【33】『バケツの底』 宮本 輝 著 『五千回の生死』に収録
宮本 輝さま
お元気でおられますか? 毎日膨大な文字を追っておられますと、目の芯に負担がかかります。時々遠くを見てくださいますように。今日は『バケツの底』を読みましたので、お便り致します。
お借りしました写真の川は ある時は分かれ、ある時は元の流れと重なります。滞る事なく清らかに流れ続けているのを見ていますと、本当に美しいと思います。人はどうして弱い人を弾いたり、自分と違う考えの人を蹴散らしたり、困っている人を見ないふりをするのでしょう。 いつも一緒にいることは不可能ですが、せめて目の前に困っている人がいたら迷わず、一緒に流れているこの川のようでありたいと思いす。
『徳田』は 烈しい雨のぬかるみで起きた人身事故を、自分の怠慢が原因なのに、部下の『倉持』に罰を与えることで、上手くごまかそうとします。 『修行や修行。俺も入社した年は、もっときつい仕事をさせられたもんや』そう怒鳴るのです。誰も何も言いません。誰も手伝おうとしません。その罰は、482個のコンクリートパイルの穴に『バケツの底』を 針金でくくりつける事でした。 気弱そうであどけない顔の『倉持』は 烈しい雨の中、巨大な水溜りの中を這うように作業をしています。
『頭を 頭を使いなはれ』『樋口』が働く金物店主『間垣』の言葉です。学歴コンプレックをもっているのに他人をバカにせずにはいられない。そして、安く仕入れた『バケツの底』を、いかにも自分が損をして用意したかのようにみせかけろと『樋口』に強要します。吝嗇家で、そうしなければ損のように、毎夜妻の体に迫るこの男は、周りに嫌味を撒き散らし『樋口』の大卒の肩書きを利用することしか考えていません。
『徳田』と『間垣』の 生き様は『樋口』に不思議な勇気と反抗心を生み出します。また『樋口』は自身の『不安症』との闘いに挑むかのように、烈しく降る雨と強烈な風の吹く夜の闇の中に走り出てゆきます。気の遠くなるような『倉持』の作業を手伝うために。雨に弾かれた泥のしぶきが顔を叩き、鉄錆の混じった泥の匂いが鼻をつきます。田植えのように這いつくばったままの作業は、容赦なく腰を痛めつけ、ふと気づくと、大きな水たまりは、まるで『バケツの底』のようでした。
作業中、四方のサーチライトを目が痛くなるまで睨みつけた『樋口』の胸には、自分に向かってくる苦しみに立ち向かおうとする意思が蘇ります。このサーチライトの何気ない描写は、見逃せない彼の心の決意を物語っている気がします。きっと、自分の四方から迫って来る幾多の苦難から自分は逃げまい。そう考えて光の方へ顔を向けて睨みつづけるのです。その決意がやがて、サーチライトの光を希望の光に変えてゆきます。新たな仕事に就いた自分に、少し安心している妻。誰よりも『樋口』の『不安症』の回復を願っている妻。そんな妻へ早く届けてやりたい光なのです。
コンクリートパイルからはい上がってくる腐肉のような臭いにおい。それは『間垣』と『徳田』の醜い心の腐った臭いです。それにしっかり蓋をして来たと。泥まみれになり何時間もかけて 『バケツの底』を修理して来たと。今夜は妻に話してやります。きっと、とても歓んでくれるでしょう。 人が自分に寄り添ってくれることでも、自分が人に寄り添ってあげることでも、人は新たな力を蘇らせる事ができるのです。これはそんなお話のように感じました。
近頃、季節のせいでしょうか、体調は変わらなくても何だか心がエネルギーを失くしているように感じます。『虚無』を憎む…と仰っていた貴方の言葉を噛みしめて、なんとか過ごしております。貴方には、どうかご闊達でおられますように。それではごきげんよう。
清月 蓮
【32】『復讐』 宮本 輝 著 『五千回の生死に収録
宮本 輝さま
朝早く目覚めて、ベットで本を読んでいますと寒くて中々抜け出せなくなりました。お風邪など召されませんようにお祈り致しております。今日は『復讐』を読みましたのでお便り致します。
