花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【22】『階段』 宮本輝著   『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

お元気でおられますでしょうか? 『階段』を読む前に、ドフトエフスキーの「貧しき人びと」を読み直しました 。貧しさとはどれ程の苦しみかを、もう一度 確かめる為です。感傷的な言葉で埋め尽くされた処女作との事ですが、一気に読み終えなければ気が済まない力強さに、改めて凄さを感じました。貧乏に耐えきれなかったワルワーラに、恋心を弄ばれ翻弄されたかもしれないと、マカールが哀れに感じました。 また、ワルワーラがそうせざるを得ない程の貧しさとは、どんな苦しみなのだろうと思ったり致しました。マカールの狂おしい程愛した歓びと老いた無力な叫びが、いつまでも消えません。今日は『階段』を読みましたのでお便り致します。

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少し季節が違いますが、この写真をお借り致しました。周りは見渡せる限りの雪野原で、猛吹雪を遮るものはなく、それでもこの木は、たった1人で立っています。まるでこのお話に出てくる高校生の頃の『私』のようです。

思い出したくも無い貧しさの象徴のような 一間きりの木造アパート。
汚泥の中に閉じ込められ、息も出来ないようなあの頃の暮らし。
『私』が高校生だった時、父はゆくえ知れずになり、兄は貧しいアパートから去り、母はアルコール中毒に陥りました。仕事も続かぬ『母』は、酔うと市電のレールの上で酔い潰れ、スカートが捲くり上がっても構わずにわめきます。
『轢いてえなァ。早よう轢いてえなァ』

『私』は、恥ずかしさと腹立たしさで、何度も母の顔を力任せに殴り続けるしかありませんでした。そして母がお酒を買うのを見張る為に、アパートの『階段』の7段目に座り続けたのです。     隙間風が抜け、ガラス窓は破れ、排泄物の臭気が絶えず漂い、漆喰の壁はひび割れ、汚れが付着しています。孤独と闘い、毎日を懸命に生きるだけです。どうすることも出来ず『私』はアパートの住人『島田』の部屋からお金を盗みます。まるで何かに憑かれたように盗み続けました。この時、もしかしたら『島田』は誰が犯人なのか、わかっていたのかもしれません。それでも部屋の鍵を新しく取り換えただけでした。
この作品の最後にこう書かれています。
『私をうなだれさせ、そしてすくっと立ち上がらせます』
大人になった『私』の言葉です。

人の力が及ばないところ…意思も正義感も法律も道徳も意識さえ失われていたかに思える一時期があったことを『私』は今、思い出しています。もしその1つでも自分の中に居座っていたら、こんなことはできなかったでしょう。盗みを人に見つからず、警察にも捕まらず、どうして今日まで無事に過ごせたのだろう。
そして、『兄』は高校を中退した後、働きながら夜学に通い、その後、製薬会社に勤めます。私たちは「何かに護られていた」だからこそ、自分の惨めさと後悔に『うなだれた』後、護られていた何かに応えるために『すくっと』立ち上がったのです。
夏はもうすぐ去りますね。日本には四季があり、恵まれた豊潤をもたらしてくれます。一年中砂漠でも、湿った熱帯でも、極寒の地でもありません。それなのに、18歳未満の子供の6人に1人が貧困家庭にいます。貧乏が怖いのは、盗み自体の行為にもまして、相手の誠意を踏みにじらなければならなかったり、自分の心を殺さなければらない事態に陥る事のように思います。
また、お便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう

                                                                            清月  蓮

【21】『ホット・コーラ』 宮本輝著  『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

お元気でおられますでしょうか?  朝早く目覚めますと、もう確かに秋の気配を感じます。まだ星が見えて、近くで野鳩が少し寂しそうに鳴いています。今日は『ホット・コーラ』を読みましたのでお便り致します。

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沢山の蓮が咲いている広い池からすくい取られたこの1枚は、数ある蓮の写真の中でも、とても美しいと思います。歩きながら見える場所から、この一輪を見つけられたのは偶然とは思えないものを感じましたのでお借り致しました。子を思う『母』の姿が届きますように。

