花の降る午後に

~宮本輝さんへの手紙~

【36-4】『錦繍』宮本 輝著 その4

宮本 輝さま

異常気象が叫ばれて久しいですが、冬の夜空にひときわ輝く宵の明星を見つけますと、とても嬉しくなります。伊丹の空からも金星の輝きが見えていると良いのですが。今日は『錦繍』の最後のお便りを致します。 

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この写真は不思議な世界が写し撮られています。手前に浮かぶ七色の葉は「現在」を現し、水に映る上の方の木の枝の間から明るい「未来」の空が見えています。そしてその間を素早く走り過ぎる「過去」の世界…しかも『錦繍』を物語る木の葉によって描き出されているのです。まるでこの物語の為に現れたように感じましたのでお借り致しました。

最後のお便りには、ここに登場する3人の女の人達について書いてみたいと思います。『亜紀』『由加子』『令子』の3人は『靖明』の人生に深く関わっています。それぞれに愛した形が違っても『靖明』は彼女達にとって唯一無二の存在であることに変わりはなく、どうしても失いたくない人でした。それにしても『亜紀』も『由加子』も女の宿命のようになんと受け身であったことでしょう。恋をして結ばれた『亜紀』は、疑う事もなかった『靖明』の愛情に裏切られてしまいます。『靖明』の心をずっと占め続けていた『由加子』でさえ、最後に『何事もなく別れられる』と思った『靖明』の心を感じて、絶望してしまったのでしょう。  一方『令子』はと言えば、最初から何と積極的であったのだろうと気付きます。少なくとも受け身ではありませんでした。『靖明』を愛していたことは、『亜紀』と『由加子』と変わりはないのですが、あくまで自分の生活を見つめ、自分の中で強く『靖明』に愛情を注いでゆきました。たとえ女として見てくれずとも、罵られようと、尽くすだけだとしても、自分の心を揺るがせる事がありませんでした。恋の手練手管などではなく、逞しい生命力を感じます。そして最後には『靖明』の心を捉えてしまうのです。

この中に、女にとって『嫉妬と愚痴』は、切り離せないものであると書かれていました。自らを省みましても、それは否定できず、それ故に、運命の落とし穴に落ちるのかも知れないとさえ感じます。もう1つ付け加えるならば、うわさ話が好きなことも女の否定できない一面です。これらによって、大切な人との繋がりを失ったり、見落としてはいけない事を掬い取れなかったりするのかも知れません。大地に脚を踏ん張って、知識のない頭をフル回転させ、逞しく生き抜かねばならないと感じております。強く思いますのは、愛情は相手から何かを期待せず、ただ自分の中で育ててゆく事がもしかしたら幸せへの近道かも知れません。

今日は明るい日差しが、眩い位に部屋に差し込んでいます。この作品は一気に読んでしまいましたが、この後の長編は時間をかけて、もう少しゆったりと愉しんで読んでから、お便りしたいと思っております。年末の慌ただしい時期ですが、良いお年をお迎えくださいますように。また新年になりましたら、お便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                                           清月  蓮

【36-3】『錦繍』宮本 輝 著 その3

宮本  輝さま

夕べ遅くに降り出した雨が、今朝まで音もなく降り続いております。初冬の雨は哀しい調べをつれてきます。いかがお過ごしでおられますか。  今日は『錦繍』の3通目のお便りをさせて頂きます。      

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 この写真は、降り積もる紅葉が地面を覆い尽くし、見上げればまだ木々は明るく色づいています。真ん中に道が見えます。『ドッコ沼からゴンドラリフト』への道、茶店モーツァルト』までの道、『清高』が満天の星を見る為に辿った道物語に出てくる『錦繍を纏った様々な道を思い浮かべて、お借りしました。

 