いつも楽しく笑い声が絶えず、真剣な探究心に溢れ、友情の輪に誰も取り残されないで、好きなことを思い切り出来る…そんな学校であってほしい希望や願いをもしも叶えられたら、生徒たちはこの写真のような笑顔になるだろうと感じましたので、お借り致しました。
1980年代に学校は荒れに荒れました。生徒は学校を憎み窓ガラスを割り、卒業式で教師に仕返しをする事件が全国に飛び火します。 これはそんな時代のお話です。学校は生徒の為にあるのではなく、体面や勝手な都合で容赦なく生徒が切り捨てられていました。そこには、権力を振りかざし、自分の不満と快楽のはけ口を生徒に向ける教師がいました。この中の『神坂』がそうです。
『光岡』と『津川』は、思春期の男の子なら、誰でも興味をもつタバコとポルノ写真を持っていただけで、3時間近くも正座させられ、最後に横面を張り飛ばされ、担任にもしつこく叱責され、結局は放校になってしまいます。もし、自分のことか家族の誰かと考えると『復讐』したくもなります。
『あいつはヤクザや。 学校の教師なんかと違う。俺はあいつを殺すぞ』
『津川』の叫びは、数年後に果たされます。ヤクザの『光岡』の闇の力によって。 『神坂』は、巧妙に仕組まれた『光岡』の罠にまんまと引っかかるのです。『雀荘のテレビ』の字幕テロップに流れた『神坂』の強姦の醜態。彼は社会から抹殺され、一生陽の当たる場所には戻れません。これくらい当然でしょう。でも怖いのはその後です。
毎週土曜日の放課後、放校されずに残った『長井』に向けられたしつこい虐待。衣類を脱がされ、腕立て伏せをさせられていた彼の心に、何故あんな妄想じみた思いが浮かんだのでしょう。
それは、原因と明らかな結果 なのです。このような思春期の深い心の傷は、長い人生の重要な部分が破壊される原因となり得るのです。まだ大人になり切らない時期に受けた残虐な仕打ちや屈辱は、人間の根底の性の形をも変えてしまいます。それは、この『復讐』に利用された『女子高生』も同じです。
『可哀想に。また私みたいな女が出来るわ』…お金のために男に抱かれる女です。性をお金で売る女です。 思春期に誰かに守られたり、心ある人に出会わずに迷路に迷い込むと、人間の心と体を造る幾万の要素は、そこに受けた衝撃によって、卑劣で卑猥にもなるのです。
現在の日本の学校では、いじめが蔓延していて、それを苦に自殺する生徒が後を絶たず、そのニュースが報じられても、また次の犠牲者が出ます。探究心も持てず、学ぶ喜びを見出す暇さえない生徒が闇に葬られています。 人より良い成績を取らなければ落ちこぼれ、毎日夜遅くまで塾に行かなければ、競争には勝てない。そのストレスは仲間を無視したり、金品を要求したり、暴力を振るい続けたりしてしか癒されないのです。 人の心に、清らかな水と暖かな太陽と輝く星々と優しい月の光が注がれるような、人間の基礎を作り得る学校のあり方が、無い筈はありません。国の宝である若者を、こんな環境においておくのは全ての大人の怠慢です。日本の人々の心に諦めと自分さえ良ければ目を瞑る利己主義を打ち砕かなければ、この国は確実に難破して、全員がどん底を見ることになります。
陽の光があるうちは春のように暖かいのですが、少し雲に隠れますと、急に気温が落ちて肌寒くなります。空気が澄んでいて、家のそばの林の紅葉が透けて見えます。貴方の作品が幾千年もずっと読み継がれてゆくことを、いつもお祈りしております。またお便り致します。どうかごきげんよう。
清月 蓮
【31】『アルコール兄弟』 宮本 輝著 『五千回の生死』に収録
宮本 輝さま
お元気のことと思います。抜けるような秋の空を見ていますと、
お借り致しましたこの写真は、
スナックで10年ぶりに『私』と『島田』が飲んでいます。
会社での立場から『共産主義の組合』に入った『島田』には、
