり、衣食住から神戸大学大学院の学費など、様々なお世話をされていたことを知りとても感激致しました。

現在『ボラージュ』はハンガリー駐日大使館「特命大使」となられて、日本に駐在されています。なんという奇跡のような出来事でしょう!    過日、神戸で大使館主催の彼の講演会があった折には 、夢中で一目『ボラージュ』に会いたいと駆けつけたりも致しました。『ボラージュ』は優しくて紳士でとても素敵な方でした。こんな風に、物語に俄然、現実味が加わり読む度にその頃、我が家の居候だった人たちを、また長く病いにあった義父を、預かって我が家で飼うことになった2匹の犬達を、何とか最後まで投げ出さずにいられたのだろうと思います。現実の行動との誠実さの一致において、とても説得力のある物語でした。忘れられない一冊です。

生きていますと不思議なことが起こるものです。
この本を読み、読後感を書き終えた2016・4・25・AM9:50  我が家で預かっていた14歳の愛犬 が、散歩中に突然 横倒しになり、そのまま逝ってしまいました。前日まで元気で食欲もあったので、すぐには受け容れられません。朝起きて彼の寝床に、おはようと声をかけても答えてくれる主はもう居ないのです。苦しまなかった事を感謝するしかありませんが、ぽかっと空いた穴は当分埋められそうもありません。この物語の最後の『フック』の淋しい旅立ちが教えてくれたものは、
『ある日 突如として 彗星のごとく現れ、彗星の如く消えてゆく』…

この写真は鬱陶しさを吹き飛ばし、暫しの間心を和らげてくれそうなので、お願いしてお借り致しました。垂れ込める空に、負けずに咲く花たちの力強さが届きましたでしょうか?またお便りさせていただけますように。
どうかごきげんよう

                                                                           清月蓮

【9】カインの印

☆★読んで下さってる皆さまへ ☆★

 

いつの間にか春がいってしまいました。
春が来るたび、そして去ってしまう度、何故か哀しさを感じます。他の季節には起こらない郷愁や、少しの厭世観にも襲われます。所謂 「木の芽時」に過ぎないのでしょうが、普段はしないことをやりたくなったりもします。何十年も書いたことが無かった文章や詩作を、ここ2年ほど前から始めたきっかけになったのは、1つの詩を書いたことからでした。思い切ってここに書き写してみます。今日は読後感はお休みです。少し深呼吸してみたくなりました。

                                     カイン の印

アルベロベッロの隅っこの
小さな扉の屋根裏に
きっと君は 住んでいて
まわりのみんなに 愛されて
ゆっくりやさしく 暮らしてる

時の流れに 目をとじて
秘かに心を 熱くして
時々僕に 会いたいと
きっと願って くれるけど
ずっと会えなくて  それでいい

君の話す声も
髪の香りも横顔も
誉めてあげれは しないけど
僕の額についている
カインの印を 届けるよ


アルベロベッロの広場から
一日一度の バスが出て
君は揺られて どこゆくの

夕陽が沈む頃までに
必ず戻って来ようって
小さく十字を  きるけれど
きっと君は 戻れない
多分君は 間に合わない

いいよ、おゆきよ
君の心の舞うように
君の心の翔ぶように
僕は気付かぬ振りをして
そっと 木陰で 待っている

アルベロベッロの隅っこの
小さな扉の屋根裏に
きっと君は住んでいて
窓辺に架けた鏡から
時々僕を覗いてる

鐘の音がしてるから
寂しくなんか無いなんて
君は微かに微笑んで
自分の額に付いている
カインの印に投げ kiss

敢えて、お粗末さま…とは書きません。
奥ゆかしさが足らないのでしょうが、書いた限りは、これしか書きようがないと思っているからです。他人が読んでも、だからどうと言う訳でもない…それも詩の宿命だと思います。散文のように起承転結もなく、ただ言葉のリズムの中に心情を沈めるしか術はありません。詩に説明はどうなのかなと思いますが、あまりに独善的で意味不明な部分もあると思い少しだけ補足します。
《 世界の何処かに『命の器』の中に同じ『核』を有する人が必ずいて、遠く離れていようが、国が違おうが、性別や環境や思想さえも異なっていたとしても、すれ違っただけで互いに相手の額に同じ印を認め合う。そんな人々と巡り合えたらどんなに幸せでしょう 》
そんな感じです。詩の持つ韻とは韻律であり何より余韻だろうと考えます。
リズムが心地よいか、耳障りかはその人の嗜好によるので、余韻もそれに準じています。詩はひとりよがりが許される自由に駆け回れる花畑のようでもあり、
自分の心の胞子が風に吹かれて散っていくようなものだとも思います。ただどこかで聞きかじったフレーズだけは使うまいと決めています。詩に関して何も学ばなかったので、その点は申し訳なく、お読み頂きまして感謝申し上げます。ありがとうございました

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この写真は去りゆく季節を懐かしむどころか、時を止めてくれそうな夜の闇に咲く薔薇の花です。こんな薔薇を現実には見たことがありません。お願いしてお借り致しました。梅雨がやってきています。皆様、お身体を大切になさって下さい。どうかごきげんよう

                                                                清月蓮