『靖明』と『亜紀』は、長い書簡の遣り取りを通して、今までの自分たちの人生の過去と向き合いました。『靖明』は、自分を『野良犬』よりも劣ると感じたり、惹かれ続けた『瀬尾由加子』を『酒場の女』などと蔑んでみたりしました。『亜紀』も肢体の不自由な子を産んだのは『靖明』のせいだと思ったりしました。でも、わだかまっていた胸のつかえを吐き出したことにより、足元の自分の道についてやっと気づけたのでしょう。

『亜紀』が『モーツァルト』を聴き、そして呟いた『生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへんという忘れられないフレーズが今心の中で反復しています。  この言葉に、観念的な解釈を加えても詮無いことですが、クラシックに疎い私でも、時にモーツァルトを聴いていますと、周りの現実が、全て確かに消えたように感じることがあります。今の年齢も、役目も、予定も、すべてが何処か遠くへ消え去り、目を瞑りますと、そこは果てしない銀河に囲まれたような無限の空間にいるような気持ちになるのです。「時」は無く、ただ自分の中の何かそれは霊魂などと呼ぶようなものではない別の何かそれだけが、モーツァルトの音楽の中に抱かれているような不思議さを感じるのです。いつも気になる劣等感も、嫌々ながらやらなければならないことも、全てが何処かへ飛んでゆき、恰も「いのち」そのものになって、ただ、広い世界を漂っているような快感に包まれます。今ある総てを受け入れられる、もう『死』すら無くなってしまったような感覚です。本当は『亜紀』が何を感じたかは、私にはわかりませんが、この『亜紀』の言葉に、私なりに幸福感としか言いようのない気持ちを当てはめてみました

もう1つ『靖明』が書簡の中で『瀬尾由加子』に殺されかけて、死の世界に半分入った時の感覚を吐露していました。そこには、自分が今まで生きてきた『善と悪』が、死の間際まで、自分に張り付いているのがわかったと書いています。今の生活の全ては、死後の世界に一緒についてゆくのだろうという暗喩だと思いました。過去、現在、未来は決して別々のものでは無く、過去が現在に、現在が未来へ、来世へと繋がってゆくのです。ここで『亜紀』モーツァルトの音楽から感じて『呟いた言葉』と結びついてゆきました。つまり「死は生の始まり」であると。『みらい』へ続く道であると

錦繍』はとても奥の深い作品で、私が一通目に書いた事などに終始していては、見逃してしまう多くのことが書かれています。それは絹糸で織られた精緻な織物の『錦繍』をも想起させます。なんて美しい物語であったことでしょう。胸の鼓動は読み終わっても中々静まってはくれない程です。それに致しましても最後に『瀬尾由加子』と密会して心中事件まで起こした京都の旅館に『靖明』は、この期に及んで訪ねて行ったことこの事実は、男のもつ愛情には逆らえない強い引力のようなものがいつも働くものかもしれないと感じました。  仕方がないので、過去にキリをつけて『令子』を喜ばせてあげる為の最後の『靖明』なりの儀式だったのだと信じてあげることに致します。女は懐が深くなくてはとても生きていけないのですから。

書いておりましたうちに、雨が上がったようです。紅葉した庭の木々の葉に、水滴がつき、瑞々しく光り出しました。部屋を満たしていました音楽の音を落として、私も現実に向き合わなければなりません。夕ご飯の支度にかかります。貴方さまも美味しいものを沢山召し上がってくださいますように。どうかごきげんよう

 

                                                                        清月   

【36-2】『錦繍』宮本 輝 著 その2

宮本  輝さま

日本の冬がこうして寒気を連れて来てくれますのは、何故か安心致します。幼い頃、母がよく申しておりました。「冬に寒いのんは当たり前や。寒うないとでけんことをしたらよろし…」私は「やった~」とばかりにやぐら炬燵に脚を突っ込み、本を読んだり、一人おはじきをしたり、お手玉の練習をして過ごしていました。未だにその癖が抜けないようです。今日は『錦繍』の2通目のお便りを致します。少しは落ち着いて書けそうです。 