1919年アメリアトランタから日本にやって来た『コカコーラ』は、忽ち私達の人気の的になり、高村光太郎さんも、芥川龍之介さんも、虜になられたそうです。 私も一時期、中毒みたいになりました。
なんらかの事情で一緒に暮らせない『母と少年』
茶店『アトラス』の窓際の席に座り『ホットコーラ』を注文する女は、近くの精神病院の患者なのでしょうか? それともそこで働いている人なのでしょうか?   女は『アトラス』の向かい側の家に住む『少年』の『母』だと分かります。『少年』は『母』が自分を気遣ってくれていることを知っています。大声も出さず、泣き喚きもせず、窓をいっぱいに空けて、画用紙に『きょうのおかずは はんばあぐ』と書いて『母』に知らせます。この時間が母と少年』にとって、なくてはならない大切な時間。でも、『アトラス』の主人『英男』は、経営の行き詰まりに悩んでいました。ずっと『ホットコーラ』を注文する女に淡い恋の想像をしていました。でもやはり妻『伸子』の望みを叶えようと決めたのです。ですから、窓際の席が、近くに出来た『蒲鉾工場』の人達に取られてしまうかもしれません。『母』と『少年』はもう窓際の会話が出来なくなるのでしょうか?

この短編は、お話の続きが浮かびます。出てくる人達が、みんな悪意がないからです。近所の人達は『おばあさん』と『少年』の2人暮らしの庭の雑草を、みんなで抜いてあげようと相談しますし『アトラス』の『英男』も妻がパートに出ているのを、少しでも楽にしてあげようと決めました。『工場主任』も約束を守って、従業員を店に連れて来てくれます。ここに集まる善良な人々は、自分の生活を守りながらも、別れて暮らす『毋と息子』を、きっとやさしく見守ってくれるだろうと思います。『母』が『息子』に会う時間だけ、『アトラス』の窓際の席は、きっとみんなが自然に空けておいてくれるような気が致しました。母の愛情はこの世の平和と安寧の源だとみんながわかっているんです。だって、コーラは温められてもスカッと爽やかに違いないですから。

週に一度の温泉は貴方のお薦めどうり、欠かさず実行しております。サウナ室に大画面が据えられ、普段は観ない民放が点いていました。驚いたのはゲームソフトのCMの何と多いことでしょう。人気タレントが次々登場して、楽しそうに勧めていました。なんだか悲しくなりました。本をたくさん読むべき時期に、大切な時間を若者から奪っていきます。またお便りできますように。
どうかごきげんよう

                                                                               清月蓮

 

【20】『駅』 宮本輝著   『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

本当にこの夏は今までにない暑さです。お変わりございませんでしょうか?   昨年このお話に出ている『能登鹿島』の駅に降り立つことが出来ました。無人駅は初めてでした。ひと時、ここで風に吹かれておりました。目を瞑ると物語の光景が浮かぶようです。今日は『駅』を読みましたのでお便り致します。 

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私がこの『駅』に降り立った日も薄曇りでした。数枚、写真も撮りましたが、やはりこの写真が短編『駅』の雰囲気を一番伝えているように感じましたので、お借りすることに致しました。
能登半島七尾線無人駅。
その駅は、どうしても消し去れない過去の墓地のようです。たとえ、『妻』に知られなくても、浮気相手の親に責められなくても、この無人駅は『田所』の過去を全部見ていました。長い桜のトンネルが葉桜の頃までその余韻を残しています。そこで、酒を飲み、過去を流そうと言うのです。

『誰からも好かれる、本当にきれいで、おおらかで、精神のどこにも汚れたものなんて持ち合わせていない妻 』 でした。
『田所』が開放性の結核に罹り、母親と揃って入院した時も、栄養価の高い料理を運び続けました。笑顔に不思議な力を宿しているかのように、どんな時にも明るく笑っていました。  なのに『田所』は自分の会社が危機を脱するや、取引先の社長秘書に心も体も奪われてしまいます。男はそんな風に造られているのでしょうか。
浮気相手の『春子』は、道理の解っている、意思の強い、しかもそれを端然と実行する賢い人でした。ですから『田所』の妻は、亡くなるまで『田所』と『春子』の間にできた子供の事は知らずに逝きました。
『妻』の死後三年が過ぎ『春子』と『田所』は結婚します。家族は皆 大人の理解が出来る穏やかな 関係になりました。 それでも『田所』の胸には、亡くなった妻への憐憫と悔恨が、消えてゆかないのです。『妻』は幸せだったのだろうか…
この『駅』と決別する為に『田所』はここを訪れましたが、時は過ぎ去り 、すべては収まるべきところに収まったかに見えても、自分の心だけは騙せなかったのです。それに、全てを見ていたこの無人駅も。鋭くけたたましい猛禽の鳴き声に向かって 投げつけたお酒の瓶も、『田所』の話に聞き入り、自らの道ならぬ恋に迷う『青年』が投げた小石も、能登鹿島の海の色に溶けてはゆかず、まるで自分の過去に向かって投げつけたかのように痛みを残しています。