そうです。 ゆっくり考えると、あらゆる戦いも競争も、
信じた思想、主義、世間の評価や立場…
今日はとても静かで、空気が澄んでいるようです。
清月 蓮
【30】『五千回の生死』宮本輝著 『五千回の生死』に収録
宮本 輝さま
お元気でおられますか。
この写真を見ると『五千回の生死』を思い浮かべます。
『複式夢幻能』 これは何のことでしょう。能の前編、
幽霊は、夏の登場と相場が決まっています。このお話は、
寒いなんてもんじゃない、今年一番の冷え込みの、
『うん、ものすごう嬉しい気分や。
秋の日暮れは釣瓶落とし、
清月 蓮
【29】『力』 宮本 輝著 『五千回の生死』に収録
宮本 輝さま
幼い頃の自宅の庭には、祖父が育てた実のなる木々が沢山ありました。納屋の中には買ってもらったばかりの自転車が光っていて、横の棚にはお餅つきの臼や杵、木枠で組まれた蒸籠、庭に設えられた竈(へっつい)さんに焚べる為の薪も積んでありました。今日は『力』を読みましたのでお便り致します。
雨は落ちていないのに、空は一面の薄曇りで、心には不安が広がっています。いくつかの『心配事』に見舞われて、体から『力』が抜けていくようです。秋風が煽るように吹き始め『公園』にいた人々は、いつの間にか何処かへ去って行きました。何もする気持ちになれず、座り込んだまま何もできません。このコスモスはそんな『私』の前で寂しそうに揺れています。写真 お借り致しました。
『公園のベンチ』で隣に座った『老人』は言いました。『元気が失くなったときはねェ、自分の子供のときのことを思い出してみるんですよ。…』
私もここ数日、明らかな愁訴を感じていました。目の前に越えるべき山が見えるなら這ってでも登ろうと思うのですが、山はどこにあるのかすら見えません。漠然とした不安や寂しい気持ちが胸に溢れます。
伝わっていたと信じ切っていた事がそうでなかったり、際限なく襲う災害の脅威は何故だろうと考えてみたり、離れて暮らす息子の電話の声が沈んでいたり、自分の余りの迂闊さに愕然としたり、毎日の残虐な戦争の映像に落ち込んだり、自分のしていることは何の価値もないと思ったり。
流氷の海に一人で浮かんでいるようです。身体に漲っていた筈の『力』が、気づくとすっかり抜けてしまっています。
こうなるともういけません。ソファに横になり天井と観葉植物の葉を目で追うだけです。とても立ち上がれず、口にするのは炭酸水だけ。アーモンドを一粒口に含んでも中々噛み砕けません。目の前から色が徐々に消え、テレビを点けてもモノクロに見えてしまいます。そんな時、この老人の言葉が浮かびました。『元気を取り戻すこつはねェ…』 そうでした。 幼い頃を思い出すことに致します。
子供の頃、理由もわからず仲間外れにあい、誰も遊びに来ない学校から帰った長い放課後。 祖父がいつもの帽子を被り、いつもの腕カバーをして庭の隅に座っています。私の手には、おやつの丸い青色の缶カンに入った みかん飴と動物ビスケット。開けると人工甘味料の香りが立ちました。「じいちゃんも食べて」 祖父の硬くて節張った指が中のお菓子を一つ摘まみます。私がニッと笑っても、ただ黙って手仕事を続けています。その日は鍬の柄を修理していました。私も側で見ています。
そこまで浮かんだ時、この短編の中に登場する幼い日の可愛らしい『私』がふらふら『阪急百貨店』の前でバスから降りて来るところが浮かびました。『モク拾いのおじいさん』に『こら、お前、なんでいままで、わしに手紙のひとつも出さなんだんや』…そう怒鳴られた言葉が蘇って来たのです。
いつの間にか、リビングの窓の外は、夕焼けの鈍い輝きに包まれ始めています。私はやっと痺れた両脚をさすりながら立ち上がります。昔の友達に葉書を書こう そう思いながら。
秋口にもしも風邪をひかれますと、冬を乗り切るのが大変です。どうか暖かくしておやすみくださいますように。温かいお風呂にもゆっくりお入りくださいますように。私も早くこの状況から抜け出します。またお便り致します。ご自愛下さいませ。どうかごきげんよう。