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命を育む太い幹に、女の命を託して、懸命に生きる『亜紀』は紅葉の化身のようです。『靖明』の手紙に翻弄された感情、自分の中から生まれた確かな決意、この2つによって、今、美しく燃え上がっています。『錦繍』は、こんな木が幾本も寄り添い合っているのだと感じましたので、お借り致しました。

この書簡の登場人物について   ( 勝沼 亜紀 )

『亜紀』は自分というものを強く持っている筈の人です。恋をして相手の家庭が少し複雑でも、父を納得させ、相手との結婚をつかみます。その幸せな生活に突然鳴り響いた朝まだきの電話のベル。   そこから運命が自分を見失う程の速さで、目の前を走り過ぎました。『父』からも『靖明』からも『離婚』という現実を言い渡され、自分の中の懊悩を封じ込めてしまいました。たとえ相手に裏切られようと、社会的に破綻者になった相手であろうと『亜紀』は『靖明』が自分を確かに愛していたと信じたかったし、彼への愛情は消えていなかったのです。けれど、『嫉妬』の魔の手に絡められ、『離婚』してしまうのです。自分というものをしっかりもっていても尚、あまりに残酷な『心中事件』の現実でした。           

歳月が流れ、又しても周りから勧められる『再婚』に『亜紀』は、踏み切ってしまいます。女が一人で生きてゆくのが、今ほど認められていない時代のせいでもありましたが、少し歯がゆくもあります。心のままに、泣き叫んで『父』の胸にむしゃぶりついて、どうして叫べなかったのかと、つい思ってしまいます。愛情は、唯一自分が体験したものしか知らなかったお嬢様育ちの『亜紀』は、嘘偽りのない告白が書かれた返信を読むことにより、苦しくて飲み込み難い物を飲み込まざるを得なかったのでしょう。 

ここから『亜紀』の 宿命を確認した闘う生き方がやっと始まりました。『亜紀』は、最後に『瀬尾由加子』にも、現在『靖明』が共に暮らしている『令子』にも、やさしい気持ちで理解できるまでに至ります。グレーのままに過ぎた10年の歳月は『靖明』と『亜紀』を本当に生かしてくれなかったのでしょう。心から正直に綴られた長い書簡は『亜紀』にとって『みらい』への風穴となりました。強い母性によって、息子『清高』の肢体の不自由と能力の遅れをゆっくりと克服して行く為に、どんな事も恐れないで生きようと決意できたのです。こう考えてみますと、『靖明』の残酷とも思えた本心の吐露も『亜紀』の力になっていったのですね。   仕方がありません、私も『靖明』をもう許してあげなくては…

関東以北で、今日は雪が降ったようです。美しい雪景色を思い描きます。雪は全ての醜いものを覆い尽くし、美しい世界を見せてくれます。小さな雪のひとひらの集まりのように、いつか世界中がやさしさで覆われますよう祈っております。また『錦繍』についてお便りを致します。どうかごきげんよう 

 

                                                                            清月  蓮

【36-1】『錦繍』宮本 輝著 その1

宮本  さま

 

連載を抱えておられ、取材や雑誌にも答えられる毎日を想像致しますと、本当にタフでおられますね。新刊『草花たちの静かな誓い』発売おめでとうございます。カバーを外すと青空の色愉しんで読ませて頂いています。多くの人が読んで下さるようにお祈り致しております。

今日は『錦繍』を読みましたのでお便り致します。この作品については数通の手紙を差し上げたいと思っております。1通目は申し訳ありませんが感情だけで書こうと思っております。一気に読んだせいもあろうと思います。どうかお許し下さいませ。 