この『駅』に立った時、人間は自らの意思で再生することができるのだと思えるようになりました。未来に向かって心を整理して新たに変革してゆけるのです。『駅』は、それを見守ってくれているように感じました。今頃、どんな人が降り立っているのでしょう。七尾湾の無人駅を憎まないでいられるように。この駅の静かさをそっとしておきたいのです。『田所』と『青年』の人生が、この先、どうか穏やかで幸せでありますように。またお便りさせてくださいませ。どうかごきげんよう

                                                                                清月蓮

【19】『暑い道』 宮本輝著 『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

我が家の横を走る六甲山グリーンベルトから、朝と夕方、緑に冷まされた爽やかな風が吹いて来ます。ひと時 貴方のおられる場所の風を想像しております。庭に水を打ったり、蚊取り線香の匂いを嗅いだりして、夏をやり過ごしています。今日は『暑い道』を読みましたので、お便り致します。

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菖蒲は、5・6月の花ですが、この写真を見た時、このお話に登場します『ケンチ』『ゲン』『カンちゃん』『私』の4人の顔が浮かびましたので、お借り致しました。中学生から成長して世の中の強い風に吹かれながらも『4人』はそれぞれの道を歩いてゆきました。この輝いている花達はそんな『4人』の笑顔に見えました。
初めて『さつき』に会ってから、その美貌に魂を抜かれた『4人』は、やがて、幸せな甘い陶酔の時を与えられ、自分は愛されていると思い込みます。そして揃って『さつき』を世間の魔の手から守ろうと決意します。   純情な男の子たちを尻目に『さつき』は美少女が辿る最悪の道へと転げ落ちて行きました。次々と男たちと付き合い、危うい関係を連想してしまう『さつき』の行動は、『母親』が、アメリカ人相手の娼婦であったことを人々の口の端にのぼらせる程でした。高校を中退して東京に出、水着モデルから始まり、芸能プロダクションの男たちの餌食になり心身ともにボロボロになってゆきました。
『私』と『ゲン』は、育った貧しさから抜け出す為に懸命に受験勉強に埋没し、大学に進んで 就職します。『ケンチ』は高校を中退してヤクザになり、挙句には犯罪者として囚われます。『カンちゃん』は真面目さを買われ『山本食堂』のお婆さんの養子になり、とびきりのステーキ用の牛を牧場で育てています。    高校生から成人に至るまでの4人の人生は様々でした。ですが、川の土手の『暑い道』を歩いた頃の気持ちをずっと持ち続け、たとえ心身共に『さつき』が傷ついてしまっても、変わることなく思い続けた『カンちゃん』が『さつき』を嫁に迎え、共に生きることを選んだのです。
恋をするってよくあることですが、ただ甘美な快楽から相手を愛していると勘違いしたり、ひと時夢中になっても、自分の日々に追いまくられ忘れてしまったり、容姿の美しさだけに惹かれたり…   けれど、どんなに仲間に迫られようと愛する人を蔑みの対象から守ろうとした『カンちゃん』の一段高い恋だけが実を結んだのです。その道は長い辛抱と、自分の心を疑わずに真っ直ぐ生きて来た人にしか手にすることの出来ないもの。  ここでホッとできたのは、刑務所にいる『ケンチ』に、『私』と『ゲン』が面会に行き『さつき』の幸せの為に、出所しても『さつき』を追かけることを諦めさせようと約束するところです。そして、健康を取り戻した『さつき』の事をきっと『ケンチ』も喜ぶであろうと話します。男気ってこういうものです。いいですね。4人共、高校生の頃、川の土手の『暑い道』を歩いた純情を忘れていなかったのです。
またお便りできれば嬉しいです。早くお仕事が一段落して、ゴルフがおできになられますように。どうかごきげんよう

                                                                             清月蓮

【18】『真夏の犬』  宮本輝著    『真夏の犬』に収録

宮本輝さま

暑さには強い方ですが、さすがに今年はもう極まってきました。お変わりございませんか?この短編集は先にお便りしました『胸の香り』より、数年前に執筆されていますが、季節に合わせ、入れ替えてみました。今日は第1篇目で題名にあります『真夏の犬』を読みましたので、お便り致します。

