宮本 輝さま
お元気でおられることと思います。『五千回の生死』の最後の1篇になりました。この編集にも意味があるのでしょう。読み終わって、心が落ち着き、静かになったように感じました。今日は『昆明・円通寺街』についてお便り致します。
最後の一篇にはこの写真が相応しいと思い お借り致しました。季節の黄昏を語るような色づいた木々の下に、清らかな流れが見えます。水の流れは、山の奥深くで湧き出し、砂や土の濾過を受けながら清らかな水となって流れています。いつか海へゆく道の途中で、色々なことに出会い、時には汚れるとも流れることをやめない…そんな事を感じさせてくれる1枚です。
『私』は、40代になり『中国昆陽』に旅をして『円通寺街』を歩きながら、幼い頃育った尼崎駅裏の『おかめ通り』を思い浮かべています。そこで体験した友人『石野』との不思議な出来事を思いながら、彼が今『骨髄症白血病』で余命宣告されていることが胸に迫ります。最後の別れの手紙を書こうと『円通寺街』を歩き廻りますが、最後まで書くことができません。彼はきっと、もう死んでしまったかもしれない…そんな思いが胸に迫ってきます。
『石野』が幼い頃の『言語障害』を克服して、これから父の『印刷工場』の営業をやるんだと、嬉しそうに『私』を訪ねてきたある夜の事です。これからバイクで阪神高速を走ろうと誘われます。その途中で、疾走していたバイクがパンクしたのですが、走っている時ではなく、ひと休みしていた時にそれは起こりました。もし走っている時だったら、確実に2人は死んでいたでしょう。同時に死を目前に見たのです。言葉では表せない命で受けた強い衝撃は、それを共に体験した人間には、相手の命の終わりをはっきりと観じ取れたのでしょう。
このお話の最初に、鶏をいとも機械的な動きで、次々殺して行く男の場面が描かれています。しかも結構 行数もあります。何故でしょうか。直接関わりのない場面のように感じるからです。中国に拘わらず、東南アジアでは、つい10数年前まで、市場の近くでこのような光景を目に致しました。日本でも自宅で鶏を飼い、卵を産ませたりその肉を食べたりしていた時代があります。そこに横たわる生と死…それを読み手の心に漂わせる為の前文でした。心がこの場面の描写で一旦、キュっと縮み上がるんです。その緊張感が、読み進めてゆくと徐々に解けてゆき読み終わると、心が静かに整えられたように感じたのです。
「生と死」を受け入れることは苦しい、心が締め付けられるようなもがきを連れて来ます。命あるものはいつか死によってその生を閉じます。『私』は『友の死』を受け容れながらも、それでもやるせなさと悲しみに包まれ、書きかけの手紙を『うずらの死骸』のそばに捨てたのです。命はまた巡り来て、いつかその人と会えると言う貴方の哲理が思い出されます。そしてとても静粛な気持ちになれました。
冬の夜空が透明に輝いています。暫く見ていますと、遠い宇宙の中に自分の生と死を確かに見守ってくれている広い世界があることを想像します。今夜の星々の瞬きは本当に美しいです。お身体を大切になさって下さいませ。どうかごきげんよう。
清月 蓮