【17】『道に舞う』宮本輝著 『胸の香り』に収録
宮本輝さま
とうとう真夏の日差しがやって来て、温度も湿度も高い毎日です。芥川賞の選考ご苦労さまでした。暑さがお嫌いだとお伺いしていますので、どうか早めに涼しい場所に移られたら安心なのですが。今日はこの短編集 の最後『道に舞う』を読みましたので、お便り致しました。
表面温度が摂氏70度の『タクラマカン砂漠』に続くアスファルト道に座り、道ゆく車の音だけを頼りに、両手を広げて物乞いをする母。幸せそうに母の周りに遊ぶ少女。 シルクロード6700Kmの旅の途中『ヤンカルド』の町で見た光景でした。 脚が萎え、両目は白濁した母が娘を守る術は物乞いでした。懸命に両手をひらひらさせながら、動く体の全てを使い、ひたすら生きる為に毎日道端に座り続けます。
『ヤンカルド』の『母と娘』は、『私』が幼い頃『尼崎』の叔母の家に預けられていた時に見ていた物乞いの『母と娘』の姿と重なってゆきました。 国道2号線沿いの道端に座って、捨て身のように物乞いをする『母と娘』の姿でした。『李正嬉』と『私』は、国も家庭事情も違いましたが、戦後の混沌を分からないままに受け入れ、知恵を出し合ったり、助け合ったりして過ごしていました。空には煤煙が立ち込め、至る所に臭気が漂い、部屋は黴臭い3畳間。 雑巾を縫い合わせてグローブを作るしかなかった時代を生きた逞しい少年たち。
やがて時が流れ、大人になった2人に、物乞いの娘『尾形 春子』の姿が伝えられました。『…格別貧しそうでも豊かそうでもなかったが、なんだか品が良かった。まっとうに生きて来た者でなければあのような品を漂わせることはできはしまい…』この言葉は、本当に救われた気が致しました。幼い頃に『母』と死に別れてからの『尾形春子』の暮らしは知り得ずとも、母と共にいた数年間がどんなに幸せで、傾けられた愛情は、懸命で真っ直ぐで、迷いがなかった故に『尾形春子』の中に刻みつけられたのだと感じます。『尾形春子』の今の姿こそが、『母』が運んできた「紛れない結末」であろうと。
この花は、一人きりになっても周りの優しい人々を受け入れて、世間の片隅で静かに時を待ちながら生きただろう『尾形春子』の姿を感じましたので、お借り致しました。 今朝早く起きて撮りに行かれたそうです。
この7つの全篇で、人の意思、愛情、願い、一途さ、不退転の行動…それらは、必ず生きている間にその結果をもたらす…ということを読み取ることが出来ました。写真の『蓮』に秘められた言葉ように、私にとっての『因果倶時』の短編集でした。 またお便りできますように。どうかごきげんよう。
清月蓮