清月 蓮
【28】『眉墨』 宮本 輝著 『 五千回の生死』に収録
宮本 輝さま
今年は雨が多いように感じます。この雨が日本の大地を潤してくれています。ありがたいと思いながら、何度も台風に見舞われる沖縄地方の方は本当にご苦労をされています。どうか被害が出ませんように。今日は『眉墨』を読みましたので お便り致します。
この写真の太陽は、稜線を光らせながら姿を隠そうとしていますが、消えてしまった訳ではなく山の向こう側にいます。煌めく光を雲に残して、またの日の為に今、美しく輝いています。このお話の『母』のようなのでお借り致しました。 男が垣間見せる優しさは、100年続く恋のように胸が騒ぎます。 私は男ばかりの家族に囲まれて何十年も暮らしていましたので、どうして男は自分だけの正義の御幟や、攻め込まれない為の鉄の鎧や、相容れない相手を切り捨てるナイフを持ち歩かなければならないのだろうと思います。 そんな男が本当に持つ優しさは、このお話の中では『母』に向けられました。
暑い夏に身体の弱ってきた『母』を、涼しい処へ連れて行こう。老いた『母』が、薄いむらさき色のワンピースを着て嬉しそうにしています。 でも、軽井沢の別荘地に着いて間も無く『母』の『病気』が見つかります。
このお話の中に夕焼けを見ているシーンが出てきます。母を絶望の底に沈めたくなくて、『母』の胃癌を胃潰瘍だと告げようと決意した『息子』の目に、美しい夕焼けが滲んでゆきます。 『お母ちゃん、胃潰瘍でよかったなァ。助かったなァ』 けれど、『母』は『息子』が心配するような心の領域にはいませんでした。『お前、心配せんときや。生きるもよし、死ぬもまたよし。…』そう答えます。 そして見物に出かけた夜の病院の庭で、鮮やかに打ち上げられる沢山の『花火』…その光は『母』の過去を次々と浮かび上がらせます。 幼い頃は家族に恵まれず、貰い子に出され、そこにもおいてもらえず、淫売宿の下働きの奉公に出され、結婚してからも働きどうしで、亭主には苦労させられ、生きる希望も無くなり自殺未遂までした『母』の過去。 それでも『母』は 今 、笑って嬉しそうに『花火』を見上げています。 そして『息子』はあとからあとから流れ落ちる涙をそっと指でぬぐいます。 そんな『母』が 2・3年前から、寝る前に丁寧に眉墨を塗るようになりました。寝ている間に、もし死ぬようなことがあっても、自分が生きた証のその時の顏を、あやふやな幻にはしたくない覚悟でもあるかのように。 そんな『母』も、 気が逸る病院への道路で、皇室の車が行き過ぎるのを長い時間待たされた時、自分の人生と皇室のそれを較べずにはいられませんでした。でも『母』の宿命へのやるせなさは、心配して怯えているだろう『息子』の頬を、後ろから両手でそっと包み込む労わりへと変わってゆきました。 今夜も母はひとり、部屋の電灯の下で真剣に眉を描いています。
金木犀の香りが雨上がりの庭から仄かに漂ってまいります。この香りで幼い頃、庭で祖父と過ごした遠い日々が蘇りました。祖父が葡萄棚を組み立てたり、ヤギや鶏の小屋を作るのをずっと見ていました。 お忙しいご様子、お身体ご自愛くださいますように。またお便り致します。どうかごきげんよう。
清月 蓮
【27】『トマトの話』 宮本輝著 『五千回の生死』に収録
宮本輝さま
秋は物思いの季節ですね。時代が目まぐるしく変わってゆくのを、
『江見』が『セツ』に宛てた最後の手紙が胸に浮かびます。その手紙には、きっとこう書かれていたような気がします。
《貴女をおいて都会に出てしまった自分が間違っていた。
でも、手紙は、熱いコールタールに焼かれ、
『江見』は震える両手でトマトを撫でながら遠のく意識の中で、
自分の中にはっきりとした映像まで浮かんだ印象深い物語でした。
清月 蓮