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お借りしました写真は、敢えて 散ってしまった落ち葉の『錦繍』に致しました。この本を手にしてから、もう何回くらい読んだことでしょう。その度に思いましたことは、『錦繍が貴方の代表作のひとつであり、これを読めば「私は宮本 輝さんを読んだ」と人に告げても良いように思う位の作品だろうと感じております。ついでに書きますと、ドフトエフスキーの書簡小説「貧しき人々」より、ずっと感動が深いと申し上げさせて下さいませ。一言一句の無駄の無さや、研ぎ澄まされても、ひとつも角のない言葉で表された心の移り変わりを、ただ全身で受け止めながら最後まで寸秒も 離されることはありませんでした。身体が火照るくらいの感動を読む度に感じております。  それでも、敢えて今回は今までとは見方を変えて読み終わった瞬間の気持ちのままに書いてみようと思います。

 

この書簡の登場人物について。(有馬 靖明 )

貴方の他の作品は、登場人物の全員と言っても良い程、直ぐそばにいる実在の人物のように、誰一人として決して憎めなかったと思います。道徳的でないことをした人も、犯 罪を犯した人であろうとも、どういう訳かその人に惹き寄せられながら読んでいたと思うのです。ですが、今回、私は穿った嫌な女の視点からこの作品について書かずにいられなくなりました。 

『有馬 靖明』は、両親を早くに失くし、養子に出され、気の毒な運命にありました。けれども思春期から周りに溶け込もうとはせず、寂しい『舞鶴』に現れた美しい少女に烈しい恋情を抱きます。妖しいまでに魅力的な『瀬尾 由加子』の容姿に、惹かれ続けるのです。     その後、大阪へ帰り、恋と呼んでいい時期を経て、可愛い妻を得た後でさえ、最初は下心がないような事を言いながら『瀬尾由加子』の勤めるデパートに、やはり行くのです。更に、職場を変えて水商売の世界に身を沈めた彼女を、仕事の接待を言い訳に追い続けます。そして肉体関係の果てに心中事件となるのです。    しかも、あろうことか、書簡を通して元妻の『亜紀』に赤裸々にその事を伝えています。なんて残酷な、なんて女心を踏みつけるような言葉を臆面もなく正直すぎる細やかさで書き続けたのでしょう。   

女は嫉妬心でできています。ここに書かれていますように、嫉妬心のない女などいないといってもよい位です。過去の行動は兎に角としても、自分をまだ愛していることがわかっている『亜紀』に『瀬尾由加子』に惹かれた理由が、紛れも無い男の本能による愛情であっただろうなどと…どうして打ち明けられるのでしょう。  その手紙を読みながら『亜紀』がどれほど苦しんだか、私も女だからわかります。その上、自分が『亜紀』と離婚した後も、数人の女を渡り歩き 食べさせてもらいます。そんな境遇から救ってくれた『令子』にさえ、大した器量では無いことを理由に『お前なんか嫌いだ』とまで言うのです。たとえ本心でなかろうとひどいです。こんな『靖明』に身体が火照るくらいの感情が込み上げて来ました。考えてみますと『有馬 靖明』は男そのものなのでしょう。それなのに、ここに書かれていますように、どういう訳か彼は『人に好かれる人』なのです。努力して人との繋がりを求めなくても良い人だったのです。『亜紀』は自分は愛されていたと…どんなに信じたかったことでしょう。 

意地悪な見方で『靖明』について書いた訳は、宮本輝さんは、30歳を少し出た若さで、この作品を書かれたことにただ驚くばかりだからです。自分の性ではない、女の微細な襞に隠された心の綾までも、知り尽くされていたからこそ、こんなに読み手を刺激し続ける作品を書かれたのです。男の持つ本能的な愛や、止めることのできない感情の昂りによる行為に、やはり女としてはうなだれざるを得ませんでした。

その点、ここに登場する何気ない人々…お手伝いの『育子』さん、運転手の『小堺』さん、友人の『大熊』さん、印刷屋の『田中』さん、…この人達は何て心が広くて、柔らかで穏やかなのでしょう。とても救われました。この人達がいなければ余りの感情の熱に、心が爛れてしまったかもしれません。本当に男って…