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『真夏の犬』の舞台は、長編『長流の畔』の中で『熊吾』さんが見つけられた広い中古車置き場でした。そして、大平洋をヨットで横断した英雄のニュースが伝えられた年のお話です。    『父』の言いつけで廃車が並ぶ薄気味悪い場所で、見張りを命じられた『ぼく』の男の闘いです。
炎天下、一台のトラックの下へ潜り込む以外に日陰は無く、周りには腹を空かせた野犬が十頭余り。  そんな場所へ最愛の息子を送り出すのに『父』は野犬征伐に強力なパチンコを、『母』は暑さ対策に大きな水筒と日傘を持たせたのです。サスペンスの要素もあり、何かを読み取ろうとしましましたが、胸がドキドキして頭が働きません。
『ぼく』は中学2年生。もう少しだけ母の膝で甘えたい子供の心と、大好きな『母』を守ろうとする男の心が交錯する時期です。『ぼく』が勇気を振り絞り、知恵を総動員して恐怖と闘ったのは『母』の久し振りに見た笑顔が幸せな気分を運んできてくれたからです。  トラックの中で嗅いだ女の化粧の匂いも、父の物かも知れないトラックの中に見つけた忘れられた『扇子』も、母には告げず自分の中に押し込めました。最後に『死体』まで出てきますが、これは将来の『ぼく』の人生には、野犬のように食べ物を奪いに来る非道な者も、汚らしい性の関係も、身体を襲う炎暑のような災害も、パチンコのゴムが切れて自分の目が腫れあがるような突発事故も、まして直ぐ身近かな人間の死も…何もかもが避けられない事だからだろうと思います。
巻末の 評論家の方の解説に《場面としては醜かったり、欲望が露わで暴力やエロスが描かれていても、作品は鮮明で叙情があり、透明感を与える。それは少年の澄んだ目を通した描写だからである》みたいな事が書かれています。
でも、私はそうは読みませんでした。    何故なら貴方の全作品は、たとえ語り手や主人公が女性や老人であっても、同じだからです。 中に籠められた意思や哲学が揺るぎなく明確な故に、分かり易く透明感を与えるのだろうと思います。
この写真は、長い間経済的な苦労をされて、やっと束の間の幸せに輝いている『母』のイメージでしたので、お借り致しました。大好きな一枚です。弾けるような明るさが届きましたでしょうか? またお便りさせて頂けますように。どうかごきげんよう



                                                                        清月蓮

【17】『道に舞う』宮本輝著 『胸の香り』に収録

宮本輝さま

とうとう真夏の日差しがやって来て、温度も湿度も高い毎日です。芥川賞の選考ご苦労さまでした。暑さがお嫌いだとお伺いしていますので、どうか早めに涼しい場所に移られたら安心なのですが。今日はこの短編集 の最後『道に舞う』を読みましたので、お便り致しました。  

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表面温度が摂氏70度の『タクラマカン砂漠』に続くアスファルト道に座り、道ゆく車の音だけを頼りに、両手を広げて物乞いをする母。幸せそうに母の周りに遊ぶ少女。   シルクロード6700Kmの旅の途中『ヤンカルド』の町で見た光景でした。  脚が萎え、両目は白濁した母が娘を守る術は物乞いでした。懸命に両手をひらひらさせながら、動く体の全てを使い、ひたすら生きる為に毎日道端に座り続けます。
『ヤンカルド』の『母と娘』は、『私』が幼い頃『尼崎』の叔母の家に預けられていた時に見ていた物乞いの『母と娘』の姿と重なってゆきました。    国道2号線沿いの道端に座って、捨て身のように物乞いをする『母と娘』の姿でした。『李正嬉』と『私』は、国も家庭事情も違いましたが、戦後の混沌を分からないままに受け入れ、知恵を出し合ったり、助け合ったりして過ごしていました。空には煤煙が立ち込め、至る所に臭気が漂い、部屋は黴臭い3畳間。  雑巾を縫い合わせてグローブを作るしかなかった時代を生きた逞しい少年たち。
 やがて時が流れ、大人になった2人に、物乞いの娘『尾形 春子』の姿が伝えられました。『…格別貧しそうでも豊かそうでもなかったが、なんだか品が良かった。まっとうに生きて来た者でなければあのような品を漂わせることはできはしまい…』この言葉は、本当に救われた気が致しました。幼い頃に『母』と死に別れてからの『尾形春子』の暮らしは知り得ずとも、母と共にいた数年間がどんなに幸せで、傾けられた愛情は、懸命で真っ直ぐで、迷いがなかった故に『尾形春子』の中に刻みつけられたのだと感じます。『尾形春子』の今の姿こそが、『母』が運んできた「紛れない結末」であろうと。
この花は、一人きりになっても周りの優しい人々を受け入れて、世間の片隅で静かに時を待ちながら生きただろう『尾形春子』の姿を感じましたので、お借り致しました。  今朝早く起きて撮りに行かれたそうです。
この7つの全篇で、人の意思、愛情、願い、一途さ、不退転の行動…それらは、必ず生きている間にその結果をもたらす…ということを読み取ることが出来ました。写真の『蓮』に秘められた言葉ように、私にとっての『因果倶時』の短編集でした。  またお便りできますように。どうかごきげんよう