 

なんだか感情的に女の目で書いてしまい、貴方には不愉快なお手紙になってしまったかもしれません。でもどのような感情であろうと、ここまで文学が私の心を熱くしたと言う事をお伝えしたかったのです。お許しくださいますように。また続いて『錦繍』についてのお便りをさせて頂いてもよろしいでしょうか。温かくしておやすみくださいませ。どうかごきげんよう

 

                                                                          清月   蓮

 

 

【35】『昆明・円通寺街』宮本 輝 著   『 五千回の生死』に収録

宮本 輝さま

 

お元気でおられることと思います。『五千回の生死』の最後の1篇になりました。この編集にも意味があるのでしょう。読み終わって、心が落ち着き、静かになったように感じました。今日は『昆明円通寺街』についてお便り致します。 

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最後の一篇にはこの写真が相応しいと思い お借り致しました。季節の黄昏を語るような色づいた木々の下に、清らかな流れが見えます。水の流れは、山の奥深くで湧き出し、砂や土の濾過を受けながら清らかな水となって流れています。いつか海へゆく道の途中で、色々なことに出会い、時には汚れるとも流れることをやめないそんな事を感じさせてくれる1枚です。

 

『私』は、40代になり『中国昆陽』に旅をして『円通寺街』を歩きながら、幼い頃育った尼崎駅裏の『おかめ通り』を思い浮かべています。そこで体験した友人『石野』との不思議な出来事を思いながら、彼が今『骨髄症白血病で余命宣告されていることが胸に迫ります。最後の別れの手紙を書こうと『円通寺街』を歩き廻りますが、最後まで書くことができません。彼はきっと、もう死んでしまったかもしれないそんな思いが胸に迫ってきます

 

『石野』が幼い頃の『言語障害』を克服して、これから父の『印刷工場』の営業をやるんだと、嬉しそうに『私』を訪ねてきたある夜の事です。これからバイクで阪神高速を走ろうと誘われます。その途中で、疾走していたバイクがパンクしたのですが、走っている時ではなく、ひと休みしていた時にそれは起こりました。もし走っている時だったら、確実に2人は死んでいたでしょう。同時に死を目前に見たのです。言葉では表せない命で受けた強い衝撃は、それを共に体験した人間には、相手の命の終わりをはっきりと観じ取れたのでしょう。

 

このお話の最初に、鶏をいとも機械的な動きで、次々殺して行く男の場面が描かれています。しかも結構 行数もあります。何故でしょうか。直接関わりのない場面のように感じるからです。中国に拘わらず、東南アジアでは、つい10数年前まで、市場の近くでこのような光景を目に致しました。日本でも自宅で鶏を飼い、卵を産ませたりその肉を食べたりしていた時代があります。そこに横たわる生と死それを読み手の心に漂わせる為の前文でした。心がこの場面の描写で一旦、キュっと縮み上がるんです。その緊張感が、読み進めてゆくと徐々に解けてゆき読み終わると、心が静かに整えられたように感じたのです。

「生と死」を受け入れることは苦しい、心が締め付けられるようなもがきを連れて来ます。命あるものはいつか死によってその生を閉じます。『私』は『友の死』を受け容れながらも、それでもやるせなさと悲しみに包まれ、書きかけの手紙を『うずらの死骸』のそばに捨てたのです。命はまた巡り来て、いつかその人と会えると言う貴方の哲理が思い出されます。そしてとても静粛な気持ちになれました。

 

冬の夜空が透明に輝いています。暫く見ていますと、遠い宇宙の中に自分の生と死を確かに見守ってくれている広い世界があることを想像します。今夜の星々の瞬きは本当に美しいです。お身体を大切になさって下さいませ。どうかごきげんよう

 