                                                                                清月蓮

【16】『深海魚を釣る』宮本輝著 『胸の香り』に収録

宮本輝さま

お元気でいらっしゃいますか?
『長流の畔』はまだ本棚にしまえず、そばの机に置いてあります。
読み終えても、ハイおしまいといかないのです。いつも色々な場面を思い浮かべております。こんな時間も私には愉しい読書の時間です。  今日は『深海魚を釣る』を読みましたのでお便り致します。 

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 オコゼを見たことがありませんでした。

名前はよく耳にしますが、検索して出てきた写真に目を覆いました。なんと醜悪な形相でしょう!   ぬるぬるしていそうな体、顔つきからは愛らしさも剽軽さも感じることはできません。そんな深海魚と自分は似ている「お前みたいや」と言われた『カバちゃん』は、物心ついてから、自分の中で無理やり抑えていたものが凄まじい勢いで吹き出したのです。
父を名乗る2人の男『ツルちゃん』と『テッちゃん』は、20歳の時から18年間、ずっと一緒に住み続け、いつも揃って釣りをしていました。そこへ、多分『カバちゃん』のお母さんなる女が現れ、そのまま同居したのでしょう。やがて生まれた『カバちゃん』はどちらの父親の子供だかわからない。そして、そのまま中学1年生になりました。  『 カバちゃん』は礼儀正しく、明るい子で、『私』や、『息子』『妻』とも家族ぐるみで楽しく付き合っていました。ところがある日を境に、彼らは黙って引っ越して行き、それ以来会うことはありませんでした。

その原因は、深海に住むオコゼは『…お前みたいなもんや』と言う一言でした。そのあと、『カバちゃん』は、その一言を漏らしてしまった『テッちゃん』と、深い闇に自分を閉じ込めた『母』を殺しました。
近頃、日本でも耳を疑いたくなるような事件が毎日毎日報じられます。どうすればそんなことができるのだろう…その度に悲しみと驚愕に包まれます。
何故起こるのでしょうか⁇   その答えは見つけられません。ここに書かれているように、人間は時として理由のあるようでない、説明がつきそうでつかない行動をする生き物なのです。
ですが、振り返ると、あの一言が別の一言であったなら、その事件は起こらなかったかもしれない…それもまた事実だろうと思います。勿論当事者に限らず誰かの一言でも。     物事の結果には必ず原因が隠されていて、その一言なり、冷淡な態度や無責任な怠惰なりが「紛れない結末」を連れてくることもあるのでしょう。      自分達の無分別で子供を犠牲にしてはいけません。いくら礼儀を教え、正しい躾けをして育てたとしても、父親がはっきりわからないという闇は、深海魚が住む暗い海です。そこから明るい水面に浮かび上がり生き抜くのはどんなに大変なことか、又、どれほど強い心が必要かを忘れてはいけなかったのです。そしてそれを救い得るのは、寄り添っていつもその人を護る決意をした大人の存在です。
この花は『カバちゃん』が、少年から大人になっ時、『ツルちゃん』が罪を被ろうと庇った時の心を持ち続け、その後も2人で寄り添って生き抜くことを願ってお借りしました。どうか『カバちゃん』が、明るい光の差す場所に生きて、幸せを掴んでくれますように。またお便り致します。どうかごきげんよう


                                                                              清月蓮