                                                                            清月  

【34】『紫頭巾』 宮本 輝 著 『五千回の生死』に収録

宮本 輝さま

 

初冬の空気は澄み切っています。ここから叫べば、お住いの伊丹市まで届きそうに感じる程です。長編『流転の海』は、いよいよ最終編の連載が進み、お忙しい毎日をお送りになっておられる事でしょう。とても楽しみにしております。今日は『紫頭巾』を読みましたのでお便り致します。 

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 この短編の最初の描写。『園子』の死体が発見された場面です。

『ドブが薄く凍り、そこに映る月光の縁が、油膜の虹色と重なっている。園子の右手の指先は、氷を破ってドブにつかっているのだが、私たちは、それがときおり動くような気さえした。    残酷で恐ろしい場面に現れた なんと美しい描写でしょう! 細い『園子』の指先が、月の光に照らし出されて流れる水に微かに揺れているさまが、こんな短い文章で描かれています。写真はそのイメージでお借り致しました。

 

戦後の日本各地の混乱は、他人の生活など目に入る余裕はなく、自分の生活を守るだけの生きる戦いであったろうと思います。ここに書かれている『猿公』『園子』『萑・金・尹・呉 一家』『武本一家』『安っちゃん』『李じいさん』『金のおばば』これらの人々は、戦前に強制的に日本に連れてこられたか、もしくは日本になんらかの理由で逃げて来た北朝鮮の人達です。ここに書かれている全ての事を、この時代に殆どの日本人はまだ知らなかったのです。永遠と思われる別れや死人まで出て、こんなにも運命を変えてしまうような決断があったというのに。

『猿公』と『 私』は、同じクラスの友達でしたが、子供にとって突然過ぎる別れが来ます。『猿公』は、姉と一緒に日本を離れて祖国に帰る事になったのです。『私』の両親が言います。『お好み焼、焼いたろか。もう、いやっちゅうほど食べて行き』   どんなに嬉しく悲しい味がしたのでしょう。

その時『猿公』の胸に浮かんだのは、自分を信じてるくれる友達がいることを確信したかった。   だから、自分の知っていることを打ち明けて、秘密の共有を持つことで、親頼感が何よりも欲しかったのでしょう。『園子』は『紫頭巾』で、大阪の駅裏で占いをしていたのだと、秘密めかして話したのです。『猿公』の言っていた事は本当でした。学校の『花壇とゴミ箱の間』に『猿公』の埋めた『紫頭巾』はありました。  

それからもう何十年も経ちました。

あの頃の、右翼と朝鮮総連。機動隊。差別してこの人達に石礫を投げ続けた日本人。何も知らない無知による誹謗と拒否。北と南の争いもううんざりします。

友達と別れて日本を去った『猿公』のことを思い出してください。彼を送りに来たプラットホームで、伸び上がって『猿公』を探した『私』を忘れないでください。列車の揺れに、小さな脚で踏ん張っていただろう『猿公』の最後の敬礼に、強くこめられた思いを胸にしまっておいてください。

 

戦後70年が経っても、未だ世界に戦争は無くならず、民族同士、異教徒同士の戦いは止まらず、『猿公』が訳も解らず帰って行った北の祖国は、決して幸せな国ではありません。日本の中でも差別が消えてしまった訳ではありません。人間の中には優しい心が必ず全ての人にあるにも拘らず、どうして解け合えないのでしょう。「多様性」という言葉があります。「寛容性」という言葉もあります。それに本当に気付くことが出来るのに、こんなに長い年月がかかるものなのでしょうか。

貴方の作品を多くの人に読んで頂ければいいのにと思います。

 

久し振りの小春日和が、少し元気をくれます。世界中がどんなに騒がしくとも、身近に死人が出ようとも、今しなければいけない事をするしか方法がありません。貴方がそうしておられるように。またお便り致します。どうかごきげんよう

 

                                                                            清月  

【33】『バケツの底』 宮本 輝 著   『五千回の生死』に収録  

宮本  輝さま

 お元気でおられますか?  毎日膨大な文字を追っておられますと、目の芯に負担がかかります。時々遠くを見てくださいますように。今日は『バケツの底』を読みましたので、お便り致します。 

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お借りしました写真の川は ある時は分かれ、ある時は元の流れと重なります。滞る事なく清らかに流れ続けているのを見ていますと、本当に美しいと思います。人はどうして弱い人を弾いたり、自分と違う考えの人を蹴散らしたり、困っている人を見ないふりをするのでしょう。 いつも一緒にいることは不可能ですが、せめて目の前に困っている人がいたら迷わず、一緒に流れているこの川のようでありたいと思いす。

 『徳田』は 烈しい雨のぬかるみで起きた人身事故を、自分の怠慢が原因なのに、部下の『倉持』に罰を与えることで、上手くごまかそうとします。  『修行や修行。俺も入社した年は、もっときつい仕事をさせられたもんや』そう怒鳴るのです。誰も何も言いません。誰も手伝おうとしません。その罰は、482個のコンクリートパイルの穴に『バケツの底』を 針金でくくりつける事でした。  気弱そうであどけない顔の『倉持』は 烈しい雨の中、巨大な水溜りの中を這うように作業をしています。 

『頭を 頭を使いなはれ』『樋口』が働く金物店主『間垣』の言葉です。学歴コンプレックをもっているのに他人をバカにせずにはいられない。そして、安く仕入れた『バケツの底』を、いかにも自分が損をして用意したかのようにみせかけろと『樋口』に強要します。吝嗇家で、そうしなければ損のように、毎夜妻の体に迫るこの男は、周りに嫌味を撒き散らし『樋口』の大卒の肩書きを利用することしか考えていません。 

『徳田』と『間垣』の 生き様は『樋口』に不思議な勇気と反抗心を生み出します。また『樋口』は自身の『不安症』との闘いに挑むかのように、烈しく降る雨と強烈な風の吹く夜の闇の中に走り出てゆきます。気の遠くなるような『倉持』の作業を手伝うために。雨に弾かれた泥のしぶきが顔を叩き、鉄錆の混じった泥の匂いが鼻をつきます。田植えのように這いつくばったままの作業は、容赦なく腰を痛めつけ、ふと気づくと、大きな水たまりは、まるで『バケツの底』のようでした。

作業中、四方のサーチライトを目が痛くなるまで睨みつけた『樋口』の胸には、自分に向かってくる苦しみに立ち向かおうとする意思が蘇ります。このサーチライトの何気ない描写は、見逃せない彼の心の決意を物語っている気がします。きっと、自分の四方から迫って来る幾多の苦難から自分は逃げまい。そう考えて光の方へ顔を向けて睨みつづけるのです。その決意がやがて、サーチライトの光を希望の光に変えてゆきます。新たな仕事に就いた自分に、少し安心している妻。誰よりも『樋口』の『不安症』の回復を願っている妻。そんな妻へ早く届けてやりたい光なのです。

コンクリートパイルからはい上がってくる腐肉のような臭いにおい。それは『間垣』と『徳田』の醜い心の腐った臭いです。それにしっかり蓋をして来たと。泥まみれになり何時間もかけて 『バケツの底』を修理して来たと。今夜は妻に話してやります。きっと、とても歓んでくれるでしょう。    人が自分に寄り添ってくれることでも、自分が人に寄り添ってあげることでも、人は新たな力を蘇らせる事ができるのです。これはそんなお話のように感じました。

 

近頃、季節のせいでしょうか、体調は変わらなくても何だか心がエネルギーを失くしているように感じます。『虚無』を憎む…と仰っていた貴方の言葉を噛みしめて、なんとか過ごしております。貴方には、どうかご闊達でおられますように。それではごきげんよう

 

                                                                          清月  蓮